めいのレッスン ~ふいてつぶして(1)

About the Author: 小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
Published On: 2016/6/17By

 
 
あ、
何か、
が、足もとをとおってゆく。
とっさに、ふい、とからだはよけるが、何かが何なのかわかるまでにはちょっと時間がかかった。
からの、2リットル入りのペットボトル。
ふりかえると、通る人たちのあいだ、駅から横断歩道まですこしだけ傾斜があるから、風にあおられ、ゆっくりと、バウンドする。
軽いからころがり、ひっかかり、ほんのちょっとだけれど、風をうけ、うきあがって、とぶ。とまる、でもあるように、とまる。すぐ。
ガードレールに電柱にぶつかり、あっちへこっちへと動いてゆく。とても気ままで、でも、すこしだけ気味わるかったりもし。
空中だったら風船なのかもしれないが、地面に接しているのでたくさん障害物がある。歩いている人はほとんど、さっ、とよける。よけるというより、身をかわす。ぼん、とぶつかってしまう人もいるのだろうが。ほとんど透きとおった、膝下くらいの物体が、急に足元にあらわれるのだ。さっ、というより、ひょ、っという形容がなじみそう。ときには人に蹴られもするし、見ているあいだはなかったけれど、踏みつけられもするはずだ。
なかにこもりもするのだろうか、どこかのんびりしたような、くぐもった音が、すこし雲がながれている青空の、わたし、わたしたちの足下でひびいている。
風が、季節の変わり目だからだろう、すこし吹いている。

 
サイェがペットボトルを指先ではじく。
はじいてはすこし間をおいて、また、はじく。
上のほう、下のほう、中指の爪で。
人差し指と中指、二本のはらで。
中指の先で、ちょっとつよく。
いきなり、貼ってあるシートをミシン目にそってゆっくりやぶる。
ぴりぴりぴりぴり。
飲みのこしてあったお茶を、少し、ふったり。
大きさは500ミリ・リットル。

 
そんなことなどしないめい・・である。
ペットボトルを持ってくることだってない。やかんで沸かした湯で茶碗にお茶を淹れる、冷蔵庫のなかにあるものをコップに移す。それがふつうで、ペットボトルにじかに口をつけることもしない。聞いたことはないが、きっと衛生的ではないとおもっているのだろう。とても潔癖なのだ。そんなことだと耐性がつかないぞといつもおもうのだが。
どうした、そんなの持ってきて?
しばらくしてから、尋ねる。
と、言うのである、学校に来た人がいる、と。体育館で生徒たちがぐるっと囲んで、いろんなことをするのだ、と。

 
ふたりのおにいさんが、いろんなものを持ってきた。
大したものじゃないの、大きさの違うペットボトルが多くて、あとはゴム風船とかゴムまりとかゴムホースとか。金属の板なんかもいくつかあったかな。大きめの水槽も用意してあって。
おにいさんたちは、ときどき、話したりもする。でも、声より、持ってきたものを動かしたりするのを、何が起こるんだろう、って、わたしたち、目で追ってゆく。
大したことするんじゃない。ペットボトルをたたいたりつぶしたり。ねじったり水をいれたり。でも、それがおもしろいの。「お笑い」じゃぜんぜんないのに、ちょっとしたことばとか、口や声でだす音が、ペットボトルの音と一緒になったりずれたりしながら、どっちがどっち、ってかんじで、つい、笑っちゃう。
詩や物語の朗読みたいなことをひとりがしてるとね、行とか語のあいだで、ちょっと間があるでしょ、小さなペットボトルが、ぴき、とか、ぎゅう、とか、ばりばり、とかはいってくる。それがおかしいんだけど、へんに痛いようだったりもして。
ホースとかはね、まわすとひゅるひゅるひゅるひゅる、宇宙船が飛んでくるような音がするんだ。金属を叩きながら水のなかにつけこむと、音が変わったりもしてね。
とくに何がどう、というわけじゃない、ひとつのはなしがずっとつづくわけでもない。でも、すぐ終わっちゃった。みんな熱中してたんだよ。

 
そっか、サイェは、それで、珍しくペットボトルで試してみようとおもったんだ。いや、きっとサイェだけじゃなく、そこにいた生徒たち、うちで、それぞれにペットボトルをいじっているんじゃなかろうか。

 
ペットボトルが生活のなかにはいってきたのはいつからだったろう。
はっきり記憶にあるのは、はじめてフランスに行ったとき。歩く人でもメトロに乗る人でも、リュックやバッグに、手に、ペットボトルを持っていて、それがほかでもない水だというのは発見だった。こちらの感覚では、水は買うものではなかったし、どこでも飲めるものだった。はなしとしては知っていたものの、こうやって持ち歩かれているだけで風景が変わってみえた。とはいえ、何年かのうちに、瓶や缶のあいだにペットボトルがはいってきて、ごくふつうの、見慣れたものになった。台所には箱で常備されている水がある。出歩くときには、ペットボトルを、あるいは、小さな水筒をバッグにいれている。

 
 
挿絵用13

 
 
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[執筆者]小沼純一、谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html

About the Author: 小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
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