ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 04〉ジャーナリストと社会運動の距離感

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Published On: 2016/6/14By

 
取材という行為自体、対象になんらかの影響をあたえてしまいます。だからといって開き直って運動にかかわることもできません。一記者として、一市民として、目の前にある問題にどう向きあうか。自分の後頭部を見つめるもうひとりの自分がいます。[編集部]
 
 
 記者だからこそのジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたが記者ならどうするだろう。

1:: 思考実験

先日オープンしたばかりの小洒落たカフェは、20~30代の女性が10人あまり入ると、貸し切り状態になった。「地元新聞記者と昼下がりの語らい~コーヒーとケーキは無料」――そんな触れ込みで、地元の顔役にお願いし、子育て中のママたちに集まってもらった。支払いはわたしのポケットマネーからだ。
 ティラミス、モンブラン、シフォンケーキ、ベリーのタルト……。だれかがメニューを読み上げ、各自思い思いに注文した。ケーキが運ばれると、テンションがあがる。ベビーカーを押して最後にやってきた女性が席についたのを確認し、わたしは開会を宣言した。
 「きょうは、ある問題をお母さんたちと共有したいと思っています。何度も書いてきましたが、県立病院の小児科は風前のともしびなんです」わたしは医療記事のコピーを配りながら話し続けた。「医師不足は深刻です。県立病院では常勤の小児科医がひとりになりました。彼が辞めたら、何十キロも離れた県庁近くの総合病院しかありません。小児科の開業医もいますが、診察時間は限られていますし」
 「それじゃ困るんです」最後列の女性が手を挙げた。「どうにかしてよ」
 抗議するような口調に続いて、ほかの参加者からも不満が噴出した。
 「この町だけ小児科がなくなるのは不公平」「子育て支援を公約にしていた政治家はみな嘘つき」「簡単に辞めていく医師も無責任」……。「なんでこんな町に嫁いで来たんだろ」という自虐的な言葉まで飛び出した。
 県中心部に比べて、この町は見捨てられている。そんな被害者感情がくすぶっていた。安心して子育てしたい。親ならだれしもそう思う。小児科医が足りないという記事をあらためて読まされれば困惑もするし、怒りもわく。
 でも医療現場を取材すれば、患者の側にも問題があるのは明らかだ。ただでさえ人手が足りないところへ、コンビニのように病院に子どもを連れてくる。子を愛するがゆえの行為が、医師たちから休日を、睡眠時間を、家庭生活を、奪う。希望を胸に地域医療に取り組んでいた医師たちは、やがて燃え尽き、疲れきって去っていく。
 ウルトラCのような解決策はないだろう。だから、まず問題意識を共有したかった。
 わたしは椅子から立ち上がり、全員を見回し、ゆっくりと話した。
 「さっき小児科の先生に会ってきました。きのう日勤でしたが、そのまま宿直に入り、けさ3時間ほど仮眠したあと、また午後もシフトに入り、今夜も宿直です。ひとりで小児科を支えている先生へのメッセージがあれば、承ります」
 軽いざわめきのあと、みな押し黙ってしまった。店の柱時計の音がみょうに大きく聞こえる。お開きにしようか。そう思う一方、ある考えが浮かぶ。親たちから声が出ないのなら、いっそ、わたしが運動を提案してみようか。
 〈みんなで力を合わせて、小児科を守るグループを作るんです。医師を増やすよう署名を集める。コンビニ受診を控える啓発パンフを町中に配る。病院の先生に感謝の手紙を書く。できることからはじめるんです。やりましょう!〉そんなセリフが喉元まで出かかった。この提案は許されるだろうか。

    [A]頭を冷やせ。ジャーナリストの仕事は、事実を伝えるところまで。対象に働きかけちゃダメだ。一線を越えれば「報道」ではなく「扇動」になる。親たちの声を記事するだけにとどめよう。
    [B]なにを躊躇している。情報を伝えるだけで完結すると思うな。戦争、貧困、差別、暴力……。ジャーナリストたちは情報伝達だけでなく、じっさいに解決のために汗を流してきたじゃないか。

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[提案しない立場] 座談会の目的は、地域医療の危機を考えてもらうこと。医師へのメッセージを募るだけでも誘導になる。地元紙記者には権力性がともなう。取材対象を思い通りに動かそうとするのは傲慢で危険な行為だ。
 

[提案する立場] 運動を起こしてキャンペーン報道をすべきだ。声なき声に耳を傾け、困っている人に寄り添い、市民と一緒に問題を掘り起こせ。迫りくる危険を知っていながら、なにもしないでいる行為こそ卑怯で無責任だ。
 ↓ ↓ ↓
つづきは、単行本『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』でごらんください。

 
取材先でセクハラに遭ったら?
被害者が匿名報道を望んだら?
取材で“ギャラ”を求められたら?
被災地に記者が殺到してきたら?
原発事故で記者は逃げていい?
 etc.
 
