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『老いと踊り』

 
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中島那奈子・外山紀久子 編著
『老いと踊り』

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はじめに
 
 〈老い〉について語ることは、欧米文化圏ではしばしば社会的タブーと見なされてきた。とりわけ理想の身体を体現してきた舞踊において〈老い〉のテーマを設定することは、美学的・社会的パラダイムの転換を促すものとなりうる。本書には、二〇一四年に東京ドイツ文化センターで開催された国際シンポジウムの講演や議論を出発点にしながらも、内容・形式の両面において大幅にブラッシュアップされた論考が収録されている。二〇一四年のシンポジウムでは、「老いと踊り」という世界的に見てもいまだ未開拓なダンスのテーマをめぐって、ドイツ、英国、米国、日本の視点を交差させながら、問題提起を行った。年齢を重ねても踊り続けるダンサーを起用し新たなジャンルを立ち上げたドイツのタンツテアターの振付家ピナ・バウシュから議論を始め、日本の舞踊の事例と比較しながら、ダンスを越えたアート全般や社会的状況へと考察を進めたのだった。
 〈老い〉は舞踊の分野だけに留まらず、また高齢者のみでなく、すべての人間にとって避けられない基本的条件である。世界で最も少子高齢化が進む日本にとって、〈老い〉は社会変化に伴う古い価値観との軋轢を生む、きわめて現実的な対応を求められる問題でもある。とりわけそれは、平均寿命が男性より長い女性の問題となる。若さ、美しさに執着する価値観に縛られ、他の先進国に比べて社会進出が進まない日本の女性にとって、〈老い〉は自らが担い手となる介護の問題とも切り離せない。加えて、高度経済成長を支えた「強い」日本社会には、効率の良い労働力としての成人・男性・健常者の活躍があり、その背後に「弱さ」を回避する傾向があった。震災後、戦後社会を支えてきた経済的構造と民主主義が機能不全に直面している日本にあって、強さや効率性を至上命題としない主体の新しい在り方を、〈老い〉と踊りの問題を通して模索すること──それがシンポジウムの最終的な目的であった。そして、本書は、このシンポジウムでの議論を更に発展させ、欧米と日本との比較研究の枠組みをも超えた地平で議論することを目指している。
 踊りにおける〈老い〉の研究は、私が日本舞踊の稽古の中でいつも常に感じていた、年齢に関する強い意識と共に始まっている。三歳から稽古を始めていた私は、そのうちに稽古場において、最古参で最年少の踊り手になってしまった。いつしか、他の弟子に稽古場での習慣を教え、舞台での踊りを称賛されるようになっていた。ただ、いくら振付通りに踊り、稽古に通い、師範になっても、若い若いと言われ続けた。まだ若いからこの曲を踊るには早すぎる、踊りに味が出るようになるにはあと三〇年かかると、踊りの師匠によく戒められた。
 その年齢への意識はまた、日本を離れ、米国を経てドイツへと所在を移していく中で、自分が何歳にみられるかという経験と共に複雑になっていった。大学院課程を修めた二〇代の私は、研究者としてそのキャリアにおいては中堅となっていた。しかし、日本から留学先のアメリカ、そして博士号取得のためにドイツへと移動していく過程で、私は若く、若くなっていった。日本人女性の私は、アメリカや、殊にヨーロッパでは実際の年齢より遥かに若くみられる。私は、容貌や服装、動き方や振る舞い方、そして言語能力においても、現地の該当年齢の人々とは一致しない。老いることを恐れる人々が多いアメリカでは、個人の年齢を聞くこと自体がエイジズム(老人差別)につながる。そのため、履歴書にも年齢は記されず、日常会話にも年齢に関する話題はほとんど出てこないのだが、私の年齢を知ると、Nanako は若く見える!と驚かれるのが通例だった。しかし、ヨーロッパでの状況は更に異なっていた。ヨーロッパ基準では、時に気さくに立ち居振舞うアメリカ人さえ子供っぽく、年齢より遥かに若く見られた。小柄で、文化の大きく異なる場所で育ったアジア人はもってのほかである。私の実年齢を聞くと、驚愕してその場に立ち尽くすドイツ人に何人遭遇したことか。そして、日本に戻った私に待っていたのは、ジェンダーと年齢へのまた別の偏見だった。日本に戻った日本人女性らしからぬ私は、人種や話す言語で際立つのではない。より平等な社会のために闘ってきた欧米の状況を学んで経験を積んでしまった私と、日本の家父長的社会規範との間に更に差異がひらき、ジェンダーや〈若さ〉によってより一層マージナルな位置に追いやられていく。顔に皺が、髪に白髪がどれだけあるかだけではない。その年齢にまつわる知覚には、人種やジェンダー、階級、体型、言語やコミュニケーション能力を巡る、様々なアイデンティティ・ポリティクスが働いている。
