「名もなき家事」の、その先へ
――“気づき・思案し・調整する”労働のジェンダー不均衡
vol.01 見えないケア責任を語る言葉を紡ぐために
山根純佳さま
冬の足音がそろそろ聞こえてきそうな季節の変わり目、いかがお過ごしですか。
改まったお手紙を差し上げるのは初めてなので、筆をとる手が少し緊張しています。山根さんが博士論文をもとに書かれた『なぜ女性はケア労働をするのか』[1]は、後輩であるわたしにとって、頭の整理をしたくなるたびにいつも開いて、思考を助けていただいている大切な一冊です。女性が家事や育児などのケア労働を引き受けることが、当人にすら合理的に思えて(思わせて)しまうメカニズムをクリアに描き出した山根さんのご著書は、裏を返せば、なぜ男性はケア労働から一抜けしやすいのか(させてもらえるのか)を的確に説明したものでもあります。だからこそ、男性とケア/男性のケアをテーマに研究するわたしが、山根さんのご著書から学んだことは、数えきれません。
「名もなき家事」――語られ始めたもう一つの家庭内労働
実は今こうしてお手紙を書いているのは、まさにそのケア労働について、山根さんときちんとお話をさせていただきたいと思っているからです。それは、ケア労働のなかでもこれまであまり議論の的になってこなかったこと、いわば、見えないケアの負担についてです。
ここ最近、インターネット上で「名もなき家事」(あるいは「名前のない家事」)という言葉が話題に上っていることはご存じでしょう。写真家の長島有里枝さんのインタビュー記事[2]がその端緒のようですが、一言で言えば、家事の前提となる仕事を指す言葉、とまとめても差し支えないと思います。
長島さんは例として、毎日の献立を考えること、生活用品の残りを把握してストックを用意すること、などを挙げていますが、これらはすべて、それをしておかないと家事を始めることができないものばかりです。晩ごはんに何をつくるか具体的なアイディアがなければ、料理を始めることはもちろん、買い物にも行けませんし、洗剤が切れたままでは、必要なときに洗濯や掃除をしようにもできないからです。付け加えると、献立を考えたり必要な道具や材料を揃えたりという仕事は、お財布と相談しながら行う必要があります。家事は定期的に、毎日のように行わなければならないもの。だとすれば先々を考えて、経済的に無理なく続けられる範囲で行わなければいけないからです。必要な家事を必要なときに行えて、それによって家庭生活を回していけるのは、「名もなき家事」という名のアレンジメントが行われているからこそ、だといえます。
つづきは、単行本『ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか』でごらんください。