めいのレッスン

めいのレッスン ~ゆきかきに

3月 01日, 2016 小沼純一

 

 

 

一晩降りつづいた雪に、庭はすっかり覆われていた。

 

雪がかぶってしまうと、花壇なのか道なのか、コンクリートなのか敷石なのか土なのか、よく馴染んでいるはずなのに、境があいまいになっている。腰をすこしおとして眺めると、こんもりと白いなだらかな稜線を描いて、北国の景色のよう。むこうの山々は、隠れてしまった盆栽か。こっちは庭石か。この下にいつもの庭がある。あるはずだ。

 

何本かある柿の木をせめてもの目印に、このあたりは花壇、このあたりは土、と見当をつけ、物置から持ちだした鉄製のシャベルをいれる。すこしもりあがっているところには気をつける。雪の重みですっかりかしいでしまった枝が隠れているかもしれないから。

 

いちばん大きな打撃をうけていたのは隣家との壁にそっていた薔薇か。すっかり大きくなって、支えがないと倒れてしまう。それでいてこの雪では。はじめ、はらっているうちはいいけれど、棘に気をつけないと。昔、父の手伝いをしたときに何度も引っかき傷をつくったっけ。

 

めいのサイェに、雪かきしに行くけど、と連絡すると、いつものように、受話器からは短く、ん、と返事がかえってきた。濡れてもいいような、でもしっかり厚着をして、手袋や帽子もね、と注意して、最寄り駅のホームで待合せをする。

 

前の日、雪の降っている深夜、ときどき、近いからという理由だけで足をむける、ほんの一本道を隔てただけの店では、こんな雪ではとさっさと客がひいていた。外にでると、外灯が雪に反射して、そこはもう見知らぬ北の町。車道にくるまはなく安全であるかわり、数メートルの道幅であっても滑らないよう充分注意しなくてはならない。早起きをして実家にむかわなくては、とマンションの前から、坂をみあげる。そのときおもいだしていたのは、北海道でのことを書いたある一節――

風がなくて雪の降る夜は、深閑として、物音もない。外は、どこもみな水鳥のうぶ毛のような新雪に、おおいつくされている。比重でいえば、百分の一くらい、空気ばかりといってもいいくらいの軽い雪である。どんな物音も、こうした雪のしとねに一度ふれると、すっぽりと吸われてしまう。耳をすませば、わずかに聞こえるものは、大空にさらさらとふれ合う雪の音くらいである。(「貝鍋の歌」)

実家は都心からすこしはずれているので、ほんのすこし、一二度低い。駅から歩いて行くと、途中まではくるまの往来が多いので、雪もすぐなくなるのだが、一本、二本と交差する道を過ぎるごとに、シャーベット状から、せいぜいいくつかのタイヤや足あとのすじがのこるだけになるのを常とする。雪のあとは、なるべく早く駆けつけて、門扉の前後や家の扉までのあたりを歩けるようにしないと、年老いた母がでられなくなってしまう。

 

レスキューがやってきました、とひとりごちながら、シャベルと竹箒で雪をかく。

 

掘りおこした細い幹から枝には、赤い実がついている。千両? 万両? 何度教えてもらってもなかなか区別がつかなかったけれど、実が上をむいているから、きっとこれは千両。下にさがってしまうほうが重たいから万両、っておぼえておこう。

 

このあたりは、福寿草。地面すれすれまで、気をつけながら、雪をはらってやると、短い黄色と緑があらわれる。

 

ところどころで、曲がった枝が、腰痛持ちのようにゆっくりと姿をもとにもどす。そのさまをみたサイェは、ちょっと待って、と、雪をはらう前に一枚、はらってあらわれた木の姿を一枚、スマートフォンで写真を撮るのである。ずっと小さい頃、たったひとつ、ゆっくりつくりあげた雪うさぎがとけてしまっていつまでもいつまでも泣きつづけていた子は、いま、雪のなかからあらわれた枝や葉を丁寧にはらうのが忙しい。

 

――雪、降ったりすると、冷えて、ぎゅっとちぢこまるみたいになって、地面も揺れちゃったりしない、かな。雪が音をすいこんで、あたりをしんとさせてしまうみたいに、さ。

 

手袋をしたまま、自分の言ったことを確かめるかのように、左手をぎゅっとにぎってみる。雪で冷えた地球がちょっとだけ縮まるイメージ。地表のごくごく一部で雪が降ったからといって変わることなんてないのはわかっているのだけれど。

 

サイェは何をおもっていたのだろう。想像できないこともないんじゃないかとおもったが、まるでずれているかもしれないという気もどこか、していた。

 

わからないな……どうなんだろうな……うん……

返事でも、独り言でもあるようでないような、とりつくろうような物言い。サイェの耳に届いたかどうかわからない。作業をつづけ、息は切らせながら、言ってみた。

 

