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『金融危機と対峙する「最後の貸し手」中央銀行』

 
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木下智博 著
『金融危機と対峙する「最後の貸し手」中央銀行 破綻処理を促す新たな発動原則の提言:バジョットを超えて』

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はじめに
 
 米国のサブプライム住宅ローン関連の巨額損失発覚に端を発し,広く世界経済を揺るがす極めて深刻な事態に発展したグローバル金融危機の勃発から,10年余りが経過した。本書は,中央銀行が金融危機への対応で発揮する「最後の貸し手」機能,レンダー・オブ・ラスト・リゾート機能について,その枠組みや具体的な実施事例,その背景にある事実関係や金融経済環境などを調査したうえで,「最後の貸し手」機能の制度設計や発動原則のあるべき姿を論じたものである。
 読者は,本書が,中央銀行による破綻金融機関向けの流動性供給を提唱したり,優良担保を取得することの弊害を指摘したりしていることについて,奇を衒った極論を並べ立てる異端の書かと警戒されるかもしれない。しかし読み進むうちに,歴史や事実,具体的な事例の積み重ねの力によって,この途しかない,と思い直していただけることを期待している。
 筆者が中央銀行の「最後の貸し手」機能の調査・研究に着手したきっかけや動機は,以下の3つの点である。「問題意識」と呼べるほど高邁な内容ではないが,説明することをご容赦いただきたい。
 第1に,中央銀行貸付けが本来は倒産すべき大銀行を救済した,という誤った事実認識に基づく政治的な批判や国民の感情的な反発が,米国を中心とする先進各国で強まり,これが将来の金融危機の際に中央銀行に求められる行動を妨げる,という危機感を抱いたことである。
 グローバル金融危機に直面した中央銀行による積極的な流動性供給を批判する論者は,19世紀半ばの英国でウォルター・バジョットが掲げた「最後の貸し手」機能の発動原則を「金科玉条」のごとく扱い,債務超過金融機関への貸付けを禁じたバジョット原則への回帰を訴える。これは,金融破綻の国民負担を避けるねらいからであろう。しかしながら,いわゆる「大き過ぎて潰せない金融機関」の秩序だった破綻処理を円滑に進めるには,一時的な資金調達手段の確保が必要不可欠である。こうした現実を直視しないバジョット原則礼賛論は,むしろ破綻処理の停滞や問題の先送りにつながり,そのツケを結局は国民に回すことになるのではないか,強い懸念を覚えたのである。
 第2に,物価安定を目的とした中央銀行の金融政策に関する研究や著作は数多あるのとは対照的に,金融システム安定を目的とした「最後の貸し手」機能については,理論と具体的事例の双方の裏付けを伴い体系的に解説した書物が少ないことである。
 中央銀行の「最後の貸し手」機能を理解するためには,経済学の分野では,貨幣経済学(monetary economics),金融システム論,中央銀行論,財政学,ファイナンス理論,あるいは,法律学の分野では,債権法,担保法,倒産法,さらには財務会計学などさまざまな専門領域の研究成果や知見を,分野横断的かつ有機的に結びつけることが理想とされる。近年それぞれの専門分野においては,例えばシステミック・リスクや市場流動性,中央銀行担保など「最後の貸し手」機能を研究するうえで鍵となるテーマを取り上げた実態調査や実証研究が著しい進歩を遂げている。ところが,そもそも「最後の貸し手」機能は,どういう場合にどれだけの効果を発揮するのか,その効果が波及する経路は何なのか,などをまとめて説明し整理した資料や研究は,探してもなかなか見つけられない。
 第3に,わが国が1990年代半ば以降に不良債権問題や金融機関の破綻処理に取り組む中で日本銀行が実行した特別融資(いわゆる日銀特融)について,改めてその意義と役割の歴史的な再評価が期待されたことである。グローバル金融危機に直面した中央銀行の危機管理行動を目撃し経験した後だからこそ,客観的な評価が可能になった。
 1990年代半ば以降の日銀特融の多くは,債務超過の破綻金融機関に向け無担保で流動性を供給したものであり,「最後の貸し手」機能の研究者が「金科玉条」とするバジョット原則には真っ向から反している。この点に加え,日本は不良債権処理に時間をかけ過ぎたという低評価が定着したこともあって,同時期の日銀特融も,過渡期の異常な仕組みに過ぎないと片づけられ,有識者の記憶から消されてしまっていることが多い。しかしながらグローバル金融危機後の各国は,金融機関の実効的な破綻処理手続や制度環境の整備に注力している。日銀特融は,まさに債務超過金融機関の円滑な破綻処理を促進する目的から実施され,しかも一定の発動原則に基づいて運用されていた。その経験や教訓を今こそ学ぶべきなのではないだろうか。
 かつて筆者は,若手の日本銀行職員として,特融や金融機関破綻処理の関連事務に従事した。しかし,本書は,いわゆる内幕暴露物ではない。本書に書かれていることは,すべて公表されている情報やデータ,公に出版・刊行されている研究論文や著作物に基づいている。公表されている周知の事実や,金融当局や中央銀行の公式見解であっても,なぜかその後の研究者のレーダーから落ち,忘れられてしまった事実に,再びスポットライトを当てることは,有意義である。
