連載・読み物 医学史とはどんな学問か

医学史とはどんな学問か
第1章 ギリシア・ローマ文明とキリスト教における医学と医療

2月 23日, 2016 鈴木晃仁

しかし、それぞれの文章の意味合いは現在の議論とは違った内容を取り上げたものであること、そして、そもそも「誓い」というテキスト自体が、どの程度「ヒポクラテス的」なのかという問題に注意しなければならない。致死薬の文章は多量だと毒になる薬を多く与えないことを意味しており、堕胎用器具については中絶そのものの否定ではなく、坐薬を用いた中絶の否定ではないかと考えられている。また、坐薬を用いた中絶をしないという考えは、「ヒポクラテス集成」の他のテキストでの記述と一致しない。「女性の疾病について」という著作では多様な薬剤を用いた中絶の方法が記されているし、「小児の本質について」「肉について」という著作でも中絶の方法が論じられている個所があり、中絶された胎児を観察した記述も存在する。さらに、「誓い」の前半が唱えるような、契約を結んだ医学生だけからなる閉鎖的な集団としてヒポクラテス派を考えるのはおそらくあたっていない。ヒポクラテス派は、他のタイプの医療者・治療者たちと場合によっては競合し、患者の前や公の場において議論・弁論によって自らの正しさを証明する医学、いわばギリシアのポリス(都市国家)におけるアゴラ(広場)で供される医療のパターンをとっていた。このような事情から20世紀前半の偉大な医学史家であるエーデルシュタイン(Ludwig Edelstein, 1902-65)は、「誓い」をピュタゴラスの影響をうけた秘密結社の性格を持つ集団のテキストであると主張している。その説に賛同するかどうかは別にして、「誓い」は、ヒポクラテス集成から示唆されるヒポクラテス派の典型像とは異質な価値観を表明しており、そこに書かれていることを「ヒポクラテスの伝統」と不用意に考えてはいけない。

「誓い」よりもヒポクラテス派の特徴を的確に捉えていると考えられるテキストが、「流行病」というタイトルを持つ7巻のテキストである。特にその第1巻と第3巻は、簡潔で迫力がある症例の記述の水準が高く、ヒポクラテスの真筆であると長く信じられてきた。日本語でも岩波文庫に収録されているのはこの二つの巻である。そこでは、ある土地の風土、気候、風向きなどが語られ、その土地に多い疾病やそれ以外の疾病の患者の症例が一人ずつ日誌的な記録の形態をとって記されている。たとえば、「流行病」第3巻には、産褥熱にかかった女性の様子が以下のように記されている。

タソス(島)の冷水の泉のそばで病臥した婦人。女児分娩の後、悪露(おろ)がおりず、3日目に悪寒をともなう高熱を発した。分娩よりもだいぶ以前から彼女は熱があって臥床しており、食欲がなかった。ところでこの悪寒がおこってから後は、熱は持続的となり、高熱で、震えをともなうようになった。

第8日およびそれ以後。8日目にははなはだしい精神異常をきたしてその後も続いたが、速やかに正気にもどった。腸は不調で多量の希薄で水様の胆汁状便があり、渇きは訴えなかった。

第11日。正気と昏睡。尿は多量で希薄で暗色。不眠。

第20日。全身が少々冷えたが、速やかに体温を回復。少々うわごとを言い、不眠。腸の状態は同様。尿は水様のもの多量。

第27日。平熱。便秘。その後まもなく右臀部に長時間の劇痛。再び発熱を見る。尿は水様。

第40日。臀部の痛みは軽快したが、咳がつづいて多量の水様の喀痰があり、便秘し、食欲はなかった。尿の状態は同じ。熱は完全にひくことなく、出たり引いたりして動揺をつづけた。

第60日。咳はやんだが、良い分利の徴候はともなわなかった。痰が熟するような変化もなく、他の局所に膿瘍ができる変化もなかったのであるから。かえって右側の顎が痙攣をおこした。昏睡状態。うわごとを言ったが、すぐ正気にもどった。食欲は全くなかった。顎の緊張は解けた。腸からは少量の胆汁状の排便があり、熱は高くなり、悪寒をともなった。その後の日々はものを言わなくなったが、また言うようになった。

第80日。死亡。

この患者の尿は終始暗色で水様であった。昏睡が続き、食欲なく、気力なく、不眠、いらいらし、忍耐力なく、精神状態は憂鬱であった。[2]

 ここに見られる、一人一人の患者に対する詳細で密度が濃い観察を記録したものを「症例」(case)という。一日などの短い時間単位ごとに分割され、個々の症状を短く簡潔な言葉で記述していくという個性があるスタイルを持つヒポクラテス派の症例は、古典古代から中世を経て近現代にいたるまで、医学に大きな影響を与えた。ガレノスは、「流行病」のテキスト、特に彼が真筆と認めた1巻と3巻を傑作として注釈を加え、スタイル上の改変を加えながらも、このような記述を取り入れた。中世から初期近代を経て近現代にいたるまで、症例というジャンルは、医師たちが日々行い、それをめぐって議論し、著作や論文の中では記録され解釈されるものであった。現在でも医学生は症例の書き方を教わって記録しており、そのためのマニュアル本まで出版されている。

1 2 3 4 5 6 7 8
鈴木晃仁

About The Author

すずき・あきひと  静岡県生まれ。静岡県立清水東高等学校卒、1986年、東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学専攻を卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究(イギリス文化)に進学、1992年にロンドン大学ウェルカム医学史研究所で博士号を取得した。博士論文は啓蒙主義時代イングランドの精神医学思想史を主題とし、指導教官はロイ・ポーターであった。その後、ウェルカム財団医学史研究所リサーチ・フェロー、アバディーン大学研究員などを経て、1997年に慶應義塾大学助教授となり、2005年から慶應義塾大学経済学部教授。