虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 連載・読み物

虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察
第5回 冥界としてのインターネット 「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」と「serial experiments lain」(2)

7月 13日, 2016 古谷利裕

 
 

事前/事後としての時間

ここには時間の有無という違いもあります。ここで時間とは事前と事後との区別のことです。新たな何かが生まれることで、世界がそれ以前には戻れない状態へと変化する。「攻殻」では、偽の記憶が書き込まれてしまったという出来事が起こり、「娘」のリアリティがいったん生まれしてしまうと、それ以前に戻ることはできません。同様に、情報のネットワークから新たな生命が生まれたという、後戻りできない「新しい出来事」が世界のなかに起こるのが「攻殻」の物語です。これは、以前の世界(事前)から新しい世界(事後)が生まれたということです。ここで、事前と事後との間には切断がありますが、事後から事前を振り返ることは可能であり、連続性もあるという点が重要です。連続性があるからこそ、新たな出来事が起こったこと、時間が経ったことを知ることができます。偽の記憶にも真正の記憶と同等のリアリティがあることは否定できません(事後)が、それが人形使いによってもたらされたものだという来歴を探り、そんな事実はなかった(事前)ことを知ることはできます。この、事前と事後という不連続を貫いて持続するものがゴーストと呼ばれるものかもしれません。あるいは、事前と事後との落差を引き受けさせられるものがゴーストだ、というべきでしょうか。

一方、世界そのものが情報であるので、都合の悪い記憶(情報)を恣意的に書き換えることが可能であるという「レイン」の世界においては、事前と事後という決定的変化が成り立ちません。これは、世界に新しい出来事が起こらないということではありません。新しい出来事によって世界が書き換えられたとしても、過去から未来に渡ってあらゆる事柄が書き換え可能なので、書き換えられる以前(事前)へと遡行する術がないということです。事前から事後へと断絶を越えて持続するものが保証されていない世界なので、事前から事後への、連続的であり不連続的でもある移行という意味での時間が成り立たないのです。いわば、過去から未来に渡るすべての時間が常に現在であるという奇妙な状態となります。実際、物理世界と情報世界の融合を阻止することにより、レインが世界や記憶の外に出てしまった後では、過去から未来に渡るすべての人々がレインのことを憶えていません。

これは、宇宙全体が同じ二週間を反復しているので「この宇宙」の内部には反復という事実を知るための手掛かりが何もないという「エンドレスエイト」の状態に近いといえます。さらに、主人公の行動や決断によって明らかに世界が変質した(新たになった)にもかかわらず、事前への遡行も同時に不可能になってしまうのでその事実を(しばしば世界の外に出てしまう)主人公以外は誰も知らないという、この後に頻出するようになる物語――「まどか☆マギカ」「シュタインズゲート」(2011年)「輪るピングドラム」(2011年)など――にも通じているといえます。

このような物語では、世界が変わったのに、そのことを物語世界の人々は知らない(知る術がない)のです。もちろん、そのことを観客は知っています。このような物語を観客が受け入れているということは、観客の側にも、因果関係の切断への欲望、あるいは、因果関係の裏にあるより深い不可知の領域(因果関係によって探索可能な起源とは別の起源)への傾倒があることを示すと思われます。そしてまた、そもそも「フィクション」というものが、因果関係の複雑な絡まり合いであるこの現実世界から、一部の因果関係を切断したり、無視したり、書き換えたりすることによって成り立っていることも同時に思い出されるべきでしょう。

(科学的な世界の描像では、この現実世界は非常に稠密であり、その密度のどのレベルにおいても因果関係が成り立っていて、そのすべてを無視できません。しかし、フィクションとして成り立つ世界は現実世界よりずっと粗い密度でできているため、必ずしも因果関係に縛られない飛躍が可能となります。)
 

オカルトとホラーの違い

「レイン」はSF的ガジェットとホラーの手法とオカルト的想像力の融合によってつくられているといえるでしょう。レインを物理世界で実体化させ、情報世界と物理世界との融合を企てた黒幕は、意識をネット上にアップロードして自殺したマッドサイエンティストですが、ホラー的にいえばそれは悪霊にあたるでしょう。ホラーとオカルトの違いは魔法と科学の違いに近いと思います。つまり、ホラーは魔法と同様に局所的に物理法則を歪ませますが、オカルトは科学と同様に世界全体を問題にします。だからこそオカルト的想像力を基本とする「レイン」のマッドサイエンティストは、二つの「世界」の融合を目指すのです。

ホラーによって刺激されるのは近代的な合理性から局所的に塗り残された前近代的な感性だといえます。それは近代科学や合理性の部分的、局所的な否定であって、全面的な否定には至りません。幽霊は物理法則を否定せず、ただその隙間をねらって現れます。合理的精神と幽霊への恐怖は一つの精神において同居可能であると思われます。しかし、オカルト的想像力が刺激するのはパラノイア的な、世界全体へ向かう欲望です。ゆえに、オカルトは世界についての別の説明体系を、つまり別の科学(疑似科学)や別の歴史(偽史)を必要とするのだと思われます。それは近代風、科学風であるからこそ真正な近代や科学と相容れないものでしょう。オカルトは、前近代ではなく近代のもう一つの顔ではないでしょうか。

しかし、「レイン」においてはパラノイア的な強迫的世界構築という傾向はそれほど強くはありません。「レイン」のオカルト性は主に、オカルト的な想像力につきものである特定の匂いや感触だけを上手く拾い上げてモンタージュしている点にあります。例えば、ドッペルゲンガー 多重人格、シャドーピープル、カプグラ症候群、疑似科学、UFOや宇宙人、陰謀論など、個々には症候的ともいえるこれらの要素から匂い立ってくる、独自のヤバさの感触が巧くすくいとられています。これらは、世界を説明する道具というより、日常から薄皮一枚のところにある深淵への穴、のようなものとして作中に配置されます。世界のいたるところに合理性から零れ落ちる穴があいているという感じでしょう。「レイン」は、オカルト的想像力による生産物をホラー的に使用しているといえるかもしれません。物理世界(この世)と情報世界(あの世)の混濁により、この世のいたるところにオカルト的現象が漏れてくるのです。

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