あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からご覧いただけます。
ジェフリー・ミラー 著/片岡宏仁 訳
『消費資本主義! 見せびらかしの進化心理学』
→〈「訳者あとがき」ページ(pdfファイルへのリンク)〉
→〈目次・書誌情報はこちら〉
訳者によるサポートページはこちら→〈ジェフリー・ミラー『消費資本主義!』サポートページ〉
訳者あとがき
1 書誌情報&サポート情報
本書は下記の全訳です:
Geoffrey Miller, Spent : Sex, Evolution, and Consumer Behavior. Penguin Books, 2009.
翻訳にあたって、底本にはペーパーバック版を使いました。原書と同じく、原註・参照文献リスト・読書案内は本そのものに収録せず、下記のサポートサイトに別途掲載しています。
刊行後に見つかった訂正箇所の情報も、こちらのサポートサイトに随時掲載します。
2 著者について
著者ジェフリー・ミラーは、進化心理学者として多数の研究を発表し続けると同時に、専門知識をふまえて本書のような一般向け著作を書いたり、さらには政府や企業のコンサルタントをやったりと、華やかな活躍をくりひろげている人物です。日本では、邦訳『恋人選びの心』が専門家以外の読者層にも広く知られるところでしょう。
一九六五年、アメリカ(オハイオ州)生まれ。コロンビア大学卒業後、スタンフォード大学で実験心理学の Ph.D をとり(博士論文「歯止めなき性選択による人間の脳の進化」; 一九九四年)、コレッジ・ロンドン大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で教えたのちに、二〇〇八年からニューメキシコ大学准教授の職にあります─というあたりが、とりあえずの著者プロフィールです。彼が消費主義やマーケティングをとりあつかうようになったいきさつについては、本書第2章で語られています。
3 これまでの著作活動のラフスケッチ
第一線で活躍する心理学者として、ミラーは一九八九年からこれまでに多数の専門論文を精力的に出し続けています。ざんねんながら、専門外の訳者には、こうした大量の専門論文を評価・紹介する力量はありません。ここでは、つまみ食いていどにミラーの著作活動を紹介します。
3-1 性選択の威力
ミラーは一九九〇年代前半から性選択(性淘汰)を扱う論文を続けていくつも出しており、これがのちに『恋人選びの心』に結実し、専門外の広い読者にまで彼のアイディアが広まることとなりました:
⃝『恋人選びの心』(The Mating Mind, 2001; 長谷川眞理子=訳、岩波書店、2002 年)。
性選択の論理によってヒトに固有な謎が解ける、というのがミラーの主張です。ミラーによれば、ヒトにはこういう「謎」があります─なるほど「ホモ・サピエンス」をぬけぬけと自称するくらい、ヒトの頭脳はすぐれています。ところがこの頭脳はたいへんなエネルギーを食う贅沢品でもあります。燃費を犠牲にしてまで、大きくて高性能な脳をもって割りに合うのでしょうか? かしこいチンパンジーたちですら、人間の3分の1ていどの頭脳でじゅうぶん間に合っているようですし、他の圧倒的多数の動物たちはずっと小さな脳みそで見事に生き延び続けています。「いやいや、人間はいろんな道具をつくったり技術を生み出したり農業を始めたり巨大な都市や交易システムを生み出したりして、立派に頭脳を生存に役立てているじゃないか」と思いたくなるところですが、そうした文明が登場したのは比較的最近のことであって、いまの私たちと同じ基本仕様だった10万年前のアフリカのヒトは、そういう生存の便益を享受していませんでした。つまり、やたらとエネルギーを食う大きな頭脳が登場した時期と、頭脳が大きな生存の便益をもたらすようになった時期にはズレがあります。しかも、ヒトの頭脳は音楽や詩やジョークや物語といった多彩な人工物をつくりだしています。こうした複雑精緻な人工物には、これといった生存上の利点が見当たりません。「いったいどういうわけで、ヒトはこんな風になっているのだろう?」─その謎を性選択で解いてみせようじゃないかというのが、この方面でのミラーの著作です。
