ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 05〉戦場ジャーナリスト、君死にたまふことなかれ

7月 12日, 2016 畑仲哲雄

 
 

3:: まとめと解説

相反する考え方がにらみ合う場面を離れ、一歩引いて冷静に見下ろし、この事例をすこし学問的に考察してみたい。
 
 「戦争の最初の犠牲者は真実だ」(The first casualty of War is truth)。アメリカの上院議員ハイラム・ジョンソンが100年ほど前に放った至言は、すこしも色あせていない。戦争のほんとうの姿を報告するジャーナリストは市民社会に不可欠だ。歴史をひもとけば、国家はたびたび嘘をついてきた。ジャーナリストにとって《最大の困難》は国家と言ってもいいだろう。
 ジャーナリストの多くは客観的で中立的な観察者であろうと意識する。自国内で自国民に向けて仕事しているかぎり、「客観」「中立」という立場を押し通せるかもしれない。だが、ひとたび国外に出れば、否が応でも「外国人ジャーナリスト」となる。国内にいるときに意識しなかったじぶんの国籍や民族を意識せざるをえなくなる。
 もしもじぶんの国が戦争をはじめてしまったら、「敵国」の戦争被害者の目には「敵国の情報戦士」と映るかもしれない。いや、きっとそれだけですまない。自国政府はプロパガンダのためジャーナリストを利用しようとするだろう。欧米のジャーナリストを中心に国境を越えたNGO組織[1]が作られたが、個々のジャーナリストたちはナショナリティやエスニシティから自由ではない。
 戦争当事者ではない国のジャーナリストが、「客観」「中立」という立場を装えるかといえば、かならずしもそうではない。たとえば毎日新聞記者大森実はベトナム戦争時、「西側記者として初めて」北ベトナム(当時)に入って取材した[2]。アメリカ人記者もうらやむ快挙であったが、アメリカ駐日大使のライシャワーから偏向報道と批判されるなどさまざまな圧力を受け退社した。
 他方、戦争当事国の『ニューヨーク・タイムズ』特派員デイヴィッド・ハルバースタムはベトナムでのアメリカの介入に否定的な記事を書き[3]、戦争報道経験者でCBSの看板キャスターだったウォルター・クロンカイトも戦争継続に疑義を唱えた。2人の仕事は自国の戦争が正当かどうかを疑うことだった。
 戦争を取材する者にとって、《もうひとつの困難》は家族をはじめとする「身近な人たち」だ。無事の帰国をひたすら待つ家族の心労は尋常ではない。映画『おやすみなさいを言いたくて』[4]は衝動に駆られて危険な取材をする戦場カメラマンと家族との愛憎を描く。危険地をゆくジャーナリストの仕事が、家族や身近な人たちの犠牲なしに成立しないとすれば、その仕事に身を投じる意味はどこにあるのだろう。

もし、対立や紛争のある場所からの複眼的な情報が届かなくなったら? Title: Journalist Runs For Cover From Roof Top Police Who Are Throwing Stones. Photo credit: alisdare1 via Visual hunt / CC BY-SA
もし、対立や紛争のある場所からの複眼的な情報が届かなくなったら?
Title: Journalist Runs For Cover From Roof Top Police Who Are Throwing Stones.
Photo credit: alisdare1 via Visual hunt / CC BY-SA
 だが、紛争地でなにがおこなわれたかを記録する仕事には、人道的な側面がある。月刊『DAYS JAPAN』元編集長の広河隆一は、長年にわたるパレスチナ取材を通して、取材者がいることで殺戮が防げると力説する。市民活動家でもある広河に言わせれば、ジャーナリストは無駄な血が流れるのを防ぐ楯となるということだ。
 だが21世紀にはいり、日本の自衛隊がイラクに派遣されたころから、日本のジャーナリストや人道活動家たちが「第三者」ではなく、「当事国」の一員とみなされはじめた。2004年、イラクでジャーナリストを含む3人の日本人が拘束され身代金を要求された。『読売新聞』は「テロに屈しない」と述べた小泉純一郎首相への支持と、避難勧告を無視した人質の行動には自己責任があると非難する社説を載せた。政府の中には自作自演を疑う声もあり[5]、オンラインの掲示板でも自己責任論が相次いだ。やがて帰国をはたした3人とその家族にはすさまじい非難が浴びせられた[6][7]。
 中東ではその後も、日本のジャーナリストが拘束される事件が相次ぎ、2015年1月にはイスラム過激派組織IS(イスラム国)の人質となっていたジャーナリストの後藤健二と湯川遥菜の殺害映像がインターネット上で公開された。犯人の言い分は、日本の安倍晋三首相がISと戦う周辺諸国に2億ドルの資金援助を約束した演説への報復だという。
 「何が起こっても責任はわたし自身にあります」。後藤はそんな動画メッセージを残していた。憎悪が沸騰し、じぶんに身近な人たちに非難のつぶてが飛んでくるのを危惧してのことだ。日本から紛争地に出かけるジャーナリストにとって《最悪の困難》は、「国に迷惑をかけるな」「救出に税を使うな」などの冷酷で苛烈な言葉の洪水だ。戦場ジャーナリストが人質になってしまったら、その家族や親密な人々にはジャーナリスト本人とは別の厳しい「覚悟」を強要する。それがいまの日本社会を覆うグロテスクな世情なのか。
 いまいちど、ハイラム・ジョンソンの言葉を思い起こしたい。「戦争の最初の犠牲者は真実だ」。わたしたちの社会が「真実」を追うジャーナリストを失ったとき、国家は国民をいかようにも操縦できるようになるのだ。
 

