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あとがきたちよみ
『孤立不安社会』

 
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石田光規 著
『孤立不安社会 つながりの格差、承認の追求、ぼっちの恐怖』

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はじめに
 
 二〇一一年に『孤立の社会学』を執筆してから、七、八年の歳月が過ぎた。前著の出版当時は、二〇一〇年にNHKスペシャルで『無縁社会』の特集が組まれ、二〇一一年に東日本大震災が起き、無縁ブーム、絆ブームが起きていた。
 ブームはいつか沈静化するとおもっていたのだが、なかなかそういった兆しは見えない。それどころか、いつの間にか「ぼっち」(ひとりぼっちを表す俗語)や「よっとも」(挨拶するだけの友だちを表す俗語)といった言葉も生まれ、人との距離や孤独・孤立に対する感度は相変わらず高いようだ。前著を出した当時よりも、明らかに取材件数が増えていることからも、孤独・孤立への世の中の関心の高さがうかがえる。
 しかしながら、まわりを見渡してみると、孤立している人がそう多いとは思えない。たいていの人はどこかの集団に入っているし、ケータイやスマホで頻繁に連絡を取っている人も多い。どうも、一見つながりに取り込まれているように見えて、その内側に孤独感を抱えている人が増えているようだ。
 
 一九六〇年代、七〇年代に人びとの耳目を集めた「日本人論」では、日本人は「甘え」を軸に、内集団びいきをしている、という言説が展開されていた。この考えは多くの人に支持され、日本人イコール集団主義というイメージが定着していった。
 しかしながら、人びとに、時には〝煩わしさ〟すら感じさせる集団の拘束力の強さは、徐々に過去のものとなりつつあるようだ。人びとは、身内への〝迷惑〟を気にかけ、甘えることをためらうようになっている。
 内集団の外にある「世間」に迷惑をかけた人を執拗にたたく姿勢は今も変わらない。インターネットが普及した現在、人への迷惑を捕捉する網の目は、より精細になっている。人びとに孤独感が蔓延する背景には、上述のような社会構造の変化があるに違いない。
 
 本書は、多くの人がつながりに対して漠然とした不安を抱く社会を「孤立不安社会」と名付け、現代社会の孤立にまつわるさまざまな現象を検討した。内容は、人から受け容れてもらえない不安、つながりの格差、孤立死、地縁の再編と多岐にわたっている。とはいえ、各章が連関する構成をとっているので、なるべくなら序章から順に読み進めていただきたい。
 なお、本書の第一章、第二章、第三章、第五章、第六章は、既発表論文をもとにしている。初出一覧は巻末に掲載した。収録された論文は、本書の流れに合わせて、それぞれに加筆修正を施している。
 
 
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