 落語家の立川談志は,弟子たちに「よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの,世の中がおかしいと云ったところで仕方ない」と説いたとされる。残念ながら,中央銀行の「最後の貸し手」機能の先行研究には,どうであるか,あったかの現実認識,事実判断よりも,どうあるべきかの価値判断や評価のほうが勝ってしまうケースが少なからずみられる。本書では,こうした過ちはできる限り避け,主として日米英欧の中央銀行が「最後の貸し手」機能を発揮した過去の具体的な実例や現存した・する制度的な枠組みを事実関係に忠実に調べ,それらを十分に積み重ねたうえで,満を持して「最後の貸し手」機能の制度設計や発動原則のあるべき姿を論じたい。
 グローバル金融危機から約10年が経過した今頃になって,こうした調査研究の成果を公にすることにつき,遅いのではないか,時機を逸しているのではないか,というお叱りの声もあろう。現にこのテーマの調査研究に本格的に着手してから現在まで4 年余りを要しており,作業が長引いたことにつき忸怩たる思いはある。詮無き釈明をすれば,米国と欧州の中央銀行が緊急貸出の制度や手続をようやく見直して適用したのはそれぞれ2016年と2017年である。また,筆者がかつて師事したハーバード法科大学院のハル・スコット教授が,米国FRBの「最後の貸し手」機能が規制され弱体化していることにつき警鐘を鳴らした名著を発刊されたのは2016年であり,さらに言えば,中曽・日本銀行前副総裁が議長を務めたBISグローバル金融システム委員会の作業部会が中央銀行による流動性支援の枠組みの準備を促す報告書を公表したのは2017年であった。これらの内容に触発され勇気づけられることがなければ,本書を完成できなかった。
 本書の概要を,各章ごとに簡潔に紹介すると以下のとおりである。お急ぎの方は,第1章と第7章からお読みいただき,他の各論章は,必要と問題関心に応じて読み進めていただけるように全体を構成した。
 第1章は,中央銀行が金融システムの安定のために果たす役割に関連づける形で「最後の貸し手」機能やその効果や効果波及経路,費用が何であるかについて標準的な理解の概要を解説したうえで,それらが今世紀入り後,特にグローバル金融危機後に,いかに発展・変容してきたかも紹介している。本書のテーマになじみのない読者が,中央銀行の「最後の貸し手」機能について早わかりをするには,この章を読めば全体像を把握できるようになっている。
 第2章は,中央銀行による「最後の貸し手」の発動原則を打ち立てたソーントンおよびバジョットの考え方を,原書にできるだけ忠実に紹介している。両者の考え方が生み出された時代背景に関する補足説明と関連づけて読むことをお勧めしたい。この章の後半では,先行研究の文献調査を踏まえて,伝統的なバジョット原則をめぐる近年の研究者の論争や主張の対立点について整理し解説している。
 第3章では,日本銀行の「最後の貸し手」機能を解説している。金融機関の破綻処理目的で流動性を供給した先駆的な事例である1990年代における日銀特融の実績や発動原則の運用などについて,破綻金融機関の財務データを利用した分析を試みた。
 第4章は,米国の中央銀行FRBの「最後の貸し手」機能について,連邦準備制度FRB の設立前から,それが設立された1913年以降,そしてグローバル金融危機時の積極的な流動性供給や個別問題先金融機関に向けた信用供与に至るまで,具体事例や制度の枠組みを詳しく解説している。米国の豊富な経験と教訓から学ぶべきものも多い。
 第5章は,英国の中央銀行BOEの「最後の貸し手」機能や流動性保険の枠組み,それらの発動原則について解説している。BOEは「最後の貸し手」であるだけでなく,金融機関の破綻処理を推進する責任も担ってきたことにも着目していただきたい。
 第6章は,欧州大陸諸国における中央銀行の「最後の貸し手」機能について解説している。欧州中央銀行制度が創設される前における欧州大陸主要国の中央銀行による「最後の貸し手」機能の歴史の概要を紹介したうえで,欧州中央銀行ECBの大規模流動性供給やギリシャ中央銀行の緊急流動性支援の実態を解説している。
 第7章は,本書の調査研究の内容およびグローバル金融危機の経験と教訓を踏まえ,伝統的なバジョット原則を批判したうえで,金融機関の破綻処理や金融危機が今後も起こりうることを前提とした「最後の貸し手」発動原則のあるべき姿を新たに提言している。
 本書の初稿については,筆者の日本銀行時代の上司であった大阪経済大学の髙橋亘教授や中曽宏・日本銀行前副総裁からは,貴重なご助言や有益なご提言と,暖かい励ましの言葉を頂戴し,東京大学の福田慎一教授および政策研究大学院大学の神藤浩明教授からは著書執筆に先立つ全体構想,問題意識のあり方について重要なご指南を賜った。また,内外の金融システム問題の第一人者である翁百合・日本総合研究所理事長には,初稿の細部まで懇切丁寧に精読いただいたうえで,追加して考慮すべき論点や情報についてご教示を賜った。さらに,日本銀行時代の同僚であった鎌田沢一郎・日本証券業協会管理本部共同本部長および森田泰子・日本銀行金融研究所企画役からは,改訂稿の一部を読み込んでいただき的確なご助言とご批評を賜った。これらの方々には,心より感謝の辞を申し述べたい。頂戴したご助言ご提言,ご意見は改稿の過程で織り込んだ積もりではあるが,不十分である点は,筆者の能力不足ということでお赦しいただきたい。
 最後に,勁草書房において拙稿を採択しその編集を担当してくださった宮本詳三・取締役編集部長には,出版経験のない筆者を粘り強くサポートし叱咤激励していただいた。神は細部に宿ると言うが,書を編むがごとき献身的なサポートなしには本書の完成・刊行はなかった。御礼を申し上げたい。
 
2018年5月
木下智博
 
 
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