連載・読み物 医学史とはどんな学問か

医学史とはどんな学問か
序 〈新しい医学史〉と医者・患者・疾病の複合体としての医療

1月 07日, 2016 鈴木晃仁
患者の歴史

<患者>を医学史の対象に導入することは、1980年代から90年代にかけて医学史研究を牽引したイギリスの研究者であるロイ・ポーターの最も重要なアイデアであった(6)。医者たち、それも科学的に重要な発見をした医者に注目した医学史の枠組みは、医学史の対象を著しく限定してきた。そのような医者の大半が、専門的な教育を受けることができた比較的高い階層に所属し、少なくとも19世紀の末までは、ほぼ男性に限られたからである。それに対し、患者を医学史の世界に導きいれることで、医学史はその対象についての階層とジェンダーなどの限定を取り除き、ある社会の構成員全体が経験するものとしての医療を問題に据えることとなった。そのような新しい医学史は、<患者>という主題のもとに、男と女の双方について、貧民から富裕層まで、労働者階級から王侯貴族まで、胎児や乳幼児から母親や高齢者まで、そして少数民族や被支配民族などを取り込むことができた。そのため、新しい歴史学、特に社会史や文化史の潮流にとっての重要な主題であるジェンダー、階層、階級、年齢層、民族、身体といった概念と結びついて発展することができた。それに並行して、個人としての患者に注目して、医療の現象学と呼ぶべき問題、すなわち患者がその身体と精神の双方においてどのように疾病と医療を経験するのかを医学史の重要な主題にしたことも重要である。

患者の導入は、社会史、文化史、現象学という大きな主題を導入しただけでなく、医者や医科学・治療などを立体的に理解することも可能にした。それまでの医学史の記述では、医者による診断、治療、予防などの行為が誰を対象としていたのかという問題は描かれていないことが多く、過去の医者が患者ではなく疾病に相対していたかのような錯覚を持たせることもあった。しかし、個人として経験の構造を持ち、社会と文化によって媒介される対象としての患者が医学史に導入されることで、医者の治療の対象は鮮明な像を持つものとして現れて、医者―患者関係が形をもって理解できるようになった。患者の導入により、歴史上の医師が患者に対する医療者として像を結んだのである。これは、医療倫理学に歴史的な基盤を与えるのと同時に、医者―患者関係が、現象学、ジェンダー論、階級論、エスニシティ論などの概念装置を通じて理解できるようになり、人格、性、階級などにおいて異なる医師と患者は、どのような制度的な仕掛けにおいて対面したのか、両者は何を共有し、どんな相違点を持ち、どのような構図を作って医療が行われたのかといった問いを立てて、それに対して社会的・文化的な立体性を持つ答えをすることができるようになった。このような著作の代表としては、ドゥーデン『女の皮膚の下』を挙げることができる。ドゥーデンの著作は、18世紀ドイツの男性産科医が書いた女性患者や妊婦などの症例の記録の分析をもとにして、当時の医師と女性患者の関係を再構成したものとして、新しい医学史に大きな影響を与えた(7)。

疾病の歴史

<疾病>という第三の要素は、新しい医学史に環境という次元をもたらした。疾病の歴史は、環境と人間の関係性の歴史を知る重要な仕掛けとなり、過去の人々がどのような環境で暮らしていたのか、どのような交通手段を用いて異なる環境に移動したか、社会変動に伴う環境の変化を通じてどのような影響を受けたかを、疾病と医学の視点で分析した。そこでは、空間や地理が重要な主題として研究の前景に現れて、空間の現象学や疾病地理学などの学問と医学史が混じり合うこととなった。環境という視点は医学史にさまざまな影響を与えたが、比較的広域の環境において、疾病の病原体やその媒介者を含む他の生物の生態系の考えを導入することや、逆に、狭い範囲の環境、たとえば労働現場に特徴的な疾病やリスクの問題を設定したりすることなど、人間と生物と物質の関係を捉える歴史環境学と医学史の結びつきをもたらした。たとえば、マラリアの盛衰と、20世紀後半から21世紀における撲滅の失敗は、ヒトとアノフェレス蚊とマラリア原虫の環境が、公衆衛生政策だけでなく、土地利用の経済などのさまざまな影響から変化した歴史と結び付けられている(8)。あるいは、生態学における二つ以上の生物の関係に注目する視点に倣って、ある人口における二つ以上の疾病や疾病グループの関係をパターン化して掴もうという方法論は、その提唱者の医学史研究者であるミルコ・グルメクによって「パソセノーシス」と名付けられている(9)。グルメクによれば、感染症と生活習慣病という二つの疾病群の間には相反という関係があり、人々が幼年期や若年期に感染症で数多く死亡する社会では生活習慣病で死亡するまでの高齢に達する人口の割合が低い。また、それがどの程度正しいのかは議論の余地があるが、結核とハンセン病の二つの疾病は相反の関係にあるとグルメクはいう。

