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『未来の環境倫理学』

 
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吉永明弘・福永真弓 編著
『未来の環境倫理学』

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序章 本書が取り組む三つの課題
 
吉永明弘
 
1 環境倫理学の導入と現状
 
 本書は,21 世紀の環境をめぐる問題状況に対して,「環境倫理学」の立場から応答を試みるものである.
 「環境倫理学」は,日本では,1991 年末の加藤尚武『環境倫理学のすすめ』によって,一般に知られるようになった(加藤1991).これを日本の環境倫理学の事実上の誕生日と見なすならば,2017 年末で日本の環境倫理学は満26 歳ということになる[1].およそ四半世紀の間に,「環境倫理学」あるいは「環境倫理」と題した書物や論文は多数発表された.倫理学の著作にとどまらず,例えば保全生態学の教科書にも「環境倫理」についての章が立てられるようになった(吉田2007).こうして「環境倫理学」や「環境倫理」という言葉は人口に膾炙するようになり,今では多くの大学に「環境倫理学」や「環境倫理」という講義科目が存在している.
 哲学・倫理学の分野では,「環境倫理学」は,生命倫理学,情報倫理学と並ぶ,応用倫理学の三大テーマと見なされてきた2.この位置づけはアメリカの文脈に由来するもので,日本でもそれを踏襲している.この場合,「環境倫理学」は「倫理学の環境問題への適用」あるいは「倫理学者による環境問題の考察」という位置づけになる.しかし,日本では「環境問題研究」の一部として,応用倫理学の枠にとらわれずに用いられることも多い.環境問題に対する倫理的アプローチが環境倫理学,という位置づけである.例えば「環境」の名を冠した学科やコースの中で環境倫理学の授業が開講されている.この場合,授業担当者は哲学者・倫理学者とは限らず,社会学者や生態学者が担当していることも多い.
 では,「環境倫理学」の中身は何か.「環境倫理学」のテキストには何が書いてあり,各大学の「環境倫理学」の授業では,どんなことが教えられているのか.環境倫理学の本場はアメリカなので,自然の価値論を中心とするアメリカの議論を紹介するのが王道といえる.しかし,それは「総論としてはよく分かる」といった類いの「ご託宣」や「お説教」として受け取られる向きがあった[3].また,アメリカの環境倫理学の前提となっている自然観は特定の時間的・空間的文脈に依拠したものであり,それを他の地域に適用すると現実離れしたものとなる,という認識が生まれた(鬼頭1996).このような状況認識に基づいて,加藤尚武,鬼頭秀一,丸山徳次らによって,日本独自の議論が展開されることになった.
 そもそも加藤は1990年代の地球環境問題を見据えて,アメリカの環境倫理学を巧みにアレンジして紹介したのだった(加藤1991).鬼頭は,地域ごとの人間と自然とのかかわりを重視した「ローカルな環境倫理」の必要性を説いた(鬼頭1996).そして丸山は「水俣病から日本の環境倫理学を再起動する」と銘打ち,水俣病の経験をふまえた環境正義論を説得力をもって展開した(丸山2004).アメリカでは比較的新しい議論とされる環境正義論の諸論点は,実は日本の公害研究のなかで長く論じられてきたものである.さらに丸山は「里山」に着目して西洋的な自然観を相対化している(丸山2001, 2007).
 このような経緯もあり,大学で「環境倫理学」について講義を行うとなると,アメリカの議論(非人間中心主義,土地倫理,自然の価値,ディープ・エコロジーなど),加藤尚武の議論(自然の生存権,世代間倫理,地球全体主義など),鬼頭秀一の議論(社会的リンク論,よそ者論,ローカル・ノレッジなど),丸山徳次の議論(環境正義,公害,里山など)といった内容を,取捨選択して,あるいは並列に語るということになる.そのあたりは個々人の裁量に任されているといえる.この間に,欧米の環境倫理学および環境という名のつく各学問分野は,気候変動,人新世,AI・情報技術と環境の融合といった現状をふまえて再編され,新たな体系の構築を模索している.本書では,欧米のそのような動きを捉えつつも,災後社会のなかで生きざるをえない日本の私たちにとって必要な環境倫理学の議論を展開していく.
 
