めいのレッスン ~ポワソン・ダヴリル

About the Author: 小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
Published On: 2016/5/20By

 
 
 


デパートでポワソン・ダヴリルをみつけた。
正確にいうなら、高名な洋菓子店がデパートにだしているガラスケースのなかにさりげなくあった。四月まではあと半月という頃だったろうか。
大中小あって、それぞれ三種類、
ダーク・チョコレートとホワイト・チョコレート、そしてスウィート・チョコレート、外見はおなじだけれどわずかに色の違いがある。
ケースを前にだいぶ悩んだけれど、もっとも無難なスウィートで中くらいのをひとつ。
一言だけだが、この菓子の由来とフランスの風習を記した説明書きもつけてくれて。


『四月の魚』という映画があった。
軽妙でたあいのないラヴ・コメディーで、よく知られたミュージシャンが、たぶんはじめてなのだろう、主役を演じていた。
男性が、道で、女性とぶつかる。
買物をしていっぱいの袋からものがこぼれ、ふたりはあわてて拾ってゆく。
女性は、ひとつ手にとるごとに、名称を、いや、ものの名称をではなく、その種類をぽそりと発する。
りんご、ではなく、くだもの、というように。
青果、とか、精肉、鮮魚、とでもいったろうか、
忘れてしまったのだが、
女性はスーパーのレジ打ちをしていて、つい、ものを手にとると、口にでてしまうのだった。

(あれは、まだ紙袋だった――のではいかしら。ちがったかもしれない、でもいろいろなところでまだ紙の袋がつかわれていたのはたしかだ。昔の化粧品のコマーシャル映像をみていたら、オシャレをしたおねーさんが電話ボックスのなかでおしゃべりしている、受話器を持たないほうの手では紙袋をかかえていて、はっとしたのは最近のこと。スーパーでも果物屋さんでも八百屋さんでも、この薄茶色の袋で。果物屋さんではときどき緑とかの線が一本、あるいは緑と赤で二本、はいっていたり。まさか、紙袋になつかしさをおぼえるなんて、おもってもみなかった。)


(スーパーのレジが手打ちだったのはいつまでだったのだろう。驚くべき速度で、しかもそれなりに力をこめてでこでこしたボタンを打ち、「プロ」とか「やりて」のアウラを醸しだしている人がいた、知りあいは子どものときに大人になったらスーパーの――プロの――レジうちになりたかったと話してくれた人もいたものだったが。)


映画の主題曲は主役のミュージシャンが歌っていた。曲調も、声もアレンジも、とても好きで、よく聴いた。歌詞にはときどきフランス語もまじっていた。
ポワソン・ダヴリルを知ったのもここからで、まだ二十歳になるかならないかだったから、そうだ、これから四月一日はこれでいこうと、エイプリルフールなんていうのはやめにしようと決めた。四月一日なんて、年度はじめじゃないか、そんな日になんで嘘をついていいなんて言うんだ。ろくでもない嘘も多いし。それに較べれば、ポワソン・ダヴリルはもっとこじんまりと身近なところだけで、かわいいじゃないか。


はじめてフランスに行ったときには魚の「型」を探した。ポワソン・ダヴリルをつくるのにつかう鋳型がほしい、と言っても、こちらの発音や言い回しが悪かったのかもしれないが、肩をすくめられるばかりでまるでみつからない。やっとみつけたとおもったら、すごく小さく、すごく高価な骨董品で、あきらめざるをえなかった。その後かの地に赴くたびに、おもいだすと探してみたけれども、だんだんとおもいだすことが少なくなり、いまは海外にでることじたいが滅多にない。そんなときに、である。


四月一日まではまだちょっと日がある。もう春だから、寒い日はあっても、チョコレートの保存には気をつけなくては。食べるときにはすこしやわらかくなったくらいがいいのだが、それまでは冷蔵庫か。


