めいのレッスン 連載・読み物

めいのレッスン ~ルンバ・ストーカー

5月 13日, 2016 小沼純一

 
 
 

返事はちゃんとするのに、サイェはなかなかやってこない。ごはんだよ、と声をつよくしても、気のない返事がかえってくるばかり。もう30分以上、三つの部屋をルンバのあとについて歩いている。

ルンバは時間がかかる。一度通過していったとおもっても、またしばらくすると戻ってくる。なんだ、糸が落ちてるじゃないか、と吸い残しが気になっても、何度かまた行ったり来たりしているうちになくなっている。なかには最後まで残っているものもあるけれど、まあ、人じゃないんだし、とちょっとため息まじりにあきらめる。あきらめる、というより、どこか安心もしている。そんなとき、掃除用ロボットを人格化していることに気づいたりもし。

サイェが興味を持っていることは知っていた。話はずっとしていたのだったが、なかなかおばあちゃんのところで動かしてみる機会がなかった。きょうははじめての顔合わせ。始めた時間が夕方だったから、これは失敗したかなとおもったものの、もう遅い。夕飯だからとルンバも掃除をやめないし、サイェも追跡をやめない。どちらもちょっと頑固だ。

 

母に頼まれての購入だった。掃除機はね、腰にきつくて。休み休みやっていたけど、もう無理だから。

おれが掃除をしにくるからそんなのはいいよと言いつづけてきたけれど、もとから掃除が好きなわけでも得意なわけでもないし、できれば避けたい、しょうがなくしぶしぶ年末、大晦日あたりに重い腰をあげるという怠惰な息子など無視して、せめて気がついたときには自分でロボット掃除機の電源をいれられるようにとのおもいから、もしあんたが買ってこなかったら商店街のなじみの電器屋さんの、ほら、あんたと齢も変わらない、なんという名だったかしら、あの人に持ってきてもらうから、と購入の意志がかたかったので、それならばと量販店に足を運んだ。

 

デパートや量販店でときどき売られているのは知っていたし、デモンストレーションを眺めたこともある。赤ん坊や子犬が遊ぶようなエリアが用意され、ルンバが動いている。まっすぐ進んでいって端までくる、と、べつの方向に移動してゆく。動きがけっして単純ではない。予想できない。そこがおもしろい。

ひとつひとつのパーツを箱からビニール袋からとりだして、マニュアルと照らしあわせながら準備をしてゆくと、おもいのほか本体が大きく、そして重量感がある。自分が使うのだったらおそらくはろくにマニュアルも斜めに眺めて、あちこちさわりながらうまくいったりいかなかったりと試行錯誤するのだろうが、母に預けるいじょう、すべての文字は読むことをとりあえずはしておかなくてはならない。こっちがいないときに問題が起きたときは、電話で対応を乞われても大丈夫なように(たしかに、セットアップして帰宅した後、オレンジのランプが点灯している、だの、深夜になってもいつまでもグリーンのランプが消えないから落ち着かない、だの、何度も言ってきたものだった。これはまだ作動させる以前のはなしで、母みずからが作動させ、ルンバがうまく元のところに戻らない、とか、マットレスからでている紐に引っ掛かってしまった、とか、言ってくるのはもうすこしあとのはなしだ)。

 

サイェ、もう、勝手にやらせておけばいいよ。大丈夫、ルンバも慣れてるから。

いや、慣れているわけじゃない。機械だし。ただ、三つの部屋は障子や襖を閉じて、外にでられないようにしているし、座布団やマットレスは、紐がひっかからないように、籐椅子のうえに片づけている。だから勝手にやってもらえばいい。そうすれば、トラブルがないかぎり、ベースに戻ってチャージの状態になる。ただ、サイェを食卓によぶ口実、である。

 

掃除用「ロボット」の設計思想は、近年の住宅を基本にしているのだろう。マンションなど、扉を開けてはいったらあとはほぼフローリングでフラットな床がつづいて、途中で引っ掛かるがないような。そうしたつくりなら赤ん坊や老人も心配ない。「ロボット」も赤ん坊や老人とおなじとおもえばいい。

でも実家は古い。何度かリフォームはしていても、もともとは畳と板の間が障子や襖で仕切られ、あいだには廊下がはしっているようなつくりだ。ルンバからすれば、小さいけれど山あり谷ありかもしれない。

はじめ、こちらも心配だ。けっして安い買物ではないから、壊れないように注意する。思い掛けない方向に動いていって、天気のいい日の掃除日和とばかりにドアを開け放しておいたら、いつのまにかルンバが外にでてしまって、マンションの廊下をきれいにしていたというエピソードを聞いたことだってある。

 

