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ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』 連載・読み物

ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』第27回

10月 13日, 2016 松尾剛行

 
(注1)札幌地決平成27年12月7日ウェストロー2015WLJPCA12076001参照(後掲No.13)。
(注2)『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』29頁等。
(注3)なお、ノンフィクション『逆転』事件(最判平成6年2月8日民集48巻2号149頁)は「その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては、一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから、その者は、前科等にかかわる事実の公表によって、新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有するというべきである。」としているところ、調査官解説は「本判決も、本件をいわゆる『プライバシー』の問題として捉えているものとみて差し支えないように解される」(最判解説平成6年民事編129頁)としている。ただし、住基ネット事件(最判平成20年3月6日民集62巻3号665頁)で「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」の限りでは最高裁も憲法上の人権として認めているものの、同事件の調査官解説(平成20年最高裁判例解説民事編158頁)では、「判例は、プライバシーについても、法的保護に値する人格的利益として一定の場合にその侵害が違法とされることを明らかにしているが、憲法13条により保障された人権としての「プライバシー権」が認められるか否か、その内容はどのようなものであるか等について判示した最高裁判例はなく、また、私人間においてプライバシー侵害が違法と認められた事案でも、人格権としての「プライバシー権」を認めることについては、最高裁は慎重な立場をとっている。このことは、「プライバシー」という概念自体が極めて多義的であってその外延及び内容が不明確であることを考慮したものと考えられる。」とされている。
(注4)ちなみに、前掲札幌地決平成27年12月7日は、名誉毀損とプライバシー侵害の双方を認め、検索結果の一部について仮の削除を命じている。
(注5)宮下紘『事例で学ぶプライバシー』(朝陽会・2016年)47頁。
(注6)新保史生「EUの個人情報保護制度」ジュリスト1464号39頁注2、今岡直子「「忘れられる権利」をめぐる動向」調査と情報854号1頁。
(注7)EUデータ保護規則は、その後の修正を経て2016年4月に制定された。特に17条は「削除権(忘れられる権利)」として、データコントローラーに対しパーソナルデータの削除を求める権利を規定していることに留意が必要である。(http://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=uriserv:OJ.L_.2016.119.01.0001.01.ENG&toc=OJ:L:2016:119:TOC
(注8)宮下紘『プライバシー権の復権』(中央大学出版部、初版、2015)221頁、奥田喜道編『ネット社会と忘れられる権利』(現代人文社、初版、2015)2頁。
(注9)「収集又は処理の目的との関係において、また時の経過に照らして、不適切で、無関係もしくはもはや関連性が失われ、また過度であるとみなされる場合」のパーソナルデータの削除を一定範囲で承認。(http://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/HTML/?uri=CELEX:62012CJ0131&from=EN。なお、Lukas Ströbel、 Persönlichkeitsschutz von Straftätern im Internet、 Nomos、 1. Auflage、 2016、 S. 120 ff.も参照。
(注10)(http://publicpolicy.yahoo.co.jp/2015/03/3016.html
(注11)なお、EUにおいて忘れられる権利はリスト化されない権利として処理されていることにつき、宮下紘「『忘れられる権利』について考える」法学セミナー741号5頁注2参照。
