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ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』 連載・読み物

ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』第36回

2月 23日, 2017 松尾剛行

 
 

7.試論的評釈

 
(1)はじめに
 
 最高裁決定について、時間の関係から到底十分な評釈はできないものの、以下、簡単に評釈を試みたい。

まずは、最も大きな話題を呼んだとも言える「明白性」の要件((2))を検討し、次に、本決定が今後の事案の結論を予想する、いわば今後の相場形成の準拠点となると思われることから、比較衡量による判断の相場観を検討する((3))、そのうえで、本判決を検討するうえで参考になる観点をいくつか提示する((4))。最後にさいたま地決平成27年12月22日判時2282号78頁(原々審)のような「忘れられる権利」を立てて論じるべきか、本決定のようにプライバシーで論じるべきかに関する雑駁な検討を行う((5))。
 
(2)明白性要件
 
 本決定で大きな反響を呼んだのは、いわゆる「明白性」要件である。

すなわち、本決定によれば、単に当該事実を公表されない法的利益と当該URL等情報を検索結果として提供する理由に関する諸事情(注7)を衡量するとされているが、単純にその比較の結果、プライバシーに天秤が傾けば、それだけで削除がされるのではない。あくまでも、「当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合」である必要がある。その意味では、最初からかなり検索エンジン側に天秤が傾いていて、これを押し戻すだけの高度のプライバシー侵害がないと、「明白」とは判断されず、検索結果は削除されないという意味で、削除を請求する本人にとってハードルが高い基準である。

この「明白性」という要件は、原々々審から原審までは基本的に出てきていないといってよい(注8)。また、前記のとおり、完全な事前差止めならともかく、単純な削除の事案でここまで厳しい判断をすることは、従前の裁判例の流れと少し異なる印象も受けるところである。この「明白性」要件はどこから来たもので、どのような根拠に基づくものと理解すればよいのだろうか。

ただ、近時、他の検索結果の削除が問題となった裁判例で、既に明白性の基準が提示されていることは注意が必要である。

札幌地決平成28年4月25日2016WLJPCA04256006は「検索サイトを管理する債務者は、当該検索結果により表示されたスニペットやリンク先のウェブサイトが、専ら他人に対する誹謗中傷を内容とするなど明らかに名誉権を違法に侵害したり、明らかにプライバシーを違法に侵害するなど、その内容が社会的相当性を逸脱したものであることが当該スニペットやウェブサイトそれ自体から明らかな場合で、かつ、人格権を侵害されたと主張する者がウェブサイトを運営・管理する者に対して表現行為の削除を求めていては回復し難い重大な損害が生じるなどの特段の事情がある場合に限」り削除が認められるとした。

その抗告審の札幌高決平成28年10月21日ウェストロー2016WLJPCA10216001は、「相手方が検索結果の削除義務を負うのは、相手方において、検索結果の表示がある者の名誉権又はプライバシーを違法に侵害していることを容易に判断し得る場合に限るのが相当である。以上検討したところを総合すると、相手方が検索結果の削除義務を負うのは、検索結果として表示されたスニペットやリンク先のウェブサイトの記載が専ら他人に対する誹謗中傷等を内容とするなど、他人の名誉権やプライバシーを明らかに侵害し、社会的相当性を逸脱したものであることが、当該検索結果それ自体から明らかな場合に限られると解するのが相当である」としている。

名古屋地判平成28年7月20日ウェストロー2016WLJPCA07206013も「検索結果に掲げられる既存のウェブページの内容が、他者の権利を害するものであるか否かや、その侵害が不当といえるか否かは、一般には、その真実性や公益性といった実質的な側面にも係るものである。検索結果は、このようなウェブページの存在及び客観的な内容を紹介するに過ぎないものであるから、人格権に基づいて検索結果の削除を求めることができるのは、当該検索結果が、こうした実質的な側面を考慮しても人格権を不当に侵害するものと評価できることが明らかな場合に限られるべきである」としており、「明らか」要件を要求している。