正解はひとつではない。でも、今、どうする?
現場経験も豊富な著者が20のケースを取り上げ、報道倫理を実例にもとづいて具体的に考える、新しいケースブック! 避難訓練していなければ緊急時に避難できない。思考訓練していなければ、一瞬の判断を求められる取材現場で向きあうジレンマで思考停止してしまう。連載未収録のケースも追加し、2018年8月末刊行。
 
〈たちよみ〉はこちらから「ねらいと使い方」「目次」「CASE:001」「あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉


【ネット書店で見る】

 
 

畑仲哲雄 著 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』
A5判並製・256頁 本体価格2300円(税込2484円)
ISBN:978-4-326-60307-7 →[書誌情報]
【内容紹介】 ニュース報道やメディアに対する批判や不満は高まる一方。だが、議論の交通整理は十分ではない。「同僚が取材先でセクハラ被害に遭ったら」「被災地に殺到する取材陣を追い返すべきか」「被害者が匿名報道を望むとき」「取材謝礼を要求されたら」など、現実の取材現場で関係者を悩ませた難問を具体的なケースに沿って丁寧に検討する。
 
【ページ見本】 クリックすると拡大します。

【本書のトリセツ】
ステップ1、実際の事例をもとにした[思考実験]を読んで「自分ならどう?」と問いかける。
ステップ2、次のページを開いて[異論対論]で論点ごとに考える。対立する意見も深めてみると……?
ステップ3、事実は小説より奇なり。[実際の事例と考察]で過去の事例を振り返りつつ、支えとなる理論を探そう。
 
【目次】
ねらいと使い方 ジャーナリズム倫理を絶えず問いなおす
第1章 人命と報道
 CASE:001 最高の写真か、最低の撮影者か
 CASE:002 人質解放のために警察に協力すべきか
 CASE:003 原発事故が起きたら記者を退避させるべきか
 CASE:004 家族が戦場ジャーナリストになると言い出したら
第2章 報道による被害
 CASE:005 被災地に殺到する取材陣を追い返すべきか
 CASE:006 被害者が匿名報道を望むとき
 CASE:007 加害者家族を「世間」から守れるか
 CASE:008 企業倒産をどのタイミングで書く
第3章 取材相手との約束
 CASE:009 オフレコ取材で重大な事実が発覚したら
 CASE:010 記事の事前チェックを求められたら
 CASE:011 記者会見が有料化されたら
 CASE:012 取材謝礼を要求されたら
第4章 ルールブックの限界と課題
 CASE:013 ジャーナリストに社会運動ができるか
 CASE:014 NPOに紙面作りを任せてもいいか
 CASE:015 ネットの記事を削除してほしいと言われたら
 CASE:016 正社員の記者やディレクターに表現の自由はあるか
第5章 取材者の立場と属性
 CASE:017 同僚記者が取材先でセクハラ被害に遭ったら
 CASE:018 犯人が正当な主張を繰り広げたら
 CASE:019 宗主国の記者は植民地で取材できるか
 CASE:020 AIの指示に従って取材する是非
あとがき ジャーナリストの理想へ向けて
 
■思考の道具箱■
傍観報道/番犬ジャーナリズム/共通善/危険地取材/臨時災害放送局/CPJ/自己責任/メディアスクラム/合理的な愚か者/サツ回り/犯罪被害者支援/熟議/被疑者と容疑者/世間/特ダネ/倒産法/コンプライアンス/知る権利/取材源の秘匿/2種類の記者クラブ/地位付与の機能/ゲラ/報道の定義とは?/小切手ジャーナリズム/記者会見/「ギャラ」/キャンペーン報道/アドボカシー/黄金律/NPO(非営利組織)/地域紙と地方紙/アクセス権と自己情報コントロール権/良心条項/記者座談会/ゲリラとテロリズム/ポストコロニアリズム/倫理規定/ロボット倫理/発生もの
 
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はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
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