あとがきたちよみ 本たちの周辺

あとがきたちよみ
『『主婦の友』にみる日本型恋愛結婚イデオロギー』

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
大塚明子 著
『『主婦の友』にみる日本型恋愛結婚イデオロギー』

「はじめに」(pdfファイルへのリンク)〉
〈目次・書誌情報はこちら〉


はじめに
 
 日本でも重化学工業が発展に向かい、都市化が進展し、郊外住宅地が形成され始めた明治末から大正期。こうした中で増加していった都市の俸給生活者とその家族、すなわち新中間層において日本型近代家族の出現をみる見解が、一九九〇年代以降定説となってきた。「団欒」の場としての「家庭」という考え方や、「男は外/女は内」という性別役割分業とそれに伴う良妻賢母思想や母性主義に関して、戦前と戦後には根底的な連続性があるのだ(西川 1990; 小山 1991; 落合 1994; 牟田 1996b など)。
 他方で、近代家族のもう一つの特質とされる「男女関係」での「感情の高まり」(Shorter 1975=1987)、いわば「愛」の近代日本におけるあり方については、まだ実証的な研究が少ない。「愛・性・結婚の三位一体」という要請は、性別役割分業と並んで、近代家族の夫婦関係を支える両輪ともいえる。このうち後者に対しては、特に一九六〇年代以降、フェミニズムによる根底的な疑問と批判が突きつけられ、社会的にも揺らぎが目立ってくる。だが、前者は磐石なばかりか、現代の家族形成においてさらに重要性を増しているのではないだろうか。
 この「愛・性・結婚」の一致という要請は、多くの場合ロマンティック・ラブ・イデオロギー(Romantic Love Ideology)と呼ばれる(上野 1990; 赤川 1999 など)。しかし、欧米起源の「ロマンティック・ラブ」という概念は、男女間の相互的な愛着という一般的・非歴史的な形で規定するより、その文化的・社会的な固有性に注目するほうが理論的な実りが多いと考える。本書では、一般的な「近代恋愛結婚イデオロギー」を上位概念としておき、欧米型のロマンティック・ラブ・イデオロギーとそのカウンターパートとしての日本型を下位類型として、両者の比較のうえでその特質を浮き彫りにしたい。
 まず序論となる第Ⅰ部・第二章で、宮廷恋愛(amour courtois)とピューリタンの友愛結婚という西欧の二つの文化的伝統を概観し、情熱(passion)と友愛(companionship)の矛盾という問題を示す。次いで主にルーマン(Luhmann,N.)とリストラ(Lystra, K.)に依拠し、ロマンティック・ラブを、「ただ一人の人(one and only)」という個別性に志向する、官能的=非合理的な情熱を起点とした〈間人格的相互浸透(interpersonal interpenetration)〉の過程として規定する。最後に狭義の性に焦点を当て、その近代恋愛結婚イデオロギーへの組み込みに関してヴィクトリア期型と二〇世紀型という二つの類型を設定する。
 次いで第三章で、明治期後半における「恋愛」の理念の移植過程を先行研究に従って概観する。そして第四章で、本書の主要資料となる『主婦の友』の大きな流れを示す。対象期間は一九一七(大正六)年の創刊から、同誌を含む婦人四誌の発行部数がピークに達した一九七〇(昭和四五)年までとする。主なデータは二種類で、一つは目次集から実用記事や子供の教育関連の記事などを除外した読物記事、計五四九二本のタイトル。これはほぼ全数的データといえる。もう一つはここから抽出した計一六〇二本の記事本文で、その中核部分を質的データ分析ソフトに取りこみ、質的・量的な分析をおこなう。
