――おじさんにみせてらっしゃい、って。
サイェがねこの絵柄のトートバッグから手渡してくれたのは、大判の全体が黒い絵本だった。表紙は濃いオレンジ、いやオレンジよりもっと赤に近い色の木が地面から枝を伸ばしている。燃えている。火のようだ。枝のはえている幹のあたりはすこし色が薄くなり、黄色にちかい。遠くからみると心臓部。太陽のようでもある。
そのあたりには一羽の鳥がさかさに描かれている。どこからか、ちょうど、やってきたところなのだろうか。
鳥の頸からからだ、足への線はほとんど木の一部のよう。あしゆび――「趾」の字を書くらしい――は先が分かれ、これまた、胴とおなじように枝と化している。地面に根を張っているあたりは、ねずみのような生きものが、左は幹から根のほうに、右は木の裏から、それぞれ、走り去ろうとしている。タイトルは白く、夜の木、とある。
ビニールだけど型くずれしない袋から、ぺりぺりと糊のところをはがして本をとりだすと、途端に独特なにおいが宙を舞う。
あ、このかおり……
――これは、精霊が住む木なんだよ。センバルの木。
表紙は厚い紙でできていて、そのままの重さで閉じるときには、ちょっと空気の抵抗がある。たまたまそばに無造作にあったティッシュペーパーは、ふわりとすこし持ち上がって場所を移動した。そして本のあいだで憩っていた空気はおしだされ、鼻腔に、また、あらたな紙のにおいを運んでくる。このにおいは、1枚1枚、ページをめくるごと、たってくる。
――においだけじゃないんだよ。
サイェが言う。ちょっと眼をつぶって。
なんだよ、絵本じゃないか、眼、つぶったら絵がみえない……
――いいから。
手、ちょうだい。
ちがう、ぐーじゃなくて、ひらいて、んー、ちがうな……一回閉じて、ひとさしゆびとなかゆびと、だして……
言うとおりにするのはたのしい。まして、サイェのようにあまりこっちに要求をしてこない子の言うとおりにするのは。あまり指図がうまくなく、本人がときどき困惑してしまったりもし。そんなとき眉間にはちょっとだけシワがよっているはずだ。ほらほらそんな顔するとのこっちゃうぞ、と言いたくなるものの、見えてないからまたとしよう。
指先は、めいに導かれて、本の表面をなぜてゆく。表紙をすりすり、ページをめくってべつのページをすりすり。サイェはこちらの指二本を、たぶんじぶんのひとさしゆびとなかゆび、そしておやゆびの三本の指ではさんで、紙のなかにながれている紋様をたどらせる。指先と紙のわずかな、あるかないかのすきまに揺れる繊維に指紋がふれる。はっきりと区別がつくわけじゃないけれど、このあたりから地と絵が、地に描かれている絵や文字が、との気がしてくる。錯覚なのかもしれないけれど。
この本はね、とサイェが説明してくれる。かあさんの知りあいが出してるんだ。手で「すいた」、ことばになじみがないんだろう、すこしだけ語尾があがる、紙に一枚一枚、版画みたく刷ってく。インドで職人さんたちがね。「せいほん」もするんだって。それが船で届く。
わた、でしょ、あさ、でしょ、うすぬの、でしょ、そんなのを「すいて」るん。どのページも黒くって、そのうえにべつの色たちがのってる。
あ、サイェ、アンチョコみてるだろ、とわたしはまぶたをひらく。案の定、めいのそばには絵本とはべつの、もっと小さく、写真と文字がならんだ一枚ペラがある。
ページをめくっていくと、表紙とおなじ絵がある。でも色が違う。まるで違っている。木の心臓は緑だし、あしゆびはそれだけ濃くなっているし、動物の目も光ってる。
客人たちが帰る
誰でもセンバルの木には精霊がすんでいるとしっている。夜の訪れとともに昼間の客人たち、みつばちや小鳥、そして二匹のカメレオンたちが引きあげていく。
あれはカメレオンだったんだ……哺乳類の何かかとおもってたんだけど、大違い。でも、それはサイェには黙っておく。
「インド中央部」のゴンドの人たちが伝えてきたはなし――神話?伝説?が木とともに、木になってあらわれている。動物たちも、きっと、ごくごく身近なものなんだな、きっと。
いろいろな木がある。1ページごと、違った木、違ったものがたり。絵を描いているのも、ひとりじゃなくて、3人で手分けして。だから、似ていながらも、筆致が、イメージのつくり方が、違っている。
よくみるとおなじ黒で塗りつぶされたページでも、ところによってはちょっとインクののりがちがうのがわかる。
インクの、でも、それだけじゃない、もっと複雑な……
このかおりが、アジア雑貨の店や、かつてすこし凝っていたタバコや、演奏家の友だちが気分を落ち着かせるために楽屋で焚いていたお香や、をおもいださせたりもし。白檀、ジャスミン、クローヴ、シナモン、ムスク、ロータス……名称とかおりがちゃんと結びついてなどいないのだが、ぼんやりと浮かんでくることばがある。タバコは、ガラム、といったっけ。火を点けるとぱちぱちとはぜる。はじめてのときは線香花火みたいだとおもった。知らない人は、なんか、いけないものが入ってるんじゃないかと訝しんだりもしたけれど、あの甘いかおりが好きだった。
五感で、ってあるんだよ。
サイェが言う。
そうだね、とあいづちをうつ。つぎの瞬間、もしかして、と焦る。案の定、めいは今度こそほんとうに、つまりはこちらの眼の前で、軽くではあったけども眉をよせ、言うのだ。
絵本だから眼。かたちや紙はさわれるよね。かおりだってある。字、読めば耳にはいるでしょ。でもさ、口は、口はどうなんだろ。
さて困った。たしかに「五」感というけれど、どれもすべてというのは意外にないんじゃなかろうか。三つや四つでも五感と言ってしまっているのでは。
サイェ、いま、読めば耳にはいる、って言ったじゃないか。読むのは口だし、舌だし、くちびるだろ。味じゃないけど、口のあたり、というところで、どうかな。むしろね、眼と口だって、においのはいってくる鼻だって、指先だって、どれもサイェのなかでつながってるんだし。ここにある木みたいに。
*
引用は『夜の木』(シャーム/バーイー/ウルヴェーティ 青木恵都訳、http://www.tamura-do.com/絵本-夜の木/)、タムラ堂、2016年第5刷による。
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「東日本大震災」復興支援チャリティ書籍。ろうそくの炎で朗読して楽しめる詩と短編のアンソロジー。東北にささげる言葉の花束。
[執筆者]谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html