2 環境問題をめぐる状況の変化
 
 世界の環境をめぐる問題状況は新たな段階に入った.ここではまず,地球環境問題をめぐる国際的な枠組みの変化から見ていこう.1972 年の「国連人間環境会議」(ストックホルム会議)や1992 年の「国連環境開発会議」(リオ会議,地球サミット)は,教科書に必ず載る歴史の一部になった.21世紀の国際的な枠組みとしては,「ミレニアム開発目標」(MDGs, Millennium Development Goals 2000~2015年)が有名である.このなかで環境問題と福祉・貧困問題が統合されたといえる.その後継となる目標として2015年9月に国連で採択された「持続可能な開発のための2030 アジェンダ」は,「誰一人取り残さない ―― No one left behind」ことをうたっている.そこでは,国際社会が2030年までに貧困を撲滅し,持続可能な社会を実現するための重要な指針として,17項目の「持続可能な開発目標」(SDGs: Sustainable Development Goals)が示されている[4].
 2030年まではこの目標の達成度が議論の柱となるだろう.個別の問題に目を向けてみよう.気候変動については,1992 年の地球サミットで「気候変動枠組条約」が締結され,1997年には「京都議定書」によって,CO2排出削減の国別割合が定められた.しかし,このときには中国やインドに削減義務がなかったことやアメリカが離脱したこともあり,実効性が疑われてきた.そこで2016年に,中国などを含めた「パリ協定」が結ばれ,気候変動対策は再スタートを切ることとなった.その間の2007年には,IPCCの「第4次評価統合報告書」によって,温暖化が人為的な原因で生じたことが科学的に確認された.その他,国内外で,気候変動の影響の「緩和策」(mitigation)だけでなく,その影響への「適応策」(adaptation)が真剣に論じられるとともに,人工的に気候を変える試みとしての「気候工学」に急速に関心が集まりつつある.
 自然保護については,ミレニアム生態系評価(MA)による科学的な生態系の分析が進み,2010 年に生物多様性条約COP10 が名古屋で開かれ,「愛知目標」が採択されるなど,状況がどんどん更新されている.生物多様性の重要性についても,ウナギが絶滅危惧種に加えられたことなどから,以前よりは具体的な形で理解されるようになっているように思われる.また,生物多様性に関してよく話題になる「生態系サービス」という概念は,自然と人間の二項対立図式を過去のものにしようとしている.さらには「自然資本」という概念も登場した.これは経済を取るか自然環境を取るかという二項対立図式を打破するために,主に経済界に向けて呼びかけられたプラグマティックな概念といえる.つまり,経済発展と自然環境保全は対立するものではなく,経済発展をするためにはそのための資本としての自然環境を保全することが必須になるという論理である.
 2011年の福島第一原発事故は.日本における最大規模の環境災害である.この事故によって,原子力の安全性と施設の立地の不公平さ(環境正義)といった問題が再認識されるとともに,これまで隠れていた「廃炉のコスト」が認識されるようになった.また,以前からも指摘されていた放射性廃棄物の処理問題は今や喫緊の政策課題の一つとなり,全体として原発は将来に禍根を残す施設だという認識が強まっている[5].「脱原発」がキーワードになり,それに呼応する形で,再生可能エネルギー開発がどんどん進んでいるのも,近年の特筆すべき動きである.同時に,風車や太陽光パネルが地域の環境破壊をもたらしている例も出てきている.今後のエネルギー開発は,地球温暖化対策や脱原発をにらみつつ,地域の環境にも配慮する形で行われなければならないだろう.
 