3-2 「モテたいかね諸君」
こうした知的探求を進める一方で、作家タッカー・マックスと組んで、モテない男性のための(そう、この訳者みたいな人間にぴったりの!)異性交際指南本も出しています:
⃝ 『女性のお望みの男になろう』(Mate : Become the Man Women Want, 2005; 邦訳なし)
ここでも心理学者ミラーらしく、男女の心理面の性差に関する研究を下敷きにしながら「まずは女性の視点を理解しよう」というところから説き起こすなかなかおもしろい本です。(一例として、男女で性欲の強さがちがうことに注意をうながしていますが、これは女性読者からみても「えっ、男性ってそんなに…そうなの?」とちょっとした発見になるようです。)
3-3 消費主義の進化心理学:本書以前
二〇〇〇年前後からは、本書に通じる消費主義に関する著述も公表しはじめています。とはいっても、それまでの研究とまるっきり切り離された考察ではなく、ミラーらしく、進化心理学とくに性選択の観点からアプローチしています。
その最初期、一九九九年にイギリスの知的総合誌『プロスペクト』に公表された論考「無駄遣い:性で読み解く消費主義批判」には、早くも本書の根っこにある問いと考え方が登場しています─音響機器メーカーのゼンハイザーが展開するヘッドホンの最高級機種「オルフェウス」は、なんと二〇〇万円もする(当時)。だけど、三〇〇〇円くらいの同社のヘッドホンに比べてものすごくすぐれているわけでもない。いったいなにがどうして、ゼンハイザー「オルフェウス」をほしがるようなサルを進化が生み出すにいたったんだろう?
「標準的なダーウィン主義」ならこう考えるだろうとミラーは言います─進化によって、我々ヒトにはいろんな好みや欲求が備わっている。たとえば、進化の時間尺度でみればヒトにとって圧倒的に「ふつう」の環境だった旧石器時代に、砂糖は栄養面で貴重なモノだった。そこから、我々には砂糖のような甘いものに対する好み・欲求が備わっている。機会を見つけたらどんどん甘いものを摂取したくなるように配線されている。こうした観点で見れば、自由市場の消費主義は我々の好み・欲求をうまく充足する(充足しすぎる)仕組みだ─しかし、こういう「進化した欲求」説では、ゼンハイザー最高級ヘッドホンの説明がつきません。心地よい耳への刺激を求める好みや欲求があるにしたって、廉価機種とハイエンド機種に間にある文字通り桁違いのコスト差に対応するほど、音響面の品質にちがいがあるはずがありません。
謎をとくための手がかりは、ソースティン・ヴェブレンがいう「見せびらかし消費」(顕示的消費)にあります。生存・生活に欠かせないとか、そのモノじたいが心地よい刺激や快楽でヒトの好みや欲求に答えてくれるからというのではなくて、他人に見せびらかすための消費に、みんなはけっこうなお金を注ぎこんでいます。
とはいえ、ミラーによれば、ヴェブレンのアイディアそのままでは、まだ謎解きはできません。ヴェブレンがダーウィンに出会う地点を見つけ出さねばならない、それが性選択であり配偶者獲得のためのシグナリングだと言います。ちょうどクジャクのオスが「無駄に」立派な尾羽をメスに見せびらかして「ほらほら、こんなハンディキャップがあっても生き残れるくらいぼくはすぐれた資質の持ち主なんだよ」とシグナルを送らねばならないのと同じように、現代のヒトは「無駄な」見せびらかし消費という歯止めなきゲームにはまりこんでいるというのがこの時点のミラーの所見でした:生物学でいう「歯止めなき(ランナウエイ)性選択」の論理と、ヴェブレンが考察した「歯止めなき(ランナウエイ)消費主義」の論理は同じだ─そうミラーは断定します。
とはいえ、この一九九九年の段階では、まだビッグファイブ因子などの重要な切り口は登場していませんし、マーケティングの果たす大きな役割もさほど重視されていませんし、しかも、もっぱら配偶者獲得のためのシグナリングという観点にかたよっていたりと、まだまだアイディアを素描した程度にとどまっています。もっと考察を深め、紙幅をたっぷり使って十全な議論を展開するには、本書をまたねばなりませんでした。
こうして、本書『消費資本主義!』に話がつながります。
4 これはどんな本?