要するに、近時の裁判例は、比較衡量の針を検索エンジン側に傾けるべきという方向性を既に示していた。

その理由については必ずしも明らかではないが、例えば、前記の札幌高決平成28年10月21日では、検索サービスが「表現の自由や知る権利に資する重要な役割を果たしている」とした上で、「膨大な数のウェブサイトの検索結果について逐一かかる実質的な判断をすることを求めるのは、実際上不可能なことを強いることになりかねない」ところ「当該ウェブサイトの管理者に対して当該記載の削除を求める法的手続をとることもできる」とした(注9)。また、前記の名古屋地判平成28年7月20日は、「検索結果は、このようなウェブページの存在及び客観的な内容を紹介するに過ぎない」「本件検索結果は、検索サービスを利用して債権者に関する情報を能動的に求める者に対し、本件事件当時の事件報道を引用・転載したウェブページの存在とその抜粋を明らかにするに過ぎない」とした(注10)。

本件決定も、「検索結果の提供は検索事業者自身による表現行為という側面を有する」こと、そして、「検索事業者による検索結果の提供は、公衆が、インターネット上に情報を発信したり、インターネット上の膨大な量の情報の中から必要なものを入手したりすることを支援するものであり、現代社会においてインターネット上の情報流通の基盤として大きな役割を果たしている」ことを強調しており、上記のうちの、検索サービスの重要な意義に注目している。本件決定がこれだけから明白性を要求したのか、それとも本決定がこれらの裁判例が明白性を要求したその他の理由も(黙示に)是認したのかは決定本文だけからは不明確であるが、少なくとも、上記のような一連の決定の流れに乗っているとは言えるだろう。

ただし、これらの裁判例が明白性を要求する理由うち、検索エンジンの知る権利や表現の自由に果たす役割については肯首できるものの、それ以外の理由が全て説得的かは留保したい。例えば、「膨大な数のウェブサイトの検索結果について逐一かかる実質的な判断をすることを求めるのは、実際上不可能なことを強いることになりかねない」という部分は、検索サービス会社が訴訟外で自ら削除をすべきか判断する場合についてのみあてはまり、裁判所の判断により削除する場合には必ずしもあてはまらない(注11)。また、上記で述べた検索結果削除の実務上の必要性に鑑みると、「当該ウェブサイトの管理者に対して当該記載の削除を求める法的手続をとる」ことが事実上不可能であるからこそ、検索結果の削除を求めているのである。その意味では、これらの理由づけ全てが肯首できるものとは即断できないことには十分に留意が必要であろう(注12)。
 
(3)比較衡量による判断の相場観
 
ア はじめに
 
 また、本決定が今後の事案の結論を予想する、いわば今後の相場形成の準拠点となると思われることから、比較衡量による判断の相場観を検討したい。
 
イ 行為の性質
 
 まず、最高裁は「児童買春をしたとの被疑事実に基づき逮捕されたという本件事実は、他人にみだりに知られたくない抗告人のプライバシーに属する事実であるものではあるが、児童買春が児童に対する性的搾取及び性的虐待と位置付けられており、社会的に強い非難の対象とされ、罰則をもって禁止されていることに照らし、今なお公共の利害に関する事項であるといえる」とした。

これは、児童買春という行為の性質について、それによって逮捕されたこと自体はXのプライバシーに属する事実であることを前提に、社会的に強い非難の対象とされる犯罪であることから、公共の利害に関する事項であると指摘するものである。

結果的には罰金で終わっているものの、原審が「子の健全な育成等の観点から、その防止及び取締りの徹底について社会的関心の高い行為であり、特に女子の児童を養育する親にとって重大な関心事である」と判示しているように、単に法定刑や処断刑だけで判断をするのではなく、行為の性質を踏まえた判断を行うべきということを示唆しているだろう(注13)。
 
ウ 検索結果表示による不利益の程度
 
 次に、最高裁は「検索結果はXの居住する県の名称及びXの氏名を条件とした場合の検索結果の一部であることなどからすると、本件事実が伝達される範囲はある程度限られたものである」としているが、これは、検索結果の表示によって、どの程度の範囲の人に情報が伝わり、社会生活の平穏や更生を妨げられない利益が害されるか等の問題を検討したと理解される。