3 問われる環境倫理学の役割
 
 福島第一原発事故は国際社会にも大きな衝撃を与えた.環境倫理学の観点から特筆すべきは,ドイツのメルケル政権が,「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」の提言によって,2022年までにすべての国内の原発停止を決定したことである.ドイツでは倫理委員会(メンバーは政治家や原子力の専門家以外に,社会学者,経済学者,哲学者,宗教関係者などを含む)が政策に影響を与えている.ひるがえって現在の日本はどうか.山脇直司は,倫理というと,社会システムから切り離された個々人の心がけといった印象をもたれがちだが,それは「矮小な倫理観」であり,ドイツの倫理委員会における「社会における価値判断と価値決定」としての倫理観を日本でも確立しなければならないと喝破している(山脇2015: 217-218).すなわち,社会システム全体の設計や評価,適切な運用について,価値判断や価値決定をなすことも,そのための場をつくることも倫理の問題であり,倫理学者の役割なのである.この認識は応用倫理学の一部としての環境倫理学の倫理観と軌を一にする.加藤尚武によれば,環境倫理学は「個人の心がけの改善」を目指すもの(個人倫理)ではなく,「システム論の領域に属するもので,環境問題を解決するための法律や制度などすべての取り決めの基礎的前提を明らかにする」もの(社会倫理)なのだ(加藤1993: 131)[6].
 近年のアメリカの環境倫理学には,法律や制度に環境倫理学が積極的に関わっていこうという姿勢が顕著に見られる.そのような姿勢を強く打ち出している人物の一人が,アンドリュー・ライトである.ライトは「環境プラグマティズム」を提唱し,一連の論考において,環境倫理学は価値理論を洗練させるだけでなく,環境政策に示唆を与える議論を行うべきと主張した[7].
 3.11以降の環境倫理学には,法律や制度に影響を与えうる議論を行うことがますます求められているといえよう.ドイツの倫理委員会に似たものを日本で敢えて探すならば,「日本学術会議高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討委員会」(今田高俊委員長)がそれにあたるだろう.この委員会は2012年9月11日に提言をまとめている(今田ほか2012,今田ほか2014).これこそが環境倫理学者の仕事のように思われるが,日本の環境倫理学にはその仕事を担うだけの力がなかったといえる.
 むしろ日本では,鬼頭秀一が提唱した「学際的な環境倫理学」の構想が深化しつつある.2009 年に刊行された鬼頭秀一・福永真弓編『環境倫理学』(東京大学出版会)は,「半分程度の執筆者が,狭い意味での環境倫理学を専門としていない」ところに大きな特徴がある.「環境問題の目標や理念の問題を正面にみすえて,個別の問題の『現場』感覚を大事にしつつ,しかも,問題の個別性に埋没することなく,普遍的な原理を追求した」ものであり,それによって「個別性にも深く共感を持ちつつも,普遍性を求め,実践性を持ちつつも,理念的問題の道筋となるような,新しいかたちの学問」が誕生した,と鬼頭は言う(鬼頭・福永編2009: はじめに).これは狭義の倫理学者の側ではなく,環境問題研究者の側からの環境倫理学を大きく打ち上げたものであり,21世紀の環境倫理学にとって画期的な一歩となったといえる.逆に言えば,哲学者・倫理学者の影がうすくなった憾みがあり,また欧米の環境倫理学の議論とのつながりが薄れてしまったともいえる.
 
4 本書が取り組む三つの課題
 
 このような状況をふまえて,どのような環境倫理学が求められるのか.日本に生きる我々がとりわけ求められているのは,次の問いに答えることである.すなわち,災後の社会をどう創造するか,そのなかで人が,人以外の生きものたちとどのように生きるのか,という問いである.もちろん,この問いはあまりにも大きく,正解があるものでもない.個別具体的な問題に取り組みながら,それらの取り組みから明らかになることをすりあわせつつ,探索するしかない問いでもある.ゆえに,本書は次の具体的な三つの課題に答えることを目的として刊行される.
 第一に,1970年代以降のアメリカの環境倫理学と,1990年代以降の日本の環境倫理学をふまえつつも,21 世紀という新しい時代にそくした環境倫理学の議論を行うことである.そこではリスク社会論(第1章)や,原子力発電(第2章)および気候工学(第7章)に関する科学技術の倫理が喫緊のトピックとして含まれることになろう.
 第二に,哲学・倫理学の立場から具体的な環境問題に対して政策に影響を与えうる実践的な規範を提示することである.放射性廃棄物の処分問題は,空想上の問題ではなく現実の喫緊の課題となっている.この課題に対して,世代間倫理という観点を丁寧に適用することによって,環境倫理学の観点から具体的な応答がなされなければならない(第3章).
 第三に,欧米の環境倫理学との接続を意識しながら議論を進めることである.欧米の議論の受け売りもよくないが,国際的な議論を無視して国内に閉じこもることも望ましくないだろう.欧米の議論のなかには,日本であまり注目されてこなかった議論がたくさん残っている.とりわけ環境正義(第4章),環境徳倫理学における動機づけ(第5章),ハンス・ヨナスの自然哲学に基づく未来世代への責任(第6章)は,同じ惑星に立ち,生きるものとして共通の問題を提起している.さらに近年では,人新世時代における新しい環境倫理学が提案されている(第8章).何が普遍なのかも含めて,私たちは個別によって立つ場所から,共に考え,声を上げ,生きるための共通の土台を作らねばならない.それが未来について考えるということであろう.
 以上の課題に取り組むことによって,21世紀の環境倫理学の姿を描き出したのが本書である.じっくり読んでいただければ幸いである.
 
