ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 17〉犯人の主張を報道すれば犯罪の手助けになるか

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Published On: 2017/5/23By

 
主張には耳を傾けるべき内容がある。けれど、それが人質をとってなされた主張だったら? そのまま伝えていいのか。社会の歪みが凝縮されているような場面で、人質の安否情報も重なるとき、どういう道筋で考えることができるのでしょうか。[編集部]
 
 
 報道をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

現地の取材班が撮影した特ダネ映像をどう報道するか。それが東京本社で緊急招集した部長会議の課題だった。
 南半球の小国で1か月ほど前、高級リゾートホテルが武装グループに占拠された。現地の駐在員家族たちを招いてパーティーを開いていたところへ、自動小銃を手にした男女数人が乱入。子供と女性は解放されたが、12人の日本人男性が人質に取られた。
 その国の大統領府は、「テロリスト」たちを孤立させる目的で、ホテルの通信回線をすべて遮断し、電力供給も極力制限した。その作戦は、報道機関がホテル内部を取材する機会をも奪った。記者たちにとって、大統領府が唯一の情報源となっていた。
 そんななか、わが関東TVの現地取材班が昨夜、ホテルに運び込まれる医療品の箱に取材を申し込む密書を紛れこませたところ、けさになって、ホテルの窓ガラスに「関東TVへ 進入可」と書かれた紙が貼り出された。それを確認した取材班が、ホテルを取り囲む治安部隊の隙を突いて建物に駆け込み、衛星回線を通じて人質の映像を日本に送信してきた。
 緊急会議の冒頭、スクープ動画が再生された。カラシニコフと呼ばれる自動小銃とダイナマイトを手にした男女が画面いっぱいに映った瞬間、会議室はどよめいた。
 犯人に指示された人質が、邦訳された長い声明文を読み終えるまで10分近くを要した。
「第一の要求は不当に投獄されている仲間の解放。第二は結社と言論の自由。第三は少数者差別に対する謝罪と格差の解消。これより三つの要求の理由を説明いたします……[後略]」
 続いて20代前半とみられるリーダー格の男が現地語で話し、人質が通訳した。
「わたしたちは独裁者の弾圧に抵抗する少数民族の農民ゲリラです。大統領は貧しい者を抑圧し搾取します。独裁者の名に値します。わたしたちは人質を傷つけません。身代金も求めません。人質には申し訳ないが、この国の人権状況を世界の人に知ってもらいたいという一心で、死を覚悟してここへ来ました」
 話しぶりは穏やかで、若い教師のようだ。彼の手下たちはさらに年若く、10代に見える。大統領府が喧伝する「狂信的で残忍なテロリスト」とは異なる。
 続いて人質がひと言ずつ家族へのメッセージを伝えた。みな健康そうだ。じぶんたちが無事だということを家族に知らせたい。そんな人質の気持ちが伝わってくる。
 動画の再生が終わり、社会部長が言った。「人質の安否情報はスクープです。ただ、取材班がいうには、犯人側の声明をノーカットで放送するのが取材を受ける条件でした」
「そこが問題なんだ」政治部長が顔をしかめた。「あちらの大統領が『テロの宣伝に協力するな』って日本政府を通じて強く求めてきたんだ。公共の電波を使って奴らの演説を10分も垂れ流せば、さすがに日本の総務大臣も『停波』をちらつかせてくるだろう」
「取材は現場の独走と言い訳できても、オンエアは社の責任になる」「スクープを握りつぶせば士気が下がる」「国際問題に発展したらどうする」……
 報道局の責任者として、わたしはどう判断すればいいだろう。

[A]犯人たちの言いなりにならず、われわれの裁量で声明を編集して部分的に放送する。
[B]犯人たちとの約束を守り、通常ならありえない長さの声明をノーカットで放送する。

 ↓ ↓ ↓
つづきは、単行本『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』でごらんください。

 
取材先でセクハラに遭ったら?
被害者が匿名報道を望んだら?
取材で“ギャラ”を求められたら?
被災地に記者が殺到してきたら?
原発事故で記者は逃げていい?
 etc.
 