例えば、誰かを雇う場合等、ある人と社会的接触をする場合に、その人の名前を検索して結果を参考にすることはまま見られるものの、それを超えて、「名前 県」まで入れて検索する、というのは筆者個人としては「かなり詳細な調査」という印象を受ける。すると、Xの周囲の人が「X」という名前で検索した場合に、本件事実が容易には出てこない(注14)以上、社会生活の平穏や更生を妨げられない利益が害される程度は低いということになるだろう(注15)。

逆に言えば、本人の名前を入れると1ページ目に逮捕歴や前科が表示されるという場合であれば、その事実が伝達される範囲は広範であり、より削除を主張しやすいと思われる。
 
エ 時の経過に関する事情
 
 本決定は「罰金刑に処せられた後は一定期間犯罪を犯すことな」く、(平穏に妻子と)生活しているとしており、罰金刑に処された後、一定期間以上時が経過していることを考慮要素としているようである。

ここで、一般には、検索結果の削除が認められるかは、公訴時効期間が目安(注16)とされており、原審の東京高決平成28年7月12日判タ1429号112頁では、約4年経過時点で「児童買春行為の公訴時効期間が5年であること(刑事訴訟法250条2項5号)からは、本件犯行に関する情報に接する機会を有する公共の利益はいまだ失われていない」と判示していた。

すると、(原審から約半年以上が過ぎた)本決定が下された時点では、既に5年が経過し、削除が認められやすい期間に入ったとも言い得る。

とはいえ、これは行為の性質および検索結果表示による不利益の程度との総合判断であり、本件ではわずかに公訴時効期間を経過しただけではまだ足りないと解されたのだろう。

なお、行為の性質に関しては、公訴時効期間は、法定刑によるところ(刑事訴訟法250条2項参照)、法定刑は犯罪の性質が強く関係すると言えるだろう。すると、(児童買春というものが同種の法定刑の事案の中では特に社会的な関心が強い行為類型とは言えるかもしれないものの)行為の性質と公訴時効期間の経過は関係が深いのであり、ある意味では本件の性質の行為に対応したとも言い得る公訴時効期間である5年が経過しても削除が認められないという判断がなされた一番の理由は「X」だけでは検索結果が出ず、「X ●県」と入力しないと出ないという部分にあったようにも思われる。
 
オ その他の事情
 
本件決定は「総合判断」であるとしているところ、「民間企業で稼働」という指摘がある。確かに公務員、特に公職者や選挙立候補予定者の場合には、前科を指摘することの公共性が高いといえるのに対し、民間企業務めの普通の人にとってはその公共性は低いという比較をすることができる。

もっとも、本件では上記の判断(特に「X」だけでは検索結果が出ず、「X ●県」と入力しないと出ないという部分等)を踏まえ、それだけでは総合判断において決定的な事由にならないとされたと思われる。
 
(4)どのような事案なら削除が認められるのか
 
 上記のとおり、本決定はプライバシー侵害を理由とした検索結果の削除の余地を認めた上でその判断基準を明らかにしたものであるところ、どのような事案なら削除が認められるのだろうか。

 基本的にはこれは今後の下級審裁判例の蓄積を待つしかないものの、筆者の分析によれば、例えば、札幌地決平成27年12月7日ウェストロー2015WLJPCA12076001の事案であれば、検索結果の削除が認められ得るようにも思われる。

この事案では、公務員等その社会的活動に対する批判ないし評価を受けるべき立場にあったりするような者とは認められない者の罰金前科について検索結果の削除の可否が問題とされている点で、本決定の事案と類似する(注17)。

しかし、決定的に違う2点がある。1点目は対象者の名前を入れるだけで前科に関する検索結果が表示されることである。県名を入れないと出てこない本決定の事案と大きく異なる。2点目は、逮捕から12年以上が経過しており、札幌地裁は「現時点において、債権者(注:対象者)の実名と共に本件犯罪経歴を公表しておく必要性や社会的意義は相当程度低下しているというべき」とした。この点で、申立時にはわずか3年(本決定時で5年)しか経過していない本決定と異なる。

これら2点を踏まえれば、最高裁の基準でも札幌地決平成27年12月7日ウェストロー2015WLJPCA12076001の事案は比較衡量の結果当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合といえて、削除が認められるように思われる。
 