疾病は環境および人間の身体と深い関係を持ち、ある時代と地域にどのような疾病が起きるかは、自然環境や、人為的に変化させられた環境によって左右される。自然環境が大きな役割を果たした疾病としては、帝国主義の時代に欧米や日本が支配地で出会った「熱帯病」と呼ばれたものを挙げることができる。人為的な変化が起こした疾病として有名なものの一つとして、「コロンブスの交換」と呼ばれる大航海時代の感染症の移動を挙げることができる。これは、ヨーロッパとアフリカの旧世界と、南北アメリカの新世界が、それぞれの地域に限定されていた感染症を、あたかも交換するかのように別の地域に送り込んだ例である。あるいは、産業化の過程で、結核に代表される感染症が大きな被害を出す事例は世界各国に見られ、近代日本が産業化の過程で経験した「女工の結核」と呼ばれる現象で、農村からの人口移動や劣悪な労働と生活の条件などにより、多くの若い女性が結核に罹患した例が有名である(10)。自然環境と人為的な変化の双方が重要な疾病の負荷を与えた例としては、中南米の熱帯地方を中心に行われた砂糖のプランテーションや、東南アジアで行われたゴムのプランテーションなどによって、<開発原病>としてマラリアなどの疾病が現れたことが知られている(11)。

 新しい医学史研究の諸相と患者という焦点

冒頭で「医療は、医科学と治療技術だけからなるのではなく、それ以外の何か・・・・・・・を持つ複合体である」と述べた。本書は、医科学と治療はもちろん、それ以外の何か・・・・・・・も複合して作られた医療の歴史を記すものである。より具体的には、それぞれの文化や社会や環境の中で変化しながら、医者と患者の疾病の三要素が、医療を作り上げてきた複雑で重層的な歴史が本書の主題である。医学史をこのような三つの要素として捉える枠組みは、過去一世代にわたる活発な研究を通じて得られた複数の潮流を紹介することになるであろう。2004年にフイスマンとウォーナーが編集した論文集は、その導入部において、医学史には様々な目標があり、医学生を責任感ある医者となるように教育すること、感染症の病因を研究すること、医療職を正当化すること、逆に医療の権力を暴露して批判すること、周縁化された病む人々を解放すること、一般の人々に対する科学・医学コミュニケーションと民主的な議論の支えとなること、人文社会科学に学際性を持ち込むことなどを挙げたうえで、自分自身が共感しない医学史の目標や、採用しない分析手法についても知っておくことが、自分の方法論を鮮明にしながら同時に豊かにするために必要だろうと述べている(12)。本書が持つ目標は、列挙されている目標の一覧では多少の違いがあるが、これとほぼ同じ精神、すなわち医療という現象の複雑性と、複雑な潮流が作る大きな流れを示すことである。言葉を換えると、多様な要素、それらの複雑な関係、そして多様な方向を持つ医学史の大まかな姿を知り、読者が自らを位置づけるための地図を提示することである。

