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あとがきたちよみ
『終の選択』

 
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田中美穂・児玉 聡 著
『終の選択 終末期医療を考える』

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はじめに
 
 人生の終わりをどのように迎えるか。みなさんはどのようにお考えでしょうか。
 
 英国の著名なロック歌手、デヴィッド・ボウイさん。彼は、闘病中も音楽活動を続け、亡くなる二日前に最後のアルバムをこの世に贈りました。彼は、自分が亡くなった後の希望も家族に伝えていました。彼の人生と同様、彼の死もまた芸術作品であり、彼の最後のアルバムは私たちへのお別れのプレゼントだ。彼のプロデューサーはそう話しました。
 歌舞伎俳優の市川海老蔵さんの妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん。彼女は、闘病の様子をブログで公表し、最期の時間を自宅で家族と一緒に過ごしました。なりたい自分になる。だって、人生は一度きりだから。そのように述べて病気と向き合う強くしなやかな彼女の姿勢は、多くの人たちの心に響きました。
 
 これは、最近亡くなった二人の著名人の事例です。特別な事例のように思われるかもしれませんが、人生の終わりは、すべての人に訪れます。自分だけでなく、自分の家族などの親しい人も、いつ回復の見込みのない病気になるかわかりません。みなさんは、デヴィッド・ボウイさんや小林麻央さんのように、自分の希望する最期を迎えるための心構えや準備はできているでしょうか。
 
 日本は現在、超高齢社会を迎えています。少子化もあいまって、六五歳以上の人の割合は実に四人に一人以上(二七・三%)と、世界最高を更新しています。二〇二五年に人口の多い団塊の世代が七五歳以上の後期高齢者に達する頃を見越して、社会保障の持続可能性や看取りの場所の確保などが議論されるようになってきました。
 こうした社会で最期を迎える際には、どのような問題が起きるのでしょうか。どこで、どのように最期の時間を過ごすことができるのか、自分で判断する能力や意識がなくなったら希望する医療や介護は受けられるのか、家族がいない場合はどうしたらよいのか、墓や葬儀はどうするか─。さまざまな問題が考えられると思います。
 こうした問題への関心は潜在的に高いのではないかと思います。少し前になりますが、「文藝春秋」で、著名な脚本家の橋田壽賀子さんによる安楽死を望むエッセーが掲載されました。ビジネス情報誌の「週刊ダイヤモンド」や、生活情報誌の「クロワッサン」では、自らの人生の最期を考えることはもとより、家族の最期をどうするか、といった視点でも特集が組まれました。また、NHKの「クローズアップ現代+」や「あさイチ」でも、生命維持治療の差し控え・中止や、「終末期鎮静」、在宅医療の課題などがテーマに取り上げられました。
 
 このように、雑誌やテレビ番組等でも終末期の話が頻繁に取り上げられるようになっています。みなさんもどこかでこうした話題について目にしたり耳にしたりしたことがあるのではないでしょうか。
 本書では、人生の終末期について、特に終末期の医療に焦点をあてて論じたいと思います。例えば、死にゆく人の死の瞬間に立ち会うことや、その瞬間に向けて提供されるケアを意味する「看取り」。また、医師などが患者の利益のために患者の生命を終結させるか、または、患者の死を許容することを意味する「安楽死」。そして、人工呼吸器や人工栄養・水分補給といった「生命維持治療」の中止や、全人的ケアである「緩和ケア」─。本書ではこうしたテーマを取り上げ、日本の現状や課題について詳しく扱いたいと思います。
 終末期の医療について課題を抱えているのは日本だけではありません。日本と同様に高齢社会を迎えている他の国々でも、良い人生の終末期をどのように実現させるかが、社会として大きな課題となっています。英国の「エコノミスト」誌という著名な経済誌が、終末期医療や緩和ケアの質を国際比較しています。この調査では、英国が二〇一〇年、二〇一五年ともに一位に選ばれています。一方の日本は、二〇一〇年の二三位から順位を上げて、二〇一五年は一四位でした。
 社会の高齢化に伴い同様の諸課題に直面している先進国は、どのような終末期医療を実現しようと法政策を講じているのか─。本書では、日本だけでなく、主要な諸外国についても、さまざまなデータや法制度を具体的に紹介します。例えば、近代ホスピス発祥の地であり、終末期医療の国家戦略を策定している英国。生命維持治療の中止裁判を経て世界に先駆けて自然死法を制定した米国。そして、安楽死をいち早く法制化したオランダなどです。また、今まで国内の研究においてはあまり取り上げられてこなかった、台湾や韓国の治療中止に関する法制度とその背景についても解説します。
 本書で扱うのは法制度だけではありません。人生の終末期にどのような医療を受けたいか、あるいは受けたくないか、どこで最期の時を過ごしたいかといった希望を、あらかじめ明らかにして他者と共有するにはどうしたらよいのか。例えばこうした問題について、一般市民がよく考えることの大切さや思考のヒント、医療従事者が市民を支えることの大切さなどについても説明します。
 これらの諸外国の取り組みや、そこから浮かび上がった課題を明らかにし、一般市民、医療従事者、国や地方自治体等がそれぞれの立場からどのように考えたら良いのかを提案し、時事的なニュースも織り交ぜながら、日本の今後の医療のあるべき姿をみなさんと一緒に考えることが本書の目的です。
 