 「恋愛」「愛」といった価値を巡る言説分析においては特に二点に留意する。第一に、諸価値をつねに他との関連で、さらに可能な限り全社会的な布置の中で考察すること。具体的には「愛・性・結婚」の三者の内的な相互関連、およびその時代の価値階梯の最上位をなす至上価値との外的な関係が問題となる。第二に、抽象的・一般的な価値と具体的・個別的な規範という二つの水準を区別し、「愛」という輸入理念と日常的な夫婦関係との関係を捉えること、である。
 第Ⅱ部以降は本論に入り、時代順に『主婦の友』の言説分析をおこなう。
 第Ⅱ部は一九三七(昭和一二)年後半に戦時体制に突入するより前、戦前前期を対象とする。中心的な論者は創業者である石川武美と、安部磯雄を始めとする彼と交友の深いクリスチャンの著名人で、母性保護論争の主要人物のうちでは山田わかがもっとも活躍する。「家庭基盤型」の恋愛結婚イデオロギーの時代といえ、〈国家社会〉を支える結婚という社会制度=「家庭」が最上位に置かれ、それを安定的に支えうる永続的な「愛」のみが真正と認められる。近代的な法制度の浸透が不十分、かつ医学が遺伝偏重に傾くという状況下で、現実的な選択肢である見合結婚を通じて最大限にこうした「愛」を実現する方向が模索された。また離婚には原則否定の立場が取られ、夫が不貞を繰り返しても、妻の夫への「愛」の喪失はあるべきでない問題とみなされる。「愛」の理想は、官能的で非合理的なpassionを起点とするロマンティック・ラブと異なり、精神主義的で意志的なaction として描かれ、かつ普遍的な「高潔な人格」を志向する。他方で、日常的な夫婦関係においては伝統的な「和合」という指針が示され、男性優位的な「和合の秘訣」がくり返し示された。
 第Ⅲ部は戦時体制期と戦後期という、敗戦を挟んだ二つの時代を一括して扱う。序論で提起した問題の一つ、「敗戦は画期か否か?」という問いへの回答を見やすくするためである。結論はノー&イエスだ。戦時下で「皇国」という象徴によりさらに強化された〈国家社会〉という至上価値は、戦後も「民主日本」に書き換えつつ基本的に引き継がれた。また昭和十年代は日本型近代家族の定着期ともいえ、「愛」という新しい理念のもとで結婚した世代が親となり、子供の結婚相手を探す時期となる。夫婦関係も「夫からの緩和」を通じて前代より対等なものになっていったが、この傾向もそのまま戦後に連続する。山田わかや石坂洋次郎も戦前戦後を通じて活躍している。しかし、一九五〇年代に入る頃から根底的な断絶が始まる。価値階梯の最上位が「幸福=愛」へと転換し、婚後の「愛」と婚外の「恋愛」との理念的な距離が縮小していくのだ。これに伴い、離婚観も肯定へと変わっていく。
 第Ⅳ部は高度経済成長期を、前期(一九五五~六三年)と後期(一九六四~七〇年)に分けて論じる。二つの時期を通底する最大の特徴はまず「性の爆発」の時代ということ。女性自身にとっての性の重要性が格段に高まり、「愛」の理念は官能的な性愛という色彩を強め、その喪失を理由とした離婚の肯定どころか、妻の「よろめき」が赤裸々に表出されるようになった。新しい「性愛傾斜型」恋愛結婚イデオロギーの出現である。他方で、これと表裏一体に「内面の探索」が深まっていく。前期は亀井勝一郎が最大のスター論者として「愛・性・結婚」間の矛盾を深く探求し、「人間」を鍵概念に「灰色の日常性」の受容と夫婦互いの「あわれみ」を説く。だが、彼の退場と踵を接するように瀬戸内晴美が登場し、「女」としての燃焼と「非日常性への跳躍」を主張する。ただ両者とも、欧米のロマンティック・ラブ的な「ただ一人の人」という発想の欠落において共通していた。後期に入るとドクトル・チエコと竹村幸子の女医二人が毎号のように執筆し、夫婦の「愛」と性について啓蒙する。一般読者による「女の告白半生記」が花盛りを迎え、さまざまな「団地の事件」も誌面を賑わす。そして良妻賢母でも「女」でもない第三の方向性、仕事などの「生きがい」を通じた〈私〉探しの動きが少しずつ姿を見せる。
 最後に終章で本書の議論を総括し、残された課題と今後の展望について述べる。
 
 
banner_atogakitachiyomi