しかし、本書の目標を多様性に拡散させるだけでなく、その中で筆者が強調する焦点となる大きな目標と、その理由を冒頭で正直に掲げておくことも重要であろう。その焦点は、<患者が作る医療>の歴史を適確に伝えることである(13)。医療者の側からみた医学史も重要であるし、疾病に着目した医学史の流れも重要である。しかし、患者は、医療の歴史においても現代においても、医療者や疾病とは異なる概念の広がりと深さを持っている。患者という概念の広がりといったときに、医療者と較べたときの数の多さだけが意味されるのではない。私たち自身が患者になったことがある経験が基盤になって、私たちの近親者や友人、私たちの社会の成員、あるいは私たちとは別の社会の人々が患者になるとき、そこに形成されるある種のつながりが作られる。それは、特定の疾患の患者団体のような集団となることもあるし、より曖昧で短期的な「私たちは同じ患者である」という意識にとどまることもある。いずれにせよ、患者という概念は、広い範囲にわたってつながりが作られて共有する、あるいは共有しうる、ゆるやかな集合である。この集合の形成の構造の歴史をさぐった新しい医学史の成果を織り込むことが、本書の大きな目標の一つである。

さらに、患者は、医者にかかって疾病と診断されて治療を受けるという狭義の医療における受動的な役割だけでなく、その日常生活において、病気や身体の不調を経験し、それに対応した行動をとるという広がりも持つ。身体や精神の不調を感じた時に、それを病気として経験し、その病気はどのようなものか、なぜそうなったのかを解釈し、休んで様子を見るか、自分で市販薬を飲んだり民間療法を試したり、あるいは医者にかかるかどうかなどを判断する。そこでは、疾病を病気として経験すること、ある意味で「医師」の役割であることを自分で行うこと、そして医師にかかって狭義の受動的な患者の役割に入ることが連続的に起きる。すなわち、患者の歴史は、過去の人々の日常生活の歴史とつながりながら、狭義の医療の歴史とある種の連続も持っていると考えるのが適切である。この日常生活における患者の形成の構造をさぐり、それが狭義の医療とどのように連接し断絶しているのかを明らかにすることが、新しい医学史の重要な動力であった。日常生活における病気と患者の行動はどのように形成されるのか、それは狭義の医療とどのように関連しているのか。言葉を換えると、時代や地域、ジェンダーや民族、階級や階層、制度や価値観などによって、日常生活から狭義の医療にいたる過程が構成されるのかが探られてきた。それぞれの時代や状況によって異なった日常生活における病気にまつわる構造があり、またその過程の時間的な変化については、それまでの歴史学者や社会学者が多用してきた、医師による介入と支配の領域が拡大する医学化 medicalization という概念では到底カバーできない複雑さがあった。また、ある論者が言うように、医者の支配に対置して患者の権利を主張するという、イヴァン・イリッチに見られるような1970年代のナイーヴな二元論では解決できない複雑さを現代の医療は構造として持つようになった(14)。

すなわち、患者の歴史を強調した形で新しい医学史の成果を紹介することは、過去の人々の生活と経験と行為の構造という広い文脈の中に、狭義の医療をあらためて置き直してみることになる。狭義の医療という営みを、人々の生活や行為とある個所では連続しある側面では断絶したものと捉えて、それが社会の一部となっている複雑な仕組みを本格的に明らかにすることと言ってもよい。この歴史的な問題について、過去数十年にわたって蓄積されてきた正確な知識と深い洞察は、現代と未来における「患者が作り出す」「患者が中心になった」医療を考察して形成する試みにとって、不可欠な教養となるだろう。また、この歴史的な問題について、患者や病人と自らを考える一般人はもとより、現代の医療者たちも知る必要があるだろう。本書が患者の視点を強調した歴史書であることは、それが医療者を批判する書物であることを意味しない。これまでよりも広く問題を捉えたダイナミックな問題設定の中で、医療者と患者の双方によって現在と未来の医療が議論されるために、歴史学者が提供する一つの議論の素材となることを筆者は信じている。

 

 

参考文献

 

川喜田愛郎『近代医学の史的基盤』上・下(東京:岩波書店、1977)

アルフレッド・W・クロスビー『ヨーロッパ帝国主義の謎 : エコロジーから見た10-20世紀』佐々木昭夫訳(東京 : 岩波書店, 1998)

バーバラ・ドゥーデン『女の皮膚の下―十八世紀のある医師とその患者たち』井上茂子訳(東京:藤原書店、2001)

ミシェル・フーコー『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳(東京:みすず書房、1969)

ミシェル・フーコー『監獄の誕生―監視と処罰』田村俶訳(東京:新潮社、1977)

ウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史』上・下二巻、佐々木昭夫訳(1976; 東京:中央公論社、2007)

 

Frank Huisman and John Harley Warner eds., Locating Medical History: the Stories and their Meanings (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2004).

