ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 18〉新聞の「編集権」はだれのものか

6月 20日, 2017 畑仲哲雄

 
 

3:: まとめと解説

相反する考え方がにらみ合う場面を離れ、一歩引いて冷静に見下ろし、この事例をすこし学問的に考察してみたい。
 
 新聞紙面は、ニュースや論説などの記事部分と、広告・宣伝の部分に大別される。記事は、編集局の責任で作られ、広告は広告局の責任で掲載されている。
 記事のなかには、外部の人が執筆する寄稿や読者投稿もある。ただ、新聞社に寄せられた原稿のすべてが掲載されるわけではない。編集者が、字句や表現の修正を求めることもあれば、ボツにすることもある。広告も基本的には同じで、会社が設けている審査基準に適合しない限り掲載されない。
 つまり記事であろうと広告であろうと、掲載/不掲載の権限は新聞社側にある。そうした編集の権限を手放すのは、「新聞の自由」を捨てることに等しい。
 新聞社に対して「これを載せろ」「それは載せるな」といった〈外部〉からの圧力があれば、体を張ってでもはねのけようとするのが、新聞人の職業的使命だ。その使命感は、かつて新聞界がすすんで検閲を受けたり、権力の意向を忖度して報道したりしたことへの悔悟と反省によると言われる。
 しかし、新聞社の〈内部〉で、編集をめぐって意見がぶつかったとき、どうすればいいのか。つまり、編集に関する基本方針を定めたり、記事掲載の可否を判断したりする最終的な権限は、新聞社のだれに帰属し、どのようなときに行使されるのだろう。
 この問題について、日本新聞協会は、敗戦から間もない1948年に「編集権声明」を公表し、「編集権」を次のように定義している。

編集権とは新聞の編集方針を決定施行し報道の真実、評論の公正並びに公表方法の適正を維持するなど新聞編集に必要な一切の管理を行う権能である。

 そして、その「編集権」を行使するのは、「経営管理者およびその委託を受けた編集管理者」に限られるという。経営管理者とは「法人の場合には取締役会や理事会」と説明されている。平たくいえば、メディア企業のオーナーや経営者と管理職の編集局長になる。
 さらに「編集権」をどのように行使するのかについては、以下のように記す。

新聞の経営、編集管理者は常時編集権確保に必要な手段を講ずると共に個人たると、団体たると、外部・・たると、内部・・たるとを問わずあらゆるものに対し編集権を守る義務がある。外部・・からの侵害に対してはあくまでこれを拒否する。また内部・・においても故意に報道、評論の真実公正および公表方法の適正を害しあるいは定められた編集方針に従わぬものは何人といえども編集権を侵害したものとしてこれを排除する。(傍点は筆者)

 すなわち、新聞協会がいう「編集権」とは、経営者に固有の権限で、意に沿わない従業員を解雇できる権利を含むものだと理解できる。
 「声明」が公表された1948年当時、日本はアメリカ軍の占領下にあり、新聞記者たちはGHQから厳しい検閲を受け、経営者たちは労働運動に悩まされていた。GHQは当初、日本の民主化にとって労働運動は必要とみていたが、冷戦体制ができあがるにつれ左傾化阻止へと舵を切った[1][2]。
 そうした環境下でつくられた「声明」に対し、少なからぬ研究者や文化人からはすぐれて作為的な文言だと指弾されてきた[3][4][5]。じっさい1960年代には、岡山の山陽新聞社で「編集権侵害」を理由に労働組合員の社員5人を懲戒解雇する事件が発生した[6][7][8]。裁判で争われ新聞社側が敗訴したが、新聞協会は「声明」を撤回も修正もしていない。
 21世紀のこんにち、日本新聞協会の「声明」で謳われた「編集権」の概念を、額面通りに受け入れることはできそうにない。