 本書は二部構成です。第Ⅰ部(第一章~五章)では、私たち一人ひとりが人生の終末期の医療について考え、話し合い、表明することの大切さについて考えます。第Ⅱ部(第六章~一〇章)では、日本や諸外国で論争となっている、安楽死や生命維持治療の中止といった終末期医療において想定される選択肢について考えます。各章ではそれぞれ次のような問題を取り上げます。
 第一章「人生の終わりを考える」では、現状では墓や葬儀を事前に決めておくことに主眼を置いている「終活」の話題から始めて、終末期にどのような治療を受けたいか、あるいは受けたくないか、どこで最期を迎えたいか、といった終末期の医療・ケアに関する自分の希望を明らかにしておくことがいかに大切か、希望と現実が乖離している現実を踏まえて説明します。
 第二章「超高齢社会における胃ろう」では、胃ろうの是非について考えます。一〇〇歳以上の人が六万人超という超高齢社会の日本。胃ろうを付けて入院中の高齢者を見た政治家が「エイリアンだ」と発言したように、昨今、とにかく胃ろうだけは嫌だという声も聞かれます。本章では、胃ろう導入の目的を明確にし、適切で納得できる選択をするにはどうしたらよいのかを説明します。とくに、進行した終末期の段階にある認知症患者への胃ろう造設をめぐる議論を詳しく検討します。
 第三章「最期の医療を決める、伝える」では、私たち一般市民が、リビング・ウィル、医療代理権、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)をそれぞれどのように利用できるのか、シナリオに基づいて、英国、米国、日本の現状を解説します。また、家族や親しい友人がおらず、治療についての判断能力を失った場合の治療選択はどうしたら良いのか、という課題もあります。このような場合に意思決定の助けとなるであろう、英国の「独立意思能力代弁人制度」も紹介します。
 第四章「看取りのケア」では、看取りのケアのノウハウをチェックリストにまとめた英国の「リバプール・ケア・パスウェイ(LCP)」と、LCPの運用に際して発生した問題への対処を取り上げます。この問題は、医療従事者と家族や患者本人との間でコミュニケーションが不足していたことが背景にあると考えられ、日本の医療現場にとっても他人事ではありません。在宅の看取りについては、小林麻央さんが最期の時間を自宅で過ごしたことが報道されて注目を集めました。ただ、自宅で過ごすことにはさまざまな課題もあります。日本では、看取り先の確保が難しいとされるいわゆる「看取り難民」が二〇三〇年ごろまでに四〇万人に達するといわれています。そこで、どのような対策が必要なのかについて考えます。
 第五章「緩和ケア」では、テレビ司会者の大橋巨泉さんが亡くなった際の記事の紹介から始めて、緩和ケアについての基本的な解説を行います。依然として、緩和ケアは終末期のみのケアであるという誤解や、疼痛緩和に使われる医療用麻薬が中毒を引き起こす、死期を早めるといった誤解があります。こうした誤解を解くために、概念や制度についてわかりやすく解説します。また、大人とは異なる子どもの緩和ケアの特徴についても触れます。
 第六章「死をめぐる患者の選択」では、他国でパラリンピック選手が安楽死要請を表明した記事や、結婚したばかりの女性が末期の脳腫瘍に侵され、医師による自殺幇助を選択した記事を導入として、積極的安楽死や医師による自殺幇助について考えます。言葉や概念の説明をはじめ、事例に沿って、実際にこれらの安楽死を法的に容認しているオランダやベルギー、米オレゴン州などの法制度やデータ、これまでに浮かび上がった課題などを紹介します。
 第七章「積極的安楽死は是か非か」では、日本国内で医師による積極的安楽死行為が訴追された初めての事件「東海大病院事件」と、ほぼ同時期に英国で起きた「コックス医師事件」を取り上げます。日本にも英国にも、積極的安楽死を容認する法律はありません。こうした国々でも積極的安楽死をめぐる事件が起きていることから、その是非を社会的に議論する必要性を論じます。
 第八章「自殺ツーリズム」では、スイスに渡って自殺幇助を受ける外国人が増えている現状について考えます。実はつい最近、スイスに渡って自殺幇助を受けた日本人が確認され、日本でも他人事ではなくなっています。本章では、スイスの法制度について説明し、多くの自国民がスイスに渡っている英国で起きた裁判、ドイツやフランスにおける法制度への影響、日本での議論の必要性に言及します。
 第九章「生命維持治療の中止をめぐって」では、医師の治療中止行為が殺人罪に問われ、最高裁まで争われた「川崎協同病院事件」を取り上げて論点整理を行います。さらに、米国の著名な治療中止事例である「クインラン事件」および「クルーザン事件」後に全米に広がった法制度や、英国の「ブランド事件」後に整えられた法制度について説明します。
 最後に、第一〇章「『尊厳死』法案を考える」では、超党派の国会議員連盟が二〇一二年に提案したいわゆる「尊厳死」法案が提案された背景や、法案の主な内容と問題点を解説します。さらに、アジア諸国の動向、とりわけ台湾と韓国で制定された終末期医療に関する法律について、特に日本の法案とも関連する、終末期の定義・判断、医師の免責、家族の役割に着目して説明します。日本における法制化の是非に関する議論の整理も試みます。
 そして、「おわりに」において、全一〇章のまとめとして、法・政策、医療機関、一般市民のそれぞれに向けた提言を行います。
 なお、第一〇章で取り上げた「尊厳死」法案をどのように修正したらよいのかを検討した試案を京都大学大学院文学研究科応用哲学・倫理学教育研究センターのホームページ上に掲載しています。この試案は今後も随時修正してウェブ上で公開する予定です。
 
