あとがきたちよみ
『社会的ジレンマ――ゲーム理論・計算社会科学・因果推論からの解明』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2026/10/2

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
大林真也 著
『社会的ジレンマ ゲーム理論・計算社会科学・因果推論からの解明』

→〈「まえがき」「第8章 協力はいかに成立するのか」(pdfファイルへのリンク)〉
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まえがき
 
 現代社会において、なぜ人々は助け合うことができるのか。本書はこの問いを扱っていく。こう聞いて、「困った人を助けるのは当たり前じゃないのか」と思った読者も多いのではないか。では、次のような例を考えてみてほしい。
 あなたの親しい友人が引っ越しを手伝ってほしいと言ってきたら、多少面倒でも手を貸すだろう。この先も付き合いは続くし、いつか自分が困ったときには助けてもらえる。では、二度と会わないとわかっている旅先の他人ではどうか。あるいは、かつて自分を裏切って、もう関わりたくない相手ではどうか。─同じ「助ける」でも、相手が誰かによって、私たちの手の動きは驚くほど変わる。
 ここからわかるのは、助け合いが「する/しない」だけの問題ではないということだ。それは「どんなときに起きやすく、どんなときに起きにくいか」の問題でもある。そして、その起きやすさを左右しているのは、多くの場合、その人が優しいかどうかではない。相手とどんな関係にあるか、この先も付き合いが続くのか、まわりが見ているのか─いわば、その人が置かれた社会的な状況である。「助けるのは当たり前」という感覚は、実は、そうした条件がうまく揃った場面ばかりを思い浮かべているにすぎない。
 やっかいなのは、この条件が、しばしば助け合いを裏切る方向に働くことだ。一人ひとりが自分にとって得な選択をするだけで、気づけば誰も手を貸さなくなり、みんなが必要としていたはずのものが失われていく。共有の資源が枯れ、公共の設備が荒れ、助け合いの輪がほどけていく。誰も悪意を持っていないのに、全員にとって望ましくない結果が生まれてしまう。こうした状況を、社会科学では「社会的ジレンマ」と呼ぶ。理屈のうえでは、助け合いは壊れてしまうほうが自然なのである。
 それでも、現実の社会を見渡せば、助け合いはそこかしこで成り立っている。見ず知らずの人が列に並び、被災地には支援が集まり、顔も知らない相手のために誰かが資源を分け合っている。しかも、人々の出入りが激しく、相手の顔も見えない現代の─とりわけオンラインの─社会においてすら、それは失われていない。壊れてしまうはずの助け合いが、なぜ、どのようにして続いているのか。本書が追いかけるのは、この問いである。
 本書は、この問いに、三つの異なる道具を組み合わせて迫っていく。一つめはゲーム理論である。協力がなぜ難しいのか、その論理の骨格を、単純なモデルによって見通す。二つめは計算社会科学である。オンラインコミュニティに残された膨大な記録を分析することで、理論が描く構造が現実にどう立ち現れ、人々がそれをどのような意味を持つものとして経験しているのかを捉える。三つめは因果推論である。災害という偶然を手がかりに、「助けられた経験が、次の助け合いを生む」という因果の関係を、統計的に取り出す。抽象的なモデルと、現実の大規模なデータと、因果を見抜く方法。この三つが噛み合ってはじめて見えてくる協力の姿を、描き出したい。
 そして本書がとりわけ大切にするのは、人々が状況に与える「意味づけ」である。同じ資源を分け合う行為も、それを「みんなのための寄付」と見るか、「困ったときはお互い様の助け合い」と見るか、「いずれ自分が使うための蓄え」と見るかによって、望ましい振る舞いも、正しいとされるルールも変わってくる。協力を、損得の計算だけの問題として捉えるのでも、規範や気持ちだけの問題として捉えるのでもなく、その両方が結びつくところに協力が生まれる─本書が繰り返し示していくのは、このことである。
 本書の構成は、次のようになっている。第1章と第2章では、社会的ジレンマとは何か、そしてなぜ協力が難しいのかを、ゲーム理論を手がかりに整理する。ここで、繰り返しの関係や、評判、社会規範といった、協力を支える基本的な仕組みを確認する。第3章と第4章では、労働組合という具体的な現場に分け入り、人の出入りが激しい流動的な関係の中で、どのように助け合いが成り立っているのかを見ていく。第5章と第6章では、携帯電話サービスのオンラインコミュニティを舞台に、人々がその場をどう意味づけ、その意味づけがどのようにルールや制度を形づくっていくのかを分析する。第7章では、災害時の支援を題材に、助けられた経験が次の助け合いへと連鎖していくのかを、因果推論の手法を用いて確かめる。そして第8章で、これらの議論を束ね直し、現代社会において協力がいかにして成り立つのかを、あらためて考える。
 理屈のうえでは壊れてしまうはずの協力を、それでも私たちはどうにか成り立たせている。その「どうにか」の中身を、できるだけ具体的に、そして少しでも見通しよく描くことができれば、本書の目的は果たされたことになる。
 