*本章の冒頭部分は,拙稿(2010)「環境倫理学の社会的役割」『社会と倫理』24号(南山大学社会倫理研究所)の冒頭部分を改稿したものである.
 
[1]それ以前にも「環境倫理学」という言葉は存在しており,一部の研究者の中では流通していた.しかし,「環境倫理学」という言葉が社会的に認知されたのは,加藤の著作を通じてであったといえる.
[2] 応用倫理学の対象領域は年々拡大している.近年のホットなテーマに「脳神経倫理」「動物倫理」「研究倫理」などがある.以下を参照(加藤編2007,浅見・盛永編2013,眞嶋ほか編2015).
[3] 例えば次のような言がある.「半年ほど,おもにアメリカやヨーロッパの哲学者の環境問題に関するご託宣をあれこれ読んだのだが,これはかなり苦痛だった.あまり面白くないのである」(佐倉1992: iii).「生命倫理学も環境倫理学もいずれも深刻なジレンマに突き当たり,現在は袋小路に迷い込んでいるように思われる.医療と環境をめぐる難問を解決するという社会的な要請を受けながら,倫理学は今でもまだ,お説教を説くに過ぎないのではないか」(岡本2002: 8).ただし岡本は,近年の「環境プラグマティズム」については好意的に評価している(岡本2012).
[4]以下のサイトを参照.JICA「持続可能な開発目標(SDGs)とJICA の取り組み」(https://www.jica.go.jp/aboutoda/sdgs/index.html)
 国際連合広報センター「2030 アジェンダ」(http://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/sustainable_development/2030agenda/)
[5]国際反核法律家協会会長のウィーラマントリーは,福島第一原発事故の後に,「原発の存続・拡散は将来世代への犯罪」と題する書簡を書いている(ウィーラマントリー2011).
[6]また今道友信は『エコエティカ』のなかで,現代は技術や手段が強大になり,目的に合わせて手段を選ぶのではなく,手段に合わせて目的を選ぶようになっていると指摘したうえで,そこでは巨大な資本やエネルギーを何の目的で用いるかに関する倫理的意思決定が重要になり,そこでの行為者は個人ではなく委員会になるとして,委員会の倫理(団体倫理)を考える必要があると述べている(今道1990: 40-41).
[7]「環境プラグマティズム」の基本書であるEnvironmental Pragmatism は未邦訳であり,日本ではこの分野の紹介が遅れていたが,近年のプラグマティズム復権の波もあり,現在翻訳書の刊行が準備されている.とりあえず,ライトの議論に関しては以下の紹介を参照(吉永2008).
 
