A. P. ダントレーヴは1902年、ヘクトール・パセリン・ダントレーヴ伯爵の四男として、スイス、フランスとの国境に近いピエモンテ州のアオスタに生まれた。トリノ大学で法学を修めた後、ロックフェラー財団の支援を得てオクスフォードのベルリオール・コレッジで学んだ。彼がオクスフォードで研究対象としたのは、神学者リチャード・フッカーである。1929年、イタリアに帰ったダントレーヴはトリノ大学の講師となり、メッシーナ、パヴィアでの教歴を経て、1938年にはトリノ大学教授となる。しかし、彼は教職を退き、故郷に帰ってレジスタンス運動に身を投じた。解放後の短期間、彼はアオスタの市長を務めている。……
2019年11月に刊行された『憲法判例百選〔第7版〕』は、宗教上の教義に関する紛争が問題とされた二つの事件を収録している。184事件と185事件である。
184事件でとり上げられた最高裁判決(最判昭和56・4・7民集35巻3号443頁)は、具体的権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとる訴訟であっても、その訴訟を解決するために、宗教上の教義に関する判断をすることが必要不可欠である場合には、その訴訟は法令の適用による終局的な解決が不可能であり、したがって、裁判所法3条にいう法律上の争訟にあたらないとする。つまり、訴えは却下される。……