 このように、本書が扱う対象も方法も多岐にわたる。それでも、これらの研究は一つの共通したテーマのもとにある。現代社会のような流動的な社会関係の中で、なぜ人々は助け合うことができるのか、という問いである。対象も方法もこれほど幅を持つことになったのには、二つの理由がある。一つは、本書が長期にわたる研究の成果をまとめたものであること。もう一つは、私が分野の垣根を越えた融合的な研究を志向してきたことである。
 第3章と第4章のもとになった労働組合の研究は、もともと私が卒業論文のテーマとして始めたものだ。当時、非正規雇用者による労働運動が盛んになりつつあり、それを対象として研究を始めた。しかし、そこから紆余曲折を経て、修士課程、博士課程、そしてポスドクの時期に至るまで、この研究はいつしか協力行動の研究へと姿を変え、10年近く続くことになった。他方、第5章・第6章・第7章のもとになったオンライン公共財の研究は、現職に就いてからの6、7年ほど続けているものである。本書は、この15年から20年あまりにわたる研究の成果を、一つにまとめたものだ。
 学部時代、私は数土直紀先生の数理社会学や、神取道宏先生のゲーム理論を履修し、人の行動を数理的に読み解く手法を学んだ。そこで得た視点から、労働組合の運動を抽象的な「協力行動」という観点で捉え直すようになったことが、本書へとつながる出発点だった。
 そして近年、IoTの普及や計算技術の発展によって、膨大なデータ─ビッグデータ─を分析することが、以前よりずっと容易になった。これにともなって、計算社会科学という新たな融合領域が急速に発展している。人々の助け合いという、かつては捉えにくかった相互行為を、大規模なデータから実証的に分析できるようになったのである。本書の後半で展開するオンラインコミュニティの研究は、まさにこの新しい方法によって可能になったものだ。
 現代社会における助け合いという現象を、分野の枠にとらわれず、さまざまな角度から見ていくこと。それが、本書のもう一つの目的である。本書では、ゲーム理論や計算社会科学といった、数学を用いる、一見「理系」的にも見える分野にも足を踏み入れる。しかし、いわゆる文系の読者にもその面白さと重要性が伝わるよう、専門的な数式はできるだけ避け、読み進めれば理解できるように心がけたつもりである。分野を越えて協力しあう研究の意義を、本書から感じ取っていただければ幸いである。
 したがって、本書は特定の専門家だけに向けて書かれたものではない。分野を融合させるという性格上、それぞれの分野に馴染みのない人にも読めるよう、できるだけ平易な言葉で説明することを心がけた。ゲーム理論や計算社会科学に予備知識がなくても、読み進めれば理解できるように書いたつもりである。想定しているのは、社会科学に関心のある大学生─独学で、あるいはゼミの輪読で本書を手に取る文系の学生─から、社会の中の協力や助け合いという現象に興味を持つ一般の読者まで、幅広い方々である。いわゆる専門書として身構えることなく、気楽に読み始めていただければと思う。逆に、専門家からすると物足りないかもしれないが、後に示す原論文やキーワドを辿って専門書を読み進めていただければと思う。
 