(注12)宮下・前掲(注11)1頁。
(注13)宮下・前掲(注11)1頁。
(注14)宮下・前掲(注11)2頁。
(注15)宮下紘「忘れられる権利と検索エンジンの法的責任」比較法雑誌第50巻1号49頁以下、特に55~56頁。
(注16)宮下・前掲(注11)2頁。
(注17)「たとえ忘れられる権利を認めたとしても、ウェブサイト上には本件の犯行に関連するオリジナルなウェブや掲示板等の投稿まで削除の対象とはならない。また犯行に関する報道機関による当時の報道記事や報道機関のウェブサイト上における検索結果の削除は、対象とならない。報道機関による表現の自由やこの報道記事に関する国民の知る権利が著しく阻害されるわけではない。」宮下紘「『忘れられる権利』、日本でも真剣に考える時」(http://webronza.asahi.com/national/articles/2016081000003.html?iref=comtop_fbox_u06
(注18)上記のEUデータ保護規則第17条及びEU司法裁判所の判決が、「不適切」とか「過度」といった、必ずしも違法とは言い切れない情報の削除を認めていることが参考となる。
(注19)検索エンジンに対する削除請求ではなく、発信者情報開示請求である。
(注20)原告は請求原因として、名誉信用棄損、営業妨害を挙げている。
(注21)簡易裁判所で原告が敗訴した事案の控訴審である。
(注22)奥田編・前掲(注7)112頁以下も参照。
(注23)中川敏宏「検索結果の表示に対する検索サイト運営者の責任」法学セミナー2016年3月号参照。
(注24)神田知宏「さいたま地裁平成27年12月22日決定における「忘れられる権利」の考察」Law&Technology72号41頁参照。
(注25)評釈として、宮下・前掲(注11)1頁以下。なお、最高裁への特別抗告と許可抗告がされて、許可抗告が認められたことから、今後最高裁が何らかの判断を示すことが期待される。
(注26)東京地決平成27年5月8日(専門職が専門職を規律する法令に違反した9年前の逮捕記事の削除が認められる)については、奥田編・前掲(注7)114頁以下、東京地判平成25年5月30日・東京高判平成25年10月30日(検索エンジンがウェブページの内容を確認した上で検索結果を表示している訳ではないことを重視し、削除請求を否定)については、奥田喜道編『ネット社会と忘れられる権利』129頁以下、東京地決平成27年11月19日については、プロバイダ責任制限法実務研究会『プロバイダ責任制限法判例集』23頁参照。
(注27)このような検索エンジンの位置づけについての異なる2つの立場については、特にEUにおいて、検索エンジンがデータの「管理者(controller)」であるか、「媒介者(intermediary)」であるかが論じられてきたこととパラレルに理解することができるだろう(宮下・前掲(注8)231頁参照)。
(注28)同判決は石に泳ぐ魚事件(最判平成14年9月24日判タ1106号72頁)を引いているが、早稲田大学江沢民講演会名簿提出事件(最判平成15年9月12日民集57巻8号973頁)の調査官解説が、「プライバシーの権利とは、『私的領域への介入を拒絶し、自己に関する情報を自ら管理する権利』」とした上で、「本判決が情報の開示について本人の『同意』を重要な要件としているのも、このような自己に関する情報を管理する権利の考え方と親和的なものとみることができよう」とすること(平成15年最高裁判例解説民事編488頁。なお、早稲田大学江沢民講演会名簿提出事件判決は「自己に関する情報の管理権をプライバシーの権利の重要な内容と理解する前記の見解を視野に入れて判断がされたものと考えられる」(同解説493頁も参照)と判示)は注目に値する。ただし、住基ネット事件調査官解説(平成20年最高裁判例解説民事編161頁注12)は、「判決は、必ずしも秘匿性が高いとはいえない氏名、住所等の個人識別情報について、これをみだりに第三者に開示されない利益を法的保護の対象と認め、保護の対象と鳴る情報の範囲を『私生活上の秘密』とはいえないものにまで拡大している点で、それ以前のプライバシー侵害に関する判例から一歩踏み出したものと評価することができる。しかし(略)判示からは、(略)個人情報の開示に同意するか否かを自ら決定する権利(同意権ないし自己決定権)を認めてこれを保護法益とした趣旨とは解されないし、当該個人の『同意なく』上記情報を開示することが直ちに違法な法益侵害となると判示したものでもない」とする。
(注29)相手方は、本件の被保全権利の1つとして、「忘れられる権利」を一内容とする人格権に基づく妨害排除請求権としての差止請求権を主張する。

