4.左派における2つのライシテ概念
2012年より権力の座にある左派も、2つの異なるライシテ概念のあいだで引き裂かれている。マニュエル・ヴァルス首相は「妥協なきライシテの擁護」を提唱しており(CRIFの会合での発言、2016年1月18日)、ネオ・ガリカニスムの視点に立っている。彼は権力分立の原則にもかかわらず、司法機関によるライシテの警戒が不十分だと思えば、批判も辞さない。2013年3月には破棄院を、2016年8月にはコンセイユ・デタ(国務院)を批判している。「共和国の原理とは、自由、平等、博愛そしてフランス流のライシテだ」と述べるヴァルスもまた、フランスのスローガンにライシテを付け加えようとしているようだ(『ハフィントン・ポスト』2016年9月5日付)。
しかしヴァルスは、ブルキニ事件の際に〔フランス革命以来「共和国」を象徴する女性像となっている〕マリアンヌの寓意像を引き合いに出すことで、右派とは一線を画そうとしている。「マリアンヌは胸をはだけている〔……〕、覆っていないのは彼女が自由だからだ!まさにこれが共和国なのだ」(コロミエでの会合、2016年8月29日)。歴史的には、マリアンヌには2つの図像学的な伝統が共存し、それぞれがフランス共和国の異なる概念を象徴している[3]。すなわち、おとなしく腰掛け、胸を覆い、武器を持たない平和のマリアンヌと、頭にフリジア帽を被り、胸をはだけ、「好戦的で武器を手にした」革命のマリアンヌである。けれどもこれは、フランス社会において女性に与えられた地位とは何の関係もない。フランスは普通選挙権が男性に与えられた年(1848年)と女性に与えられた年(1944~45年)が最も時間的にかけ離れた国のひとつである。それに、反教権主義者が女性の参政権を拒否するためにライシテを引き合いに出したという過去もある(告解をするカトリックの女性は、ヴェールを被る女性が「原理主義」に服従していると見なされているように、「教権主義」に服従していると思われていたのである)。
不正確にマリアンヌを参照していることは、実に興味深いと言うべきだ。左派は左派でも、ヴァルスはブリアンではなくロベスピエールの系譜、つまり和平をもたらす共和国ではなく革命の純粋性の系譜に位置している[4]。しかし、2つのマリアンヌを混同している彼は、いまや右派と大して違いがなく、右派を安心させることもしているのである。ヴァルスは首相に就任して間もない時期に、ヨハネ23世とヨハネ=パウロ2世の列聖式に公式に参加している(2014年4月)。ヴァルスとともに、共和国のネオ・ガリカニスムは2つの顔を示すようになった。ひとつは保護者の側面で、これはカトリシズムに特権的に向けられる(ただし同性婚の可否をめぐっては違いが浮き彫りになった)。もうひとつは管理者と監視者の側面で、イスラーム問題において支配的になる。国家は「フランスのイスラーム」を組織し、「共和国の価値」を受容させなければならないと彼は主張している。
2016年初頭、ヴァルスとライシテ監視機構【訳注10】の対立から、左派の内紛が明らかになった。これはヴァルスの前任者が命名した公式の機関で、1905年法およびそれをもとにしたライシテ関連の判決にもっぱら依拠している。この内紛の理由は2つあって、根本的な相違は続発するテロに直面して2つの相反する戦略に結び付いている。
【訳注10】「ライシテ監視機構」(Observatoire de la laïcité)は首相直属の機関で、ライシテに関する政府の政策を助けることを目的としている。起源はシラク政権にまでさかのぼるが、オランド政権下の2013年4月に設立された。当時の首相はジャン=マルク・エロー。この機関の長であるジャン=ルイ・ビアンコは、宗教的マイノリティの人権保障を重んじるライシテ観の持ち主で、ヴァルス首相が唱える厳格なライシテとはニュアンスを異にする。
第1の理由を説明しよう。首相は、バタクラン劇場のテロから2日後の2015年11月15日にライシテ監視機構が反テロ行為の請願書に署名したことを批判した。「私たちはひとつ」と題されたこの請願書は「死をもたらす非人間的なイデオロギーに動機づけられた殺人の狂信」を批判し、次のように述べる。「テロリストたち〔……〕はフランスを跪かせようとした。彼らに言ってやろう、私たちは立っているぞと。足で立ち、手に手を携え、一致団結している。ある者と別の者は協力し合っており、けっして反目し合ってはいない。私たちの統一性こそ、私たちの最も貴重な財産だ」。文書はこのように人を集結させようとするものだ。
ヴァルスは、この請願書に署名した80名のなかに、フランス内の「吐き気を催すような雰囲気」の醸成に一役買っているとされる人たちが含まれている点を問題視した。3人の「ムスリム同胞団【訳注11】に近いことで有名な闘士たち」のことだと思われる(Europe 1での発言、2016年1月19日)。ところで、たしかにムスリム同胞団はかなり厳格なイスラームを説いているが、この運動組織とテロ実行犯の関係を立証するものはまだ何もない。実行犯たちの「過激化」は、ある特定のムスリム団体の組織をもとにするものではなく、多くの場合はダーイシュのプロパガンダを伝えるジハード主義的なインターネット・サイトとのつながりによるものである。
