ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 08〉原発事故、メディア経営者の覚悟と責任

10月 25日, 2016 畑仲哲雄

 
 

3:: まとめと解説

相反する考え方がにらみ合う場面を離れ、一歩引いて冷静に見下ろし、この事例をすこし学問的に考察してみたい。
 
 原子力事故の取材はリスクが伴う。日本新聞協会の手引書『取材と報道』では、戦場などの紛争地取材と並んで原子力関連取材に関する考え方を次のように記している。

チェルノブイリ事故のように大量の放射性物質が[中略]降下した範囲内の住民は避難することが原則になります。取材者もこの範囲には不用意に近付かず、速やかに安全な場所に避難することが原則となります[2]。

まずは信頼すべき情報を集めるなどの安全対策を取ることが原則です。この原則に立ったうえで、事態が明らかになり、現場とその周辺の線量が一定以下である場合は、取材者は現場に近付くことが可能です[3]。

 日本の新聞界が議論を重ねて作ったこれらの原則は、福島第一原発の爆発事故で守られた。報道各社は取材者の安全のため、住民よりも遠くに撤退させ、記者たちも指示に従った。だれも『取材と報道』がいう「正しい行動」をした。その結果、藤田博司がいうような「報道史上、記録に残るメディアの失態」[4]を生み出した。
 藤田は批判の力点を、報道各社が国民の知る権利に応えなかったことに置いている。だが、山田健太の言葉を借りれば「政府などから得た危険情報を読者・視聴者に伝えることなく、いわば情報を隠蔽したうえで、自己の利益のために利用したことにほかならない」[5]ということこそが「失態」の核心ではないか。
 「逃げた」という罪悪感に苦しむ記者の話はときに聞かされることはあっても、この問題を論じるジャーナリストは滅多にいない。「逃げろと命じた」の企業による説明がなされた例もほとんどない[6]。みな早く忘れたがっているのかもしれないが、最悪なのは、この難問を放置することだろう。
 難問を解く鍵はあるだろうか。藤田はプレスの「内部的自由」の重要性を説く(内部的自由については「〈CASE06〉組織ジャーナリストに「表現の自由」はあるか」参照)。1980年代からたびたび提示されてきた重要な概念である。このほか、外岡秀俊は組織ジャーナリストの「抗命権」を提言する[7]。抗命権とは、上官の誤った命令に抗う権利を意味する軍隊用語で、外岡は朝日新聞の編集幹部時代から抗命権を議論してきたという。朝日新聞記者の上丸洋一もこれと似た「市民の命令」という概念を用いて、以下の問いを発する。

局長、部長、デスクの業務命令(例えば、現場から離れろ!)が、市民の知る権利に応えるという報道機関の存在意義を否定しかねないものであるとき、その業務命令は、はたして有効なのか[8]。

 こうした提案が、現場の取材記者たちにどれほど受け入れられるであろうか。上司から「危険取材では上司の命令に背け」と命じられた記者はダブルバインドに陥る。たとえば、「原発から避難せよ」と命じられた記者が命令に従えば、「危険取材では上司の命令に背け」という命令に違反したことになる。記者が「上司の命令に背け」という命令に従って避難せずに死んだとしても、避難の命令に背いたことになる。いずれの場合も上司や会社は「だから言っただろう」と言って責任を逃れることができる。
 かつて抗命権問題が論じられた西ドイツの連邦軍は、徴兵制によって一般市民から構成された軍隊であった。軍隊組織は社会と隔絶され閉鎖的な慣習をつくる危険があるため、民主主義の擁護者たる「『制服を着た市民』を導入することで、「文民統制に問題が生じることの無いよう細心の注意が払われた」[9]。
 ひるがえって、大手報道機関の編集部門には、「一流」大学から高倍率の難関を突破して入社した“エリート”たちの職業文化が形成され、そこにどっぷり浸かっているかぎり、「一般市民」のからの「命令」から遠ざかってしまう。そうした矛盾に満ちた企業構造を、外岡や上丸が知らないはずはない。
 じっさいに市民から発せられた「命令」としては、福島県南相馬市長の桜井勝延がYouTubeにアップロードした救援呼びかけの動画が挙げられる[10]。大地震と大津波に続いて、原発事故で放射能汚染の危機にさらされた市のトップである桜井の訴えは、ニュースサイトで「『市民、兵糧攻め的状況』南相馬市長、動画サイトで訴え」と報じられた[11]。しかし、桜井は記者たちが町から逃げ、電話取材だけで見てきたような記事を書くことも難じていた。
 被災地の住民の暮らしに役立つ情報を届け続けたコミュニティFM関係者の経験も傾聴に値する。コミュニティFMは市民による市民のための情報活動であり、有事には災害FMとして活動することが期待される。しかし、FMスタッフに大手報道機関の記者のようにジャーナリズムの訓練を積んだ人はほとんどいない。「制服を着た市民」ならぬ「マイクを持つ市民」。「報道史上、記録に残るメディアの失態」によって生み出された情報空白地帯を、市民たちの活動によって埋めてもらったという事実から目をそらすべきではない。
 紛争地取材と原子力関連取材は危険という点で共通するが、大きな違いがある。日本は70年以上戦場になっておらず、紛争地は〈CASE01〉〈CASE05〉で触れたとおり、いつも国外だった。リスクは、フリーの戦場ジャーナリストに背負ってもらってきた。
 だが、原子力災害は日本でもたびたび起こっている。災害報道は被災地の外に事実を伝えるだけでなく、被災者への支援につながる情報活動も期待される。被災地のメディアには、住民を置き去りにして逃げるという選択はない。場合によっては経営者が従業員に頭を下げ、仕事を命じなければならない場面もある。現場スタッフに自律性が求められるのは当然として、経営者や編集を指揮する者にも覚悟と責任が必要となる。
 