しかし、相手方が主張する「忘れられる権利」は、そもそも我が国において法律上の明文の根拠がなく、その要件及び効果が明らかではない。これを相手方の主張に即して検討すると、相手方は、インターネット及びそれにおいて抗告人が提供するような利便性の高い検索サービスが普及する以前は、人の社会的評価を低下させる事項あるいは他人に知られると不都合があると評価されるような私的な事項について、一旦それらが世間に広く知られても、時の経過により忘れ去られ、後にその具体的な内容を調べることも困難となることにより、社会生活を安んじて円滑に営むことができたという社会的事実があったことを考慮すると、現代においても、人の名誉又はプライバシーに関する事項が世間に広く知られ、又は他者が容易に調べることができる状態が永続することにより生じる社会生活上の不利益を防止ないし消滅させるため、当該事項を事実上知られないようにする措置(本件に即していえば、本件検索結果を削除し、又は非表示とする措置)を講じることを求めることができると主張しているものである。そうすると、その要件及び効果について、現代的な状況も踏まえた検討が必要になるとしても、その実体は、人格権の一内容としての名誉権ないしプライバシー権に基づく差止請求権と異ならないというべきである。
(注30)不法行為の文脈では、「『他人に知られたくない私生活上の事実又は情報をみだりに開示されない利益又は権利』を個人の人格的な利益であるプライバシーの利益又は権利として認めることができ」るところ(平成15年最高裁判例解説489頁)、「法的保護の対象は主観的な秘密主義や引きこもり願望ではないから、他人に知られたくないかどうかは、一般人の感受性を基準に判断すべきである。したがって、具体的な情報がプライバシーとして保護されるべきものであるとされるためには、①個人の私生活上の事実又は情報で、周知のものでないこと、②一般人を基準として、他人に知られることで私生活上の(私生活における心の)平穏を害するような情報であること、が必要であると考えられ」(平成15年最高裁判例解説489頁)、「開示の違法性について、推定的同意、受忍限度、公益の優越といった点を定型的に判断する場合においても、開示の相手方の範囲、開示方法、開示状況のみならず、開示されるプライバシーの性格(秘匿要請の強弱、私事性の強弱)が考慮され」(平成15年最高裁判例解説490頁)、「通常は、プライバシー情報の内容、開示の態様を総合考慮して、定型的に推定的同意、受忍限度、公益の優越が認められない場合には、違法性を肯定することができよう。」(平成15年最高裁判例解説490〜491頁)と言われているところ、No.15のプライバシー侵害の有無の判断枠組みを考える上で参考になる。なお、住基ネット事件調査官解説(平成20年最高裁判例解説民事編160頁注11)は、「法的保護に値する人格的利益は何かという観点からは、個人情報それ自体ではなく「氏名、住所等の個人情報をみだりに他者に開示されないという利益」ということになると考えられる。」とした上で、また、「最高裁判例は、明確な内容を有する権利としての『プライバシー権』を正面から認めていないが、個別の事案に応じて、プライバシーないしこれに類する利益を私法上保護に値する人格的利益として認める判断を示してきた」(同161頁)とされ、その上で、同161頁注12においては、この判決の「みだりに」というのは、当該情報の開示が一般人の感受性を基準にして私生活上の平穏を害するような態様で行われることが必要であり、当該情報の内容、開示の態様を総合考慮して違法性の有無を判断するという従前の枠組みを逸脱したものではない」とする。)
(注31)宮下・前掲(注11)4頁。
(注32)ノンフィクション逆転事件調査官解説(最判解説平成6年民事編)131頁~132頁。
(注33)No.13は名誉権侵害を肯定するところで「罰金刑はその執行が終わり5年を経過すれば、刑の言渡しが効力を失うことに鑑みれば(刑法34条の2第1項)、債権者が逮捕されてから12年以上経過した現時点において、本件犯罪経歴をインターネットという世界中からアクセスのできる場所において明らかにすることが公共の利害に関する事実を摘示するものであるとはいえない。」とした上で「、●●●法違反という一般的には公共性の高い犯罪行為について明らかにするものであるが、債権者の社会的地位等に鑑みれば同人が逮捕されてから12年が経過した現時点において、債権者の実名と共に本件犯罪経歴を公表しておく必要性や社会的意義は相当程度低下しているというべきである。」とした。なお、No.15も、名誉権侵害を否定する文脈で「このような本件犯行の性質からは、その発生から既に5年程度の期間が経過しているとしても、また、相手方が一市民であるとしても、罰金の納付を終えてから5年を経過せず刑の言渡しの効力が失われていないこと(刑法34条の2第1項)も考慮すると、本件犯行は、いまだ公共の利害に関する事項であるというべきである。」とする。
(注34)東京地判平成15年6月20日ウェストロー2003WLJPCA06200005「被告は、本件各記事に掲載された当時、本件各写真を撮影することを承諾し、かつ、これらが不特定多数の第三者に頒布されることを予見し、承諾していたと主張するが、撮影当時の原告の年齢が13から15歳であったことやブルセラショップで撮影されたものであることを考慮すれば、写真を撮影し、ブルセラショップ内で下着等とともに展示し、その写真が、ブルセラ愛好者の手に渡ることについては承諾していたものの、雑誌などに掲載され不特定多数の第三者に公開されることまでも予見し、承諾していたとは認められないから、この点についての被告の主張は理由がない。」
(注35)東京地判平成18年7月24日ウェストロー2006WLJPCA07240004「そこで、本件についてこれを見るに、「○○」が撮影販売された昭和61年ころ、原告が当該ビデオを販売する範囲で性交渉の演技を公表されることを承諾していたことは前記認定のとおりである。そして、上記当時においては、上記態様に限らず、上記ビデオの販売目的のため、相当な広告媒体によってビデオの内容が紹介されたり、当時アダルトビデオ女優として活動を行っていた原告の活動内容が相当性を超えない範囲で紹介されるなど、「○○」の販売を承諾したことに伴い通常想定される範囲内の紹介といった態様においても、公表が承諾されていたものと推認される。