(5)「忘れられる権利」の検討の上で参考になる観点
 
 以上が実務解説(法はどのようなものか)であるが、最後に理論的検討(法がどうあるべきか)についても一言述べたい。もっとも、時間の関係で簡単に「忘れられる権利」の検討の上で参考になる観点を列挙するに留めたい。

1点目は、検索エンジンが対象となっているという要素が、削除を認める方向にも、削除を否定する方向にもいずれにも働き得るということである。検索エンジンは単なるアルゴリズムに基づいて、第三者の作成したウェブサイトを機械的に表示しただけではないかという点が問題となってきていた。この議論は後述のとおり近時概ね否定される傾向にあるが、少なくともこのような点は削除を否定する要素であろう。これに対し、オリジナルの情報は削除されず、オリジナルの情報をアップロードすること(例えば新聞社が公式ウェブサイトにニュースをアップロードすること)による表現の自由が直接侵害されるわけではないという点では、検索エンジンという要素が削除を肯定する方向に働く可能性がある。憲法学的にいえば、検索エンジンは単なる媒介者であって、独自の表現の自由を主張できないのではないか、すると、自らの表現の自由が典型的に問題となるオリジナルの情報のプライバシー侵害の場合と異なり、プライバシーが優越することが多いのではないかという問題意識も類似の問題として存在する。さらに、前記のとおり事実上すべての元サイト(例えば掲示板等)に削除を求めることが困難で、救済の実効性のためには検索エンジンからの削除を認めるべきという面もある(注18)。反対に、検索エンジンが知る権利や表現の自由等に与える影響、特に上述した検索エンジンに表示されなければ、事実上発見し、それが読まれることが困難になること(注19)や、本来権利を侵害している元凶は元サイトであって、元サイトを削除すれば検索エンジンからも削除される以上、いわば便法として検索エンジンからの削除を求めるべきではない等として検索エンジンという要素が削除を否定する要素になるという面もあるだろう。

2点目は、公的データとその利活用に対する価値判断である。例えば米国では人の過去の前科や債務関係を含む公的記録をインターネット上で検索して流通・売買するビジネスが行われている。これに対しては、公的な記録であって狭義のプライバシーではないことから、むしろ新しいビジネスチャンスであってこれを奨励すべきとか、知る権利に資する等という方向の価値判断と公的な記録であってもプライバシーに関係する事項であってこれを否定的に考える方向の価値判断の双方があり得るだろう。検索結果として表示される前科情報の削除に高いハードルを課すことは、公的データとその利活用を肯定する価値判断からは賛同すべきだが、そうでなければ懸念が表明される(注20)。この問題は、近時のビッグデータ利活用のための行政機関個人情報保護法改正(非識別加工情報提供制度)(注21)等も関係するところであるが、まだ十分に議論されていないようにも思われる。

3点目は実名報道(注22)との関係である。そもそも実名報道がなされなければ、このような問題は存在しないはずである。そして、昔のオフラインであれば、一度実名報道がされても、それが時の経過により事実上「忘れられる」という効果があった。しかし、前編で引用した「人は忘れる。しかし、インターネットは忘れない。」ではないが、インターネット時代においては、仮に当時の記事が消されても(注23)、その後転載を繰り返す等して様々な形でその内容が残ってしまう。その意味では、インターネット時代においても従来の実名報道を継続しているからこそ、服役等を終えて新しい生活を再開した後において、本人の名前等で検索した際に検索結果に前科前歴等が表示され、本人の更生を妨げられる事態が発生するという関係を見て取ることができる。インターネット時代の実名報道の是非について再度検討する時期に来ているように思われる。
 
(6)プライバシーで論じるべきか、「忘れられる権利」を立てるべきか
 
 最後に、プライバシー侵害という最高裁決定の枠組みで論じるべきか、それとも、「忘れられる権利」という新たな権利を立てて論じるべきかについて簡単に検討したい。

前記のとおり、忘れられる権利として論者が主張する内容は通常のプライバシー侵害による削除権と一定の相違がみられる。その意味で、当該相違点を浮き上がらせる意味で、「忘れられる権利」という新たな権利を立てることに一定の意味はあるだろう。