 本書の多くは、すでに発表した論文をもとに構成されている。それにもかかわらず、一冊にまとめるまでには、思いのほか長い時間を費やしてしまった。理由の一つは、本書と似たテーマの優れた書物が、先に世に出ていたことである。海野道郎『社会的ジレンマ』(2021)と、盛山和夫『協力の条件』(2021)だ。社会的ジレンマや協力行動を正面から論じたこれらの著作を前にして、自分はいったい何を書けばよいのか、私はしばらく悩むことになった。その末にたどり着いたのが、私自身の持ち味である分野融合的なアプローチと、近年めざましく発展している計算社会科学を、正面に据えることだった。
 もっとも、異なる分野を結びつける試みは、まだ道半ばである。本書でも、分野と分野の接続の仕方には、荒削りなところが残っている。そこは今後、より丁寧に洗練させていかなければならない。それでも、性質の異なる複数の分野の間に共通の土台があり、それらを融合させうるという可能性を示せたことには、意味があったと考えている。この可能性を、これからさらに育てていきたい。
 なお、本書の各章は、これまでに次の論文として発表してきたものである。関心を持たれた方は、元の論文もあわせて参照していただきたい。
 
第3章
大林真也、2013,「流動的集団における助け合いのメカニズム:経験的研究と数理的研究によるアプローチ」『社会学評論』64(2): 240-56.
第4章
Kandori Michihiro and Obayashi Shinya, 2014, “Labor Union Members Play an OLG Repeated Game,” Proceedings of the National Academy of Sciences, 111(supplement3): 10802-9.
大林真也、2015,「集団評判効果を通じた協力的制度の発生:東京管理職ユニオンの事例から」『理論と方法』30(1): 51-68.
大林真也、2015,「集団の拡大による集合財の自発的供給:集団評判効果の導入」『理論と方法』30(1): 85-100.
Obayashi Shinya, 2018, “Self-organizing Collective Action: Group Dynamics by Collective Reputation,” The Journal of Mathematical Sociology, 42(4): 205-21.
第5章
大林真也・稲葉美里・大平哲史・清成透子、2022,「人々は現実の社会的ジレンマ状況をどのように解釈しているか:テキストマイニングによるフレームの探索的分析」『理論と方法』37(2): 156-69.
第7章
Obayashi Shinya, Inaba Misato, Ohdaira Tetsushi and Kiyonari Toko, 2023, “It’s My Turn: Empirical Evidence of Upstream Indirect Reciprocity in Society through a Quasi-experimental Approach,” Journal of Computational Social Science, 6(2): 1055-79.
 
 これら以外にも、数多くの学会発表を行い、そのたびに多くの先生方から有益なコメントをいただいてきた。社会学だけでなく、心理学や経済学、情報科学の学会に参加した際、分野の違う私に優しく異なる角度から有益なコメントをくださった方々はとても印象に残っている。すべての方にこの場でお礼を申し上げることはかなわないが、一部の方のお名前を挙げさせていただきたい。
 学部の頃から研究を見守ってくださった盛山和夫先生、白波瀬佐和子先生。修士から指導してくださり、今なおコメントをくださる佐藤嘉倫先生、浜田宏先生、木村邦博先生。とりわけ木村先生には、本書の最終段階で非常に有益なご助言をいただき、理論を大きく洗練させることができた。院生時代からともに学び、研究を重ねてきた瀧川裕貴さん、毛塚和宏さん、稲垣佑典さん、そして誰よりも近くで私にゲーム理論を教えてくださった吉良洋輔さん─早くに世を去られてしまったことは残念でならない─にも、深く感謝を申し上げたい。共同研究へと誘ってくださり、世界水準の研究を間近で見せてくださった神取道宏先生、フリータンクの存在を教えてくださって研究にお誘いくださった清成透子先生、稲葉美里さん、大平哲史さんにも、心よりお礼を申し上げる。
 研究に理解をしてくださり、調査にご協力くださった労働組合の方々、研究用のデータをご提供くださったOPTAGE Inc.の方々、そして執筆中の原稿を輪読し、率直なコメントを寄せてくれたゼミ生の皆さんにも感謝したい。
 既発表論文を元にしているにもかかわらず、初めての単著ということもあり、原稿がなかなか書けず、くじけそうになっていた私を、辛抱強く温かく見守ってくださった勁草書房の編集者・宮本詳三さんにも、お礼を申し上げたい。
 そして最後に、執筆にかかりきりで、帰宅しても夜も休日も仕事をしてばかりだった私を、そばで支えてくれた妻の久美子と娘の莉帆に、心からの感謝を捧げたい。
 本書のもとになった一連の研究は、日本学術振興会特別研究員奨励費(12J06997・15J11199)、および日本学術振興会科学研究費助成事業(25380224・16K04027・17K18583・19K13888・20H01563)の助成を受けて行われた。また、東北大学国際高等研究教育機構、および青山学院大学総合研究ユニットからも、研究遂行にあたって支援をいただいた。記して感謝申し上げる。
 本書に連なる一連の研究は、私のこれまでの研究人生の多くの時間を占めるものだった。振り返れば、実に多くの方々の助けを借りて、ここまでやってくることができた。助け合いを主題とする本書が、まさに多くの人々の助け合いによって成り立っている─そのことを、いま深く噛みしめている。
 