しかしながら、本件記事等は、「○○」が発売されてから13年が経過し、原告が芸能活動を停止した後になって、裏ビデオである「△△」の内容を、「週刊a」に詳細に記述したものであるところ、原告において、「○○」を販売した当時又はその後、そのマスターテープを元に、裏ビデオが作成されることを承諾していたと認めるに足りる証拠はなく、ましてや、その裏ビデオ「△△」の紹介を目的として、性交渉の演技が公表されることを了承していたとは認めることができない。また、原告が、上記当時又はその後、「○○」において行った性交渉の演技の詳細を、ビデオの販売という態様とは全く異なり、書店等で一般人が通常の方法で購入することができる週刊誌に掲載する態様で、広く公表されることを承諾していたことを認めるに足りる証拠はない。さらに、本件記事等が掲載された時期は、「○○」が撮影されてから13年が経過した平成11年であって、前記認定のとおり、原告は、既にアダルトビデオ女優としての活動を停止し、自らマスメディアに登場することもなかったのであるから、本件記事等が掲載された当時においては「○○」が撮影販売された当時とは条件が全く異なっていたといえる。

このように、公表の目的、態様及び時期のいずれにおいても、原告が「○○」に出演する際にした承諾とは前提となる条件が全く異なっているにもかかわらず、これらの異なる条件の下で、原告が本件記事の記載内容を公表することを承諾したと認めることはできない。

以上のとおりであるから、原告がした承諾の効果が本件記事の公表にまで及ぶということはできず、他に原告が本件記事の公表を承諾したと認めるに足りる証拠もないことからすれば、本件記事の公表について原告の承諾があったということはできない。」なお、宮下・前掲(注11)6頁注15も参照。
(注36)ただし、機械的表示を理由に直裁に削除を否定するNo.6やNo.7のような判断がされていた時代は過去のもので、近時では、例えばNo.10のように、単に機械的表示というだけでは免責をせず、慎重な考察をする裁判例が増えている点には留意が必要である。
(注37)しかしながら、本当にこの情報の相互流通について検索エンジンが果たす価値を大きく見るべきか、特にNo.15の判示したように「以上に加え、現在、インターネットは、情報及び意見等の流通において、その量の膨大さ及び内容の多様さに加え、随時に双方向的な流通も可能であることから、単に既存の情報流通手段を補完するのみならず、それ自体が重要な社会的基盤の1つとなっていること、また、膨大な情報の中から必要なものにたどり着くためには、抗告人が提供するような全文検索型のロボット型検索エンジンによる検索サービスは必須のものであって、それが表現の自由及び知る権利にとって大きな役割を果たしていることは公知の事実である。このようなインターネットをめぐる現代的な社会状況を考慮すると、本件において、名誉権ないしプライバシー権の侵害に基づく差止請求(本件検索結果の削除等請求)の可否を決するに当たっては、削除等を求める事項の性質(公共の利害に関わるものであるか否か等)、公表の目的及びその社会的意義、差止めを求める者の社会的地位や影響力、公表により差止請求者に生じる損害発生の明白性、重大性及び回復困難性等だけでなく、上記のようなインターネットという情報公表ないし伝達手段の性格や重要性、更には検索サービスの重要性等も総合考慮して決するのが相当であると解される。」といった理解を、前科の文脈ですることが適切かは1つ考えるべき事項である。「アメリカでみられるような、人の過去の前科や債務関係を含む公的記録をインターネット上で検索して流通・売買するビジネスを、裁判所が奨励しているとも捉えられかねない。」という批判(http://webronza.asahi.com/national/articles/2016081000003.html?iref=comtop_fbox_u06)も傾聴に値する。