4:: 実際の事例

2011年3月12日。東日本大震災発生から丸1日たった午後。東京電力福島第一原子力発電所1号機が水素爆発を起こした。地震と津波に打ちのめされた被災地にとって、これ以上ない追い打ちであった。原子炉建屋の上部が吹き飛び、白煙が吹き上がる数秒の映像は、人々をパニックに陥らせるに十分だった。

テレビ朝日が取材禁止とした範囲。テレビ朝日・福島放送制作、テレメンタリー2016「3.11”を忘れない その時、『テレビ』は逃げた~黙殺されたSOS~」2016年3月7日放送より
テレビ朝日が取材禁止とした範囲。
テレビ朝日・福島放送制作、テレメンタリー2016「3.11”を忘れない その時、『テレビ』は逃げた~黙殺されたSOS~」2016年3月7日放送より
 パニックは東京の報道関係者に及んだ。『週刊新潮』によれば、爆発事故後、共同通信社は福島にいる記者全員に「県外退避」を命じ、取材拠点の福島支局が空になった。日本テレビは、アメリカ政府が自国民に80キロ圏内からの退避を呼びかけた17日[12]、原子力問題に精通していたはずの社会部デスクが仕事を放棄して関西方面に避難した[13]。
 『Newsweek』は、「一流」メディアの在京特派員の一部が東京から外国に避難したり、CNNのスター記者がわれを失ったようなレポートをしたりして、いたずらに不安を煽ったことを批判的に報じている[14]。
 上丸洋一によれば、1号機爆発の直前、朝日新聞社は、原発から30キロ圏内に立ち入らない決定がなされ、記者たちは結果的に50キロ圏より外に避難した。政府が20キロ圏内に避難指示を出したのはその日の夜だった。「なんのためのメディアか」という批判が起こったのは言うまでもない。東北6県をカバーする河北新報社も福島県外への退避指示を出し、県内に1人しかいない日が続いた。県域紙の福島民友新聞社も記者をなるべく遠くに退避させた。だが、どの企業もどのように記者を退避させたかについて、積極的に明らかにしようとしていない[15]。
 大手メディアの取材者が次々と姿を消し、福島県の多くの市町村が情報空白地帯となった。その一つ、県南部のいわき市では、FMいわき(いわき市民コミュニティ放送)が、即座に災害対策本部にも中継装置を設置し、市長メッセージを伝えるなど、災害関連情報を提供し始めた。
 当時、全戸が断水し、ライフラインが寸断されていた。常磐自動車道も通行止め。ガソリンも食料も手に入りにくくなった。原発に近い町村からは避難民が押し寄せる一方、いわき市民も北関東や北陸などへ避難しはじめた。
 1号機爆発の2日後、14日には3号機が爆発し、15日には4号機も爆発した。これを受けて、政府は20~30キロ圏に屋内退避指示を出した。
 放送の陣頭指揮を執っていた社長の渡辺弘は16日夕、社員、パーソナリティ、アルバイトなど約20人の全スタッフを招集し、その後の計画を説明したあと、9人のスタッフに「残ってくんねぇか」と懇願した。
「いわき市民がもう半分くらい避難しているかもしれないけれど、災害対策本部があり、高齢者施設もあり、たくさんの人がつらい思いをしている。その人たちに対し使命を全うしないといけない。この会社はそのために作った会社だ」
 FMいわきは阪神淡路大震災を教訓に渡辺らが中心になって設立したコミュニティ放送局だった。そのうえで、高齢者や小さな子どもがいる者は避難するよう勧めたのち、渡辺は2段階の行動案を示した。
 第1ステージは基幹となるスタッフで対応する。基幹スタッフとは①パーソナリティやアナウンサー、②ミキサー、③デスク。3人1組が3パーティーあれば、8時間交替で24時間放送できる。9人に残ってくれるよう願い出た。正社員だけでなく、契約スタッフやアルバイトも含まれていた。
「無言の人もいましたけれど。『おまえは残ってくんねぇか』と。半分以上わたしが残りますと言ってくれたけど。口にしたかどうだか忘れちゃいましたけど、おまえの健康と、命については、全責任をもつ。場合によっては俺が刑事罰を受ける。そんな覚悟でした」
 第1ステージが続けられなくなったら9人全員を退避させ、第2ステージに移行すると渡辺は説明した。第2ステージとは、食料と電源が尽きるまで渡辺ひとりが残るというものだったが、結果的にそのステージに移行することはなかった。
「わたしの決断を支えたのは、市民からの情報提供と励ましのメールです。これがなかったら、ブレていたかもしれません。『がんばれ』『聴いてるよ』『ありがとう』そんな声に励まされました」
 