正解はひとつではない。でも、今、どうする?
現場経験も豊富な著者が20のケースを取り上げ、報道倫理を実例にもとづいて具体的に考える、新しいケースブック! 避難訓練していなければ緊急時に避難できない。思考訓練していなければ、一瞬の判断を求められる取材現場で向きあうジレンマで思考停止してしまう。連載未収録のケースも追加し、2018年8月末刊行。
 
〈たちよみ〉はこちらから「ねらいと使い方」「目次」「CASE:001」「あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉


【ネット書店で見る】

 
 

畑仲哲雄 著 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』
A5判並製・256頁 本体価格2300円(税込2484円)
ISBN:978-4-326-60307-7 →[書誌情報]
【内容紹介】 ニュース報道やメディアに対する批判や不満は高まる一方。だが、議論の交通整理は十分ではない。「同僚が取材先でセクハラ被害に遭ったら」「被災地に殺到する取材陣を追い返すべきか」「被害者が匿名報道を望むとき」「取材謝礼を要求されたら」など、現実の取材現場で関係者を悩ませた難問を具体的なケースに沿って丁寧に検討する。
 
【ページ見本】 クリックすると拡大します。

【本書のトリセツ】
ステップ1、実際の事例をもとにした[思考実験]を読んで「自分ならどう?」と問いかける。
ステップ2、次のページを開いて[異論対論]で論点ごとに考える。対立する意見も深めてみると……?
ステップ3、事実は小説より奇なり。[実際の事例と考察]で過去の事例を振り返りつつ、支えとなる理論を探そう。
 
【目次】
ねらいと使い方 ジャーナリズム倫理を絶えず問いなおす
第1章 人命と報道
 CASE:001 最高の写真か、最低の撮影者か
 CASE:002 人質解放のために警察に協力すべきか
 CASE:003 原発事故が起きたら記者を退避させるべきか
 CASE:004 家族が戦場ジャーナリストになると言い出したら
第2章 報道による被害
 CASE:005 被災地に殺到する取材陣を追い返すべきか
 CASE:006 被害者が匿名報道を望むとき
 CASE:007 加害者家族を「世間」から守れるか
 CASE:008 企業倒産をどのタイミングで書く
第3章 取材相手との約束
 CASE:009 オフレコ取材で重大な事実が発覚したら
 CASE:010 記事の事前チェックを求められたら
 CASE:011 記者会見が有料化されたら
 CASE:012 取材謝礼を要求されたら
第4章 ルールブックの限界と課題
 CASE:013 ジャーナリストに社会運動ができるか
 CASE:014 NPOに紙面作りを任せてもいいか
 CASE:015 ネットの記事を削除してほしいと言われたら
 CASE:016 正社員の記者やディレクターに表現の自由はあるか
第5章 取材者の立場と属性
 CASE:017 同僚記者が取材先でセクハラ被害に遭ったら
 CASE:018 犯人が正当な主張を繰り広げたら
 CASE:019 宗主国の記者は植民地で取材できるか
 CASE:020 AIの指示に従って取材する是非
あとがき ジャーナリストの理想へ向けて
 
■思考の道具箱■
傍観報道/番犬ジャーナリズム/共通善/危険地取材/臨時災害放送局/CPJ/自己責任/メディアスクラム/合理的な愚か者/サツ回り/犯罪被害者支援/熟議/被疑者と容疑者/世間/特ダネ/倒産法/コンプライアンス/知る権利/取材源の秘匿/2種類の記者クラブ/地位付与の機能/ゲラ/報道の定義とは?/小切手ジャーナリズム/記者会見/「ギャラ」/キャンペーン報道/アドボカシー/黄金律/NPO(非営利組織)/地域紙と地方紙/アクセス権と自己情報コントロール権/良心条項/記者座談会/ゲリラとテロリズム/ポストコロニアリズム/倫理規定/ロボット倫理/発生もの
 
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はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
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