連載・読み物 ベルクソン 反時代的哲学

『ベルクソン 反時代的哲学』23

1月 06日, 2016 藤田尚志

ベルクソンの提起する「可塑的な溝」(canaux élastiques)という準概念は、知性と物質性のこの両義性に関する問いを解く鍵を与えてくれるのではないだろうか。

このように見てくると偶然が進化の中で受け持つ役割は大きい。さまざまな形態がきわめてしばしば偶然に採用される、というよりはむしろ発明される。二つのことが必然に行われるにすぎぬ。(1)エネルギーが徐々に蓄積される。(2)そのエネルギーを可塑的な溝(canalisation élastique)に入れてさまざまに変わる不定な諸方向に流し、その出口で自由な行為を行なわせる。(EC, III, 255-256)

生命が集中し限定されて本来の意味の有機体に、すなわちくっきりとした身体になる。この有機的身体は、すでに出来上がりながら、なおも可塑的な溝(canaux une fois faits, encore qu’élastiques)をエネルギーの流れにつける。(EC, III, 257)

ここで今一度、「道具はそれの製作者の性質に逆に働きかける」という点を強調しておこう。物質の柔軟性は、産業が観念や感情の創造性に関与することを許してはいまいか。それは知性の柔軟性、すなわち直観への逆転可能性、転換可能性と相即の事態ではあるまいか。この地点でこそ、私たちが本発表の表題とした「生物の丹精=産業industrie de l’être vivant」という表現はその本来の広大な射程を与え返されることになる。すなわち、まず第一に、生命の大いなる息吹によって有機体としての生物が産出される。第二に、生物自身が本能や知性といった手段を用いて己の生存を確実にする。そして第三に、知性や産業という手段はもろ刃の剣であり、最大の成功と最大の危険を具現するものである。フランス語におけるindustriel(産業的)とindustrieux(巧みな)の区別と、英語におけるindustrial(産業的)とindustrious(勤勉な)の区別は重ならない。『創造的進化』のみならず、ベルクソン哲学全体の鍵概念である「努力」は、まさにindustrieuxとindustrious、巧みさ(habileté)と勤勉さ(assiduité)、生命と物質の中間に位置する「丹精=産業」そのものではないだろうか。

§72. 来たるべき生気論

『創造的進化』はオプティミストにすぎるのだろうか? リュイエは、「ベルクソンの真の哲学的不幸は、とても悪い時代に生まれてしまったことだ」と言い切っている。十九世紀末、人々は機械論的かつ決定論的な科学の人為的性格に気づいてはいたが、科学の外に真理を探る以外に解決法を持たなかったのだ、と。この見方からすれば、ベルクソンは失敗した科学者、せいぜいのところあまり出来のよくなかったエピステモローグ、ということになるだろう。だが、ベルクソンは哲学者であった。彼は、哲学的な概念を提出しようとしたのであって、『創造的進化』にあって、それは目的論と生気論の刷新を意味した。『創造的進化』とは〈意味=方向sens〉の新たな論理の探究であり、方向づけ得ぬものを方向づけるマイナーな論理の探究にほかならない。それは一方で開かれた目的論の形をとり、他方で(非)有機的生気論の形をとる。本章では、この生気論の四つの根本特徴を素描しようと試みたのであった。簡潔に振り返っておこう。

第一に、(非)有機的生気論は、触れるものすべてを黄金に変えるミダス王のように、知性であれ本能であれあらゆる手段を駆使して、触れるものすべてを道具にしてどこまでも延長していこうと傾向をもつ。第二に、生命の本質を意識性と運動性とに見るこの生気論は、とりわけ知性・科学と産業を切り離すどころかむしろ密接な関連の下に置く。第三に、この生気論は人間を「存在理由」とするとしても、それは人間のうちの最大規模の意識性と運動性を評価してのことにすぎない。生命のために知性と本能を駆使する道具主義であり、人間はその道具・器官/機関にすぎないのである。そして第四に、『二源泉』にまで延長されるこの生気論は、知性と産業の方向にその最もダイナミックな(そして同時に最も危険な)可能性を見る。最大の可能性と最大の危険性という両義性は、生命の跳躍を可能にする物質という「踏切板」の可塑性に由来するのではないか。