2026年7月
大林真也
 


 
第8章 協力はいかに成立するのか
 
 ここで、本書で得られた知見を整理しておこう。本書は、現代社会にひそむ構造的な罠の問題から出発し、ゲーム理論、計算社会科学、因果推論へと議論を展開してきた。扱った事例も、労働組合、オンライン公共財、災害時の支援など多岐にわたる。その過程で、直接互恵性、評判、社会規範、フレーミング、一般化された互恵性など、人々の協力を支えるさまざまな概念を見てきた。
 一見すると、事例も方法も概念もばらばらに見えるかもしれない。しかし、それらはいずれも同じ問いに向けられていた。すなわち、個人にとって非協力が合理的に見える状況で、なぜ人々は協力し、どのようにして協力を維持しているのか、という問いである。本章では、この問いに立ち返り、本書全体の議論を整理していく。
 
1 社会的ジレンマ問題
 本書は、社会的ジレンマという問題から出発した。社会的ジレンマとは、個人にとって合理的な行動が、集合的には望ましくない結果を生み出してしまう状況である。環境問題、労働組合、公共財、オンラインコミュニティなど、本書で扱ってきたさまざまな事例も、この構造を共有していた。
 社会的ジレンマが難しいのは、人々が単に「悪意」を持っているからではない。むしろ、それぞれの人にとって合理的に見える行動の積み重ねが、結果として協力の崩壊を生み出してしまう点にある。その意味で、社会的ジレンマは、個人の性格や道徳心だけでは説明できない、社会構造の問題でもある。
 第1章・第2章では、社会的ジレンマとは何かを、ゲーム理論を手がかりに整理した。そこでは、個人にとって合理的な非協力が、集合的には望ましくない結果を生み出すという基本構造を確認した。そのうえで、繰り返し相互作用や応報性、社会関係の存在が、協力を支える重要な条件になりうることを見た。
 しかし、本書を通じて見えてきたのは、現実の協力は、そのような単純な利得構造だけでは説明しきれないということであった。人々は、評判、規範、意味づけ、助けられた経験、コミュニティへの帰属意識など、多様な社会的要因を通じて協力を維持していた。
 その意味で、本書が主に焦点を当ててきたのは、個人の心理そのものというより、個人の行為を方向づける社会的関係や意味世界であった。人々は孤立した個人として協力しているのではなく、他者との関係や共有された期待の中で協力しているのである。
 これは、第1章で触れたミクロ・マクロリンクの問題とも関わっている。本書で扱ってきた協力や社会規範、意味づけは、個人の行為によって支えられながらも、その個人行為を再び方向づける社会的環境として作用していた。つまり本書で見てきたのは、個人間の相互作用を通じて協力や規範が形成され、それが再び人々の協力を支えていくという、ミクロとマクロの循環的な関係だったのである。
 以下では、そのような協力を支える複数のメカニズムを改めて整理していこう。
 