4:: 実際の事例

危険な地域で仕事をするジャーナリストは英雄視され、美化される。ヨーロッパ、北アフリカ、中東、アジアなど世界の戦場を渡り歩いたロバート・キャパ(1913―54)はその代表例だ。キャパが最前線で撮った数々の作品は欧米のジャーナリズム界で高く評価された。写真だけではない。個性あふれる文章と甘いマスク、そして恋愛話もあいまってキャパは時代の寵児に。だが、1954年にメコン・デルタで地雷に触れ命を落とした。キャパの「語り部」は世界各地にいる。宝塚歌劇団も2012年に『ロバート・キャパ:魂の記録』[8]を上演している。
 ベトナム戦争はジャーナリストにとっての「大舞台」であった。UPI通信(当時)の契約カメラマンだった沢田教一はフリーに転じたあと、ハーグ世界報道写真大賞やアメリカ海外記者クラブ賞、ピュリツァー賞を総なめにし「SAWADA」の名を世界に轟かせた。そんな沢田もカンボジアで何者かに狙撃され34歳で世を去った。26歳で早世した一ノ瀬泰造の物語は映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』[9]や、『TAIZO:戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実』[10]で感動的に描かれている。
 だが、紛争地取材は、ドラマで伝えられるほど生やさしくない[11][12]。軍の指揮下に入るエンベッド取材ならともかく、紛争地の多くは無政府状態だ。守ってくれる部隊もなければ、信頼できる情報源も容易に得られない。過酷な状況下で取材を進めるには高度な技術と冷静で的確な判断力が求められる。「戦争はジャーナリストを鍛える」といわれるが[13]、功を成した者は同業者から尊敬される。
 だが、死亡したジャーナリストも少なくない。非営利組織「ジャーナリスト保護委員会(CPJ)」の調査によれば、1992年以降すくなくとも1196人が殉職した。国別ではイラクが174人と突出しており、シリア96人、フィリピン77人、アルジェリア60人と続く[14]。日本のジャーナリストの死亡は、ベトナム戦争時代がピークだったとされるが、イラク戦争以降少なくとも6人が命を落とした。
 ベトナム戦争以来、世界の戦場を取材してきた超ベテラン橋田信介もそのひとりだ。橋田は2004年、バグダッド近郊を車で移動中に撃たれ、同行していた30代の甥ともども殺害された。妻の橋田幸子が著した『覚悟:戦場ジャーナリストの夫と生きた日々』は、書名のとおり「覚悟」をしていたというが、彼女自身がジャーナリストであったことが、毅然とした振る舞いを可能にしたのかもしれない。2012年に銃弾に倒れた山本美香も事実婚相手がジャーナリストで実父も全国紙記者だったことが仕事に影響していたとみられる。
 非業の死を遂げれば「英雄」だが、人質になれば「自己責任」。極端な世論の振れ方に違和感を抱いているのは、当のジャーナリストたちだ[15]。彼ら彼女らが戦場を取材する理由は人によって違う[16]。先述の広河のような人道主義的なジャーナリストや反戦運動家のジャーナリストもいる一方で、〈CASE01〉でみたケビン・カーターや、「戦場中毒」を自認する横田徹のようなジャーナリストもいる[17]。極度の緊張を強いられる紛争地には生物としての人間の意識を変成させるなにかがあることを橋田幸子も自らの体験として自著に記している。
 