何度かはおもしろ半分、実家に行くたびにルンバを動かしてはあとをついていった。滅多に掃除なんかしないのに、なにさ、あんたのおもちゃのつもりなの、との皮肉に、いやいや高価な買物をしたんだからこいつの習性をわかっておかないと、とか、壊れないようにいろんなものをよけておかないと、とか、口実はいくつかあった。実際、八畳から六畳へと襖のある敷居はスムーズにいくけれど、畳の間から廊下へは、障子のはしる敷居から一センチはいかないにしても四ミリから六ミリくらいの段差があるので、がくん、となる。あまり機械に衝撃はよくないから、とこの障子は閉めておく。廊下から玄関、廊下から裏の出入口は大きな段差があるので、あらかじめ気をつけておく。アクション映画や特撮映画を想いおこしながら、ここは阻止せねばとひとりごちつつ、そばにあるもので、ルンバが押し倒さない重量感があるものを咄嗟に配置する。裏だったらば野菜のはいっているダンボール、玄関はすこし幅が広いので、自分が足や手で阻む。小さなマットレスを巻いておいてみたらルンバの力がつよくて押しだしそうになったので、あわててこっちが先にでていき、押さえた、という次第(いや、いまの機種はセンサーがもっと過敏にはたらくようだが、わたしが入手した当時はまだそうした機能がなかった)。

 

食卓にいると、むこうの部屋でルンバが動いていても、ほとんど音は聞こえてこない。三つの部屋のうち、母の鏡台や箪笥がある部屋にくると、すこし高い、うなるような音が。

 

サイェがやってくる。

 

−−−−ルンバくん、戻ってった。ちゃんと電源のところで、よいしょ、って。おもしろいね。

 

サイェちゃん、放っておけないんでしょ。つい、ついてっちゃうのよね。

母が言う。でもね、この人もね、おなじことをやってた。いくつになってもおなじなのよ。めいっこにもおなじ性格は伝わってるんだ。ま、そのうち飽きちゃうとはおもうけど。

 

紗枝もおなじことをするだろうか。するかもしれないし、しないかもしれない。もしかすると、夕飯なんかそのままに、娘とひたすらルンバのうしろをついてまわったかもしれない。

 

−−−ルンバ、どんな意味?、とサイェ。

 

ルンバ、ラテンの、中南米?、キューバ?、の昔はやったダンスでしょ。うたでコーヒー・ルンバ、とかあったじゃない。サイェは知らないか。チャチャチャとか、そんなの。

そこまで言うと、母が、あんた、だめねえ、違うの。そのルンバじゃない。スペルだって違うんだから。

あ、違うんだ……踊ってるみたいな動きだから、って意味なのかとおもってた、とわたしはいささかあわて言い訳めいたことを口走っている。タタ、タアタ、ン、タ……テーブルのはしを指先でルンバのリズムをとってごまかしながら。

 

−−−−はしらせながら、わざと雪見障子を閉めて、サンルームにある籐椅子のとこにいたの。ルンバくんの音、聴いてた。どこにいるのか、どんなところをとおってくのか、って。わかるんだよ、けっこう。あのあたりかな……いまカーペット、いまは畳、あ、畳のへりのとこ、とか、それから板の間でしょ。きっとうちのフローリングより音が変わってゆくんだ、って。

 

夕飯のあと、サイェといっしょに、膝と両手を床につけ、四つん這いになって、ルンバの掃除した部屋を動いてみた。

はじめはただ床や畳のきめをてのひらが感じられるだけだったのだが、途中で、ふたりして、眼を閉じてみることにした。そのまま動くと、部屋の様子がわかってはいても、ちょっととまどったり、あ、こんなところに段差が、と、凹凸が、とおもったりする。手が先にふれたあとで膝がくるから、そちらに負担はかからないにしても。畳のなだらかな波も感じられたりもし。さすがに手にほこりはついてこない。やっぱりきれいになってるんだね、とサイェと顔をみあわせて笑う。

 

ルンバ、大冒険だったねえ。けっこう山あり谷ありだものねえ。ただの平原じゃないよ、やっぱり。フローリングとは違うんだな。

 

−−−−おじさん、ルンバ、好き?

 

ん、好きかも……。なんか、あのまじめで一途なところが……

 

−−−−おかあさんが掃除してるところみたい?

 

いやいや、紗枝は……。ん、でも、ちょっと、そうかな。

 

何年か前、いやもっと前だろうか、アイボというロボットの犬がいた。すこしも興味がなかったけれど、ルンバを知ってから、かえって、気になるようになった。もう製造されてもいなくて、メンテナンスもできない、らしい。ヴォランティアのエンジニアが修理をしたりしているのだとも噂があった。アイボ、もしそばにいたら、やっぱり愛着をおぼえたかもしれない。あらためておもう。こんな、円盤状の掃除機だって、ルンバだって、わるくない。動くから、かもしれない。動いて、でも、けっしてはやすぎなくて。このテンポ感? 地面にくっついて、こっちの視線のずっと下のところを動いてゆくから? わからない、けど、科学の人、技術の人たち、ってすごい、とあらためておもう。感覚もこうやって操作しちゃうんだ。そして、おもいだす。アイボをかわいがっていた知りあいはどうしただろう。いろんなおもちゃだって、やっぱり、壊れたりなくなったりすると悲しかったのだから、とも。

 

紗枝、ルンバ、買うかな。

 

−−−−買わないよ、きっと。

 

掃除、好きだからね。まだまだ、だね。

 

−−−−おじさんは?

 

掃除は、きらいだけどね……きっと買わないよね。おばあちゃんのルンバ、借りていくかな。

 

konumasan13

 
 
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書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html
小沼純一

About The Author

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。