ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 09〉小切手ジャーナリズムとニュースの値段

11月 22日, 2016 畑仲哲雄

 
「お金」と「ジャーナリズム」の関係は、どの場面についてどういう立場から考えるかで、見立てが大きく変わりそうです。お金を介在させられるのか、させていいのか。重要だけれど語られにくい問題を、まずは「有料記者会見」の事例から掘り下げます。[編集部]
 
 
 記者ゆえのジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。
 

1:: 思考実験

 保険金殺人の疑いがかかっている夫婦が、報道陣の取材に応じる条件を提示してきたのは、先週のことだった。
 おそらくアドバイスした人物がいる。報道被害問題に熱心な活動家が支援にはいったか。あるいは、事件ゴロのようなやつらが介入してきたか。
 いずれにしても、その夫婦が、現場で配った紙きれの冒頭には、以下の言葉が綴られていた。

自宅の前にはいつも報道関係者がうろついています。無遠慮にカメラやマイクが向けられ迷惑をしています。報道関係者から“監視”される暮らしが始まってから、わたしたち夫婦は仕事ができずに経済的な損失を被り、体調も崩れて肉体的な被害も受けています。そうした被害は、わたしたちだけでなく、ご近所の方々にも及んでいるでしょう。わたしたちは平穏に生活する権利を著しく侵害されています。

 くやしいが正当な抗議だ。無視はできない。
 現場の記者たちに悪気などない。むしろ正義感に満ちている。報道にたずさわる者は、新聞・雑誌・放送などメディアの別なく、みな国民の知る権利に応える代理人。記者の耳と目は、読者の耳と目。優秀な記者ほど対象に肉薄して真実をすくい上げようとする。国民の「知りたい」という欲望に答えるためだ。
 今回は、たまたま狭い地域を多くの取材者が取材し続けていたため、現場に迷惑がかかってしまった。それは良くないことだし、反省すべきだ。
 でも、だからといって、「疑惑夫婦」の側が、メディアから料金を徴収して、高級ホテルで記者会見を開くなんて。どうも釈然としない。

わたしどもは取材申し込みのメールや電話を、頻繁かつ執拗に受けています。むろん、それに応える義務などありません。しかし、市民として平穏な暮らしを取り戻すため、わたしたちがホテルの一室を借り、記者会見を開くことにしました。

 A4の紙の末尾には、「記者会見の参加費は1社10万円。映像や音声を記録し、放送で使用する場合は、別途料金が発生します」と記されていた。場所は東京の一等地にあるホテルのVIPルーム。映画スターの婚約会見じゃあるまいし、いったい何様のつもりだ。
 わたしは、その紙切れを手にして戻ってきた若手記者に言った。
「で、他社(ヨソ)はどうなんだ」
「各局総出に決まってるじゃないですか。なんたって『疑惑夫婦のナニサマ会見』ですからね」
 このところ業界ズレしてきた部下の口ぶりが、昔のじぶんに重なった。体張って番組を背負っている自信の現れなのだろう。
 ジャーナリズムを手放すつもりはないが、数字が気にならないといえば嘘になる。わたしは東京キー局の報道番組を仕切るチーフプロデューサーとして決断しなければならない。

    [A]お金を払って取材するなんてまともじゃない。こういうのにうかうかと乗っちゃだめだ。映像として記録しておく価値はゼロではない。だが会見の主導権を全面的に相手に預け、要求されるまま金を払うことで、われわれは大切な何かを失う。
     
    [B]取材には金がかかるものだし、なにも今回が初めてじゃない。それに、どんな愚かしい記者会見だとしても、きちんと記録を残し、後世に伝えるのもメディアの使命。この仕事は頭でっかちではつとまらない。好奇心を失ったらおしまいだ。

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[有料会見を拒む立場] 夫婦はじぶんたちの商品価値に気づき、高く売ろうとしている。メディア側も夫婦の会見で稼ぎたいという思惑がある。金に目がくらんだ者たちの共犯関係だ。ニュースは本来パブリックなもの。金を払って得た情報を報道するようになれば、取材者たちの感覚も麻痺していき、ジャーナリズムの精神は市場の論理に蝕まれていくだろう。
 
[有料会見に参加する立場] 格好つけるな。民放は広告主に支えられる商業メディアだ。五輪やW杯の放送権料をめぐって、各国の放送局は何十、何百、何千億円という金を支払っている。IOCやFIFAに追従するくせに、報道被害を訴える民間人にビタ一文払わないのはご都合主義もいいところ。夫婦の言い分も、それが有料会見であることも、すべて報道すべきだ。
 
[拒む立場からの反論] 興味本位のセンセーショナルな報道が、市民社会からたびたび批判されてきたことを忘れるな。報道機関がニュースの「送り手」でなく、ネタの「買い手」になった世界を想像してみればわかる。金になる情報を報道機関に売る――そんなパパラッチ的な風潮を、われわれは助長すべきではない。報道には金銭に還元できない公共的な価値があるのだ。
 
[参加する立場からの反論] 金銭に還元できないニュースのために、大金を使った例もある。ウォーターゲート事件で失脚したニクソン元大統領に、元コメディアンのイギリス人が60万ドル支払ってインタビューした。結果、歴史的な「謝罪」を引き出した。すぐれた取材者は、公益に資するためなら、あの手この手で報道する。そうした営みがジャーナリズムを鍛えるのだ。
 
[拒む立場からの再反論] 国民を欺いた大統領と「疑惑」の民間人を比べるな。国民に対するニクソンの「謝罪」は単独会見だったが、今回は共同会見だ。それに参加するというのは、わが業界に蔓延している「特オチ恐怖症」の典型的なあらわれ。ネットに加盟する全国の地方局からは取材してほしがるかもしれないが、そんな横並び体質をキー局が率先して変えてくべきだ。
 
[参加する立場からの再反論] そもそも「疑惑」の段階で記者やカメラに取り囲まれ、プライバシーを侵害された人の抗議は正当だ。夫婦は会見で、メディアが地域を混乱させた問題について言及するだろう。会見に参加せず、彼らの言い分を隠蔽するのは不公正。残念ながら、わが業界に自浄能力はない。すべてをオープンにして、批判から逃げずに業界を変革していくべきだ。
 
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