 
第I部 災後の環境倫理学
【イントロダクション】
 
 「災後の環境倫理学」とは,高レベル放射性廃棄物だけでなく,低線量被ばくの可能性と半永久的に広く向き合っていかざるを得ない,私たちの環境倫理学である.2011年3月11日の東日本大震災を直接のきっかけにして,東京電力福島第一原子力発電所(以降,福島第一原発)の1・2・3号機が炉心溶融を起こし,4号機の核燃料プールが水素爆発を起こした.事故現場を中心として広く原発由来の放射性物質が飛散して今日に至っている.この事故以前にも日本社会は被ばくの経験を重ねてきた.第二次世界大戦時の原爆投下による被ばく,冷戦期の核実験競争の中でのビキニ諸島マグロ漁船第五福竜丸被ばく,東海村JCO臨界事故(1999年)での施設内被ばくである.だが福島第一原発事故は,広範囲にわたる低線量被ばくの可能性と,数多くの避難者を生み出した.そしてわたしたちは改めて,その様な被害と共に,戦時という非常時における核利用と,平常時における核の平和利用の二つの看板のもとで生きているという現実,それに伴うリスクと社会の問題に改めて目を向けることとなった.その意味で,3月11日以前と以後とでは,根本的に異なる「環境」に私たちは生きている.つまりわたしたちは,「災後」であることを強く意識せざるを得ず,その後の社会を再びどのように組み立てるかを考えざるを得ない状況にある.しかも,福島第一原発後の避難をめぐる対応は,多くの対立を生み,被災からの再生をめぐって数多くの困難があることを露わにするものであった.
 そのことを念頭におきつつ,思考を整理するためあえて簡単に,被害を最小に止め,再生に向かう方策はどのようなものがありえたか,考えてみよう.ICRP2007年勧告によると,一般人の年間被ばく線量限度は1 mSv である.まずはすべての日本人にこの基準を端的に適用しよう.そして,この基準を上回る線量の被ばくを強いられる土地に生活の基盤を持っていた人たちに対しては,国家が移住の義務ないし権利を認め,新生活をスタートするための具体的な支援を行う.原子力発電所は民間の電力会社が建設し,稼働していたものである.なぜ国家が補償を行うのか,という問いには,これまでの経緯から,と答えられよう.そもそも核の平和利用については,正力松太郎・中曽根康弘が先頭に立って米国アイゼンハワー大統領の「アトムズ・フォー・ピース」政策に乗る形で,それぞれの思惑から国策として原子力の導入を進めたこと,さらに日本政府がずっとその延長線上で原発政策を継承発展させて来たことは明らかである.したがって,被災者の支援に対しては国に責任があるといってよいものと考える.もちろん,だからといって事業者である東京電力を免責することを意味するものではないだろう.
 さてしかし,現実にはどのようなことが起こっただろうか.福島第一原発の立地自治体の一つである双葉町をもとに考えてみよう.事故直後から数年間にわたって,町長を心ならずも辞任するまで,双葉町前町長井戸川克隆はおよそ7000人の町民の人権のできる限りの保全を求めて,つまり年間被ばく線量1mSv未満の土地への町全体の移住の可能性を探っていた.すなわち,幾世代も後,放射線量が十分に低くなった後に帰るまで,どこか別の場所に双葉町を構えようとする「仮の町」構想である.これこそ先ほどのべた,シンプルな解決策の具体的な構想といえよう.震災当時,双葉町はいち早く埼玉県に避難し,埼玉県から提供された旧騎西高校校舎にいわば籠城する形で,町民の集約を試みていた(騎西高校は「仮の町」へ移るための最初のステップに過ぎなかったのである).結果として,町長の辞任によってこの計画はかなわなくなり,「極秘」だった「仮の町」構想は「幻」になってしまった.復興庁の予算が付いた「7000人の復興会議」を通して,「仮の町」のグランドデザインを町民自身の手で作り上げようという試みもまた,未完に終わった.
 井戸川前町長がその実現可能性[1]まで見据えて企画していた双葉町の「仮の町」構想は,簡潔にして,当時もっとも一人一人の「人権」を根底からとらえた計画であったと筆者は考える.しかし,原子力災害対策特別措置法に基づいて町民を町から脱出させた後は,一律に災害救助法が適用され,その枠内では都道府県知事が決定権を持つ.井戸川は,佐藤雄平前福島県知事が「町として」双葉町民が流出し,県外に‘双葉町’を築くことを恐れたと指摘する.その結果として,大まかに言って福島県内と県外とで町民の分断が生じた[2].
 つまり,町長以下町民の意志に反して,多くの町民が町と県との間に挟まって翻弄されて来て今に至る.翻弄されているのは双葉町に限ったことではなく,福島県を中心に多くの自治体にも当てはまるだろう.個人の事情,思想,感情,家族の事情,仕事の事情,郷土への愛着を抱えて生きている一人一人の生活者にとって,例えば埼玉と福島とに分かれた双葉町民にとって,井戸川町長は物理的に遠い存在であったかもしれない.心情的な行き違いが生じてしまえば,心理的にもうんと距離ができる.何よりも生活と政治の間にとてつもない距離がある[3].
 
