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『植民地朝鮮の児童保護史』

 
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田中友佳子 著
『植民地朝鮮の児童保護史 植民地政策の展開と子育ての変容』

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はしがき
 
 二〇〇五年、隣国の大韓民国(以下、韓国)では、合計特殊出生率一・〇八を記録した。同年二月一九日付『朝鮮日報』の「子どもを産まない韓国に未来はない」と題された特集記事は、次のような問いかけで始まる。

 みなさんは、白人、黒人、東南アジア人が守るDMZ〔非武装地帯:以下、亀甲括弧内はすべて引用者による〕を思い浮かべたことがあるだろうか。廃校となった小学校に敬老堂〔高齢者施設〕が建ち、運動場では幼い子どもではなく老人が集まってゲートボールを楽しんでいる姿が想像できるだろうか。国内屈指の自動車生産ラインを、外国人労働者が占拠している姿を描けるだろうか。分娩室が葬儀場に替わり、赤ちゃんの泣き声ではなく慟哭する声が響くとしたら、どうだろうか。
 どこの国の話なのかと、多くの人は首をかしげるだろう。しかし、これは近い将来の韓国の自画像だと専門家は分析する。我が国が「老人国家」へと変貌するのは、時間の問題である。これは子どもを産まないことによる、低出産〔少子化〕に起因するものである。統計庁が先月発表した将来の人口集計によれば、一五年後の二〇二〇年から我が国では人口減少が始まる。低出産人口減少は我々の社会の様々な部分において災いをもたらすであろう(『朝鮮日報』2005)。

 この記事が示すように、二〇〇〇年代以降韓国では、「低出産高齢化〔少子高齢化〕」が国家、社会、経済を揺るがす問題として浮上した。日本と同様、否それ以上に急速な少子高齢化の局面にある韓国では、教育、社会保障、社会福祉、労働、経済、国防政策などにおいて、大きな転換期を迎えている。こうした危機感のもとで、韓国政府が「低出産高齢化」対策の基本指針として打ち出したのが、二〇〇五年四月「低出産・高齢社会基本法」制定であった。この法律の基本理念として掲げられたのが、「国家の持続的な発展のための人口構造の均衡と質的向上」である。人口構造の量的均衡だけでなく、「質的向上」までもが課題とされていることに注目したい。また、低出産政策の樹立と施行を「国家と地方自治体の責務」(同法第四条)とするだけでなく、「国民は出産と育児の社会的重要性と人口の高齢化による変化を認識し、国家と地方自治体が施行する低出産・高齢化社会政策に積極的に参与し協力しなければならない」(同法第五条)と、国民の積極的な参与と協力も求めている。
 このように現在韓国において、人口の量と質の問題は、国防や経済などあらゆる分野で国家にとり重要であり、国民全体で取り組むべき課題であると認識されているのである。しかし、こうした人口の量と質の統制、そのための出産や育児に関する知識や技術の受容が、国家や社会の取り組むべき課題として認識され、実際に啓蒙活動が広く行われ始めたのが、大日本帝国による統治を受けた植民地期であることを知る人は少ないだろう。本書が範疇とするのは、出産と育児に関する近代的知識、養育技術や施設、子どもに対する新たな眼差しや尺度が流入し、子どもを産み育てることに新たな意味が付されていく「植民地朝鮮」という舞台である。本書で示すように、子どもをどのように産み育てるのかという問題と、植民地をどのように統治していくべきかという植民地政策とは、固く結びついていた。植民地期において、子育てをめぐり「生」と「政」がいかに接し、交わっていたのかを、本書では取り上げる。
 本論に入る前に、本書のタイトルにもある「植民地朝鮮」という言葉について触れておきたい。植民地統治下において、朝鮮人による集会や言論の自由は厳しく制限され、学校の設置や教授内容も植民地統治に利するものに限られていたことは周知のとおりである。またキリスト教宣教師による学校設立や医療活動に制約が加えられるなど、西洋からの近代的知識の流入や受容も一筋縄ではいかなかった。このように新たな近代的知識への接触を抑制し、近代化への途を困難なものにしつつも、朝鮮総督府(以下、総督府と記す)はそれが自らの力によって成し遂げられていることを強調しながら植民地統治を正当化していった。近代的な思考様式、身体、生活を朝鮮人に身に付けさせることは、植民地統治に資する人間を養成することに通じるものでもあった。一方で、近代的知識に接することのできた朝鮮人の多くは大日本帝国の統治を不当なものと考え、独立を志したことは言うまでもない。つまり、近代的知識の接触は統治を支えるものであり、同時に統治を揺るがすものともなる「諸刃の剣」だったといえよう。本書の対象とする「植民地朝鮮」は、植民地であるからこそ起こる様々な不均衡な関係性やそれを成り立たせる構造を意味するものであり、〈近代的なるもの〉の流入と受容をめぐって総督府、キリスト教宣教師、朝鮮人女性など様々なアクターがせめぎ合う空間でもあった。
 もう一つ示しておきたいのは、本書の対象とする「児童保護」についてである。植民地朝鮮において、多くの子どもが普通学校(初等学校)の門を一度もくぐったことのない「不入学者」であったことは知られている。男子と女子を合わせた完全不就学率は、一九三〇年代初頭まで八割を超え、一九四〇年代になっても五割を超えていた(金富子2005:4 図1)。不就学が常態だった中で、学校に行かない大多数の子どもたちは、どのような生活を送っていたのだろうか。本書では、学校教育システムのみならず、親族や共同体の網の目からも放逐された「孤児」「浮浪児」「不良児」などと呼ばれた子どもたちも対象とする。総督府によって新たに設置された孤児院や感化院といった児童保護施設において、子どもたちは「忠良なる農民」「皇国臣民」となることを期待された。こうした児童保護施設における養育方針や感化教育の内容が、植民地政策に強く影響を受けたものであったことを指摘したい。
 本書では、医療宣教師によるソーシャルサービス(social service)、総督府の乳幼児愛護運動といった、家族とくに母親による育児に対する啓蒙活動に加え、総督府や朝鮮人の設立した孤児院、そして感化院などの施設収容を通した養育空間も、具体的な研究対象とする。これらは、一見するとまったく別の事象に思えるかもしれない。しかし、育児知識と育児空間の流入は、どちらも子どもの養育に関わるものであり、何より本書に通底しているのは、子どもをめぐる「生」と「政」の交わりを問うということである。人口の量と質の向上が声高に叫ばれている現在の韓国社会や日本社会において、その言説の淵源を探ることにしたい。換言するならば、本書は、産み育てることをとりまく政治性に目を向け、その歴史を掘り起こすことをめざすものである。
 
〔参考文献〕
『朝鮮日報』(2005) 「子どもを産まない韓国に未来はない〈1部〉韓国が縮小する」(아이 안낳는 한국 미래가 없다─〈1부〉한국이 줄어든다)」二〇〇五年二月一九日
金富子(2005) 『植民地期朝鮮の教育とジェンダー──就学・不就学をめぐる権力関係』世織書房
 
 
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