虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 連載・読み物

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第23回「ここ-今」と「そこ-今」をともに織り上げるフィクション/『君の名は。』と『輪るピングドラム』 (2)

8月 23日, 2017 古谷利裕

 
 

宮水神社という防衛システム

忘却にかんする重要なエピソードがもう一つあります。それは、糸守町の伝統の工芸品である組み紐の由来や、宮水家が管理する宮水神社の神事や祭りの由来にかんする古文書の一切が、200年前に草履屋のヤマザキマユゴロウが起こした大火によって焼失してしまっているという事実です。糸守には千年の歴史があると祖母の一葉は言うのですが、その記録は200年前に途切れてしまっていてそれ以上遡れないのです。すべてを悟ったかのように語る一葉も、実は何も知らないのです。しかしこれは、世界そのものが完全に忘れてしまったということとは違っています。祖母の一葉、そして三葉と妹の四葉という宮水家の女たちによって、組み紐は現在まで作りつづけられ、神社の神事(口噛み酒の御神体への奉納)も、由来がわからないまま「形として」だけ、つづけられているのです。

さらに別の痕跡も残されています。糸守町の中心にある糸守湖と、山の奥深くの宮水神社の御神体が置かれている場所の地形をみると、あきらかに隕石の落下でできたクレーターであることが分かります。宮水神社の御神体は、クレーターの中心部にある巨石で組まれた祠の下に設置されています。つまり、糸守地区には少なくとも過去に二度は、隕石の落下という災害に見舞われていて、宮水神社は隕石の落下と密接にかかわっているであろうことが、古文書が失われている現在でも、世界の痕跡から読み取れるのです。

この物語では宮水神社こそが、互いに異なる時間や空間の間に「同時性」を発生させ、そこで入れ替えを起こし、それによって世界を分岐させ、世界そのものの入れ替えを実現するための、仕掛けであり、その力の中心にあるもののようです。宮水家の女たちは、自分たちの行為のもつ意味を知らないまま、「宮水神社」という仕組みの維持にかかわっているのです。どうやら、1200年に一度地球に接近するティアマト彗星は、地球に接近するたびに、この糸守の周辺に落下しているようです。そして、人間の記憶(記憶の世代間継承)のスケールを越えたタイムスパンで、しかし定期的にやってくる災害に対する防衛として、宮水神社システムがつくられたようです(しかし、「誰」によって?)。これは、世界自身が「忘れない」ためのシステムでしょう。宮水システムは、片割れた彗星の落下による被害を回収するために、世界の片割れと入れ替えを実現し、その実現のために、人と人との入れ替わりがあり、そして組み紐と口噛み酒があるということのようです。

(なお、ティアマト彗星は、1200年に一度、正確に糸守を襲撃するようにつくられた人工彗星だ、という説があるようですが、それについてはここでは検討しません。)

宮水家の女性たちは、人生のある時期に、未来に存在する誰かと、時間を越えて心と体の入れ替わりを経験します。それは、どちらにとってものっぴきならない重大な出来事であるので、否応なく、二人は協力してその信じがたい出来事の対処をすることが強いられるでしょう。そして、その協力の過程を通じて二人の間に信頼関係が生まれるはずです。そうであれば、未来の側にいる誰かは、当然、入れ替わった先の糸守という地区に興味をもつことになるでしょう。(宮水の側にとっては未来である)その時に、糸守町が存続していることが確認できれば何の問題もありません。二人の間に発生した異なる時間とのリンク(異なる時間との「同時性」)は自然に途切れ、リンクが切れることで記憶も記録も消失していくでしょう(もし記憶や記録が消えなければ、この世界の因果関係に齟齬が残ってしまいます)。このような入れ替えが、1200年もの間、何度となく繰り返され、その間にも組み紐は作られつづけ、口噛み酒は奉納されつづけられているのでしょうが、特にそれらが機能する機会はないでしょう。

しかし、1200年に一度、彗星は落下し、糸守地区は壊滅的な被害に見舞われます。入れ替えの未来の側の人物がそれを知った場合には、過去である宮水の側にその事実を伝えるため、一度途切れたリンクが再び結び直される必要が出てくるのです。組み紐と口噛み酒は、ここでリンクを回復させるための装置なので、「時間のずれ」が観測されて、リンクが途切れることで消失してしまう様々な証拠品たちから除外されていると考えられます。
 

