めいのレッスン 連載・読み物

めいのレッスン ~花と石

6月 03日, 2016 小沼純一

 
 
 
実家の庭、となりのうちとの境にたてられている塀に沿い、片づけがゆきとどかないせいもあって、まるでそのあたりに吹きだまっているかのように枯れた盆栽、割れたりそのままだったりする植木鉢、金属製でところどころに錆のでたじょうろが無造作に放りだされている。あいだにはショウブが何株か。下にはミョウガが、雑草−−−−雑草、なんてものはないんだよ、どれだってひとつひとつべつのものだし、名前をつけるつけないは人の身勝手さなの、と教えてくれたのは誰だったろう−−−−のなかからはところどころドクダミの花が顔をだしている。そしてひときわ高いところ、しっかりこっちも立って、顔を視線をあげないとみえないところに、上から見下ろすようにして、赤いバラが咲いている。
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このバラ、おばあちゃんがおじいちゃんと一緒になったときのお祝いだったんでしょ?とサイェが確認の口調で言う。
え? そにゃの?
それまでわたしはサイェと「にゃあ語」でしゃべっていたから、つい、にゃあ語を口にしてしまう。驚いた。そんなはなしは聞いてない。聞いていたかもしれないが、きっとずっと、いやずっとずっと前のこととて、すっかり記憶から落ちたのだったか。もしかしてもしかすると、妹は、紗枝は聞いていてわたしは聞いていない、とかいうこともありえる。このごろでこそ老母と庭にでたりするが、かつてはもっぱら妹が母と一緒にでて庭いじりを手伝っていたのだから。

 
サイェ、おかあさんに聞いたの?
ううん、おばあちゃんが話してくれたんだよ。去年のいまごろ、かな。いただいたのは何件か先の奥さんから、だったって。お名前、忘れちゃったけど。

 
四月、五月になると木や草がぐんとのびる。こんなときばかりは、プランタンよりスプリングがふさわしい。はる、という語はスプリングに近いニュアンスかもしれないな。サイェに、ほら、スプリング!とことばを教えながら、紗枝が全身でばねの様子をまねていたのは何年も前のこと。
母がせっせと伸びた蔓を切り若芽を摘み草ぐさをとる季節。でもこのごろは腰が、足が痛いのでわたしが急かされてやっている。ときにはサイェをおだて、わずかなりとも手伝わせ。花は数日から一週間くらいのあいだに少しずつ移り変わって、少しずつ咲き、満開になり、落ちる。そのあと始末もまたつづく。

 
バラはわたしよりずっと背が高い。二メートルは優にこえているだろう。すぐそばにクリーム色のつるバラがあって、物干し竿の片方をのせている白ペンキを塗った細い鉄枠にからみついていた。かたちがいいというよりはちょっと不安定で、オシベがしどけなくみえているのが特徴だった。これは、でも、すでになく、かわりにあたりにはアジサイが繁茂している。あれはいつまであったのだったか。
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サイェは何枚もわたしのスマフォでバラの写真を撮っている。高いところの花を撮ろうとすると塀のむこうの隣家がうつりこんでしまうので木のまわりをさかんに行ったり来たり。こっちだと逆光、ここだと花がむこうむいてる、これだとお隣りの軒が。しぐさとスマフォをのぞく表情が、声にならないことばを発している。

 
おじさんより年上なんだね、このバラ。
サイェが、洩らす。
そ。かあさんよりもね、もちろん。
何気なく、一言。そして、ふと、おもう。
たまたまバラかもしれないけど、庭木の多くは紗枝やわたしが生まれるより前からここにいた。

 
木の下や草に埋もれて見えなくなっているものも多いが、ところどころに庭石がある。ものによってはかなり大きく、紗枝と陣地とりごっこで、上に昇ったりしたものもある。その石には何センチおきかで斜めに石英の筋目がはいっていて、ときどき、ふと、おもいだしては、筋目を指先でたどって遊んだりした。地図みたいだ、とおもっていた。