2 協力を支える複数のメカニズム
 では、現代社会において、協力はどのような仕組みによって支えられているのだろうか。第2章で見たように、繰り返し相互作用や応報性は、協力を維持する重要な条件である。しかし本書で扱ってきた事例は、顔の見える閉じた共同体だけではなかった。労働組合、オンライン公共財、災害時の支援のように、人々の出入りがあり、相手が必ずしも固定されず、関係が流動的な場面も多く含まれていた。
 そのような状況では、単に「同じ相手と繰り返し出会うから協力する」という説明だけでは不十分である。本書を通じて見えてきたのは、現代の流動的な社会においても、協力は単一のメカニズムではなく、複数の仕組みが重なり合うことで支えられているということである。
 まず重要なのは、直接互恵性である。第2章で見たように、人々が継続的な関係の中に置かれている場合、「裏切れば次は協力してもらえない」という予期が働く。その結果、短期的には非協力が合理的に見える状況でも、長期的には協力が合理的な選択になりうる。実際、本書で扱った事例でも、長期的な関係性や継続的なやりとりは重要な役割を果たしていた。
 しかし、本書で扱った協力は、それだけでは説明できない。第4章で見たように、協力は評判や社会的評価によっても支えられていた。人々は、単に目の前の相手との交換関係だけでなく、「他者からどう見られているか」を意識して行動していたのである。これは、第三者からの評価を媒介として協力が維持されるという意味で、下流型間接互恵性として理解することができる。
 他方、第7章で見たように、協力は「助けられた経験」そのものによっても支えられていた。フリータンクでは、自分が過去に助けられた経験や、「困ったときはお互い様」という認識が、次の協力を促していた。また、災害時の支援においても、受けた支援が別の他者への支援へと連鎖していく現象が観察された。これは、特定の相手への直接的な返礼ではなく、コミュニティ全体の中で助け合いが循環していく一般化された互恵性、あるいは上流型間接互恵性として理解することができる。
 さらに、こうした協力は、単なる利得計算だけで成立していたわけではない。第5章・第6章で見たように、その場を「助け合いの場」としてどう意味づけるかということ自体も、人々の行動を方向づけていた。この点については、節を改めて詳しく検討する。このように、本書で扱ってきた事例では、協力は単一のメカニズムによって成立していたわけではない。繰り返し相互作用、評判、一般化された互恵性、意味づけ、社会規範といった複数の要素が相互に重なり合うことで、はじめて協力が維持されていたのである。とりわけ重要なのは、それらが、閉じた共同体だけでなく、人々の出入りがあり、匿名性や流動性を伴う現代的な場面においても機能していたという点である。
 
