「名もなき家事」の、その先へ――“気づき・思案し・調整する”労働のジェンダー不均衡
vol.05 思案・調整の分有と、分有のための思案・調整――足並みを揃えるための負担をめぐって/平山 亮

ジェンダー研究者・山根純佳×『介護する息子たち』著者・平山亮による、日常に織り込まれたジェンダー不均衡の実像を描き出し、新たなジェンダー理論の可能性をさぐる交互連載(月1回更新予定)。「ケアとジェンダー」の問題系に新たな地平を切り拓き、表層的な“平等”志向に陥らない「家族ケア」再編への道筋を示します。

 
「名もなきケア責任」は今どう配分されていて、これからどう配分しなおせるのか――平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡連載、今回は平山さんから山根さんへの応答です。[編集部]
 
 
山根純佳さま
 
 新年度の初め、いかがお過ごしですか。春の陽気とともにやってくる花粉のピークが過ぎ、わたしは温かな空気を怖がらずに浴びることができるようになりました。
 
 このたびは丁寧なご返信をありがとうございました。察知し思案し調整する「sentient activity(以下SA)」に必要な資源について、わたしが挙げた論点を拡げ、深めてくださったことに感謝します。資源は思案されたニーズとそれを満たす方法を実現可能にするためにこそ必要、という主張には深く納得しましたし、資源が調達できなかったことを思案の不足に結びつけるリスクのご指摘にも心を打たれました。
 
 山根さんがこうした分析をされた理由は、思案や調整の分有について考えるためであり、お手紙の最後にも、その分有を可能にするための条件について、議論を呼びかけてくださいました。ですので、わたしからのお返事も、分有をテーマに「球出し」をさせていただこうと思います。
 
思案・調整の「切り出し」はなぜできないのか
 
 お手紙のなかで山根さんは、相手の必要なもの・ことを判断すること、それにもとづいて実現可能な方法を探すことは、簡単に外注できるものではない、と指摘されていました。
 
 このしごとは家族によって、なかでも女性によって担われてきましたが、この部分だけを切り取って単発的に他の誰かに任せることはできない。なぜなら、そうしたしごとは、相手の好みやふだんの様子に対する理解にもとづいて行われる必要があり、また、そうした理解は、相手をよく見てよく話を聞いて、という時間をかけた関わりを通してでないと得られないものだから。したがって、思案や調整の分有とは、こうした関わり込みのプロセスをともに行うこととして考えなければいけない。
 

 山根さんのご趣旨をわたしはそのように理解したのですが、この理解が正しいとすれば、山根さんとわたしのあいだで、目指すべき分有のイメージは共有できているように思います。というのも、お手紙に書かれていた「なぜ分有が必要なのか」の根拠となる関わりの部分こそ、わたしが『介護する息子たち』のなかで、ケアにおけるマネジメントの大変さとして挙げた点だからです。もろもろの調整が相手への理解にもとづいて行われなければいけないこと。そのためには時間も労力もかかること。それこそがSAの負担の大きい部分であり、そこを女性に丸投げしている限り、目につきやすいタスクの分担状況だけをちょっと変えてみたところで、ケア責任のジェンダー不均衡は変わらない。それが、『介護する息子たち』でわたしがSAという概念で切り取ることのできた現実でした。
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つづきは、単行本『ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか』でごらんください。

 

ジェンダー研究者・山根純佳×『介護する息子たち』著者・平山亮による、日常に織り込まれたジェンダー不均衡の実像を描き出し、新たなジェンダー理論の可能性をさぐる交互連載(月1回更新予定)。「ケアとジェンダー」の問題系に新たな地平を切り拓き、表層的な“平等”志向に陥らない「家族ケア」再編への道筋を示します。
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