【訳注11】1928年、ハサン・アル=バンナーによってエジプトで結成されたイスラーム主義運動。フランスでは長いあいだ「イスラーム原理主義」的な組織として警戒されてきた。
ヴァルスおよび少なからぬ左派にとっては、宗教に関して一定の「原理主義」を志向するものはすべて暴力的な過激主義への一段階をなす。それゆえに、このような原理主義に「近い」と言われる人たちとの対話や接触は、過激主義に対する弱さまたは共謀の印であって、ライシテ陣営を弱体化させ裏切ることになる 。私の見るところでは、ここにあるライシテの純粋さの追求は、一部の信者に見られる宗教の純粋さの探求、たとえば女性が全身を覆うヴェールを着用するに至る探求に似ているところがある。しかし、宗教的な純粋さの探求のようなものは、すべて際限なき悪循環に陥るよりほかない。人間にはつねに身体がつきまとうのであって、この観点から見れば、完全に「純粋」であることなどけっしてありえない。権力の座にある左派が求めるライシテの純粋さは非常に逆説的なものである。ヴァルスに反対する者たちは、フランス政府とサウジアラビアの関係を指摘する。この国が広めているイスラームは、ムスリム同胞団のイスラームよりも厳格なものであるからだ。
ライシテ監視機構にとっては、ヴァルスとは反対に、暴力的な過激主義と闘う者、ダーイシュを表立って否定する者はみな、自分と異なる点があったとしても、対話が可能な相手である。それはテロの脅威に直面して、まとまることのできる人たちである。それにテロは、あらゆる信仰の持ち主を区別することなく襲うものだ(たとえばニースのテロの被害者にはかなりの割合のムスリムがいたし、犯人に反対するデモにはヴェールの女性も参加している)。
ライシテ監視機構の戦略は、テロリズムを拡散する者たちをできるかぎり隔離し、テロリズムができるかぎり人の心を引きつけないようにし、「共和国の価値」の範囲の限界線上にいるとしばしば思われている人たちをも、ライシテのもとに集結させる包摂を目指すというものである。それは、彼らがこのような境界線上に位置しているのはなぜなのか、彼らを「共和国的な合意」の外にはじき出してしまう過程に巻き込みかねないのは何なのかを知ること、さらには共和主義的な合意の前提の諸側面を問い直すことにつながる。
たとえば、ムスリムに対する非難が繰り返し寄せられている。女性のヴェール着用のほか、ムスリムは異性の医者による診察を拒み(実際は、2016年4月、5月に発表されたIFOPおよびモンテーニュ研究所の調査によると、この数字はわずか7,5%だが、メディアが大々的に喧伝している)、異性とビーズ〔頬を合わせるフランスで一般的な挨拶〕するのを拒むと言われている(同調査によれば30%)。だが、このような態度は非ムスリムも取ることがあるし、なんら共和国を脅かすものではないとの指摘もある。ここにもやはり一種の歴史的な反復がある。20世紀初頭にはカトリック修道会に対して同じような攻撃がなされていたのである(たとえば、貞潔の請願は反共和主義的であるとされた。それは習俗の自由主義によって判断されたのではなく、貞潔の請願は子孫が設けられなくなることを意味するからであった)。
ヴァルスとライシテ監視機構の葛藤の第2の理由は、だいたいのところは第1の理由と重なっている。首相がこの機関を批判しているのは、この機関がメディア露出の高い哲学者エリザベート・バダンテールの「イスラモフォビアと見なされることを恐れてはならない」という発言に反対したからである。「イスラモフォビア」という言葉をめぐる議論はフランスで繰り返し巻き起こっている。バダンテールおよび多くの論者にとって、この言葉は、イスラームに対する批判をすべて受け付けなくするものなので、廃棄されなければならないという。これに対し、ライシテ監視機構側は、ムスリムを標的とする行為はフランスで増加しており、この言葉を用いないとその事実が隠れてしまう、少なくとも過小評価されてしまうと反論している。
結局のところ、オランド大統領が裏では支えているので、ライシテ監視機構の執行部はその役職に留まっているが、見解の相違はまったく消えていない。夏のあいだのブルキニ事件がそのことを示している。ヴァルスは、男女平等の名のもとに、この露出を抑える水着を条例で禁じた右派の市長たちを支持した。これに対し、左派の一部は、ブルキニを批判することは理に適っているが、禁止は「イスラモフォビア」に相当すると考えている。ここには、この概念を用いることの正当性(または非正当性)をめぐるイデオロギー的な争いの新たな一例を見て取ることができる。