最後に、物質を媒介とした生命の飛躍は、空間を媒介とした知性の飛躍でもあるとともに、結局は知性を用いて知性の悪循環を破るしかない以上、知性による知性の超出にもなりうる可能性を秘めている、「知的な生物は自分を超えるゆえんのものを自分の中に蔵しているのである(Un être intelligent porte en lui de quoi se dépasser lui-même.)」(EC, II, 152)という点を強調して本章を締めくくることにしよう。

とにかく思考は飛躍しなければならない。すなわち自分の環境から外に出なければならぬ。理性は自分の能力について推理を重ねても、決して能力を拡張するところまではゆけないであろう。拡張もうまくいった後でなら全然非理性的に見えないとしても、である。歩行というテーマを幾千通りに変奏してみたところで、そこからは泳ぎの規則のひとつも引き出せはしない。水に入ることだ。(……)水泳のからくりは歩行のからくりの延長であるが、歩行からでは水泳まで連れて行ってもらえないであろう。(……)事態を揺り動かさねばならない。そうして意志行為によって知性をその居所からつつき出さねばならない。(EC, III, 194-195)

知性的存在である人間による自己超克の行為こそが「直観」と呼ばれる。ベルクソン哲学が決して非合理主義でないゆえんである。『創造的進化』における「哲学」の定義としては、「哲学とはどうみても全体の中にあらためて溶け込もうとする努力にほかならない」(EC, III, 193)という一節が有名であるが、その直後に続く言葉が忘れられすぎている。「知性は自分の原理へ没入しながら自分の発生を逆向きに生き直すであろう(L’intelligence, se résorbant dans son principe, revivra à rebours sa propre genèse.)。(……)いつかは私たちの中に人間性を拡大し(dilater en nous l’humanité)、その結果は人間性が人間性を超越する(elle se transcende elle-même)に至ることであろう」(id.)。これらの文章が「辿るべき方法」(Méthode à suivre)と題された節で述べられていることからも分かる通り、そして、先に(§52において)ジャン=ルイ・クレチアンのdilatationに関する指摘を引用しつつ強調しておいたように、これはベルクソンの哲学的方法そのものである。

ベルクソンは「来るべき科学」について、時に預言者めいた言葉を吐くことがある。「生気論的な生物学、つまり、生命体の感知できる形の背後にあって、その形によって表されている、内部の、目に見えない力を探求する生物学」、生気論的な医学、さらには生気論的な心理学について彼はこう語っていた。

生気論は、今は不毛ですが、いつまでも不毛ということはないでしょう。また、近代科学が最初に反対の方向から問題を捉えていたならば、生気論は不毛ではなかったでしょう。この生気論的な生物学と同じときに、生命力の不十分なところを直接に治すような医学が始まったことでしょう。それは、結果ではなく原因を、周辺ではなく中心を目標とするような医学だったでしょう。暗示による治療、あるいはもっと一般的には精神に対しての精神の影響力による治療が、我々には推測できない形と重要性を得たことでしょう。そのようにして、精神活動についての科学が基礎づけられ、発達したでしょう。(ES, III, 81)

この主張を我が国で受け継いだのが、1948年に日本初のフランス哲学講座を大阪大学に開いた澤瀉久敬おもだかひさゆき(1904-1995)ではなかっただろうか? ベルクソン哲学の熱心な普及者であった澤瀉は、持続概念に基づき医学における生の哲学を日本というまったく土壌の異なる土地で展開しようとしたのではなかったか。科学技術、なかでも生命科学技術が飛躍的な発展を遂げた現代の日本において、ベルクソンの(非)有機的生気論、ベルクソン的器官=機関学はどのような撒種の運命を辿るのだろうか?
 
 


【バックナンバー】
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[第23回初出:2015年3月31日]
【編集部より】本連載の第29回までは、2013年4月15日から2015年12月28日にわたり、勁草書房サイトに掲載されていたものを移行いたしました。未読の方は、ぜひ第1回からお読みください。第30回からは編集部サイトでの掲載が初出になります。*注は省略してあります。

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藤田尚志

About The Author

ふじた・ひさし  九州産業大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D. 専門はフランス近現代思想。共著に、久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版会)、金森修編『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、西山雄二編『人文学と制度』(未來社)、共訳に、ゴーシェ『民主主義と宗教』(トランスビュー)など。