5:: 思考の道具箱

 
■自己責任 じぶんの行為についてだけ責任を負う。つまり他人の行為については責任を負わないというのが、近代法における「自己責任の原則」だ。隣接する概念に「自己決定権」がある。人格的自律権ともいわれ、国家などから干渉されずに自らの行動を決める権利である。しかし近年、他者を責める言説のなかで「自己決定・自己責任」が用いられるようになった。平たくいえば「自業自得」である。反貧困ネットワークの湯浅誠は、生活保護申請者などにぶつけられる非難を「自己責任論」として強く批判する。同種の非難は、危機に陥ったジャーナリストやNGO関係者にも向けられている。じぶんたちが支払った税金を使ってほしくないという損得勘定のみに関心が収斂すれば、わたしたちの社会が貧困や紛争とどのように向き合うべきかなど公共の問題を考える契機を失う。
■CPJ  1981年に設立され、ニューヨークに本部を置く国際NGO。Committee to Protect Journalists。CPJは公式ホームページでジャーナリストを保護する根拠を次のように記している。「ジャーナリズムは政府と人々の力関係における重要な役割を担っている。ジャーナリストの沈黙は、人々の沈黙と同じである。CPJはジャーナリストを守ることで、表現の自由とデモクラシーを守る」。CPJが確認したデータによれば、職務中に亡くなったジャーナリストは近年顕著に増加している。1990年代後半から2003年までは20~40人台で推移していたが、2012年に74人、13年は73人、14年61人、15年73人となっている。殺害までは至っていない拷問や傷害、投獄、脅迫やなどを含めれば、被害者の数は何十倍にもなるだろう。
 
[注]
[1]たとえば、国境なき記者団(Reporters Without Borders)があるが、本部はフランスのパリ。http://www.rsf.org
[2]日本共産党の機関紙『赤旗』と日本電波ニュース社は北ベトナムに常駐記者を置いていた。
[3]デイヴィッド・ハルバースタム(1999)『ベスト&ブライテスト(上・中・下)』朝日文庫
[4]エリック・ポッペ監督『おやすみなさいを言いたくて(1,000 Times Good Night)』2014年日本公開のノルウェー・アイルランド・スウェーデン合作映画。モントリオール世界映画祭審査員特別賞作品。
[5]国平修身(2004)「小泉・福田・安倍の『世論操作』13日間の真実」『現代』38(6), pp.260-267
[6]今井紀明(2004)「人質事件被害者が心境を語る:『死んで帰ってくればよかった』のか」『創』34(7), pp.40-44
[7]武田徹(2004)「戦場で人質となったジャーナリストの幻想」『中央公論』119(6), pp.54-63
[8]宝塚歌劇公式HP、空組『ロバート・キャパ 魂の記録』2012年1月27日(金)~2月7日(火)。作・演出:原田諒、主演:凰稀かなめ、取得2016年6月20日, http://archive.kageki.hankyu.co.jp/revue/backnumber/12/cosmos_bow_robertcapa/
[9]五十嵐匠監督『地雷を踏んだらサヨウナラ』1999年公開の日本映画。主演は浅野忠信。
[10]チーム・オクヤマ製作『TAIZO:戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実』2003年公開の日本のドキュメンタリー映画。バーレーン国際人権映画祭最優秀ドキュメンタリー監督賞受賞。
[11]ルイーズ・F・モンゴメリー編/日本新聞協会国際部訳(1987)『危険な任務を帯びたジャーナリスト:命を保つための手引き』日本新聞協会
[12]総合ジャーナリズム研究所 編(2004)「戦場・紛争地域取材ハンドブック:戦場・紛争地域での取材ガイドラインと具体的事例」『総合ジャーナリズム研究』41(2), pp.49-51
[13]武田徹(2003)『戦争報道』ちくま新書
[14]‘Journalists Killed since 1992’:Committee to Protect Journalists Official Home Page, (2016年7月2日取得,https://www.cpj.org/killed/
[15]危険地報道を考えるジャーナリストの会編(2015)『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか:取材現場からの自己検証』集英社新書
[16]吉岡逸夫(2002)『なぜ記者は戦場に行くのか:現場からのメディアリテラシー』現代人文社
[17]横田徹(2015)『戦場中毒:撮りに行かずにいられない』文藝春秋
 