     *
 
 第1章で福永真弓は,災後の環境倫理学とはこのとてつもない距離の存在を認めるところから始まると主張する.その距離は,例えば専門家と素人のリスクの捉え方の違いとして表面化する.すなわち,専門家が何らかの危険な事象そのものをパラメータ化し,確率概念としてリスクを算出して処理しようとするのに対し(「素朴な実証主義」),素人は科学的事実を逆に過小評価しリスクを自ら認知する際に,自らが属する社会的・文化的文脈に沿って解釈する(「文化相対主義」).また,リオ宣言以後の世界にあって,予防原則にのっとった法制度及び政策や,予防原則を適切に運用するためのリスクコミュニケーションは当事者間の「信頼」を資本としてはじめて成立するものなのに,専門家が己の権威を絶対的なものとし,一方的に素人を啓蒙し,「安心」させようというリスクコミュニケーションが震災後の日本では支配的である.このような状況下で,素人市民はおのれの生活と技術や政治との間の距離をひしひしと感じることになる.
 さらに,福永はベックの議論を参考にして,現代では科学・技術の発展によって生じたリスクを個々人が自発的に管理,選択することができず,受け身的に被るしかなくなっているばかりか,その配分が不公正であると指摘する.さて,不公正に配分されているならば適切に再配分されねばならないが,しかし再配分する際に横のつながりは既に潰え,個々人がバラバラにリスクの再配分に参与せざるを得ないのだ,と福永は指摘する.これをリスクが「わたくしごと」となった事態という.しかし当然,損害の規模の大きな現代のリスクは自己責任において対処できるものではない.リスクをめぐる矛盾と苦しみの生成である.
 福永は,福島第一原発事故を機に被ばくリスクを回避すべく移住した女性のインタビューを引用し,ここまでまとめてきた有様がまさに一個人の人生において現実になっていることを示す.そしてこのインタビューの分析を通して,2011年3月11日以降の日本が,ベックの「リスク社会」をさらに複雑化させた事態にあることが改めて明らかにされる.そこで獲得されねばならないのは,前述の「素朴な実証主義」と「文化相対主義」の対立を乗り越えるための「社会的合理性」である.社会的合理性の所在を明らかにしてはじめて,リスクが人生にもたらす矛盾と苦しみを共有し,乗り越えることができるのだという.
 こうして,福永はリスクが「わたくしごと」化されている以上,個々人のリスクを記述することから始めなければならない,つまり環境倫理学は帰納的に開始され,追及されねばならないと強く主張する.また,福永は「災後」という語によって「福島第一原子力発電所事故後」に限定せず,科学・技術の誤用や過剰によってもたらされた,あるいはもたらされる可能性のあるカタストロフィ一般の「後」を想定している.
 
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 第2章では,吉永明弘が環境プラグマティズム以後の米国における環境倫理学の流れを紹介した後,直近の環境倫理学において福島第一原子力発電所事故がどのように論じられたのかを検討している.第1章にも登場したシュレーダー=フレチェットは,「ブラックスワン」という語を用いて原発事故を倫理学的に考察する.現在日本では,国や東京電力を相手取って数多くの訴訟が起こされているが,被告側が原発事故の一連の事態は事前に予測することのできない,想定外のものだったと弁明するのはよく聞く話である.この「想定外」という言説が,そうした言説を主張する人々が用いる確率の説明における方法論的・認識論的誤りをはらんでなされることをシュレーダー=フレチェットは明らかにしている.また,MöllerとWikman-Svahnはリスクの生産者たちがその費用や健康被害の全部を負担しなくてもよいという状況からモラルハザードが生まれ,その結果「見えているけれども無視する」という「ブラックエレファント」が生じると指摘する.ここで紹介されている,ブラックスワンとブラックエレファントをいかにして避けるべきかについての議論は,「想定外」という弁明に対するストレートな応答を導くであろう.
 海外の論者のコメントは,高レベル放射性廃棄物の処理における,世代内正義と世代間正義の対立にも及ぶ.この箇所(第6節)については,第3 章と照らし合わせて読むことによって,「核のゴミ」問題をより立体的に考察する手掛かりとなろう.さらに海外の論者は総じて福島第一原発事故を深刻にとらえ,脱原発を主張する傾向が強いが,すべてがそうであるわけでもないことを吉永はフォローしている(第7節).人為的な地球温暖化が真実であり,かつ深刻な問題と捉えるラブロックやハンセンらは,原発からの二酸化炭素の排出量が相対的に低いことや,太陽光発電等に比べて出力が安定していることを理由に,原子力発電を肯定している.しかし彼ら「気候ファースト」論者への批判もまた存在する.そもそも気候変動と原子力発電とを二者択一にすべきなのだろうか.気候変動対策は,環境正義を踏まえて総合的に解決されるべきではないのか.この問題については第7章もあわせてお読みいただきたい.
 吉永による海外の環境倫理学者からの福島第一原発事故に対するリアクションの検討から見えてくるのは,環境倫理学が帰納的探究だけでは決して成立しないということである.例えば吉永はシュレーダー= フレチェットの議論が原子力事業に携わる事業者や政策担当者の方法論的・認識論的誤りを指摘していることを見逃していない.環境倫理学は記述だけに留まらず,いのちのリスクをもたらしているものの見えない急所を突くものでなければならない.急所を突くためには,突くに足るだけの強度を持つ理念が欠かせないのである.いのちのリスクにさらされている生活者の怒りと苦しみは果てしがないが,ただ一緒に苦しんで終始するなどということを生活者は望んでいないはずである.
 
