虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 連載・読み物

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第23回「ここ-今」と「そこ-今」をともに織り上げるフィクション/『君の名は。』と『輪るピングドラム』 (2)

8月 23日, 2017 古谷利裕

 
 

「同時性」が片割れる

『君の名は。』には、ヒロインの三葉が学校の教室で古典の授業を受けている場面があります。そこでは、「誰そ彼と我をな問ひそ長月の露に濡れつつ君待つ我そ」という万葉集十巻の歌が教材になっています。誰だあれはと私のことを問わないでください、九月の露に濡れながら愛しい人を待っている私を、という歌です。

教師は、ここで使われる「誰そ彼(たそかれ)」という言葉が「黄昏時」の語源なのだと説明し、さらに古くはそれを「彼誰そ時(かれたそどき)」または「彼は誰時(かわたれどき)」とも言ったのだ、と付け加えます。すると生徒から「かたわれ時」ではないのかと質問がとび、教師は、「かたわれ時」というのはこの辺りの方言だと応えるのです。生徒が言った「かたわれ時」という語は、この物語上で創作された言葉でしょう。「誰そ彼(たそかれ)」の、「誰」と「彼」の位置が入れ替わって「彼は誰(かわたれ)」になり、さらに「かわたれ」の真ん中の「わ」と「た」の位置が入れ替わって、「片割れ(かたわれ)」になる。この物語で起こる出来事を暗示した、見事な言葉遊びだと思います。

この物語は、入れ替えと分岐(分割)の物語だといえます。まず、主人公の二人、三葉と瀧の、心と体が入れ替わります。そして、一つの彗星が二つに分岐して、その片割れが落下して大災害を引き起こします。しかし、入れ替わった二人が協力することで、一つの世界からもう一つ別の世界が分岐し(片割れし)、災害で多くの人が死んだ世界から、皆が無事に避難できた世界へと、この世界の「現実」が片割れした方へと入れ替えられます。

彗星が片割れし、世界(現実)が片割れするこの物語では、もう一つ、「同時性」が片割れするのです。どちらも17歳である、山間の田舎町、糸守町に住む三葉と、東京の都心に住む瀧の心と体が、眠ることをきっかけにして入れ替わってしまうという出来事が起こります。入れ替わりはランダムに、週に2、3回も起こるようです。不条理な出来事が夢ではなく事実だと自覚した二人は、互いに協力してこの困難を乗り切ろうとします。田舎に住む三葉にとって都心での学園生活は物珍しく、都心に住む瀧にとって田舎の生活は息苦しく感じられるようです。二人は互いに普段自分がおかれている環境とはかけ離れた生活を経験することになるのですが、なによりかけ離れているのは互いの身体でしょう。女性である三葉は、瀧という男性の身体を経験し、男性である瀧は、三葉という女性の身体を経験します。二人は入れ替わりにより、どちらも自分とは遠く隔たったものを経験することになるのです。

しかしこの入れ替わりは、空間(環境)や身体だけでなく、時間的にも隔たったものの間で起きていたのでした。三葉の17歳の年と瀧の17歳の年とでは、3年の時間のずれがあったのです。入れ替わりという出来事がふいに途切れ、気になった瀧は三葉を訪ねるために糸守の町を探します。そして、糸守町を見つけ出すのですが、町は3年前の彗星の落下により壊滅していて、既に人は住んでいませんでした。そして瀧は、彗星落下による犠牲者名簿のなかに三葉の名を見つけるのです。ここで、観客が「同時」だと思って観ていた(三葉や瀧も同時だと思っていた)東京の時間と糸守の時間が、現在と3年前という二つの時間に分岐(分離)するのです。そしてここで、片割れてしまったことで、かつては結ばれていた現在と過去とのつながりが失われてしまったからなのでしょうか、「現在」から、入れ替わりにかんする記録や記憶が砂城が崩れるように失われていくのです。

「ここ」と「そこ」とは不連続です。異なる個体として不連続であり、性差として不連続であり、空間として不連続であり、時間として不連続であり、生死として不連続です。まず、不連続なものの間で不意の入れ替わりが起こり、不連続なものの間に直接的な交換(交流)が生じ、交換によって生じた連続性によって「同時性」が生じます。そして、それが途切れてしまうのです。

世界が忘却する

この物語は、入れ替えと分岐の物語だと書きましたが、さらに付け加えるとするなら、もう一つ、忘却という重要な主題があります。この物語は「忘れる」ことについての物語でもあります。そしてこれが重要なのですが、この物語で「忘れる」のは、三葉や瀧という個ではなく、世界そのものです。世界から記憶(記録)が、あるいは過去そのものが失われるのです。瀧が、かつて糸守高校のグラウンドだった場所から、彗星の落下によって二重になった湖を見下ろす場面で、瀧のスマートフォンから、瀧自身と、瀧の身体に宿った三葉との間でやり取りされた日記の文字が、次々と文字化けし、そして消えていきます。これまで「同時性」によって繋がっていた糸守(三葉)と東京(瀧)との繋がりは、瀧によって「三年の時間差」が認識されて(観測されて)しまったことで、途切れてしまうのです。世界そのもののリンクが切れてしまったからこそ、瀧自身の記憶も次第にあやふやになり、宮水三葉という名前すら思い出せなくなるのです。

わたしやあなたが忘れたというのであれば、その出来事の証拠なり痕跡なりが、この世界のどこかには残されているはずで、それを辿ることも可能です。しかし、世界そのものが忘れてしまえば、証拠はどこにも残りません(実は、世界には二つだけ証拠が残されていて、それが「組み紐」と「口噛み酒」なのですが、それについてはあとで書きます)。

「世界そのものが忘れてしまう」ということを実感させるためだと思われますが、この物語には明らかなブランクが仕込まれています。最初に二人の入れ替えが起こった、物語のほぼ冒頭の出来事は、三葉の体に宿った瀧の視点から描かれます。「瀧くん、憶えてない?」と三葉から呼びかけられる夢で目覚めた三葉となった瀧は、自分の体が女性であることに気づき、まず自分のおっぱいを自分で揉みます。最初の異質性の確認です。その時、妹から、ご飯だからはやく来いと急かされます。そして、自分の体を鏡で見て驚きの声を上げるのです。

その次の場面は宮水家の朝食で、妹の四葉が「お姉ちゃん、遅い」と三葉に向かって言ったりするので、前の場面から連続していると思って観ていると、祖母や妹が、「今日は普通だ」「昨日はヤバかった」と三葉に言うのです。つまりここで、時間が1日分スキップしていて、三葉の体に瀧が宿っていた「ヤバかった」昨日はまるまる省略されているのです。三葉はこの後学校に行ってからも、「昨日はおかしかった」と様々な人から言われることになります。しかしここで、皆が口々に言う「おかしかった昨日の様」は、断片的な事柄ばかりであまり具体像を結ばないのです。

その口振りから、どうやら、相当に「おかしかった」ことは確かなようなのですが、具体的にどうおかしかったのかよく分からないため、三葉の不安はますます高まります。最初の入れ替えがあった日の三葉(になった瀧)の様子について、この物語では断片的な報告(あいまいな伝聞)以上の事柄は描かれません。つまり、最初の入れ替えの出来事は、『君の名は。』という物語世界から抹消されてしまっていて、どこを探してもないのです。これにより、観客もまた三葉と同様の欠落による不安を経験し、世界そのものが忘れてしまうという感触の一端に触れるのだと思います。入れ替わり1日目の不在(空白)が、この後の物語の進行のなかで現れる忘却に、強い説得力を与えています。
 

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