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猪飼周平 編著
『羅針盤としての政策史 歴史研究からヘルスケア・福祉政策の展望を拓く』
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序章 ヘルスケアと社会福祉における政策史の可能性
猪飼周平
1 ヘルスケアと社会福祉における政策史の貧困
本章は少なくとも日本的な文脈においては,ありふれていそうでいて,実のところ限られている研究についての序説である。その研究とは,ヘルスケアおよび社会福祉領域における政策史研究のことである。
一般的にいえば,政策学における歴史研究はきわめて王道の研究である。政策学者たちは,政治史,経済史,社会政策史などから重要な政策的示唆を引き出してきた。近年このような意味における政策史研究は,データ分析的な手法を用いた研究などに押されがちではあることは事実であるが,それは政策史研究が下火になっているといってしまえるほどではない。本章は,政策史研究の重要性について説明しようとするものだが,上のような現状からいえば,まさに屋上屋を重ねるようなものであり,それ自体何ら生産的な意味をもたないといえるかもしれない。
ただし,ことヘルスケア領域および社会福祉領域に関するかぎり,政策史研究の蓄積は非常に薄いといわざるをえない。ヘルスケア領域についていえば,歴史研究の伝統はあるにはあるのだが,プロフェッショナルな歴史研究はごく限られており,また近代史に限定してみると従来ほとんど研究の蓄積がなかった。近年では,社会史的観点からの医療史や公衆衛生史に関する水準の高い文献が徐々に増えてきており,そのこと自体は喜ばしいことなのだが,こと政策史としてのヘルスケア史については,いまだ研究はきわめて限られているといわざるをえない。
社会福祉領域についても,似たようなところがある。社会福祉学の隣接領域である社会政策学や社会保障学においては,政策史研究は一般的どころかメインストリームともいえる扱いを伝統的に受けてきたこともあり,社会福祉学の中でもこれらの領域と関心の重なる部分,とくに貧困に関する領域については分厚い歴史研究も政策史研究も蓄積されてきている。これに対し,児童福祉,障害者福祉,高齢者福祉,地域福祉など社会福祉に従来固有とみなされてきた領域については,歴史に対する関心自体はあるのだが,有効な政策的含意を歴史から抽出することに成功した政策史研究はきわめて限られているといわざるをえない。
したがって,一般的な政策史的研究の文脈とは異なって,ヘルスケア領域および社会福祉領域においては,依然として政策史の重要性を説得する必要がある状況が続いている。 20-21 世紀転換期を境に,先進諸国のヘルスケアも社会福祉も構造的転換の時期を迎えつつある(そのこと自体も,第5 章をみればわかるように,政策史的研究から導かれるのだが)。このような時機には,政策史研究の重要性は非常に大きなものとなる。というのも,政策史研究は,さまざまな政策分析の中でも,長期的・戦略的・構造的な政策変動について最も有効な知見を引き出すことができる研究方法だからである。もし,日本のヘルスケア政策および社会福祉政策の領域において,政策史的研究の恩恵を今後長期にわたって受けることが難しい状況が続くとすれば,それは政策的な失敗や損失のリスクを高めることになってしまうであろう。
すぐ後で再説するが,たとえば政策史は,長期的な政策展望に示唆を与えることができる。それはいいかえれば,「羅針盤」のようなもので政策が長期的にどのような方向感をもつべきかを指示する。もし政策史の指示とは異なる方向に政策が進展してゆくと,長期的には,方向転換にきわめて大きな社会的コストが発生するか,人びとにとって望ましくない社会的状態を固定するかを選択せざるをえない状況を招来してしまうことになる。
本書が収載した5 本の論考は,以下で紹介するように,いずれも政策史が得意とする方法で政策学的貢献を目指している。ただし,本章における政策史の解説も,本書に収載された論考も,あくまで政策史研究の可能性についての例示として読んでいただきたい,ということは申し添えておきたいことである。というのも,歴史という記述法は,きわめて総合的な内実をもっており,そこから政策的な含意を汲み出す方法は,工夫次第で他にもいくらでも見つけることができると考えられるからである。
筆者の理解するところ,歴史とは,過去の事実から組み立てられた物語や説明の可能性の全体なのであって,その可能性については,試されていないものがいくらでもありえる。たとえば今日では,人びとの活動が個別に無数のデータとして記録される社会となっていることから,近い将来それらをさまざまに処理しながら史実を構成するような歴史の記述法もつくられることになるだろう。いずれにせよ,重要なことは,歴史は,社会科学などに比べると緩やかな叙述の規制に準拠しているということで,それは歴史から厳密性を奪う一方で,大きな研究の自由を保証するものでもあるのである。