地域紙のなかのNPO紙面の割付[畑仲哲雄撮影]
 わたしたちは「編集権」をどのように考えればいいのだろうか。
 まずはっきりさせておきたいのは「編集権」が法律用語ではないことだ。六法全書を開いても「編集権」という言葉は見つからないし、裁判例情報データベースで最高裁の判決文を全文検索しても「編集権」はヒットしない[9]。法律の条文を探せば「編集の自由」という言葉が放送法と公職選挙法にあるが、新聞協会がいうような意味は含まれていない。
 その一方で、「編集権」という言葉はニュース原稿でもよく用いられる。「編集の自由」や「編集の独立」と書くべき場合でも、たんに「編集権」と表現され、これが新聞協会のいう「編集権」との混同を招いている。
 ちなみに、「編集の自由」「編集の独立」の概念は、編集と経営の分離について議論を積み重ねたヨーロッパでは、もっぱらメディアの所有者や国家権力に対して用いられ、職能集団としてのジャーナリストの自由を守るための制度も検討されてきた。企業の売却や買収でオーナーが変わるたび編集方針まで変わることがあったためだ。フランスではジャーナリストの「良心条項(良識条項)」が、ドイツでは「内部的自由」が議論された[10]。
 マスメディアの巨大化や影響力の大きさを考えれば、編集の基本方針や紙面編集の権限を一部の所有者・経営者に集中させるのは危険なことかもしれない。権限は、編集局のジャーナリストたちにも〈分有〉させるべきだという考え方ならば、市民社会からの理解は得られるだろう。だが、そこで議論を止めてしまうと、経営者とジャーナリストの綱引きに終わりかねない。
 ビジネスモデルが破綻したといわれて久しい日本の新聞業界では、紙面の一部をNPOのような「外部」の団体に委譲する動きが広がりつつある。全国紙や県域の地方紙ではなく、市町村単位で発行されている地域紙の世界で、だ。
 県域よりも狭いエリアをカバーする地域紙は、全国に約200あるといわれる[11]。だが全体像が見とおしにくい。多くの地域紙が新聞協会に加盟しておらず、県庁所在都市から離れた地域で配布されているためだ[12]。研究者も主流メディアの記者も、大手の報道機関にばかり目を向け、地域紙の存在をわすれがちだ。
 だが、地域紙の対象は「課題先進地」であることが多い。市町村合併、耕作放棄地、自治体財政破綻、限界集落、外国人妻や技能研修生、産廃・原発・基地の立地……。それらの「課題」は東京の大手メディアも報道するが、地域住民と運命をともにする地域紙にしてみれば、死活問題だ。付け加えれば、地域紙は企業規模も小さく、苦しい経営を強いられやすい。
 NPOとの協働という新聞再生のモデルは、逆境をバネに生まれたジャーナリズムのイノベーションといっていいだろう。

 

4:: 実際の事例

新潟県の上越・妙高・糸魚川の3つの市をカバーする上越タイムス社では、1999年から紙面編集の一部をNPOに委ねる試みを続けている。市民参加型の新聞を作ろうとか、市民記者を育成しようとか、そんな高邁な理想からはじめたのではない。ひとことで言えば、休刊回避の窮余策だった。
 上越タイムス社は1990年、ケーブルテレビ会社のオーナーを中心とする地元経済界が共同出資して設立し、初代社長に元朝日新聞記者を据えた。朝日新聞記者の薫陶を受けた上越タイムス社の記者たちが、権力監視型をみずからの使命と考えたのは自然の成り行きだった。
 だが県内で圧倒的なシェアを誇る地方紙『新潟日報』と全国紙の存在は大きかった。新興の地域紙には独自の販売網を構築する余力もなく、いい記事を書いても部数は増えない。二代目社長が設備投資をして経営のテコ入れをしたが、負債は膨らみ続けた。
 1999年に三代目の経営者を迎えた。公立中学校で数学教師をしていた大島誠である。大島は、ケーブルテレビ会社オーナーの婿養子で当時39歳。記者経験はなかった。
 着任直後、大島が全従業員に示した経営改善策のひとつは、当時週6日刊だった『上越タイムス』を週7日発行の完全日刊にすることだった。地域紙で最も必要とされるのは「お悔やみ情報」。市井の人びとの死亡記事を1日も途切れることなく伝えれば、読者も増え、広告収入の増加も見込める。ただ、週6日刊から完全日刊にするには人手が足りない。新たに従業員を雇う資力もない。そのため外部のNPOに紙面作りを手伝ってもらうことを大島は提案した。
 もうひとつの改善策は、1面トップの記事を、明るい話題に限定すること。権力の監視者を自認する番犬型のジャーナリズムはいらない。地元で頑張っている人や組織をほめて、地域を元気にしたい。「地域の応援団」という言葉を上越タイムス社のキャッチフレーズにしてみないか。そう呼びかけた。
 いずれの提案も、記者たちから総スカンを食らった。
「だから素人は困る」「ジャーナリズムを捨てた新聞社がどこにある」
 当時、紙面編集に関する権限を握っていたのは編集局だった。大島が出社するたびに、社内は険悪なムードに包まれ、ときに罵声も飛び交ったという。
 ところで、そもそも大島がNPOの人手を借りようと思ったのは、大島自身が地元地域のNPOの代表者を務めていたためだ。大島は、タイムスの経営を任される前年、「くびき野NPOサポートセンター」(くびき野SC)の初代理事長に就いていたのである。
 地元財界一族の女婿である大島は、経営者としての修行のため青年会議所に入り、地元経済界の当事者となった。ちょうどそのころ、日本海でロシアの油槽船ナホトカ号が沈没し、上越の海岸にも大量の重油が漂着した。そして、だれに命令されたわけでもない人びとがボランティアとして活動してくれた。市民の力を見せつけられた。
 経営者の最優先課題は、じぶんの会社を儲けさせることだ。しかし、地元地域が疲弊してしまったら会社も生き残れない。上越の地域を活性化させるには、NPOなどの市民活動が欠かせないというのが大島たちの結論だった。
 青年会議所の有志は、上越地域の市民団体とともに1998年に「くびき野SC」を設立。大島が初代理事長に就いた。くびき野SCは、さまざまな問題に取り組む自助・共助グループのNPO法人化を手助けし、市民活動団体の交流や情報交換を進めようとした。だが、設立して間もないNPOには情報発信の手段がない。ビラやパンフレットを作っても、それを広く届けることができない。メディアに取材依頼をしても、なかなか相手にしてもらえない。