 すべての人がいつかは必ず人生の終わりを迎えます。だからこそ、政策立案者、医療従事者、研究者の方々はもとより、一般の方々にも本書を手にとって読んでいただきたいと思っています。本書は、終末期についての読者のみなさんの理解を手助けするために、国内外の資料や最新の研究によるさまざまなデータを盛り込んでいます。また、注が多用されていますが、これは、引用文献を示しているほか、本文中では紹介しきれなかったデータや詳細な解説を試みているためです。注のデータや解説は主に研究者や専門家向けに書かれたものですので、必要に応じてご確認いただければと思います。
 現在、自分の親、配偶者やパートナーといった家族、親しい友人らを介護・看護している方々。すでに家族や親しい友人らを看取った方々。あるいはこれから介護・看護する方々。地域で患者さんやその家族と信頼関係を築きながら診療・看護・介護に従事している医療・介護従事者の方々。国、都道府県、市町村特別区それぞれの医療福祉分野で働く行政職、議員の方々。こうした多くの方々にとって、本書が少しでもお役に立てば幸いです。
 
 
[本文より一部紹介]
第八章 自殺ツーリズム
 
1 自殺幇助を望む人々
 
 第七章では、日本と英国の積極的安楽死をめぐる二つの事件から、積極的安楽死の是非についてお話しました。その中で、日本でも積極的安楽死や自殺幇助を望む人が少なからずいる、ということに触れました。昨年、テレビドラマの『おしん』や『渡る世間は鬼ばかり』などで著名な脚本家の橋田壽賀子さんが、スイスに行って安楽死(自殺幇助)によって死にたい、というエッセーを公表し、話題となりました。これが呼び水となり、週刊誌や総合雑誌上で、著名人による安楽死の賛否や諸外国の状況を記事にするといった、さまざまな特集が組まれています。
 なぜスイスなのかというと、第六章でも触れたように、スイスでは、自殺幇助を受けられる人が自国の市民に限定されていないためです。逆に、その他の積極的安楽死や自殺幇助が認められている国や地域では、自国・地域の市民だけを対象としています。
 このため、橋田さんのエッセーでも取り上げられたスイスには、積極的安楽死や自殺幇助が認められていない国や地域の人たちが毎年多く訪れ、自殺幇助を受けて亡くなっています。第七章でご説明したように、英国では現在までのところ、安楽死や自殺幇助は法的に認められていませんが、英国にもスイスに渡って自殺幇助を受ける人たちがいます。
 英国では例えば、ウェールズ北部の地方議会議員の男性(当時六八歳)が、スイスに渡って自殺幇助を受けて亡くなった、という報道が二〇一五年八月にありました。男性は、がんで余命数カ月と診断されていました。実は男性の妻も以前にスイスの施設で自殺幇助を受けて亡くなっていました。このように、英国では、スイスに渡って自殺幇助を受けたという話がたびたび報道され、「渡航自殺幇助」や「自殺ツーリズム」と呼ばれて社会問題となっています。
 そこで本章では、自国では禁じられている自殺幇助を希望してスイスに渡り自殺幇助を受けるケースが蓄積されている英国の実態を取り上げます。一体、どれくらいの人がスイスに渡って自殺幇助を受けているのか、自国では法的に禁じられている自殺幇助を他国に渡って受けても法的に問題はないのか、このような慣行に対して英国政府は何か対応を行っているのか、さらに、スイスはなぜこのような自殺ツーリズムを容認しているのか─。こうした疑問に対する答えを検討することは、スイスでの自殺幇助を考える人が出てきた日本の今後にとっても重要だと思われます。そこでこれらの点について検討するため、まずは、スイスの法制度を見てみましょう。
 