―――これ、おかあさん……と、わたし、から、おみやげ。


週に何回か会っているめいは、母親に託されてよくいろいろなものを持ってくる。大抵は特に説明もなく、テーブルの上やキッチンにおいておくだけなのだが、めずらしく、おみやげ、という。
なに?
わたしはサイェの手元をみて、あ、とおもう。
妹は過剰包装をきらう。兄へのおみやげでも、手提げ袋にいれたりはしない。おなじ紙でも、かつてのスーパーのとは違った、外見だけでどの店かすぐわかるデザインの袋を、エコバッグをとりだして、あ、けっこうです、と謝絶するのが紗枝だ。
袋にははいっていないが、包装紙から、あれだ、と気づく。あれ、ポワソン・ダヴリルだ。きっとおなじデパートの、おなじ地下一階のスウィーツのコーナーを通りながら、あそこに、と気づいたにちがいない。ポワソン・ダヴリルにこだわりがある兄に、と。


こちらはこちらで、さりげなく冷蔵庫に行って、買っておいたポワソン・ダヴリルをとりだす。そして、サイェがさしだしたのとならべて、ふたりして、笑う。おなじ包装、おなじ大きさ。ひとつはひえひえになっている。じゃ、この冷えたのは、紗枝に持っていって。


サイェが持ってきたポワソン・ダヴリルは、冷えているのとおなじ、ミルクいりのスウィート・チョコレート。箱のなかにはいったままの姿をしばらく眺める。店のガラスケースごしにじっとみてはいたが、こんなふうにみてはいなかった。
サイェは、白い皿をだしてきて、そこにポワソン・ダヴリルをおく――とそのとき、
――何かはいってる!
小さいけれど、なにか、とっても集中したもの言いが、口調にあった。
――ほら、ね、ぎっしりなかまでチョコがつまってるんじゃなくて、なかがからなんだけど、何かはいってるんだよ。ちょっとでもふってみるとわかるから。
そう言われ、手にとる。おもったより軽い。そして、なるほど、何かあるような。
ころがる、というのではない。でもたしかにある。聞こえるのかというと、ちょっとくびをかしげてしまう。聞こえる? 聞こえない? 指先で持っているから、そのちょっとした揺れというか「あたり」が、あるからなのか。それともごくごく小さいけれど音になって、耳にまで届くのか。届いた気になるのか。
どうしよう?
こうやってるといつまでもこの何かはわからないよ。こわさなくちゃ。いい? こわしちゃって?


めいの提案で、まず湯をわかし、お茶をいれる。
ポワソン・ダヴリルをテーブルの中央におく。サイェとわたしはむきあって、お茶を飲む。それがかたちあるものをそこなう前にしておく儀式だとばかりに。
でも、サイェ、あれ、単純に、ちょっとなかのがくずれて、ころころしているだけなんじゃないかなあ。


殻を割るように、すこしずつすこしずつくずしてゆく。すると、なかからは小さなカニと巻貝、のかたちをしたチョコレートがでてきた。それぞれホワイトとブラックで、ポワソン・ダヴリル本体とみんな少しずつ色が違う。巻貝はどこかアンモナイトを連想したのだったが、それはサイェには言わなかった。ちょっとだけ、はしから触角がでているようにみえたせいもあるのだけれど。
――さかなが食べた、ってこと、この貝とカニは?
そうなんじゃないかな。
――だとしたら、けっこう大きなさかな?
どうなんだろ。モデルはサバっていわれたりするけどね……
――ヨナ?
ちがうちがう、ヨナは、のまれたほうだから……
ずいぶん前、聖書にでてくるヨナのはなしをしたっけ。海の放りこまれた預言者ヨナが。巨大な魚にのまれて三日三晩祈りを捧げ、ついには吐きだされる、と。


サイェ、紗枝にいま冷えてるのを渡すんだよ。で、チョコレートのなかに、なにかある、って気づくかどうか、観察しておいで。そして、どんな反応をするか、どんなふうになかを調べようとするか。なかにはいっているのをみたあとで、何を言うか。あとで教えて。なかにはいっているのはやっぱりカニと貝なのかもね。

小沼さん連載写真14-1
 
 ☆

 

『四月の魚』は、高橋幸宏主演による大林宣彦1984年監督作品。

 

 

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書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html

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こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
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