加えて、宍戸常寿教授は「宍戸常寿東大教授に聞く 「表現の自由」裁判所任せでいいのか」(
http://mainichi.jp/articles/20141109/mog/00m/040/004000c
)の中で「表現の悪質性が問題なのであれば、グーグルのリンクだけ消しても仕方なく、大元の表現から消していくべきではないのか、という気がします。仮に、グーグル検索で上の方に表示されるから、みんながそこにたどり着いてしまうという局面であれば、元の表現はともかく、差し当たりリンクを消せという話は、当然ありえます。それに対し、表現の悪質性が実質的な問題なのであれば、根本から断たなければならないのではないか、という疑問」を呈されており、この考えは傾聴に値する。
(注38)判例No.13、No.15を参照。
(注39)ノンフィクション『逆転』事件(最判平成6年2月8日民集48巻2号149頁)参照。なお、上記のとおり、従来の削除請求と「忘れられる権利」は相違点があることから、これらそのまま適用可能なものではない。
(注40)最判平成14年9月24日判タ1106号72頁。
(注41)すなわち、No.12,14からNo.15に至る経緯において、「忘れられる権利」が肯定されたさいたま地裁での判断が東京地裁で否定され、「忘れられる権利」が否定されたといった議論がされることがあるが、このような「忘れられる権利」の肯否だけの議論では議論がかみあわないことも多いように思われる。
(注42)個人的には、「忘れられる権利」の概念がいわゆるマジックワードとなり、議論が雑になるといったリスクないしデメリットを指摘しておきたいところである。もっとも、「忘れられる権利」に関する論者が、このようなリスクを十分に留意した上で精緻な議論を行う限り、そこまで重要な問題ではないかもしれない。そうだとすると、上記のような従前の削除権(削除権請求)との相違があり、従前と異なるポイントに目を向けるべきであるという点をより明確に示すという限りでは「忘れられる権利」概念にも一定の有用性があると考えている。
 
 本稿の作成の際には、中央大学宮下紘先生には様々なご指導を頂いた。特に宮下紘「『忘れられる権利』について考える」法学セミナー741号6頁注24では『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』を引用いただいた。また、大島義則弁護士にも、『憲法の地図』を踏まえた判例のプライバシー論等に関する大変示唆に富むご教示を頂き、非常に勉強になった。
心よりの感謝の意をここに表させていただきたい。
 
次回更新、10月27日(木)予定。
 

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松尾剛行

About The Author

まつお・たかゆき 弁護士(第一東京弁護士会、60期)、ニューヨーク州弁護士、情報セキュリティスペシャリスト。平成18年、東京大学法学部卒業。平成19年、司法研修所修了、桃尾・松尾・難波法律事務所入所(今に至る)。平成25年、ハーバードロースクール卒業(LL.M.)。主な著書に、『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』(平成28年)、『金融機関における個人情報保護の実務』(共編著)(平成28年)、『クラウド情報管理の法律実務』(平成28年)、企業情報管理実務研究会編『Q&A企業の情報管理の実務』(共著)(平成20年)ほか。