2 自殺幇助をめぐるスイスの状況
 
スイスの法制度・指針
 最初にお話したように、スイスでは、外国人の自殺幇助が可能となっています。ただし、自殺幇助を認める法律がスイスにあるわけではありません。むしろ、自殺幇助を禁じる法律の解釈によって、一定の条件のもとで自殺幇助を行っていると言えます。具体的には、刑法第一一五条に次のような規定があります。
 この条文は、利己的な動機から、人を自殺に誘導するか、またはこれを助けるといった関与を行った者に対して刑罰を科しています。「利己的」というのは、それを行う人が自分の利益のみを追求する場合を示していると解釈されています。利益には、有形のものと精神的なものがあるとされます。有形の利益としては、例えば、自殺する人から遺産を得る、金銭を奪う、生活費を節約する、といったことがあります。また、精神的な利益としては、嫌悪感情を満足させる、あるいは、嫌悪している人から解放される、復讐の欲求を満たすことなどがあります。
 つまり、スイスでは、このような利己的な動機がみられる場合に限り、自殺への関与が刑事罰の対象となる可能性があるということです。反対に、利己的な動機が認められない場合には、解釈上、罰を受けないということです。また、この条文では、自殺に関与する者が医師であるかどうかを問題にしていないため、医師以外の人が自殺に関与することも解釈上は可能ということになります。
 
年間七〇〇人超の在住者が自殺幇助で死亡
 まず、スイス在住の人々について見てみましょう。スイス連邦統計局によると、自殺幇助を受けて亡くなったスイス在住者の数は増加傾向にあり、二〇一四年は七四二人となりました(図8-1)。
 これは年間死亡者数の一・二%にあたり、前年に比べて二六%増えました。疾患別で見ると、がんが最も多く四割を超えていました(図8-2)。また、神経変性疾患の中には認知症が〇・八%、その他の中にはうつ病が三%含まれていました。
 
刑法第一一五条 自殺への誘導・幇助
利己的な理由によって誰かを自殺するようあおる、あるいは、自殺するのを幇助する者は、その自殺が実際に行われた、あるいは、試みられた場合、五年以下の懲役刑か罰金刑が科せられる。
 
 自殺幇助を求める人々の基礎疾患に関するこのような傾向は、別の研究でも明らかになっています。二〇〇三年~二〇〇八年に自殺幇助を受けて亡くなったスイス在住者のうち、少なくとも根本的な死亡原因が判明している一〇九三人について調べたところ、がんが最も多く、二五歳~六四歳で六割、六五歳~九四歳で四割を占めました。二五歳~六四歳では、がんに次いで多かったのが神経系疾患で二割でした。六五歳~九四歳では、循環器系疾患が一五%、神経系疾患が一割でした。
 例えば、第六章で紹介した米国オレゴン州と比較すると、大きく異なるのはがんの割合です。スイスではがんが四割程度だったのに対し、オレゴン州では八割近くを占めました。……(以上、一部公開)
 
 
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