ジャーナリズムの道徳的ジレンマ

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 02〉人質解放のため報道腕章を警察に貸すべきか

5月 10日, 2016 畑仲哲雄

 
 

3:: まとめと解説

相反する考え方がにらみ合う場面を離れ、一歩引いて冷静に見下ろし、この事例をすこし学問的に考察してみたい。
 
 たかが腕章、されど腕章――。最初に、報道腕章の重みを考えておこう。
 腕章に法的な根拠はない。報道関係者には、僧侶の袈裟、医師の白衣のような衣装がないので、「報道取材中」ということを示すため腕章を巻く。近年はカード型の社員証を首からぶら下げるケースも増えたが、野次馬との区別が必要なイベントや事件や事故の現場では、遠くから見ても一目瞭然な腕章がよく使われる。

記者やカメラマンが「取材中」に着ける腕章。組織ジャーナリストの場合、会社名や媒体名が入っていることが多い。
記者やカメラマンが「取材中」に着ける腕章。組織ジャーナリストの場合、会社名や媒体名が入っていることが多い。
 ただ、一般的なメディア企業では、報道腕章を目的から外れて使うことは厳しく戒められている。無断で他人に貸与したりすれば、社内で懲罰の対象となるだろう。メディア企業の腕章には、その企業の社会的な信用が埋め込まれているからだ。ジャーナリストにとっての腕章は、弁護士バッジや議員バッジほどではないにせよ、病院名が明示された医師の白衣やと同じくらいの重みがあるものといえる。
 今回も〈CASE 01〉に続いて、主人公は人命と報道の二択を迫られたようにみえる。決断すべきは、刑事課長に報道腕章を貸すべきか、貸さざるべきかだ。ただし、今回は考慮すべき変数が多く、考える筋道も複雑だ。貸すか貸さないかのどちらを選ぶにしても、理由を明確に説明するのは容易ではない。
 判断を難しくしている原因は2つ。1つは「権力」との関係だろう。警察は市民社会の安全な暮らしに欠かせないものだが、強制力をつかって人びとの自由を制限する権力を行使する。事件事故を取材する記者にとって、警察は重要な取材源であると同時に、権力乱用をチェックすべき対象でもある。もう1つは、主人公が地域メディアに属していることだ。事件に関係する人はみな「隣人」であり、取材者も地域の一員である。通りすがりの大手メディアとは異なる立場であることも考慮に入れなければならない。
 1つめの原因を考えるうえで踏まえておきたいのは、ジャーナリズムに権力監視の使命を担わせる思想が歴史的に形成されたことだ。それは主にアングロサクソン型の政治文化のなかで育まれてきた。なかでも検閲と闘った17世紀の詩人J.ミルトン(1608-1674)の『アレオパジティカ(Areopagitica)』とJ.S.ミル(1806-1873)の『自由論(On Liberty)』は、「言論の自由」をめぐる記念碑的な文献である。「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する」というJ.アクトン(1834-1902)が残した至言も、ジャーナリズムの思想を簡潔に表している。
 この思想は日本の新聞界でも共有されている。日本新聞協会の「新聞倫理綱領」は「新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない」と記す。ジャーナリズムにとって最も重要なものは自由。そうした考え方は、日本のメディア界に広く浸透している。その自由を守るため、権力を監視する番犬(watchdog)であろうとすることには合理的な理由がある。ここでは「自由主義型のジャーナリズム」と呼んでおく。
 だが、これと同じ考え方を、都道府県や市町村域の小規模メディアに強制することはできない。取材する人も、される人も、ニュースを受け取る人も、同じ空気を吸い、同じ水を飲み、習慣や文化を共有する共同体のメンバーだ。地域メディアの多くは地域の暮らしを良くする社是を掲げるところが多い。地域メディアのジャーナリストが傍観者のような歴史の記録者でいられるはずはない。こうした考え方を支える論理を、「自由主義型のジャーナリズム」と区別して、ここでは地域の利益や善を重視する「共通善のジャーナリズム」と呼んでおく。
 現在の日本のマスメディアで前者が幅を利かせているのは、それを信奉する大手メディアの企業規模や社会的影響力が大きいからだ。共通善のジャーナリズムが質的に劣っているわけではない。今回の事例では、人命か報道かという二択としてではなく、地域にとってどういうジャーナリズムが必要なのか、読者=市民と対話して模索することも一考だ。
 