既に/未だ

瀧は、苦労の末にやっとのことで糸守町を見つけ出すのですが、彼がそこで見たのは3年前に既に壊滅していた町でした。そして、17歳を「同時」に生きていると思っていた三葉は、3年前に既に亡くなっていました。瀧におけるこの経験と対になる経験を、三葉もしています。三葉は、瀧の身体へと入れ替わっている時、瀧と彼が片思いしているバイト先の先輩とのデートをセッティングするのですが、自分で画策しておきながら、「瀧と先輩がデートする」という事態に感情がざわついて納まりがつかず、衝動的に瀧に会いに東京に出かけるのです。二人は、互いの身体を交換するという直接的で極めて生々しい関係にあるものの、「会う」ということは今までに一度もありませんでした。とはいえ、入れ替わっているのだから、実際に会えばお互いのことはすぐに分かるはずだと、三葉は考えていました。

しかし、電車のなかで瀧を見つけて三葉が話しかけても、瀧には三葉のことが分からないようなのです。三葉が会った瀧は、三葉と入れ替わるより3年も前の瀧なのだから、分からないのは当然なのですが、瀧との入れ替わりの「同時性」を疑わない三葉は強いショックを受け、糸守に帰ると失意から髪を短く切ります。もしここで、瀧が若いことに気づき、三葉が時間差を認識(観測)してしまったならば、二つの時間の同時性リンクはその瞬間に切れてしまっていたでしょう。つまり、糸守町の壊滅は確定してしまっていたでしょう。幸い、三葉はそれに気づかず、瀧に組み紐を渡すことができます。瀧は、三葉と出会うよりも前に、誰か分からない三葉から組み紐を受け取るのです。

瀧が三葉に会おうとしても、その時には既に三葉は生きておらず、三葉が瀧に会おうとしても、その時に瀧は未だ三葉を知らない。この事実は二人ともに(それぞれ質の異なる)強いショックを与えます。「既に」と「未だ」によって食い違う二人は、心と体の直接的な交換は可能でも、互いに他者として接触することができないのです。二人の「ここ」と「そこ」との間の距離は、直接的交換によっては踏破可能ですが、他者として接触することはできないという性質のものです。二人の間の接触不可能性な距離の踏破(二人は互いに他者として出会えるのか)が、この物語の最後の課題となりますが、それに触れるのはもう少し先です。その前に、壊滅した糸守を救うために、瀧が時間差を観測することで途切れてしまった「二つの時間のリンク」を、再び結び付けるように宮水システムが作動しなければなりません。

時間のずれを観測することで、二つの時間の同時性リンクが途切れ、二人が入れ替わっていたことを示す物理的(情報的)証拠が消えていくなか、瀧は、自分の記憶から入れ替わりの出来事が消えてしまうことに必死で抵抗するように、糸守町への彗星落下に関する資料を読み漁ります。しかしそれでも、確かに入れ替わりを経験したというリアリティは少しずつ薄れ、すべては夢か妄想であったのではないかと感じるようになっていきます。そしてとうとう、三葉の名前を思い出すことも困難になります。

そんな時に、瀧はバイトの先輩から手首に巻いている組み紐について指摘されます。二つの時間のリンクが切れることで様々な物的証拠が消えたにもかかわらず、三葉から受けとったこの組み紐はありつづけるのです。そしてこの組み紐の存在から、かつて三葉と入れ替わって、口噛み酒を宮水神社の御神体に奉納しに行った時のことを思い出し、その時の一葉の言葉を思い出します。紐は時間の流れそのもので、捻じれたり、絡まったり、戻ったり、繋がったりする、と。

そこで瀧は、あの御神体のあった場所ならば、何か手がかりがあるのではないかと思い、一晩かけて微かな記憶を頼りに、その場所を地図上に特定します。組み紐というオブジェクトの存在によって、完全に切れかけていたリンクに微かな繋がりが回復するのです。
 

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