上越タイムスと、くびき野SCによるNPOPRESS[畑仲哲雄撮影]
 NPO側の状況も熟知していた大島は、くびき野SCの事務局スタッフに『上越タイムス』紙面の一部を使うことを提案した。事務局スタッフにとって、不特定多数の人に情報を届けられる新聞を活用できるのは魅力的に思えた。
 だが同時に懸念もあった。新聞社も営利企業で、その経営立て直しのために市民団体が都合よく使われるわけにはいかない。そんな問題意識から、くびき野SCのスタッフは、じぶんたちが作る紙面が新聞社から独立することを要求した。つまり、どんな紙面を作るか、どんな記事を載せるかはすべてNPOが決める。
 大島は、社内で編集局の猛反発を押し切り、1999年から新聞の週7日刊に踏み切った。そして1ページをくびき野SCに提供しはじめた。「強引なやり方についていけない」と辞めていった社員もいたという。
 ノウハウが乏しかったくびき野SCは当初、苦労しながら紙面を作り、上越タイムス社も思い切ってノーチェックで印刷した。両者の間に金銭的なやりとりはなく、それが対等な「協働」であるという認識と信頼感が芽生えていった。
 このプロジェクトに取り組んで以降、上越地域のNPO法人数が急増し、上越タイムス社の発行部数は3倍に伸びた。NPO紙面は、2002年に2ページに、2004年から4ページになった。上越タイムス社は倒産の危機を脱したあとも、くびき野SCとの協働を止めようとしていない。
 地域紙がNPOと協働するという「上越モデル」は、2010年に和歌山市に、2016年には宮城県石巻市に伝播した。
 和歌山市で発行されている『わかやま新報』では隔週金曜の1ページを「わかやまNPOセンター」が制作。東日本大震災の際に手書きの壁新聞を発行したことで知られる『石巻日日新聞』では毎月第3木曜の2ページを「いしのまきNPOセンター」が作りはじめた。いずれも上越での事例をモデルにしている。どの実践例でも、NPOが「編集の独立」を新聞社から獲得しており、だれからも干渉されずに表現活動ができる公共的な空間が形成されている。
 

5:: 思考の道具箱

 
■地方紙と地域紙 地方紙は、特定の地方で発行される新聞の総称である。日本では第二次大戦期の新聞統合で「一県一紙」体制が確立したことから、県ごとの新聞(県紙)が地方紙といわれ、通常、県庁所在都市に本社がある。対する地域紙は、戦後新たに創刊したものだけでなく、新聞統合で休刊を命じられ戦後復刊したものも少なくない。多くは県庁所在都市から離れた地域に本社を構え、県域よりも狭い地域で発行される。全国紙からニュース配信を受ける地域紙もある。
 
■NPO Non Profit Organizationの頭文字。政府や企業には対処できない社会的な問題に取り組む民間の非営利組織を指す。実態としてはNGO(Non Governmental Organization)と同じ。日本では1998年に、特定非営利活動促進法が施行され、社会貢献や公的なサービスに取り組む団体に法人格が与えられるようになった。NPOの活動領域は、保健医療や福祉、社会教育、まちづくり、スポーツ振興、環境保全、災害救援、人権擁護など幅広い。新聞社との協働をしているのは「中間支援組織」と呼ばれるNPOばかりである。
 