4:: 実際の事例

思考実験のもとになった事例を概観しておきたい。
 
 『読売新聞』が2011年末に掲載した特集記事によると、バスジャック事件は同年11月、千葉市の繁華街で発生し、60代半の男が逮捕された。男は路線バスの最後部座席から一列前の女性客に果物ナイフを突きつけて「マスコミを呼べ」と要求し、千葉県警の捜査員は現地にいた複数の新聞社の記者に腕章の提供を求めた。
 これに対し、千葉県の地元新聞『千葉日報』の20代の男性記者が、その場で腕章を外し捜査員に手渡した。読売記事によれば、この記者は「腕章を提供するのは問題があると思いながらも、『一刻を争う状況なので人命を優先させるべきだと』と判断した」。捜査員は腕章を着けて記者を装い、男を説得する別の捜査員の横に立ったと『読売』には記されている。
 事件発生当初、大手メディアは、バスジャック事件そのものとともに、地元紙記者が警察の求めに応じて報道腕章を貸した行為に問題があったという批判的なトーンで報道した。「千葉 記者が警察官に腕章貸す」(NHK)、「千葉日報記者が捜査員に腕章貸す」(毎日)、「『千葉日報』記者の腕章を借用」(朝日)、「捜査員に千葉日報記者腕章貸す」(読売)。いずれの記事にも、千葉日報社の編集幹部の「記者倫理として慎重、適切さに欠ける行為であった」というコメントが掲載された。主流マスメディアは警察に腕章を貸す行為に軒並み厳しく、千葉日報社も実質的に反省の弁を述べたといえる。
 ただ、その年の瀬に掲載された『読売』の特集には、当該記者の立場に理解を示すコメントを複数紹介されていた。「報道の中立性より事態の緊急性を優先すべき時がある」(服部孝章・立教大教授)、「こうしたケースに直面した記者の経験から、現場の感覚を生かした報道倫理を考えていくべきだ」(大石泰彦・青山学院大教授は)。さらに、読売新聞東京本社編集局長の「記者のとっさの行為を、ただちに非難すべきだとは、考えておりません」という見解を明示した。
 限られた時間内で一定の決断を下さなければならない日々のニュースでは、ともすれば記事のトーンが一つの方向に傾くことがある。千葉日報記者に対する批判的な報道もひとつの典型例だ。だが、時間をおいて反芻するうちに、当初の判断が思考停止のように思われることもある。現代のジャーナリストに必要なことは、業界や会社が作った倫理規定に基づいて即断即決する処理能力ではなく、自問自答し煩悶する能力だろう。
 

5:: 思考の道具箱

 
■番犬ジャーナリズム ジャーナリストを社会の番犬とみなす考え方。ジャーナリストたちは自由・民主主義に害を及ぼす権力と闘い、不正を追及するため、吠え立てることが推奨される。その根底には古典的自由主義の思想がある。このタイプのジャーナリズムは、統治権力から距離を置き、自律的でなければならず、ニュース報道は事実に基づいて客観的におこなうことを旨とする。ジャーナリズムが番犬としての機能を明確に発揮したともっとも有名な事例は、1970年代初頭の『ワシントンポスト』記者ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインによる一連のウォーターゲート疑惑の報道とされる。近年では、神父による児童性的虐待をカトリック教会が組織的に隠蔽していた事実を暴露した『ボストン・グローブ』の報道が映画化され脚光を浴びた。
■共通善 政治哲学の潮流のひとつ、コミュニタリアニズムの基本概念で、Common Good の訳語。共通善という考え方のルーツをたどると、古代ギリシアの哲学者にさかのぼる。共通善を実現することが良き政体の条件としたアリストテレスから、トマス・アクィナスやホッブズなどを経て、現代のコミュニタリアニズムに継承されてきた。コミュニティに共通する善きことを意味するが、ここではおおざっぱに、地域共通の利益ぐらいに考えておきたい。コミュニタリアニズムは、1970~80年代のアメリカで、自由を重視する政治哲学の潮流の批判者として旋風をまきおこした。「ハーバード白熱教室」で一躍有名になったマイケル・J・サンデルは、代表的なコミュニタリアンである。詳しくは菊池理夫『共通善の政治学―コミュニティをめぐる政治思想』(勁草書房、2011)などを参照されたい。
 
[参考文献]
NHK「千葉 記者が警察官に腕章貸す」NHKオンラインNHK NEWS WEB 11月16日22時55分(取得2011/11/17 14:35、http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111116/t10014011501000.html)
毎日新聞「バス立てこもり:千葉日報記者が捜査員に腕章貸す」毎日JP 2011年11月16日22時27分(取得2011/11/17 14:37、http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111117k0000m040095000c.html)
朝日新聞「「千葉日報」記者の腕章を借用 千葉立てこもりで県警」asahi.com 2011年11月16日22時14分(取得2011/11/17 14:37、http://www.asahi.com/national/update/1116/TKY201111160520.html)
読売新聞「捜査員に千葉日報記者腕章貸す…バス立てこもり」読売オンライン 2011年11月17日07時29分(取得2011/11/17 14:37、http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111116-OYT1T01178.html)
千葉日報「千葉県都騒然、緊迫の逮捕劇 荘司容疑者「乗客は前に行け」」千葉日報ウェブ 2011年11月17日10:32(取得2011/11/17 14:39、http://www.chibanippo.co.jp/c/news/national/65151)
日本新聞協会「千葉日報記者、腕章貸す バスジャック犯説得の捜査員に」報道界ニュース(取得2011/11/23 15:01、http://www.pressnet.or.jp/news/headline/111116_1587.html)
読売新聞「人命優先に支持の声/「報道の独立損なう」批判も/地元紙記者 警察に腕章貸与」2011年12月30日朝刊27ページ
「新聞倫理綱領」日本新聞協会ホームページ(取得2016/03/17、http://www.pressnet.or.jp/outline/ethics/)
 
[担当者の悩み]自分に染みこんでいる規範が自由主義型なのか、腕章をただ貸すことには違和感。どうせなら自分がバスに入っていきたい。だとすると別の腕章を付けた警官と2人組はできないものか? そんなことが頭をよぎりました。次回は、いわゆる「オフレコ破り」を考えます。
 
 
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