虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 連載・読み物

虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察
第3回 ネットもスマホもなかった世界から遠く離れて

6月 01日, 2016 古谷利裕

 
 

結び

「ビューティフルドリーマー」では、もし、竜宮城へ行ったのが浦島太郎だけでなく、村全体だったとしたら、それでも時は流れたことになるのか、という問いがナレーションとして語られます。しかし、インターネットの普及により、物理空間と情報空間とが分離し、一人ひとりが各々のモバイルでそれぞれ異なる情報空間とのアクセスをもつことで、村全体という空間的な限定が困難になります。するとそれは「宇宙全体が竜宮城へ行ったとしたら」という、極端な問いにまで発展することになります。要するにこれだけのことなのですが、このことが物語のありようを大きく変化させます。この拡張が重要なのは、ここまで来ると外部からの客観的な視点が成立しなくなることです。宇宙全体が同じ2週間を反復しているとしたら、我々はそれをどうやっても知ることができないはずです。ある日とつぜんわたしがあなたになってしまったとしても、わたしであったことを忘れ、あなたの記憶を引き継いでいるとしたら、そのことに気づくことができないのと同じです。手が届く範囲には、わたしとあなたを分けるための手がかりが存在しないのです。

「エンドレスエイト」ではそこに抜け道が用意されていて、登場人物のなかに未来から来た人がいて、常に未来と連絡をとっているので、その連絡が不可能になることを通じて事態が把握されます。つまり、外部からの視点なしに自らの位置を知るため装置が予め内部に仕込まれているからこそ、自分たちの状態を知ることができるのです。「叛逆の物語」で、ほむらの夢のなかに予め円環の理が侵入していることも、それと同様だといえるでしょう。内と外との関係が、互いが互いを予め織り込んだようなものになっています。

「まどか☆マギカ」のまどかが、世界の法則を書き換える(付け足す)ことで、個であることから、起源であり根拠であるものに変容し、遍在するものになってしまったということも、空間的に閉ざされた境界が機能しないことと関係があります。魔法少女は魔法が使えますが、魔法は(夢邪気の妖術と同じで)、局所的な限定された範囲で世界の法則を捻じ曲げることができるだけです。魔法少女は魔法を使って必死で対処療法を行いますが、それは呪いの連鎖という世界の法則を変えることはできません。魔法自体が呪いの構造の一部なのです。まどかは、魔法という局所的な作用を使うのではなく、法則を書き換えることで、宇宙全体を書き換えます。物理法則を一つ書き換えるということは、限定された範囲だけを変えるのではなく、必然的に、宇宙全体、その歴史全体にまで影響が波及してしまうことになるのです。

空間的に任意の領域を区切って、それが閉じていると考えることが難しくなるということは、虚構と現実との境界、あるいは、あの世とこの世との境界が、空間的な境界によって仕切るだけでは十分には成立しなくなるということです。それは同時に、自分たちの姿を客観的に見るための「外」を想定することが困難になるということでもあります。インターネット以降の物語は、この困難を背負わざるを得なくなるでしょう。
 
次回、6月22日(水)更新予定
 
 
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