実践において、政府の戦略は2つの立場〔ヴァルス首相の唱えるライシテとライシテ監視機構の提唱するライシテ〕を組み合わせている。それがよくわかるのは、テロの危険に対して政府がムスリムの指導者たちと共同戦線を張ろうとするときである。大臣たちも2つに分かれており、首相がマリアンヌの「はだけた胸」に言及したときには、2人の女性閣僚はあからさまに目につく形で、内閣の長に拍手を送るのを控えた。この違いからわかるのは、政権は明確な方針を持っていないということだ。このことが、ダーイシュのプロパガンダを挫くための行動の効果を損ねてしまうおそれがある。
結語
したがって、ライシテの歴史に対する視点の連続と変化が存在する。1905年時点における「2つのフランス」〔カトリックの教権派とライシテの共和派〕の勢力はほぼ拮抗していたが、今日ではそうではない。また、特にテロのリスクがあるという一般的な状況により、現在では「共通文化」の必要性について一定の合意が見られる。これは、ここ数十年使われてこなかった表現で、当時は「機会の平等」がよく口にされていた。しかし、この相対的な合意は「共通のもの」を構築する方法に関する見解の相違を妨げるものではないし、その違いは政治の左右の区別には対応していない。
歴史的な系譜に連なるやり方から、現在および近未来についての異なる構想が浮かびあがってくることがある。1905年の議論が陰に陽に参照されるのは、民主主義において「共通のもの」は不一致、対立、多様性を受入れることから構築されると考えられているからだ。法学者のミレイユ・デルマス=マルティは「命じられた=秩序づけられた多元主義」(pluralisme ordonné)を提唱している。この概念は「共通のもの」と親和性がある。「共通のもの」は固有の歴史の産物だが、歴史を拡張したものとしても現われる。それは、多かれ少なかれ最近のフランス人――そのうちのかなりの数は二重国籍者である――を包摂できるようなものである。
明示的にせよ暗示的にせよ、ルーツを参照することは――ガリア人でも、クローヴィスでも、さらには共和国フランスの原初の時代としての革命でさえも――、かえってフランス人を2つのカテゴリーに分断してしまうおそれがある。いわば生まれながらにライシテが染みついた「生粋のフランス人」(たとえこの表現が用いられていない場合にしても)と、ライシテに関して何度も身の証を立てなければならない新しいフランス人が分かれかねない。昔からのフランス人は、有名な漫画『アステリックス』に出てくるオベリックスのように、ライシテという「秘薬」に浸って生まれてくるのに対し、新しいフランス人は強迫観念のようにそれを毎日1さじずつ飲み込まなければならない。
テロのリスクが人びとの強迫観念となっている現在、テロという考えが人の心を引きつけることがないよう、フランスは模範的な人民でなければならないはずだ。しかし、あるカテゴリーの人びとをひそかに別にしてしまうと、フランスは過激主義と闘うと称して逆に過激主義を強化してしまうおそれがある。構造的には異なる状況であるとはいえ、1905年にブリアンが唱えていた「冷静沈着」はおそらく現在でも有効である。
[翻訳:伊達聖伸] 上智大学准教授。専門は宗教学(政治と宗教)、フランス語圏地域研究。『ライシテ、道徳、宗教学』(2010年、勁草書房、サントリー学芸賞、渋沢=クローデル賞、日本宗教学会賞受賞)、『共和国か宗教か、それとも』(共編著、2015年、白水社)ほか。
[1]Maurice Larkin, Church and State after the Dreyfus Affair. The Separation Issue in France, London, The Macmillan Press LTD, 1974.
[2]Jean Baubérot et Valentine Zuber, Une haine oubliée : L’antiprotestantisme avant le pacte laïque (1870-1905), Paris, Albin Michel, 2000.
[3]Mathilde Larrere, Révolutions! Quand les peuples font l’histoire, Paris, 2013. なお、マリアンヌ表象の第3のものとして、部分的に胸をはだけたものがある。これは子どもに乳を与える(伝統的な)役割を表わすもので、近代西洋の「自由な女性」像からは程遠い。
[4]Christophe Bellon, La république apaisée. Aristide Briand et les leçons politiques de la laïcité (1902-1919), 2 vol., Paris, 2016.
後篇の「今日のフランスにおけるライシテ――イスラームと〈宗教的なもの〉のグローバル化に直面して」は後日公開いたします。お楽しみに。
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書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b75896.html