めいのレッスン ~えとーてむ

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小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
2016/5/6By

 
 
 

シンガポールに出張してきた友人と会った。

 

ホテルと仕事場のあいだを往復するばかりで、あとは食事にでるだけ。街のことなんかほとんどわからない。外にでても、陽射しがつよいから長く歩けるわけではないし。みたのは遠くから眺めた奇妙なかたちの建物エスプラナードだけ、あとは口から水を吐きだしているマーライオンの像のまわりをぐるっとしただけ。街のなかは食事のときにちょっと歩くだけで。しごとで何カ国行ったとか言ってるのがよくいるじゃないか。でもさ、出張でどれだけ行っても、点と点の移動しかしてないよな。今回よくわかったよ。あれでべつのところをみたなんてとてもじゃないけど言えないって。自分もシンガポールに行ってる、って実感はあまりないさ。

あ、そうそう、「シンガポール・スリング」の店には行ったよ。ラッフルズホテルのバー。天井のいくつもの木の葉のうちわが動いて空気をかきまわしてた。落花生の殻を床にほおりだしていい、っていうのはおもしろいよな。そこでおもいだしたのは『風の歌を聴け』。本じゃなくて、ほら、村上春樹のデビュー作、映画化したやつさ。あれにでてくるバーの床って落花生の殻がいっぱいになってて、それが最後のシーンだったかでぱーっと巻きあがる……−−−って記憶があるんだけど、随分昔にみたからあやふやだな。一瞬のローアングルが妙にはっきりおぼえてるんだが、ほんとかどうか。だけど、ほら、そのジェイズ・バーがあって、実際にあったのはラッフルズホテルじゃないか。あれ、村上龍の小説にもなっていた。だから、ダブル・村上があそこでぱーっとこっちを何十年かタイムスリップさせたって。それだけで充分だったね、しごとはタイヘンだったけど。

 

饒舌な、気のおけない相手といるのは楽だ。ひとしきりしゃべった友は、そうそう、と包みをとりだしテーブルの上におく。みやげというもののものじゃないが、シンガポールにもあったんだよ、十二支がね。だから、おまえの干支の本。それぞれの動物ごとに12冊ある。おれ? おれは買ってないよ、買ったのは菓子さ。あと、マーライオンのぬいぐるみ。家族サーヴィスでね。

なぜ菓子をみやげにしないとなじってから、シンガポールのはなしからはなれ、雑談をし、別れた。あいつがおもっているほどわたしは十二支に興味を持っていない。でてくるいくつかの動物に関心があるだけで、自分の干支も滅多に気にすることなんかない。もちろん性格とか年まわりとかを気にすることもない。よく知らない人に尋ねて、勝手な想像をしたりするのはおもしろいとおもうけれど。もらった本も、ソファに寄りかかりながらぱらぱらと眺めはしたが、すぐに放りだしてしまった。床に積み重ねたほかの本のうえに、英語の小さな本が1冊。

 

たまたま本の山のいちばん上にあったせいか、ふだんあまり山に興味を示さないサイェが手にしている。英語だから、絵をみているだけなんだろう。ところどころに、風水の図解もはいっているから、そういうところを想像で補いながら。

 

−−−−これ、干支、の本?

 

わたしはうんうんとうなずく。そして、シンガポールに行ってきた人からもらったんだと説明をする。

 

−−−−シンガポール、英語、なの? でも、干支、がある?

 

そ。住んでいる人の多くが中国系でもあるし。英語なら、ほとんどどこでも通じる。らしいよ。中国語やマレー語もところによっては、ってことらしいけど、ふつうは英語。干支は、べつにそこだけじゃない。アジアにはどこでもあるんじゃないかな。詳しいことは知らないんだけれど。

 

−−−−なんかね、ヘンだな、といつもおもう。干支。

 

架空の「たつ」が、ふつうの動物たちのあいだにちゃっかりならんでるから?

 

−−−−ちがう。

 

「ねこ」がいないから?