3 意味づけとルール
 本書でもう一つ重要だったのは、協力が、既存のルールや利得構造の上で行われるだけでなく、「その場をどのように理解するのか」という意味づけそのものによって支えられていた、という点である。第5章・第6章では、人々がフリータンクを「助け合いの場」「お互い様の仕組み」として語ることで、協力への期待や望ましい行動のあり方が形づくられていくさまを見た。
 この意味づけは、単なる言葉遣いやイメージの問題ではなかった。第2章で見たゲーム理論のモデルでは、利得構造は所与のものとして与えられることが多い。しかし現実の社会では、人々が状況をどう理解するかによって、同じ行為の意味も、そこで期待される振る舞いも変わってくる。同じ「パケットを入れる」という行為であっても、それを「寄付」と理解するのか、「お互い様」と理解するのか、「自分の貯金」と理解するのかによって、望ましいとされる行動も、正当とされるルールも異なってくる。意味づけは、ゲームの外側にある飾りではなく、ゲームそのもののあり方に関わっていたのである。
 では、意味づけは、具体的にどのような経路でゲームを変えるのだろうか。本書の事例からは、大きく3つの経路が見えてくる。第一に、意味づけは、客観的な利得構造そのものを作り変えるルールを生み出す。第6章で見たように、フリータンクが「助け合いの場」として理解されることで、入れずに引き出し続ける行為は、単なる権利の行使ではなく、趣旨に反するただ乗りとして問題化された。そしてその理解を前提として、引き出し制限という規制的ルールが正当化され、実装された。引き出し制限は、非協力から得られる利得の上限を制度的に抑える。つまり、意味づけの共有は、協力を支える客観的な利得構造の再編と結びついていた。第二に、意味づけは、行為の主観的な価値を変える。会員たちは、パケットを入れることを単なる損失ではなく、「誰かの役に立つ」「助け合いに参加する」という意味を持つ行為として経験していた。第5章で見たウォームグロー─他者を助けるという行為そのものから満足を得ること─がここに関わっている。第6章で、自動化への反対意見が示していたのも、この点であった。効率だけを考えれば自動投入が最も合理的であるにもかかわらず、それが「自分から助ける」という行為の実感を奪うがゆえに反発を招いた。協力に伴うコストは、こうした心理的・道徳的な報酬によって部分的に埋め合わされていたのである。第三に、意味づけは、他者への期待を調整する。協力が成り立つには、自分が協力すれば相手も協力するだろうという予期が要る。「困ったときはお互い様」という語りが共有されることは、「他の人も助け合いのルールを理解している」という期待を支える。第7章が明らかにしたのも、この経路に関わっている。被災して支援を受けた経験は、互恵性の規範意識やコミュニティへの帰属意識を高めていた。そこで働いていたのは、感謝や規範が合理的な計算に取って代わるということではない。むしろ、感謝や規範が「いずれ自分にも返ってくる」という期待を形づくることで、一時的にはコストを負担するだけの贈与を、合理的な選択たらしめていたのである。意味づけは、他者への期待を通じて、協力を合理的なものへと変えていく。
 これら3つの経路に共通しているのは、意味づけが、単なる主観的な認識にとどまらず、人々が互いにどう振る舞うかを方向づけていたという点である。ここで、意味づけには二つの異なる相があったことを確認しておきたい。一つは、相互行為のなかで柔軟に用いられ、時に自らの立場のために戦略的に持ち出される、流動的な相である。ゴフマンがフレームと呼んだのは、この相である。第5章で、会員がタンクアウトを正当化するために互恵的な言葉を用いていたのは、その例であった。もう一つは、その意味づけが「助け合いの場」という共有された理解として安定し、制度を基礎づける、固定的な相である。サールが構成的ルールと呼んだのは、この相にあたる。第6章で、「助け合い」という理解が引き出し制限という規制的ルールを支えていたのが、これである。同じ「助け合い」という意味づけが、相互行為のなかで流動的に用いられる相と、制度を支える安定した相の双方を持っていた。第5章と第6章は、この2つの相を、フリータンクという一つの対象において連続的に捉えたものだったといえる。
 このように、意味づけは固定されたものではなく、状況に応じて構築され、書き換えられていく。第6章で見たように、フリータンクはサービス開始当初には「善意による寄付」の場として語られることが多かったが、枯渇危機を通じて「お互い様」「皆で支える」という互恵的な理解が強まっていった。人々は、社会的ジレンマに直面する中で、状況をどう理解すべきかを再定義し、その理解に応じてルールや制度を作り変えていたのである。社会的ジレンマを理解するには、利得構造だけでなく、人々がその状況に与える意味に目を向ける必要がある。協力は、罰則やインセンティブを設計すれば自動的に生まれるものではなく、その場をどのような場として理解し、どのような関係を期待するかによって、大きく左右されるのである。
 