 
一時期、石に凝ったことがあったっけ。
泥まみれの石を洗ったり、金槌で割ったりもした。表面から、ちょっと光るのがわかって、なかが石英だったのをみつけたものの、祖父にこっぴどく叱られた。
二つに割れて、なかの石英がきらきらしている石を、でも、祖父は盆栽の片隅において、小さな樹木の世界にべつの風情をつくりだしたりもして。ふつうの盆栽とはかけはなれていたけれど、あそこにはふたつ、ふたつ以上の時間がおなじところにさりげなくおかれていた。

 
鉱物標本を買ってもらって、飽かずに眺めていたのもおなじ頃だったとおもう。紗枝はそんなとき何に関心を向けていたか−−−−おもいだせない。おなじ庭にいて、花や草をみていたのかもしれないし、つま先で立ってステージを夢みていたかもしれない。
母にバラの木を贈ってくれた奥さんはもういない。そのうちのお子さんはたしかわたしより一回り上で、その方がどうしているのか、聞いていたとしても忘れてしまっている。ずっとおなじところにいても、まわりの人たちは変わってゆく。いなくなる人がいて、やってくる人たちがいる。実家のあたりも一戸建ちも減って、二階三階建てのアパートともマンションともつかない賃貸住宅が増えた。うちは、いつからかある、ずっと昔からあるうち、だ。

 
母はきっと孫とふたりで春の庭にでていたときにふとバラのはなしをしたのかもしれない。サイェは写真てみたことしかないおじいちゃんの、まだ二十代半ばの姿を想像できただろうか。

 
−−−−サイェ、石と花、どっちがいい?
−−−−どっち、が、いい、って? なに?
応えないでいると、めいはしばらく黙っている。
−−−−どっちもいい、でしょ。違うもの、でしょ。だから、どっちがいい、なんて言えない。
そうだよな。愚問、愚問。わかっていて訊くのが間違いだ。

 
前、お誕生日だったのかな、おじさん、かあさんに買ってあげたピアスがあるでしょ。ペリドットの。かあさんの好きな黄緑色だからって。でもおじさん、言ったんだよね、自分の誕生石でもあるし、って。そのこと、かあさんはいつも笑って話す。プレゼントする相手の誕生石ならわかるけど、自分のを贈るなんて何? 色が好きなのだって、自分が買いたかっただけなんだよ、きっと、って。

 
アクセサリーになったのは新しいけど、ペリドット、この石、前から、大昔からあるはずでしょ。わたしより、かあさんやおじさんより、おばあちゃんより、ずっとずっと。いろんなところをまわってきたのかな。どんなところで、どれくらい眠ってたのかな。花は、もっと、人に近くって、あのバラもおじさんとあまり変わらない。何年か、十年くらい? 年上かもしれないけど。ほかの木はもっとかな。梅とか柿とか、戦時中、もっと前?からあるんでしょ。庭石はどこかから運ばれてきて、ここにいるけど、わかんないくらい前からずっとあって、ずっといろんなことが過ぎてゆくそばにいたんだよね。なんか、だから、石と花、って、わたしとかわたしたちとか変わらないようにみえて、どんなふうにまわりをみてるのかな。

 
あのペリドット、いつか紗枝は娘にあげるんだろう。母も紗枝にあげたものがいくつかあった。あれもサイェにわたってゆく。ゆくのだろう、きっと。

 
まだ海外に行くのがかんたんではなかった頃、視察旅行との名目から帰ってきた父は、スーツとネクタイをとり、白いシャツを抜いだあと、顔をしかめながら、絆創膏をはがした。はがれる音は耳にのこっている、が、あれはあとづけだったのかどうか。絆創膏はの裏にはダイアの指輪が張りついていた。絆創膏は指輪のかたちが触知できなくなるまで何枚も重ねられていた。現金の持ちだしにも制限がある頃で、金属探知機はまだなかった。たぶん、係員がボディ・チェックをしたのだったろう。父は四十になっていたのだったか。紗枝はあのときのことをまだおぼえているだろうか。母と指輪のはなしをすることがあるのだろうか。あったのだろうか。

 
 

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書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html
小沼純一

About The Author

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。