5:: 思考の道具箱

 
■危険地取材 危険地取材のあり方に一石を投じたのは、雲仙普賢岳の惨事であろう。1991年6月に火砕流が発生、取材記者など報道関係者16人を含む43人が死亡した。大手メディアは、湾岸戦争など中東での紛争地取材はフリーランスに任せることが増え、記者の安全確保を優先するようになった。藤田博司と我孫子和夫は、そうしたメディア企業の安全路線を強化したものとして、コンプライアンス意識の高まりを指摘する。メディア企業内で規則や支持を遵守すべきという風潮が充満し、個々のジャーナリストを縛り付けたのではないかという指摘である[16]。
■臨時災害放送局 災害発生時に、地方自治体が住民向けに情報を提供するために開設する放送局。通称、災害FM。阪神淡路大震災の経験から1995年に制度化された。東日本大震災の被災地では多くの災害FMが開局し、被災者の救援や生活支援等のため放送を行った。コミュニティFM局が災害FMになることが多く、災害FMとして設立された局がそのままコミュニティFM局として地元に定着することもある。
 
[注]
[1]実際にアメリカ政府が80キロ圏から避難するよう呼びかけたのは、日本時間の2011年3月17日である。
[2]日本新聞協会編(2009)『取材と報道:改訂4版』、p. 119。
[3]前掲書p.120。
[4]藤田博司・我孫子和夫(2014)『ジャーナリズムの規範と倫理』新聞通信調査会、p.36。
[5]山田健太(2013)『3.11とメディア: 徹底検証新聞・テレビ・WEBは何をどう伝えたか』トランスビュー、p.63。
[6]テレビ朝日・福島放送制作「3.11を忘れない:その時、『テレビ』は逃げた~黙殺されたSOS~」2016年3月7日放送など参照。
[7]外岡秀俊(2013)「災害・紛争取材のリスクとジャーナリズムの使命」『「危機」と向き合うジャーナリズム』早稲田大学出版部、pp.34-47。
[8]上丸洋一(2013)「上司の命令か、市民の命令か(上):原発事故報道の教訓を探る」『ジャーナリズム』(277)、 pp.75-80。
[9]森井裕一(2005)「ドイツ外交における同盟と統合:シュレーダー政権を中心として」『国際政治』(140)、 pp.1-18。
[10]SOS from Mayor of Minami Soma City, next to the crippled Fukushima nuclear power plant, Japan(取得2016年10月22日、https://www.youtube.com/watch?v=70ZHQ–cK40)
[11]朝日新聞「『市民、兵糧攻め的状況』南相馬市長、動画サイトで訴え」アサヒ・コム、2011年4月1日18時33分(取得2016年10月22日、http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104010269.html)
[12]ロイター「米政府、自国民に原発半径80キロ圏内からの退避勧告」2011年 03月 17日 15:35 JST、(取得2016年10月月15日、http://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN20100620110317)。
[13]「『日テレ』デスク逃亡! 『共同』退避命令! メディアに吹いた臆病風」『週刊新潮』2011年4月7日号、pp.42~44。
[14]横田孝・山田敏弘「メディア その時、記者は……逃げた」『Newsweek』2011年4月6日号、pp. 40~41。
[15]上丸(2013: 79)。
[16]藤田・我孫子(2014: 43)。
 
[その他参考文献]
伊藤守(2012)『ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか』平凡社
門田隆将(2014)『記者たちは海に向かった』角川書店
河北新報社(2014)『河北新報のいちばん長い日』文藝春秋
武田徹(2011)『原発報道とメディア』講談社
報道人ストレス研究会編著(2011)『ジャーナリストの惨事ストレス』現代人文社
 
※本稿の「FMいわき」に関する部分は、日本学術振興会科学研究費助成事業・基盤研究(B)課題番号:24330167「日本型コミュニティ放送の成立条件と持続可能な運営の規定要因」における調査に基づいている。
 
[担当者の覚悟] 現場レベルの一担当者としては「自分は残る」と言う気がします。こうしたジャーナリズムの取材現場にある問題は難しくともまだ議論されやすいのかもしれません。一方、経営者、責任者視点の判断は「自分自身ではない」からこそややこしい。他業種での議論も参照できればと思います。
 
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