これから検討する『ガッチャマン クラウズ』は、事前には予測できなかったまったく新しい事態が生まれる瞬間をクライマックスにもつ物語だと考えます。その新しい事態が、人は変わり得る、社会は変わり得るという可能性を、少なくとも一瞬は垣間見せていると思います。そしてそれは、「ガンダム」における可能性の象徴であるサイコフレームの発光よりは具体的であり、技術的、現実的なレベルでも一定のリアリティをもつものだと思われます。
後編は過去の裁判例の流れを踏まえ、最高裁決定以降どのような場合について「忘れられる権利」が認められるか/認められるべきかについて詳説します。[編集部]