4 現代社会における協力
 ここで、本書がなぜ複数の方法を横断してきたのかを整理しておきたい。本書は、ゲーム理論、計算社会科学、そして因果推論という3つの方法を用いてきた。これらは、たまたま併用されたのではなく、社会的ジレンマという一つの現象を、異なる角度から捉えるために不可欠なものであった。
 第一に、ゲーム理論は、協力がなぜ難しいのかという問題の構造を明らかにする。個人にとって合理的な選択が集合的な失敗を生むという社会的ジレンマの基本形、繰り返しによる協力の可能性、罰の実行をめぐる二次のジレンマ─こうした論理の骨格は、状況を数理的なモデルへと抽象化することではじめて見通すことができた。ゲーム理論は、現実の複雑さを削ぎ落とし、協力と非協力を分かつ条件を厳密に取り出す道具である。
 しかし、そのモデルが描く構造が、現実の大規模で匿名的なコミュニティの中で実際にどのように現れ、人々がそれをどのような意味を持つものとして経験しているのかは、モデルだけではわからない。ここで力を発揮するのが、第二の方法、計算社会科学である。フリータンクの膨大な行動履歴やコメント、掲示板の議論といったビッグデータを分析することで、私たちは、理論が想定する協力や非協力が現実にどう立ち現れ、人々がそれを「助け合い」や「ただ乗り」としてどう意味づけ、その意味づけがどう移り変わっていくのかを、これまでにない解像度で捉えることができた。ゲーム理論が構造を、計算社会科学がその構造の現実における現れと意味を担う、という関係である。
 第三に、因果推論は、そうして観察された現象の中から、何が何を引き起こしているのかという因果を取り出す。現実の社会現象は、無数の要因が絡み合っており、相関を因果と取り違える危険が常につきまとう。第7章では、被災という外生的なショックを自然実験として用いることで、「助けられた経験そのものが、その後の恩送りを引き起こす」という因果関係を、交絡要因の影響を排して同定した。ビッグデータが現象を常時記録しているからこそ、そこに災害という偶然の処置が加わったとき、大規模な社会現象の因果を捉えることが可能になったのである。
 このように、ゲーム理論は協力の構造を、計算社会科学はその構造が現実に現れる姿と意味を、因果推論はそこに働く因果を明らかにする。3つの方法は、それぞれ単独では社会的ジレンマの一面しか照らせない。構造・意味・因果の3つが揃ってはじめて、現代社会における協力が、どのような条件のもとで、どのような意味づけを伴い、何によって駆動されているのかを、立体的に描くことができたのである。
 本書を通じて見てきたように、協力は、閉じた共同体の中だけで成立するものではない。現代社会では、人々は流動的な関係の中で生活しており、オンライン空間では匿名的な相手と相互作用することも多い。その意味では、現代社会は、古典的な共同体のような強固な社会関係を前提にしにくい社会であると言えるだろう。
 しかし、本書で扱ってきた事例は、そのような流動的な環境においても、人々がさまざまな形で協力を作り出していることを示していた。そこでは、繰り返し相互作用、評判、一般化された互恵性、意味づけ、社会規範など、多様なメカニズムが重なり合いながら協力を支えていたのである。とりわけ重要なのは、それらが単独で機能していたわけではなく、互いに補完し合っていた点である。
 たとえば、フリータンクでは、「助け合い」という意味づけが共有されることで、一般化された互恵性が維持されやすくなっていた。また、そうした規範や期待が存在することで、引き出し制限のようなルールも正当化されていた。他方、パケット交換所では、より限定された関係の中で直接互恵性が形成されていた。このように、協力は単に個人の善意だけによって成立しているのではなく、制度、規範、社会関係、意味づけといった複数の層によって支えられていたのである。
 この点は、現代社会における協力を考えるうえで重要な示唆を持っている。しばしば現代社会は、「つながりの希薄化」や「個人化」によって協力が難しくなっていると論じられる。しかし本書の事例が示しているのは、協力が単純に消滅しているわけではないということである。むしろ人々は、新しい技術やコミュニケーション手段を用いながら、新しい形の協力や互恵性を作り出している。
 もちろん、そのような協力は常に安定しているわけではない。第6章で見たように、フリータンクでは枯渇危機を通じて、フリーライダー問題や制度のあり方をめぐる対立が顕在化していた。また、第7章で見たように、恩送りや一般化された互恵性も、無条件に成立するわけではなく、一定の規範や経験によって支えられていた。つまり、協力は自然に維持されるものではなく、常に再構築され続けているのである。
 こうした協力の姿は、本書が2つの視点を組み合わせることではじめて見えてきたものである。一方に、協力を利得構造の問題として捉えるゲーム理論の視点があり、他方に、人々がその場をどのような場として理解しているのかという意味づけの視点がある。この2つは、しばしば対立するものとして語られてきた。合理的な計算か、それとも規範や意味か、という二者択一である。しかし本書が繰り返し見てきたのは、両者が対立するどころか、深く結びついているということであった。人々がある状況を「助け合いの場」として意味づけることは、そこで何が得になり何が損になるのかという利得構造そのものを作り変え、他者への期待を方向づけ、協力を合理的な選択へと変えていく。意味づけは合理性の外側にあるのではなく、合理性が働く土台を形づくっているのである。
 その意味で、本書で扱ってきたオンラインコミュニティは、現代社会における協力の縮図とも言えるだろう。そこでは、人々は単に合理的に利得を計算しているだけではなく、互いを観察し、意味づけを共有し、ときにはルールをめぐって対立しながら、協力を維持しようとしていた。協力とは、あらかじめ存在している固定的な秩序ではない。それは、人々が相互作用を通じて不断に作り上げていく社会的な実践なのである。
 
 
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