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 第3章では,寺本剛が高レベル放射性廃棄物を将来世代へと引き継がざるを得ない事態を踏まえ,環境倫理学的な理念・原則の提示を行っている.従来の環境倫理学,とりわけ世代間倫理は,将来に対して禍根を残しうる行為の反倫理性を説得的に主張することに主眼を置いてきたと考えられる.しかし,原発事故の有無以前に,世界中にいわゆる「核のごみ」が,しかも大量に存在するようになって久しい.日本では,高レベル放射性廃棄物の「ガラス固化体」が2020年度末までに累計約4万本に達すると見込まれている[4].この膨大な量の現在世代の負債を引き継がせなければならないのである.
 寺本はまず政府が推進しようとしている最終処分としての「地層処分」,最終処分とせずに地表に近いところに埋める貯蔵,そして地上での貯蔵について,その概要及び利点・欠点を整理する.さらに,次世代以降へ引き継ぐにあたっての技術的な前提条件について整理した後,寺本は,私たちの義務とは,廃棄物のリスクや負担を将来世代へと引き継いでいくプロセスをできるだけ倫理的なものにすることだと論じる.また,プロセスの倫理性を確保するにあたり,寺本は技術哲学的に考察する.すなわち,コリングリッジの「技術選択論」を援用し,人間の知性,情報収集力,分析能力が貧しいために現実に凌駕される可能性を,ある技術を導入するときに念頭に置く必要があるという.こうした技術の本質から,寺本は高レベル放射性廃棄物処分における倫理性を確保する倫理原則を導出する.
 ただ,世代間公正という理念はもともとは将来世代へと負債を一方的に引き継がせないようにしようというものだったはずである.本書でも扱われる気候変動リスクに関してはそのような方向性が目指されてもいる.したがって,高レベル放射性廃棄物の存在自体がこの理念の完全なる充足を不可能にしていると見ることもできる.そう考えた時に,理念と現実の乖離を嫌い,そのような理念をことさらに非現実的であるものとして退けようとする人もまた多い.この点について寺本がいかに考えているのかが,本章の核心である.
 