 

−−−−そうじゃなくて。

 

空を飛ぶのがいない。「とり」といっても、飛べないにわとりだし。

 

−−−−「たつ」がいるじゃない。翼なんかなくたって、「たつ」は天からやってくるんでしょ。

 

ヨーロッパの「たつ」は翼がはえてるけどね。あれはまあ、べつものか。ドラゴンって。

 

−−−−気になるのはね、「う」が3つもあること。「うし」「うさぎ」「うま」って。

 

え?

 

−−−−そして最後に「い」がつづく。「いぬ」「い」って。

 

べつに、いいんじゃないかな、そんなこと。

 

−−−−ほかにもね、ある。「たつ」「み」って、からだの長いのがつづく。なんでそこにいきなり、って。「み」、「へび」って足がないし。

 

ものすごく古くからあるんだよ、干支。方角とか時間とか、占いとか結びつけられたりするけど、もっと前からあるらしい。漢字ができる前の、甲骨文字なんていうのでもでてくるらしいから。大昔の人たちが考えてならべたのを、後の人たちがまた自分たちで考えて意味をつけたりしたんじゃないか。こっちはこっちで、もう、勝手にいろいろ想像していいんだ。

 

−−−−おじさん、さっき言ってた、いないはずの「たつ」がまじってるのも、勝手に考えていい?

 

いいんじゃない。

 

−−−−ほかのも?

 

うん。だけど、けっこう場所によって違ったりするんだよ。ほら、これ、「い」が「いのしし」じゃなくて「ぶた」だよね。最後がいのししで終わるほうが少ないらしい。それに、ヴェトナムだと「う」はうさぎじゃなくてねこ。「うし」は水牛。「ひつじ」は山羊、ってね。やっぱり、身近ないきものがはいってくるんじゃないかな。

 

−−−−「たつ」も?

 

ひとつくらい、想像から生まれたものがはいっててもいい、とか……。ほら、みてごらん、ネットで調べるとこんなこともでてる。「たつ」はアラビアだとワニ、イラクだったらクジラだったりする、って。

 

−−−−もうひとつ、気になってるのはね、「う」「たつ」「み」っていう3つは、ちゃんと声がわからない。「へび」のしゃーっていうのは、声なの? 「うさぎ」、なく? 「たつ」は?

 

その声は銅盤をうつがごとし、って。「たつ」はね。

 

−−−−なあに、それ?

 

中国のね、昔の500年くらい前の本にでてるんだよ。『本草綱目』っていうのに。

 

−−−−だって架空じゃない。

 

わたしはおもわずふきだしてしまう。サイェ、どうしてまた、いきなりそこで、現実の生きものと架空のをごっちゃにするのさ。おなじテーブルの上にのってる、どれもことば、にはちがいないけれど。

 

あのさ、

ところによっては、自分と何らかの動物と結びつきがあると信じている人たちがいる。トーテムって呼び方をするかな。干支、十二支もそうかもしれないね。この場合には、ある年の生まれの人がみんなある動物、いのししならいのしし、ひつじならひつじ、となっちゃう。そして12年、一回りするとまた戻ってくる。そういうんじゃなくて、もっとひとりひとりがそれぞれべつの動物と結びつくことだってある。カンガルーとかヘビとかエミューとか。

 

−−−−カンガルー? それって、どこ? オーストラリア?

 

オーストラリアに昔からいた人たち。アボリジニの人たちの。

 

−−−−コアラ、だったり、ウォンバット、だったりするのかな。わたしのトーテムはウォンバット、って。

 

そうかもね。

 

−−−−だとしたら、わたしはウォンちゃんがトーテムだといいな。

 

あ、ちょっと前に行ってきた紗枝のおみやげがウォンバットのぬいぐるみだったから、だろ。

 

−−−−おかあさんが言うんだ、ウォンバット、サイェに似てる、って。わたしもカメラで撮ってきたのをみて、あ、これ!って。いつのまにか、立ったまま、寝ちゃったりするんだよ。だから、ウォンちゃん、わたしのえとーてむ。

 

サイェ、おまえ、干支とトーテムがまじっちゃった?

 

konumasan12

 
 
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[執筆者]谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html

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こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
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