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あとがきたちよみ
『「くらし」の時代』

 
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米澤 泉 著
『「くらし」の時代 ファッションからライフスタイルへ』

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はしがき
 
 人々がモノを買わなくなった。消費を嫌悪している。モノ消費よりコト消費。そのように言われて久しい。確かに、次々と閉鎖される百貨店に対して、入場者が増え続けるテーマパークや近年のハロウィンの異常なまでの盛り上がりからは、そういった傾向が見て取れる。加えて、人々のファッションへの関心が低下していると言われている。そもそも現在は流行そのものが消失し、「流行を追わないことが流行」になっており、「戦後のストリートファッション史上初めて『新しいファッション』が登場しない」(渡辺2016)という「新しい」状況になっているのである。
 そんな中で、「エアクローゼット」というサービスが人気を集めている。好みを入力すればスタイリストのおすすめの服が三着、定期的に届くというレンタルサービスだ。服を選ぶ時間がない、コーディネートを考えたくない、お金もかけたくない、できれば所有もしたくないという現代人にぴったりのシステムである。
 ファッションにこだわり、着ることで個性を表現していた時代は遠くなったと言うべきだろう。どれを選んでもたいして変わらないファストファッションが蔓延し、ユニクロに代表されるような手頃な価格の万人向けカジュアルウェアがファッション誌で特集される時代である。服に法外なお金をかけることはファッショナブルではないのだ。たかが服である。「エアクローゼット」があればそれで十分だ。
 では、何がファッションに取って代わったのだろうか。人々は服の代わりに何に時間やコストをかけているのだろうか。それは服以外のあらゆるものではないか。衣食住の「衣」以外のものがかつてのファッションの位置を占めるようになったのではなかろうか。評判のパン屋さんで調達してきたパンや取り寄せたオーガニックな野菜を食卓に並べ、時間をかけて朝食を楽しむ。お気に入りのウェアやスニーカーを身に付けてランニングをする。ホテルのような設備を備えた施設でグラマラスなキャンプをする。あるいは、都会にいながらにして自然を感じつつパーティーに興じる。ブックカフェでコーヒーを飲みながら本のある空間を味わう。このように、人々は日常の生活を楽しむこと、「ていねいなくらし」をすることに夢中になっているのである。
 それはどうしてなのだろうか。人々はなぜ、「着る」ことに対する情熱を失い、「食べる」ことや「くらす」ことに価値を見出し始めたのだろうか。本書は、ファッション以外のものがファッション化した時代を見つめ、なぜ人々がファッションよりもライフスタイルを重視するようになったのか、「くらし」にことさらこだわるようになったのかを明らかにする。
 序章では、まず個性的なDCブランドの時代を経て、ファストファッションが主流となっていく過程を追う。そして、ユニクロが国民的な人気ブランド「Jファッション」として海外でも高く評価され、ファッション誌の主役に躍り出るまでの経緯とともに、「ユニクロでよくない?」というファッションの現状を提示する。
 第一章では、三〇代主婦向けファッション誌『VERY』に二〇一一年から登場するようになった「ミセスオーガニックさん」という理想の読者像を通して、「オーガニック」ブームを見ていく。また、その流れを後押ししたエコロジー意識の高まりと、初の環境ファッションマガジンを謳って創刊された『ソトコト』に端を発するロハスブームに目を向ける。一九九〇年代半ばから現在に至るまでの消費に欠かせないキーワードとなったオーガニック、エコ(ロジー)、ロハス、フェアトレード等を通して、エシカル(倫理的に正しい)なファッションがなぜ流行するようになったのか。人々が現在のファッション消費に求めているものは何かを考察する。
 第二章では、ファッション誌におけるスニーカーブームやランニングブーム、走ることに対する意識の変化、また近年関心が高まっているグランピング(グラマラス・キャンプ)を示し、「WELLNESS is NEW LUXURY」が掲げられる時代について考える。ヘルシー(健康的であること)が、なぜこれほど価値を持つようになったのか、ファッションにおけるヘルシーな流行を取り上げることで、その根底にあるものを浮き彫りにする。
 第三章では、近年目立つようになったブックカフェを中心に本をめぐる新たな文化を考える。「イベントが開催される本屋さん」「泊まれる本屋さん」といった個性的な書店が増加しているのはなぜか。「本を売るのだけではない」蔦屋書店は従来の書店とどのように異なり、なぜ流行に敏感な人々が集うスポットとなったのか。「本と暮らす」をテーマにした無印良品のMUJI BOOKS をはじめとして、都市に広がりつつある「本のある空間」に人々は何を求めているのだろうか。その場に溶け込む「家具の書籍」を通して、現在の「本」がどのように消費されているのかを分析する。
 第四章では、一九七〇年代、一九八〇年代とファッション誌によって時代を牽引していたマガジンハウスが九〇年代以降、『カーサブルータス』『クウネル』『&プレミアム』といったライフスタイル誌を中心に据えるようになったことについて考察する。とりわけ、「建築とファッション」に重きを置いていた『カーサブルータス』が、「パンや野菜の楽しみ」に代表されるような「くらし」を中心テーマとして扱うようになったのはなぜなのか。その「くらし」は『暮しの手帖』の「暮し」とどう違うのか。なぜ、元『暮しの手帖』編集長である松浦弥太郎が提唱する「ていねいなくらし」は多くの人々に受け入れられているのか。人々がファッションからライフスタイルを消費するようになった背景を考える。
 終章では、第一章から四章までの事例をもとに「装う」時代から「くらし」の時代への移り変わりを総括する。次々と流行を追いかける虚栄に満ちたファッション消費から、一見豊かで上質な「くらし」の消費へ。そこでは、物欲のおもむくままに行われる「意味のない」消費は推奨されない。エシカル、ヘルシー、インテリジェントに適っているかどうか。「ていねいなくらし」に沿った消費かどうか。これらは現在の消費を正当化する理由として機能している。高感度消費、豊かで上質な本物の消費という名のもとに結果的に、人々が同じものを求め、手に入れるようになったとしても仕方あるまい。きわめて表層的な「ていねいなくらし」こそ、現在の私たちに求められているライフスタイルというファッションなのだから。本書は、「くらし」の時代とは、人々をエシカルな、「正しい」消費に導く時代であることを明らかにすると同時に、そのような時代における服を着ることの意味を考えるものである。
 
 
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