しかし、そのような立場にはいくつかの懸念点がある。

1点目は、本当に削除権と違う忘れられる権利を認めるべきかである。さいたま地決平成27年12月22日判時2282号78頁(原々審)も、従来型のプライバシー・更生を妨げられない利益を根拠とした削除請求が認められなかった事案について忘れられる権利という権利を導入して削除を認めたという趣旨ではない。更生を妨げられない利益を理由に削除を認めた原決定(最高裁決定を基準とすると「原々々審」)を是認するにあたって、忘れられる権利に言及しただけ、と読むこともできるだろう。このように、実務上忘れられる権利を用いてプライバシーを根拠とした削除権の場合と異なる結論を導いたといえる例はない。そして、上記の忘れられる権利の論者の見解によれば、「不適切」とか「過度」といった、必ずしも違法とは言い切れない情報の削除を認められる可能性があるが、例えば、「不適切」であるが「違法」ではない検索結果の削除が認められるようになれば、何ら違法ではない記事が、検索エンジン上で表示されなくなり、実質的には誰にも見てもらえなくなるという状況が生じ得ることになる。しかも、そのような削除手続は検索エンジンと本人の間で行われるため、記事を作成した者の十分な関与ないし手続保障がないまま、実質的には「削除」同様の効果が生じるおそれも否定できない。そこで、仮にそれを「忘れられる権利」と呼ぶとしても、検索結果の削除を認める前提として、元サイトの記事が違法であることを要件として求めるべきではないかについて十分な検討が必要である。

2点目は、多様な忘れられる権利の存在可能性である。すなわち、①前科が問題となる事案でも、プライバシー的な問題だけではなく、例えば、「時間が経過したことで公共性がなくなった」として、名誉毀損を問題とすることができる可能性があるし(札幌地判平成27年12月7日ウェストロー2015WLJPCA12076001参照)、②前科以外にも、例えば引退したセクシー女優の「忘れられる権利」(東京地判平成18年7月24日ウェストロー2006WLJPCA07240004)や、過去にいわゆるブルセラに従事して下着を売っていた芸能人の「忘れられる権利」(東京地判平成15年6月20日ウェストロー2003WLJPCA06200005)等が問題となり得る。このように、「忘れられる権利」といわれるものの中には、本来多種多様なものが含まれていてもおかしくないのである(注25)。そこで、「忘れられる権利とは何か」とか、「この検索結果は忘れられる権利に基づき削除されるべきか」といった問題の立て方は、「忘れられる権利」が本来含んでいるはずの多様な内容を十分に酌まない議論を招きかねないという意味で、議論を雑にする恐れがあるだろう。要するに、「忘れられる権利」の概念がいわゆるマジックワードとなり、議論が雑になるといったリスクないしデメリットもあるということである。

そして、問題となっている権利を「忘れられる権利」という新たな権利として構成するのではなく、検索エンジンの特殊性を踏まえてプライバシーに基づく削除請求が認められる範囲や要件を調整しようという方向性の議論であっても、忘れられる権利の論者の問題意識を反映させることは可能であろう。

忘れられる権利という概念およびその提唱は、検索エンジンの特殊性を踏まえた精緻な議論を行うべきだという点を意識すべきことを強調するという意味では十分に傾聴に値すべき議論であり、一定の有用性があるものの、そのような留意を十分に行う限り、忘れられる権利概念を採用せず、従来のプライバシーの議論の精緻化ないし拡張としてこの問題を検討することも否定すべきものではないように思われる。
 
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松尾剛行

About The Author

まつお・たかゆき 弁護士(第一東京弁護士会、60期)、ニューヨーク州弁護士、情報セキュリティスペシャリスト。平成18年、東京大学法学部卒業。平成19年、司法研修所修了、桃尾・松尾・難波法律事務所入所(今に至る)。平成25年、ハーバードロースクール卒業(LL.M.)。主な著書に、『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』(平成28年)、『金融機関における個人情報保護の実務』(共編著)(平成28年)、『クラウド情報管理の法律実務』(平成28年)、企業情報管理実務研究会編『Q&A企業の情報管理の実務』(共著)(平成20年)ほか。