[注]
[1]山本武利(1973)『新聞と民衆――日本型新聞の形成過程』紀伊國屋書店;(1996)『占領期メディア分析』法政大学出版局
[2]有山輝男(1996)『占領期メディア史研究――自由と統制・1945』柏書房
[3]塚本三夫(1976)「現代の『編集権・編成権』――今日における問題の性格と所在」『現代のコミュニケーション――ジャーナリスト労働とマス・メディアの構造』青木書店
[4]佐藤英善(1974)「経営権と編集権――マス・コミ企業と労働者」石村善治・奥平康弘編『知る権利――マスコミと法』有斐閣
[5]伊藤慎一, 1974, 「新聞の編集権をめぐる諸問題」内川芳美ほか編『言論の自由』東京大学出版会
[6]山本明(1962)「新聞『編集権』の成立過程」『同志社大学人文科学研究所紀要』5: pp.45-70
[7]山本明(1964)「新聞の自由と山陽新聞事件裁判――真実の報道とプレス・キャンペーンとの関連を中心に」『人文學』73: pp.148-163
[8]水町勇一郎(2005)「新聞社の内部事情を告発する組合活動の正当性――山陽新聞社事件」『メディア判例百選』179:pp.169-160
[9]裁判所「裁判例情報」データベース(2017年6月11日取得、http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/search1)
[10]石川明(1972)「編集綱領運動と内部的放送の自由――西ドイツの場合」『放送学研究』24: pp.65-96
[11]『雑誌新聞総かたろぐ2016年版』メディアリサーチセンター
[12]「調査データ」日本新聞協会公式ホームページ(2017年6月6日取得、http://www.pressnet.or.jp/data/)
 
[参考文献]
井川充雄(1993)「占領期における新興紙と全国紙――『中京新聞』を中心にして」『マス・コミュニケーション研究』42: 151-162
内田晋(1980)「新聞編集権をめぐる法的諸問題」『レファレンス』352: pp.4-36
奥田道大(1967)「マス・メディアにおける地域社会の発見――沼津・三島地区石油コンビナート反対運動の事例分析」『新聞学評論』16: 56-67
里見脩(2011)『新聞統合――戦時期におけるメディアと国家』勁草書房
関谷邦彦(2005)「地域紙の自立と棲み分け――地域紙は県紙や大手紙とどう闘うか」『都市問題』96(12), 85-89
第八次新聞法制研究会編著(1986)『新聞の編集権――欧米と日本にみる構造と実態』日本新聞協会
田村紀雄(1968)『日本のローカル新聞』現代ジャーナリズム出版会
田村紀雄(1996)「地域とメディアの30年間――第4次「ローカル新聞全国悉皆調査」」『東京経済大学人文自然科学論集』104: 109-130
畑仲哲雄(2008)『新聞再生:コミュニティからの挑戦 』平凡社
畑仲哲雄(2010)「「『編集権』からNPO『協働』へ―― あるローカル新聞の市民参加実践」『情報学研究-東京大学情報学環紀要』
畑仲哲雄(2012)「パブリック・ジャーナリズム」小林正弥・菊地理夫共編『コミュニタリアニズムのフロンティア』勁草書房
畑仲哲雄(2014)『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』勁草書房
http://www.keisoshobo.co.jp/book/b185081.html
畑仲哲雄(2017)「新聞社とNPOの持続可能な協働の条件とは——新潟・上越地域における地域紙の事例から」田中秀幸編著『地域づくりのコミュニケーション研究:まちの価値を創造するために』ミネルヴァ書房http://www.minervashobo.co.jp/book/b253517.html
藤井敦史(2010)「NPOとはなにか」原田晃樹ほか著『NPO再構築への道――パートナーシップを支える仕組み』勁草書房
山田晴通(1988)「日刊地域紙を概観する――経営的変化の素描(ローカル紙のいま)」『新聞研究』443: 48-54
山田晴通(1997)「地域(特集 現代マス・コミュニケーション理論のキーワード:50号を記念して)」『マス・コミュニケーション研究』50: 16-23
山田晴通(1998)「新聞界の『先端』から学ぶこと――大不況下における小規模紙経営(地域紙はいま)」『新聞研究』569: 29-32
山田護・二反田隆治, 2005, 「地域新聞をどう作るか――行政・NPOとコミニティペーパーの関係」『分権型社会を拓く自治体の試みとNPOの多様な挑戦――地域社会のリーダーたちの実践とその成果』龍谷大学大学院 NPO・地方行政研究コース,3: 151-169
 
[担当者の協働] たしかに上越タイムスの話を初めて聞いたときはとても驚きました。ただ、新聞はすべて全国紙と同じ発想、いわゆるコロンビア・ジャーナリズムスクール的でなければならないのかどうかは、これからも考えていきたいです。
 
 
》》》バックナンバー《《《
〈CASE 17〉犯人の主張を報道すれば犯罪の手助けになるか
〈CASE 16〉経営破綻を報じる時宜と大義
〈CASE 15〉「忘れられる権利」か、ネット上での記事公開か
〈CASE 14〉世間に制裁される加害者家族をどう報じる?
〈CASE 13〉被害者の実名・匿名の判断は誰がする?
〈CASE 12〉取材先からゲラのチェックを求められたら 
これまでの連載一覧》》》バックナンバー一覧

1 2