ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 05〉戦場ジャーナリスト、君死にたまふことなかれ

7月 12日, 2016 畑仲哲雄

 
ジャーナリストは現場で難問と向きあい、悩みながら情報を送り出しています。でも彼ら送り手だけで「報道ジャーナリズム」が成立するわけではありません。報道をとりかこむ場面も含めて考えてみたいと思います。[編集部]
 
 
 報道をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

 上がりかまちで靴紐を結わえると、せがれはすっくと立ち上がった。背中ほどのショルダーバッグを肩から担げ、振り向いて言った。
 「じゃあ……行ってくるから」
 ぎこちない作り笑い。もしかして、これが見納めになるのだろうか。そう思うと言葉が出てこない。
 「そんな心配そうな顔すんなよ」倅は、困ったなあという表情で頭をかく。
 親ばか? 言いたいやつらには言わせておけばいい。自慢のひとり息子なのだ。わたしが若かったころに比べれば、倅はずっと逞しい。バイトに明け暮れ、東南アジアや南米、アフリカをリュックひとつで旅した。大学卒業は1年遅れたけれど、旅先で撮ったビデオを番組で紹介してくれた地元放送局に、就職が決まった。そう聞かされたとき、わたしは本人以上に嬉しがっていたと思う。
 順風満帆のはずだった。なのに、やつは、ただひとりの家族であるわたしに相談もせず、わずか5年で辞表を書き、フリーになった。鉄砲の弾が飛んでくるような場所で映像取材する戦場ジャーナリストに。
 昨晩、差し向かいで飲んだ。
 「わかってくれよ。おれは世界で勝負したいんだ。じぶんを試したい」
 「そんな危険な場所じゃなくても、活躍できるだろ」
 「わかっちゃねぇな。戦場にはカメラマンが必要なんだよ。何が起きているが伝える人が」
 「でも、縁もゆかりもないところだろ。だいたい、この日本にも困ってる人は大勢いるじゃないか」そういうと、沈黙が1分ほど続いた。
 「ありがとう、ごめん、許してくれ、おやじ」やつは軽く頭を下げた。「もちろん生きて帰ってくるよ。けど、もし、……もしもだけど、おれが向こうで何かに巻き込まれてもさ、毅然と振る舞ってくれよな。自己責任だから」
 いまも頭の中を「自己責任」という倅の言葉が何度もこだまする。そんな科白、やつは言ったことがない。
 今度の取材は、これまでとは違うのかもしれない。ジャーナリストが相次いで亡くなっている。次はやつか。そう思うと、いてもたってもいられない気持ちになる。
 息子はドアを開けた。「元気でな」いままさに、倅は家を出ようとしている。わたしは眩暈を感じた。二日酔いのせいではあるまい。引き留めるのなら、まだ間に合う。
 わたしは、いったい、どうすればいいのだろう。

    [A]覚悟が必要だ。彼には彼なりの野心もある。危険な地域に赴いて医療支援や平和活動をする人たちがいる。戦場ジャーナリストの仕事もそれと同じ。彼を誇りに思うべきだ。笑顔で送り出せ。「かならず生きて帰るんだぞ」と。
    [B]ばかを言うな。やつを唯一引き留めることができるのは、このわたしだけだ。世界で活躍するチャンスかもしれないが、経験豊富なジャーナリストたちも運悪く命を落としているじゃないか。「行くな……父の頼みを聞いてくれ」

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[送り出す立場] 彼はみずからの自由意志で紛争地へ赴くプロの報道写真家だ。たとえ政府であろうと、彼の行動を阻止する権利などない。わたしが心配していることは、彼も承知している。それでも行くというのだ。その意志は尊重すべきだ。笑って見送れ。
 
[引き留める立場] 彼はわたしにとって最愛の家族だ。縁起でもないが、もし万が一のことがあったら、わたしも生きる意味を失う。彼を大切に思う人は、わたし以外にもいるだろう。彼の人生は、彼ひとりのものじゃない。そのことをわからせろ。行かせるな。
 
[送り出す立場からの反論] 彼を突き動かしているのは、世界で認められたいという野心だけではない。世界は不条理に満ちている。苦しみや嘆きを伝える報道写真家は、人道支援の活動家と同じく貴重な存在だ。その使命は崇高だ。そんな彼を誇りに思おう。
 
[引き留める立場からの反論] 紛争地のジャーナリストを崇高と思う人はもはや少数だろう。「他人の不幸で賞金を稼ぐハイエナ」「危険中毒の社会不適合者」人質になったりしたら「国に迷惑をかける厄介者」呼ばわりだ。家族も友人もみなバッシングを浴びることになる。彼はその責任を取れるのか。
 
[送り出す立場からの再反論] ジャーナリズムの重要性を人々に理解させるのも、ジャーナリストの仕事だ。抑圧、搾取、暴力……。権力者が隠そうとする事実をさらけだす。そんな立派な仕事をした先達は世界に大勢いる。何があっても、泣きごと言うな。息子が望むよう、毅然と振る舞うのが家族のつとめだ。
 
[引き留める立場からの再反論] カッコつけるな。国が渡航自粛を要請し、大手メディアが取材陣を引き上げた危険な地域へ行くのは、傭兵や志願兵のようなものだ。弾に当たるか当たらないか。それは言ってみれば運次第だ。いい写真を撮ったとしても紛争は止まない。それくらい息子も知っているはずだ。
 
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