あのね……雪が降るとおもいだしたり……棚からとりだして読みかえしたりする本があるんだよ……中谷宇吉郎って……けっこう昔の人で、『雪』って本があってさ……まず、この列島での雪の災害のはなしをする……それからスキーなんかのことも忘れずに……それから雪の結晶や、北海道での雪の研究のこと、で……人工雪のことだな……それから、え、と……ふぅ……最後のところで、空のとっても高いところから地表までのあいだに……雪はそれぞれさまざまに成長して、複雑なかたちになる……って言う。そして、よく知られたことばがあるんだ……「雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである」(『雪』)って。

 

サイェは、屈んでいた背を伸ばし、しばらく黙ったまま、何かを考えているようだった。

 

――手紙、たくさんありすぎて、読みきれないよね。でも、これだけ積もっていても、ひとつひとつ、べつべつに、やってきたんだ。

 

――うん、読みきれ、ないけど、どれか、たまに、すこし目を近づけてあげられるといいんだけれど。

 

――なんかね、ふだん、忘れているような気がするんだ。手紙、誰かが届けてくれるし、いつのまにか、そこに、手元に、ある。届いてる。でも、どこからか、やってくるんでしょ? ある広がりのなか、を。

 

――まっすぐかもしれないし、ジグザグかもしれないけど、距離、越えて、ね。

 

――雪、はさ、上から、だよね。上から降ってくる。夕べ、ずっと上をみてた。降ってくる雪が、わたしのまわり、だけじゃなくて、それぞれに、降りてくる。わたしのところで散ってゆく。その広がり、ここから見上げた、空から天への広がり、距離?がこっちにもあるんだ、って。おじさんがいま、距離を越えて、って言ってた、そのヨコの、じゃなくて、タテの、奥、っていうようなのが、こっちにもあるんだな、って。

 

わたしはまた、声をださずに、相づちをうつ。

 

――そんなところから手紙が届くんだ、って。それに、手紙、だけど、文字をあびている、文字が散ってくる、ってかんじはしてた。

 

――手紙……文字……だと、でも、返事ができないね。

 

――そう、なのかな……。水って、まわってるんでしょ。

 

――循環、ね。

 

――地面にしみこんで、蒸発して。そのままに返事はしていないかもしれないけど、水を丁寧にあつかえば、それが返事になっているんじゃないか、って。

 

――よごしたりしない。かえっていって、また、訪れてくる。水をそんなふうにみる、と、大切にできるかな。

 

――それが、地上からの返事、かも。

 

手を休め、背をのばすと、シャベルが雪のなかにはいっていく、かたまりが持ちあげられるときにはなれてゆく音、べつのところに落ちたりする音、が、あたりから、聞こえてくる。ついさっきまで、自分たちが作業をして、たっていた音が、あった。それが耳にはいっていた。いまは、ほかの、よそからの音だ。知らず知らずにそれぞれが、ところどころで、音をたてる。そんなのも、雪の、水のめぐりとおなじかもしれない。ふと、おもう。

 

konuma0301――春、ちかい?

 

――どうして?

 

――積み重なった雪の音。アスファルトにあたるシャベルの音が。

 

――そうかな……

 

――わかんないけど……

 

ごつごつした幹からのびた枝には、いくつか梅がつぼみをつけている。高いところには雪がまだのこっているのだけれど。
 
 
[編集部より]
東日本大震災をきっかけに編まれた詩と短編のアンソロジー『ろうそくの炎がささやく言葉』。言葉はそれ自体としては無力ですが、慰めにも、勇気の根源にもなります。物語と詩は、その意味で人間が生きることにとって、もっとも実用的なものだと思います。不安な夜に小さな炎をかこみ、互いに身を寄せあって声低く語られる物語に心をゆだねるとき、やがて必ずやってくるはずの朝への新たな頼と希望もすでに始まっているはず、こうした想いに共感した作家、詩人、翻訳者の方々が短編を寄せてくださいました。その一人である小沼純一さんが書いてくださったのが、「めいのレッスン」です。サイェちゃんの豊かな音の世界が感じられるこのお話、本の刊行を記念した朗読会に小沼さんが参加されるたびに続編が生まれていきました。ここではその続編にくわえ、書き下ろしもご紹介していきます。

これまでの連載一覧はこちら 》》》めいのレッスン連載一覧

表1_1~1管啓次郎、野崎歓編『ろうそくの炎がささやく言葉』
「東日本大震災」復興支援チャリティ書籍。ろうそくの炎で朗読して楽しめる詩と短編のアンソロジー。東北にささげる言葉の花束。
[執筆者]谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html
小沼純一

About The Author

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。