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 第4章では福永が,環境正義について論じる.第8 章でも再び取り上げるが,そもそも環境倫理学は米国で自然保護の思想として始まった経緯がある.その自然,つまり「原生自然」と称される手つかずの自然を,そのまま保護するのか,あるいは人間にとっての利用価値を毀損しない目的で保全するのかが問われていた.しかし,「原生自然」思想についてインド人のグーハは,自然を財とみなした場合に原生自然思想が貧困層から富裕層への財の移転を帰結すると指摘し,自然保護思想が生活者の利益と端的に対立するばかりか,自然保護思想が経済的搾取と矛盾なく両立することを説いた[5].この両立は何も国際的にのみ成立するわけではない.環境正義論は米国内における人種差別の一形態,「環境人種差別」への対抗理論として成立してきた.原生自然を愛好する人々が自覚の有無を問わず差別に加担していることは大いにありうることなのだ.
 本章では,米国内の環境正義論小史が語られた後,1991年に全米有色人種環境運動指導者サミットで採択された「環境正義の原理」について,詳細に検討される.この「環境正義の原理」に関してここまで内在的に検討したものは本邦の類書になく,大変に重要である.その内容については本文を読んでいただくことにして,ここで読者は福永が掲げる帰納的な歩みが理念として結実していることを容易に読み取ることができよう.
 今後の環境正義の議論に向けて,筆者から重要な論点を指摘しておきたい.「環境正義の原理」では,自然保護に関する新しいパラダイムが現れている.つまり,「原生自然」とは全く異なる自然観が環境正義を支える基礎であることが記されているのである.北米の文脈の中でMother Earth と表現されるのは,人間と自然の連続的かつ相互依存的な関係である.わたしたちはこの関係性を,対象に即して多様に表現し,概念化し,記述してきたし,その際の手法として科学的,そして多様な社会文化的方法を用いてきた.環境正義の実現とは,究極的には,この連続的で相互依存的な関係の実態を複眼的に捉えつつ,相互依存関係を適切に回復していくことを含む.いわゆる「第三世代の人権[6]」の中に,環境へのアクセスと環境に関する決定に主体的に関与できることが含まれていることを考えれば,環境正義としてこの自然観が組み込まれているのも不思議ではない.ここから演繹的に環境不正義を引き起こす社会構造,さらに具体的に言えば政治的権力が定めた制度,市場経済システムによって定められた生活のあり方,そして軍事活動からの脱却,変革が目指されねばならないと言える.
 福永の真骨頂はその脱却,変革のための方法論を,国内外の多様な議論を取捨選択し圧縮しながら自家薬籠中のものとして仕立て上げていくところにある.その方法論において,核となるのは被害当事者の「存在」の「承認」であろう.そのことは,「環境正義の原理」の中で第11 原理としても主張されているという.環境正義における「承認」とは何か,承認され公共空間に「現れ」た被害当事者,生活者に対する支援とは,どのようなものと考えられるのか,読者には福永の議論に沿ってじっくり考えていただければ幸いである.
 そして,この環境正義の議論は,常に現実と照らし合わせつつ読まれなければならない性質のものでもある.例えば,原子力災害対策特別措置法第23 条には,原子力緊急事態宣言が出された場合に「原子力災害合同対策協議会」を設置しなければならないことが記されている.この「協議会」は,原子力災害現地対策本部,都道府県災害対策本部及び市町村災害対策本部が「原子力緊急事態に関する情報を交換し,それぞれが実施する緊急事態応急対策について相互に協力するため」に設けられるものである.そもそも2018年3月現在,原子力緊急事態解除宣言は解除されていないが,解除宣言が出る前も出た後も「協議会」が「相互に」協力するために存続されねばならないとされている.「相互に」ということは,国が都道府県や市町村に対してトップダウンで指示を下していくのではなく,国,都道府県,市町村(立地自治体および周辺自治体)の各行政組織が,現地の状況とニーズを逐一確認しながら共同で対策にあたらねばならないということに他ならない[7].
 しかし,事故当時の菅直人首相は,原発から至近に立地していたオフサイトセンターが使えなかったためか,法規に従って「協議会」を設置しなかったと言われている[8].原発事故対応は,以後自民党政権になっても変わらずに今日に至るまで立地自治体の行政を意思決定プロセスに加えることなく進められている.一人一人の生活者が現れるどころか,立地自治体及び周辺自治体という行政組織ですら主体として認められていない.このことが,福島第一原発事故におけるリスクの「わたくしごと」化の大きな要因の一つである.福永のいう「よりそい」は,一人一人の生活者ごとに多様なあらわれ方をする社会悪を環境倫理学理念に照らして析出するという意味に解されることもできよう.
[山本剛史]
 
[1]「仮の町」構想について,「井戸川克隆さんインタビュー 福島第一原発事故と『仮の町』構想」『環境倫理』第1 号,2017 年,38-170 頁を参照.特にその実現可能性については132頁を参照.
[2]例えば井戸川克隆(2015)『なぜ私は町民を埼玉に避難させたのか』(聞き手・企画 佐藤聡)駒草出版,68-77頁参照.
[3]この「距離」について,舩橋淳監督(2014)『(DVD)フタバから遠く離れて』,同(2016)『(DVD)フタバから遠く離れて 第二部』,舩橋淳(2012)『フタバから遠く離れて』岩波書店,同(2014)『フタバから遠く離れてII』岩波書店,小野田陽子(2017)『福島双葉町の小学校と家族 ~その時,あの時~』コールサック社を参照.とりわけ井戸川と小野田の著作は合わせて読まれ,かつどちらの体験と見解も尊重されるべきである.
[4]公益財団法人原子力環境整備促進・資金管理センターホームページ「放射性廃棄物の処分について」https://www.rwmc.or.jp/disposal/high-level/1-3.html(2018年2月11日閲覧)
[5]グーハ(1995)「ラディカルなアメリカの環境主義と原生自然の保存―第三世界からの批判」『環境思想の多様な展開(環境思想の系譜3)』東海大学出版会,81-91頁.
[6]人権において自由権,社会権に続いて,20 世紀後半から開発途上国等から提案されてその獲得が目指されている権利のこと.他には国連で1986 年に採択された「発展の権利」などを挙げることができる.
[7]これについて図解しているものとして,東京電力「福島原子力事故調査報告書」添付資料5-4を参照.http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu12_j/images/120620j0306.pdf(2018年2月19日閲覧)
[8]前掲「井戸川克隆さんインタビュー」,72頁参照.
 
 
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