本書の内容は、次の三点にわけられます:⑴私たちが見せびらかし消費で見せびらかそうとしているものは富や地位というよりみずからの資質・適応度だということ;⑵そうした見せびらかしの欲求に対して、現代社会ではマーケティングの魔術が猛威をふるい、あたかもしかじかの商品・サービスによってのぞみの資質を(ときに誇張して)他人に宣伝できるかのように人々に思わせているということ;⑶そうした見せびらかし消費から抜け出るために個人単位でできることや社会全体でとれる方策についての提案。
4-1 なにを見せびらかしてるんだろう?
かつてミラーがたてた問いはこういうものでした─「いったいどうしてぼくらはゼンハイザー最高級ヘッドホンみたいなモノを買うような消費をやってるんだろう?」
ハンディキャップ原理をふまえると、こんな考えが思い浮かぶかもしれません:とんでもない価格の最高級ヘッドホンは、そんなとんでもないお金を出せる人にしか買えないから、その人の富を示す信頼できるシグナルになるんだ。とんでもない価格は、そういう人にとってむしろ便益になってるんだよ。」なるほど一理ありますが、それではどうしてよりによってヘッドホンでなければいけないのかがわかりません。ものすごいお値段の高級品なら他にごまんとあります:豪邸もあれば、高級車もあれば、絵画コレクションもあります。それに、高級車と一口に言ってもいろんなブランド・車種があります。高級でありさえすれば、BMWとキャディラックのどっちでもべつにかまわないというオーナーはそうそういないでしょう。
視野を広げれば、そもそも生活必需品やたんなるコモディティ以外の消費はとてつもなく多種多様です。おしゃれカフェでラテをわざわざライカカメラで撮影してインスタグラムに公開してみたり、整形手術で鼻のかたちをいじってボトックス注射でしわをとったり、何百万円もの費用を払って4年も大学に通い卒業証書を手に入れたり、さもなくばニセ学位を買ってみたり─たんなる「富」や「地位」の見せびらかしでは片付けようがなさそうです。こうした広大で入り組んだ消費社会の樹海に、いったいどういう見通しをつければいいのか、いきなり絶望的になってしまいます。
ところが、本書『消費資本主義!』の中心となっている主張は単純です。まず、ミラーによれば、消費主義には2つの顔があります。ひとつはじぶんの資質・適応度を他人に見せびらかす側面、もうひとつはじぶんに心地よい刺激をもたらす側面です。たとえば見かけの生殖能力をいつわるボトックス注射や知性を示す大卒資格は見せびらかし消費なのに対し、アダルト動画やホットチョコレートは心地よい自己刺激の消費、という具合です。そして、見せびらかし消費のねらいは、みずからの知性や性格特徴や心身の健康や生殖能力といった資質・適応度を恋人や友人や親たちに伝えるシグナリングなのだという議論が展開されます。もはや、ミラーは配偶者獲得・恋人選びばかりを重視しているわけではなく、見せびらかし消費によって誇示しようと人々が試みているものも多岐にわたっています。
見せびらかしの対象となるさまざまな資質のなかでも本書が消費行動を理解するための最重要項目として大きく取り上げているのが、知性(IQ) と5つの性格特徴「ビッグファイブ」からなる中核(セントラル・シックス)六項目です。詳細は本文にあたっていただくとして、知性もビッグファイブ特徴も実証的に非常に頑健な要因だということを解説したうえで、それぞれの項目がどう私たちの消費行動に絡んでくるかを述べた本書の中盤は、いちばん読み応えのあるパートです。
4-2 マーケティングの魔術
