連載・読み物 ベルクソン 反時代的哲学

『ベルクソン 反時代的哲学』13

1月 06日, 2016 藤田尚志
§46. rythmesure(リズム計測) II. 持続のリズム

『試論』とそれを分析した私たちの第一部において、持続が継起的な相互浸透の様態をもち、リズミカルな有機組織化(organisation rythmique)として姿を現すことが確認された。ベルクソンはこの直観を第二作『物質と記憶』において発展させることになる。そこで問題となるのはもはや「私の意識」ではなく、「諸々の意識」であり、「諸存在」である。

実際、持続の唯一のリズムは存在しない。相異なる多くのリズムを想像することができる。より緩慢なものであれ、より急速なものであれ、それらのリズムは、諸々の意識(consciences)の緊張あるいは弛緩の度合いを測り示しており(mesureraient)、それによって諸存在(êtres)の系列におけるそれら各々の場所(places)を固定するだろう。(MM, IV, 342/232)

リズムの差異によって、様々な持続が区別される。人間的な意識の持続以外に、諸動物の、さらには生物一般の諸持続があるのでなければならない。1922年、アインシュタインの相対性理論との対決を通じて持続の本性に関する最も深い探究が行なわれた『持続と同時性』において、ベルクソンは次のようなテーゼを述べている。

外的事物が、それ自身は持続しないのに、われわれに働きかけるかぎりわれわれの持続の中に現れ、かくてわれわれの意識的生の流れに拍子を刻んだり標尺を立てたりするというこれらの事物が持っている特性に由来しているのかもしれない。この周囲が「持続する」と仮定すると、われわれが周囲を変化させるときわれわれが同一の持続を見出すことを厳密に証明するものは何もない。種々のリズムをもった持続と言いたいのだが、様々の持続が共存しうるであろう。われわれはかつて種々の生物に関してこの種の仮説を立てた。われわれは、動物界を通して順次並べられた、意識の種々の段階をあらわす高低の緊張の度合いをもった持続を区別した。(Durée et simultanéité, III, in Mélanges, PUF, 1972, 99-100)

持続のリズムは、生物の「生命の拍動」(pulsation de vie)のつまり生のはずみエラン・ヴィタルの様々な度合いを測る。このはずみの力=帝国(empire)はどこまで広がるのだろうか。宇宙の果てまで、とベルクソンは答えることになるだろう。

さて、緊張の差異化として、リズムは持続の本質を明らかにする。この概念創造が同時にまた、計測に関する未聞の意味の創出でもあることに、ベルクソンは意識的であるように思われる。

われわれの表象の中で思い描かれた感性的諸性質と、計算可能な変化として扱われた同じ諸性質とのあいだには、持続のリズムの差異、内的緊張の差異しか存在しない。このようにわれわれは、伸張〔外的緊張〕(extension)の観念によって、非延長と延長との対立を解消しようと努めたように、今度は緊張(tension)の観念によって、質と量との対立を解消しようと努めた。伸張〔外的緊張〕と緊張は、多様ではあるが、あくまで常に決まった諸段階を許容する。(Résumé et conclusion, 376/278-279)

かくして、緊張と伸張〔外的緊張〕という差動装置(différentiel)的な対概念とともに、ベルクソンは「計測」の観念を再導入している。だが、ここで問題となっているのはもはや、量的計測でないのは当然として、質的計測でさえもなく、質と量、数的なものと数的でないものの区別がそこに由来する基礎そのものを構成するような、差動的な計測なのである。この基礎の上で捉えられると、質的多様性は必ずしも数的でないわけではなく、「潜在的に数的」(virtuellement numérique)であり、「潜勢態における数」(nombre en puissance)であることが明らかになる。量的な多様性である無機的なものに関して言えば、それもまた、自分なりのリズムを持っている。

私は、無機的世界というものは、見えるかつ予見される様々な変化に帰する無限に速い繰り返し、もしくは繰り返しのようなものの系列だと言いたい。〔……〕あの繰り返しは、意識的な存在の生命にリズムを与えて(rythment)、その持続を測っている(mesurent)。(PM, III, 1332/101)

持続のリズムの領野が、こうして緊張的差異化のプロセスによって、最終的には宇宙全体まで広がるものであることを確認してきた。それはつまり、もし持続に関する理解を深めたいと思えば、多様性の問い、分割可能性の問い、一言で言えば数の問いを取り上げねばならないということである。持続ないし質的多様性の本性について考えることは、必然的に数の本質について考えることへと私たちを導いていく。計測可能なものや数的なものを是が非でも否定することが重要なのではなく、それらの概念の根底的ラディカルな批判を敢行することで、それらをその基盤そのものの上で捉えなおそうと努めることが重要なのである。そしてこれこそ、緊張/伸張〔外的緊張〕という概念対が狙っているところにほかならない。

 ところで、一切の具体的な知覚は、どれほど短時間のものと想定されようと、すでにして、相継ぐ無数の「純粋知覚」の記憶による綜合(synthèse)であるとすれば、感覚的諸性質の異質性は、われわれの記憶におけるそれらの収縮に由来し、客観的な諸変化の相対的な等質性は、それら本来の弛緩に由来すると考えてはならないだろうか。その場合、量と質との隔たりは、緊張(tension)なるものの考察によって小さくされうるのではないだろうか。延長と非延長との隔たりが、伸張〔外的緊張〕(extension)なるものの考察によって小さくされたように。(MM, IV, 319/203)

したがって、ここ、『物質と記憶』最終章においてもまた、カントとの対決が企てられていることは見紛いようもない。

われわれの内的生が無際限で空虚な時間から切り離されてふたたび純粋持続と化すことができるのと同様に、拡張への傾向を伴う雑然たる集塊は、それが当てはめられる等質な空間――それを介してわれわれは集塊を細分化するとされている――の手前、カントが語ったあの「現象の多様性」の中で捉えられるのかどうかを知ること、これが問題である。(MM, IV, 323/208)

ここでさらに強調しておくべきは、ベルクソンがこの対決を乗り越えるべく、カントのそれとは異なる、もう一つの図式論(schématisme)を創出しようとしていたかのようにすべてが進行していくということである。「そもそも、空間は結局のところ、無際限な分割可能性の図式にすぎないのだ」(MM, IV, 341/232)。
 
 
 
 


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[第13回初出:2014年5月31日]
【編集部より】本連載の第29回までは、2013年4月15日から2015年12月28日にわたり、勁草書房サイトに掲載されていたものを移行いたしました。未読の方は、ぜひ第1回からお読みください。第30回からは編集部サイトでの掲載が初出になります。*注は省略してあります。

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藤田尚志

About The Author

ふじた・ひさし  九州産業大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D. 専門はフランス近現代思想。共著に、久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版会)、金森修編『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、西山雄二編『人文学と制度』(未來社)、共訳に、ゴーシェ『民主主義と宗教』(トランスビュー)など。