 本書は、以下のような内容になっている。序章に続き、「第Ⅰ部 踊りの遺産」では、一九六〇、七〇年代にダンスの伝統的なアプローチを脱構築したドイツ、米国の歴史的振付家を取り上げ、彼らの老いと共に、そのダンスの遺産をどう受け継ぐかが論じられていく。ここには、大勢のダンサーを率いるカンパニーの中で振付家として活動するか、そのような制度を採らずに個人のダンサー、振付家として活動を続けるかという、ダンスを巡る異なる文化が背景にある。まずドイツのダンス研究者ガブリエレ・ブラントシュテッターが、ドイツのタンツテアター(舞踊演劇)の振付家ピナ・バウシュの代表作《春の祭典》を取り上げ、老いという問題を作品の精神性やダンサーの身体性、創作のエネルギーが次世代へと受け継がれることとして、老い概念の拡張を試みる。第2章では、哲学者の貫成人が、老いの社会史、舞踊やアートにおける老いの位置づけの変化を確認して老いについての哲学的分析を試み、老者が踊ることの意味と可能性を明らかにする。第3章では、米国ニューヨークのジャドソン教会派の主唱者でポストモダンダンスの騎手である振付家・パフォーマー・映画監督のイヴォンヌ・レイナーが、老いと踊りについて語る。一九六八年の振付作品《トリオA》を改訂し、二〇一〇年に自ら踊った《老いぼれバージョン》がアヴァンギャルドの新しい形式であることを説明し、彼女が考えるダンスにおける老いという哲学を要約する。これを受けて第4章では、英国ダンス史家のラムゼイ・バートが、一九六〇年代にジャドソン教会派が従来のダンス・テクニックという概念を変革した際に、高齢のダンサーでも舞台で踊れる美学的選択肢を作り出したことを論述する。
 「第Ⅱ部 伝統での老いとポスト・ジェネレーション」では、老いを支える作品や芸術の制度が検討される。作品の異なるバージョンや、「型」や「芸」「花」という日本の概念から、舞踊において作品がどう考えられるかを検討する。まずパフォーマンス・スタディーズの研究者レノーラ・シャンペーンが、米国パフォーマンス・アーティストのメレディス・モンクの作品《少女教育》(1972)の再演を自身と娘との二重の視点を重ね合わせながら分析し、それをシャンペーン自身による戯曲《メモリーの物置》と立体的に組み合わせていく。第6章では演劇評論家の渡辺保が、西欧と日本にはダンサーの老いに対する考え方の違いがあり、それは、本名・芸名・役名の三つの私を一つにする演技方法論の違いと、何十代もの世襲制度を背負って成立する身体観の違いであると論じる。続いて日本舞踊家の花柳寿南海、花柳大日翠、渡辺保による鼎談では、人間国宝の寿南海による素踊りが示されながら、身体の衰えを心や芸で補う舞踊の世界が提示され、弟子の大日翠の精進する姿から、老いの価値を支える芸道や師弟制も示される。中島那奈子による解題では、女性舞踊家による動きを超えた踊りの可能性も指摘されている。第Ⅱ部の最後は、舞踊研究者の尼ヶ崎彬が、舞踊作品の登場人物の老いと、踊り手自身の老いを区別しながら「衰退」「年功」「余生」としての老いを説明し、老いた身体として世界的に活躍した舞踏家大野一雄について論述する。
 「第Ⅲ部 グローバル化する老いのダンスドラマトゥルギー」では、老いの美意識を支える、世代や家を越え、円環する時間の在り方がさまざまな形で語られる。まずアーティストのやなぎみわが、老いのパフォーマティヴな関係を探求する自身の写真と演劇作品群を、題材となった各地に残る老女神信仰と共に説明する。続いて宗教哲学者の鎌田東二が、日本文化では翁と媼と童が最も神に近い存在とされ、老人と子どもが相補的かつ相互侵入的になる「翁童身体」を示し、日本の翁童文化における翁曼荼羅を描いていく。そして、日本のドラマトゥルクである中島那奈子が、ピナ・バウシュのドラマトゥルクで振付家でもあるライムント・ホーゲの作品《An Evening with Judy》(2013)のドラマトゥルギーを、老いの知覚構造を用いて上演分析する。最後に、その誕生から半世紀以上経過し舞踏家の高齢化も進む中、舞踏の何が受け継がれるべきかについて、舞踏研究者の國吉和子が、大野一雄の子息、大野慶人によるレクチャー・パフォーマンス《命の姿》の批評を交差させて論じる。
 「〈老い〉と踊り」に関する論考の番外編として、最後に美学者の外山紀久子が、普通の人の老いの過程(死への移行の問題を含む)から舞踊と老いの関係を考察する。ポストモダンダンス以後の「拡大ダンス」、古代の「音楽(ムーシケー)」概念、整体やソーマティクスの展開に見られる「気の身体論」を視野に入れ、生死の境界で社会(生産・再生産活動)から脱落した老いの身体に、カウンター生政治的な抵抗力/解放力と、世界との調和/和解を達成する全的受容のスタンスとが重ね書きされる。
 この書籍を準備している最中に、日本舞踊家花柳寿南海氏が二〇一八年九月一一日に九三歳で逝去された。彼女の素踊り《都見物左衛門》の舞台を初めてみてから、もう二〇年になる。この一〇分の踊りが、その後二〇年にわたる私の人生を変えてしまった。この稀有な舞踊家の舞台なくして、私の老いと踊りの研究も存在しない。心からのご冥福をお祈りしたい。
 