中核六項目はヒトの社会生活にとってきわめて重要な特徴で、有史以前から私たちはお互いにじぶんのそうした特徴を示すシグナリングにはげんでいたことでしょう。一方、見せびらかしのための消費行動は、ごく最近になって登場したにすぎません。そうした消費行動を支えているのは、「しかじかの商品はしかじかの特徴のシグナリングになってくれる」という考えであり、それは宣伝やブランディングをふくむマーケティングによって醸成されています。ミネラルがどうだろうと、ただの水はコモディティであってそうそう利益になりません。ところが、大々的なマーケティングを行い、「スマートウォーター」などとなにか知性に関係しそうな名前をつけ、いいデザインのボトルに入れ、さらに美人女優のイメージと結びつける広告を展開すると、ただの水の何百倍もの値段で売れるようになります。よく紋切り型で言われるのとちがって、現代の消費資本主義は「物質主義」であるどころか、できるかぎりただのモノを売らずにするように精神主義を促進しています。こうしてただのモノにはない値打ちが─とくに、持ち主のいろんな資質を宣伝するシグナリングの力が─商品にそなわっているかのように私たちは思い込むようになっている、とミラーは言います。
4-3 消費主義を押さえ込むには?
そうやってみんながお金を出しているいろんな商品のシグナリングの力はマーケティングによって実態より誇張されていてみんなが期待するほどの力は発揮しないし、そもそも私たちは他人が見せびらかしに使っている商品に対して注意を払いません。なにより、ヒトは有史以前からお互いの重要な特徴を見せびらかしたり品定めしたりする能力を発達させているので、見せびらかしのための商品に頼ることなく効率的にうまくシグナリングをこなせます。こうしたことを指摘しつつ、本書の終盤では消費主義への対案をいくつか提案しています。まずは個人でできる見せびらかし消費に頼らない特徴見せびらかしの方法についての助言にはじまり、さらに非公式の社会規範にうったえる方法、さらには「累進消費税」を採用する税制の改革案へと、ミラー推奨のアイディアが披露されています。この提言パートには興味深く思う箇所もあるものの、全体としては「はたしてそうだろうか?」と疑問がわくことの多い議論になっています。(賛否はともかく、累進消費税のアイディアはロバート・H・フランク『成功する人は偶然を味方にする』(日本経済新聞出版社、2017年)でもくわしく論じられています。)
5 謝辞
本書の翻訳および出版企画は、いろんな方々に支えていただきました。
京都女子大学の江口聡先生(倫理学)には、翻訳原稿の初期からなにかと指摘・コメントをいただきました。なによりありがたかったのは、この本を面白がってくれたことです。あらためて感謝申し上げます。
進化心理学についてブログ「進化心理学中心の書評(d.hatena.ne.jp/shorebird/)で有益な情報を提供しつづけているshorebird さんによる原書Spent の読書ノートおよび書評はたびたび参照して勉強させていただきました。ここに記して感謝申し上げます。
編集者の渡邊光さんには、既刊『ヒトはなぜ笑うのか』『意味ってなに?』に続いてまたしてもお世話になりました。今回はとくに赤ペン添削に腕をふるっていただき、読者のみなさんにお届けする訳文を大いに改善できました。ありがとうございました。もちろん、この訳書に見つかる翻訳上のミスはすべて訳者に帰せられます。
デザイナーの大橋さんには、これまでの訳書につづいて今回もすてきな装丁をしていただきました。遊び心と上品さを両立させたデザインには、感嘆するばかりです。
また、草稿段階でこの訳書をおもしろがってくださったみなさんに、この場でお礼申し上げます。
訳者識