めいのレッスン ~ふいてつぶして(2)

About the Author: 小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
Published On: 2016/6/24By

 
 
サイェが、ペットボトルに下唇をあて、音をだそうとしている。すーすーと息の音ばかりする。
そうなんだよな、なんか、ペットボトルだとうまくいかない。いい音がしないんだ。
わたしはシンクの下をのぞいてみる。ここ一二週間に使用済みになったペットボトルや缶や瓶がしまってある。そろそろ処分しなくてはとおもっていたものがたまっている。
ワインとジンジャエールの瓶、ビールの缶、を引っ張りだし、口のあたりをかるくふきんで拭く。サイェはまだペットボトルと格闘しているが、こっちはこっちで、何本かの瓶に息を吹きこんでみる。あ、という顔をしてこっちをみるサイェ。わかっているけどわかっていない顔をして、わたしは、うーん、あまりいい音がしないなあ、とひとりごちてみる。大きなビール瓶があるといいんだけどなあ。ガラス瓶だとしっかりした、つよい音がする、っておもっているんだけど、錯覚かな。あるいは、その大きさやかたちのせいかな。材質は関係があるのかどうか。

 
飲みものの記憶は、容器とともに、ある。まず瓶があり、それから空き缶があり、そのあとでペットボトルが、やっと、くる。紙のパックもあったな。
牛乳瓶やヨーグルトは、瓶についている紙のふたをあけるときに音がした。ぽく、と、ごくごく小さな音だった。小さな錐のような栓抜きは、いま、どうなったんだろう。栓抜きをつかわずとも、はしをちょっとつまんで音もなく開けたりした。たまにうまくいかなくてふたが何枚にも分かれてしまうことがあった。何枚も紙が重なってるのが、電車のキップみたいだとおもうこともしばしばだった。いまの牛乳はほとんど紙のパックだから、つぶすときに、それも足でむりやり、瞬間的に、ぼす、っとやらないと、おもしろくない。缶だと堅くてつぶすのは容易じゃなかった。いまなら空き缶だって手でぺしゃんこにできる。便利だし、もしかすると、ストレス発散ができるのかもしれないが。いまは面は四角、直方体になってほとんどで見掛けなくなったけれど、三角形の面のテトラパックとかもあったっけ。
ジュースやコーラもみんな瓶だった。
栓抜きがないと、開けたくても開けられなかった。栓抜きは、プロレスの「凶器」にもなってたっけ。栓を王冠と呼んだり、王冠の裏にあるコルクをはがすと(これにも牛乳の栓抜きをつかったな)、当たりくじがあったりもした。ラムネのなかのビー玉が転がるのは好きだった。開けるものがないから、めったに飲む機会はなかったけれど。

 
ふと、おもいだしたのは風呂のこと。つながりなんてないのに、
風呂での音は、またべつのたのしみだった。特に、手ぬぐいをしずめるのは。湯気でいっぱいになったなかで、音もまたくぐもっている。
教えてくれたのは父だった、とおもう。目の細かい、木綿でできた手ぬぐいを、まだお湯にぬらさぬまま、空気をつつみこむように、そうだな、パラシュートみたいにして、一気にお湯のなかに、片手ずつもったところをまんなかに寄せて、沈めてゆく。手ぬぐいはまあるくなって、お湯のなかから、ぷつぷつと泡があがってくる。このときの手ぬぐいの丸さが好きだったし、のぼってくる泡が好きだった。たこ、たこ、と言って笑った。もっと沈めて、手に持った下のところはそのままに、なかの空気がぜんぶでてしまう前に、たこのあたま(胴体)が小さくなってしまう前に、あたまをつかんでつぶす、と、泡がいっぺんに、しゅうううう、とあがってきて、手ぬぐいはしぼんでしまう。お湯のなかで、絵柄がくるりと反転したり、乾いているのとは違ったかたちになったりもし。どこか、破壊的な快楽もあったのかどうか。いまでも、やってみたら、おもしろいだろうか。
みかんやゆずやショウブをつつむふくろも手ぬぐいでつくってあった。ときにお風呂にはいると湯に浮かんでいるいい香りのする袋。木でできた湯船とにおいと湯気とがひとつになっていた。
いまはあまり洗面器ということばをつかわなくて湯桶というほうが多いのだろうか、まわりが広がっていない、円筒形にちかい桶をさかさにお湯に沈めて、ぶく、ぶくぶく、ぶくぶくぶく、となかの空気を小出しにしてゆく。船のおもちゃを浮かべておいて、下からこの空気で揺るがして、ひとり特撮番組をやっていた。

 
サイェ、手ぬぐいのたこさん、教えてもらった? お風呂でおかあさんといっしょにやらなかった?
めいはちょっと考える様子をしたが、ちょちょっと小さくあたまを振った。ほんと? 忘れちゃったんじゃない? うーん、どうもほんとうにやってはいないらしい。よく考えたら、紗枝のうちの湯船はとても浅い。昔の四角くてからだを折り曲げるようなかたちとは違っている。それに、手ぬぐいじゃなくてタオルだ。きっと、そんなことをわたしの妹がおもいだせるきっかけもないのだろう。わたしだって、サイェがペットボトルを叩いたりしなければ、こんな連想ははたらかなかったろうから。
今度、実家で、手ぬぐいをもらってこよう。きっと押し入れにつかっていないのが積み重なっているはずだ。寿のしるしがはいっていたり、お年賀とかお祝いとかおもての紙に記されているのが。紗枝は、何?と怪訝そうな顔をするだろうけれど。

 
 
挿絵用17

 
 
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[執筆者]小沼純一、谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html

About the Author: 小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
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