[その他参考文献]
Jennifer Levitz and Jon Kamp,「戦場にも人間性を見いだした記者:殺害されたフォーリー氏」『ウォール・ストリート・ジャーナル日本版ウェブサイト』2014 年 8 月 21 日(2016年6月10日取得,http://jp.wsj.com/articles/SB10001424052970203403704580104791021448612
AERA「身代金『家族が払っても罪に』米の戦場記者事情」『dot.ドット』朝日新聞出版2015年3月2日(2016年6月10日取得,http://dot.asahi.com/aera/2015030200024.html
秋丸生帆 渡辺安紀子 盧梓萌「ジャーナリストはなぜ戦場に行くのか:佐藤和孝氏に聞く」『早稲田大学ジャーナリズムスクールウェブマガジン』2015年8月17日(取得2016年6月4日,http://spork.jp/?p=5647
朝日新聞「迷いながらも中東へ 『イスラム国』人質事件の衝撃、フリー記者やNPO関係者は」2015年02月03日 朝刊31ページ
朝日新聞「戦後50年 メディアの検証「戦争と新聞」シンポジウム」1995年04月16日朝刊14ページ
アンドレス・オステルガールド監督『ビルマVJ 消された革命』2008年のデンマーク映画
上本昌昭(2008)「責任概念の新しい様相:集合的責任論の批判的検討を中心に」『法哲学年報』pp.150~157
烏賀陽弘道「個人主義は言論の自由の命 ハルバースタム氏の魂 ジャーナリズム」『AERA』1995年05月22日,朝日新聞出版
岡野八代(2002)「正義論/無責任の論理」『法社会学』(56), pp.84-105
木村正人「ジャーナリズムと『自己責任』を若者と考えてみた」『BLOGOS』2015年02月04日(2016年5月31日取得,http://blogos.com/article/104899/
鈴木大介「貧困報道を『トンデモ解釈』する困った人たち ある階級の人たちは『想像力』が欠如している」『東洋経済オンライン』2016年6月22日(2016年6月4日取得,http://toyokeizai.net/articles/print/123487
内藤準(2009)「自由と自己責任に基づく秩序の綻び:「自由と責任の制度」再考」『理論と方法』24(2), pp.155-175
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野嶋剛「戦場から記者が消える:『政治』と『世論』におびえるメディア」『AERA』2015年03月02日,朝日新聞出版
Huffington Post「戦場ジャーナリスト『政府の情報に頼るのは民主主義の放棄だ』報道の意義考える討論会」2015年02月19日(2016年6月4日取得,http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/18/journalist-go-to-war_n_6708076.html
毎日新聞「特集ワイド:戦争と報道 ジャーナリスト5氏シンポ報告/上 規制、世論 逆風に折れぬ」2015年04月20日大阪夕刊2ページ
____「特集ワイド:戦争と報道 ジャーナリスト5氏シンポ報告/下 信念貫き、現場を捨てぬ」2015年04月20日大阪夕刊2ページ
____「次世代の戦後:記憶と表現 イラク戦争 映像ジャーナリスト、映画監督 綿井健陽さん」2016年03月24日大阪夕刊2ページ
安田純平(2016)「安田純平さんが本誌に書いていた手記:新聞社を辞めて戦場に行った理由」『創』46(3), pp.97-100
安田純平・金平茂紀・綿井健陽ほか(2015)「日本人人質殺害事件と戦場ジャーナリズム」『創』45(3), pp.90-105
綿井健陽(2003)「空爆下のバグダッドでの取材の実情:バグダッド戦場取材で私が見たもの」『創』33(5), pp.112-119
湯浅誠(2008)『反貧困:「すべり台社会」からの脱出』岩波書店
山本美香記念財団(Mika Yamamoto Memorial Foundation)公式ホームページ(2016年6月7日取得,http://www.mymf.or.jp/
 
[担当者の危険] もし紛争地からの報道がなくなれば、たとえ民間施設への攻撃があってもきっと伝えられないまま。「不都合な」情報は出回らない世界で、私はなにをどう判断することになるのでしょう。次回は、組織ジャーナリストの表現の自由を考えます。
 
 
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