中島那奈子
 
 
あとがき
 
 老いと踊り──この魅力的ではあるがトリッキーなテーマに最初に接したときは、実はむしろ戸惑いや躊躇いの方が大きかった。「永遠の一五歳」オーロラ姫こそが主役、「ダンスは性愛の練習が起源」(H・エリス)、といった古典的な見解に肩入れしていたわけではないものの、サロメの七枚のヴェールの踊りやディオニュソスの徒マイナスたち、天宇受売のストリップ・ダンス等々古い物語が語ってやまないように、エロース(幼児化したキューピッドではなく、古代の、非人称的な大いなる神)の発現がダンスの力の根元にあるだろうという思いに抵触したのかもしれない。日本舞踊や能のような異なる伝統では老いること=年齢を重ねることが重要な価値を持つのはわかってはいたが、「舞い」と「踊り」の位相差や個人を超える「家の芸」の特異性などを考えると同じカテゴリーとして扱う際のハードルは侮れないのではないかという素朴な疑念、西洋の他者を日本が代表することへの疑いもあったかもしれない。いや、しかしそれよりもおそらく、老いについて語り、それを俎上に載せることそのものに対する抵抗が強かったのだ。無論老いは誰にとっても避けられない「基本的条件」であるとは言え、未だリアルな老いを知らない人生のフェーズで、老いについて云々するのは僭越では?という、バカな思いが頭をもたげたのだ(当事者研究のみがオーセンティックな言説としての権利を主張できるということはない、のだから本当にバカなのです)。
 後者については、その後ほどなく、自分自身が高齢者の入り口に近づいて後ろめたさが和らいだのだが、それでも老いの問題はいわゆる「政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)」の制約に縛られて予め方向性が決まってしまうという懸念は去らなかった。とは言え、過去数年でさらに超々高齢化が進み、老いの重みに耐える余力を失っていく社会の中で、老いのテーマは一層多くの人々にとって「自分ごと」として可視化されてきている(ほとんど毎日のように「エイジング・ジャパン」の記事が目につくようになった)。半ば巻き込まれる形で参加したシンポジウムや研究会、そして今回の論集に加わる過程で、老いと踊りがいかに豊穣な思考のトポスになりうるのかということに気付かされた。最近は自分よりはるかに若いジェネレーションに属する意欲的な研究者の友人に引っ張られ、自分ひとりでは開けることのなかった窓を開け、思いがけない風景に出会う機会が与えられる──そのことを改めて嬉しく思っている。同時にこのアンソロジーに寄稿してくださった諸姉諸兄の縦横無尽の議論を多くの喜び・発見・学びの機会として受け止めている。老いと踊りのテーマが一個人のなかで完結するのではなく、世代を超えて受け継がれる文化価値の問題でもあることを実感した。
 多くの方々の助力によって日の目を見ることになった本書であるが、編者のタイム・マネジメント能力の欠如もあり最終段階で突貫工事になってしまった。不足や誤りのご指摘、ご示教をいただくことができれば幸甚である。
 本書の起点となった国際シンポジウム「老いと踊り」の開催に際し、ご尽力くださった東京ドイツ文化センター、とりわけ今は亡き当時の所長/日本統括代表ライムント・ヴェルデマン氏、文化部の小高慶子氏、久井麻世氏、また埼玉大学教養学部・大学院人文社会科学研究科及び美学会東部会(共催)、舞踊学会及びドイツ学術交流会(DAAD)(後援)の皆様に、深く感謝の意を表したい。ホーゲさんによるワークショップやレクチャーでご協力いただいた大野一雄舞踏研究所、明治大学大学院文学研究科(演劇学専攻)、明治大学ドイツ研究会、成城大学文芸学部の皆様、さらにその後の同テーマでの共同研究をサポートしてくださった京都造形芸術大学「舞台芸術作品の創造・受容のための領域横断的・実践的研究拠点」プログラム関係各位にも心から御礼申し上げる。本書の完成まで辛抱強く協働してくださった執筆者、翻訳者の方々にも、この場をお借りして厚く御礼申し上げる。最後に、遅々とした刊行までの歩みを伴走し見守ってくださった勁草書房の関戸詳子氏に、心からの謝意を表明したい。関戸さんの献身なしには本書を上梓することは全く不可能だった。本刊行物は、JSPS科研費JP18HP5025 の助成を受けたものである。
 
二〇一九年一月
外山紀久子
 
 
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