Roy Porter, “The Patient’s View: Doing Medical History from Below”, Theory and Society, 14(1985), 175-198.

Charles E. Rosenberg and Janet Golden eds., Framing Disease: Studies in Cultural History (New Brunswick, New Jersey: Rutgers University Press, 1992).

Charles E. Rosenberg, Explaining Epidemics and Other Studies in the History of Medicine (Cambridge: Cambridge U.P., 1992).

 

1. ヒポクラテス「流行病論」『古い医術について 他八篇』小川政恭訳(東京:岩波書店、1963). このヒポクラテス派の言葉にちなんで、近年の医学史の研究者は、医者―患者―疾病の三者の複合を「ヒポクラテスの三要素」と言い慣わしている。J. Duffin, History of Medicine : A Scandalously Short Introduction (Toronto: Toronto U.P., 1999).
2. 川喜田愛郎『近代医学の史的基盤』上・下(東京:岩波書店、1977).
3. 日本科学史学会『日本科学技術史大系』第24・25巻、医学1・医学2、丸山博・中川米造責任編集(東京:第一法規出版、1965-67);川上武『現代日本医療史』(東京:勁草書房、1965).二つの立場を持っていた古い医学史の側面については拙稿で触れた。鈴木晃仁「医学史の過去・現在・未来」『科学史研究』no.269, 2014: 27-35.
4.  C.E. Rosenberg, and J. Golden eds., Framing Disease: Studies in Cultural History (New Brunswick, New Jersey: Rutgers University Press, 1992); C. Rosenberg, Explaining Epidemics and Other Studies in the History of Medicine (Cambridge: Cambridge U.P., 1992). ミシェル・フーコー『監獄の誕生―監視と処罰』田村俶訳(東京:新潮社、1977); ミシェル・フーコー『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳(東京:みすず書房、1969)。
5.  R.E. Bivins, Alternative Medicine? : A History (Oxford: Oxford University Press, 2007)
6.  R. Porter, “The Patient’s View: Doing Medical History from Below”, Theory and Society, 14(1985), 175-198.
7.  バーバラ・ドゥーデン『女の皮膚の下―十八世紀のある医師とその患者たち』井上茂子訳(東京:藤原書店、2001)
8.  ソニア・シャー『人類50万年の闘い マラリア全史』夏野徹也訳(東京:太田出版、2015).
9.  M.D. Grmek, Diseases in the Ancient Greek World (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1989).
10.  A.W. Crosby, The Columbian Exchange : Biological and Cultural Consequences of 1492 (London, Praeger, 2003).; 石原修『衛生學上ヨリ見タル女工之現況』(東京:國家醫學會, 1913)

11.J.R. McNeill, Mosquito Empires : Ecology and War in the Greater Caribbean, 1620-1914 (Cambridge: Cambridge University Press, 2010).

12.F. Huisman and J.H. Warner, “Medical Histories”, in Huisman and Warner eds., Locating Medical History: the Stories and their Meanings (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2004), 1-30.

13.Porter (1985) を再考察して患者の歴史の理論的な可能性と現代医療に与える意義を論じた論考として、F. Condrau, “The Patient’s View Meets the Clinical Gaze”, Social History of Medicine 20(2007), 525-540.

14.N. Tomes, “Patient Empowerment and the Dilemmas of Late-modern Medicalisation”, The Lancet 369(2007), 698-700.

 
 

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鈴木晃仁

About The Author

すずき・あきひと  静岡県生まれ。静岡県立清水東高等学校卒、1986年、東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学専攻を卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究(イギリス文化)に進学、1992年にロンドン大学ウェルカム医学史研究所で博士号を取得した。博士論文は啓蒙主義時代イングランドの精神医学思想史を主題とし、指導教官はロイ・ポーターであった。その後、ウェルカム財団医学史研究所リサーチ・フェロー、アバディーン大学研究員などを経て、1997年に慶應義塾大学助教授となり、2005年から慶應義塾大学経済学部教授。