この歴史のもつ性格は,歴史を政策史として活用する上での制限が加えられたのちも基本的には変わることはないのである。
筆者としては,読者諸氏に,この序文や本書の各論考を,読者諸氏がオリジナルな政策史の方法を生み出すヒントとして活用していただくことを願っている。
2 現在に焦点をおく政策史
歴史記述一般が,未来に向かって講じられる政策に貢献するわけではない。そこには,まず明確な関心の焦点に関する条件が存在している。それは,焦点が現在の説明におかれている歴史でなければならないということである。
歴史学一般における歴史記述は,なぜ社会が現在のようになったかとか,いかに社会が現在のようになったかといった現在地点の解明に縛られることはない。たとえば,平安時代のある一時期の政治・社会・文化のあり方を明らかにするような研究も十分に値打ちがある。よりアーキビスト的な観点に立つなら,過去の情報をできるだけ損なわないように保存・記録するということ自体に大きな価値がある。その意味では,歴史とは,歴史記述にせよ史料にせよ,現在時点のプラグマティックな価値に縛られないところに,その本質的な立脚点がある。それは現在の価値基準からみて重要と考えられないような過去の情報をみだりに廃棄しないということでもある(1)。
これに対し,政策史とは,基本的には焦点を現在の説明においている。現在とは,事実を一応確定できる最前線のことである。未来はまだ生起していない以上,その事象の生起についての言及は常に不確かさを含んだ予測になる。これに対し,過去や現在は一応何が起きたのかについて入手可能な情報がある限り,事実かどうかを確認できる。もちろん,歴史学における史実に関して論争があることからわかるように,過去の事象の事実性を確認すること自体,概念構成的作業が含まれることから,史実といえども絶対的なものではない。それでも,未来に比べればより高い事実性を認定しうるといえる。そして,現在とは高い事実性を認定しうる最も未来よりの地点である。
他方で,政策史による政策的貢献は,すぐあとで議論するように,基本的には長期的な展望によるものであるので,知りたいのは未来である。したがって,政策史とは,過去から現在までと,未来とを区別した上で,過去の「事実」を固めることによって,未来への「展望台」を構築する作業であるといってよいだろう。そしてこの「展望台」こそが現在にほかならない。
もっとも政策史家ならぬ歴史家の中にも,とりわけ現代史・近代史を専門とする人びとの中には,現在の説明に焦点をあわせた歴史を指向する論者は少なくないのであって,その意味でこのような政策史的観点は,決して政策学者に属する政策史研究者に固有のものではない。ただし,政策学者の場合,政策への貢献というプラグマティックな目的があるために,現在への照準は,研究者の選択によるというものよりも,学問的要請となっている。
本書の5 本の論考が,歴史的叙述の終点が現在となっていないものを含め,いずれも分析の焦点(解明の対象)を現在地点においているということは,お読みいただければ容易に確認できるであろう。
3 羅針盤的知識を生み出すものとしての政策史
現代社会においては,社会の有り様は日に日にデータとして抽出できるようになってきており,これを活用するデータ分析的な研究も発達してきている。その過程で,当然のことながら,研究に対して求められる実証性の水準も徐々に切り上がってきている。それは決して否定すべきものではなく,私たちの社会のどこに問題があり,どの社会的変数に働きかければ望ましい政策的結果が得られるかについて,理解を深めてゆく道である。
さて,ここで重要なことは,一般により精緻な実証性が求められるようになってゆく傾向と,政策史があくまで歴史研究である以上その実証性には自ずと限界があることとをどのように考えあわせるかということである。もし政策学全体に,切り上がってゆく実証水準を適用するということを前提とすれば,政策史という研究方法は,時代遅れのものとして放棄せざるをえない。だが,それでよいだろうか。たとえば,ある医療技術を認可するために要求される実証性と,四半世紀後の医師数に影響を与える医学部の入学定員の拡大の是非を判断するのに必要とされる知識の実証性とは同じだろうか。前者の場合,高い実証性を求めることで,少なくとも患者の危険を軽減できるが,後者の場合,政策的な判断材料自体がなくなってしまうことになる。
そもそも,政策は未来への投企であり,未来が不確実である限り,不完全な知識・情報の中で決断を強いられるということは避けがたい。したがって,政策が要求する知識・情報の実証性の強度は,政策の規模,政策が見通すべきタイムスパンによってプラグマティックに変動することになるのである。実際,年々隆盛がみられるデータ分析的な研究手法は,より静的で,より部分的な社会事象を取り扱う際により威力を発揮するが,逆に長期的な政策展望のような論点について分析することは少なくとも現状ではあまり得意ではない。これに対して,政策史は,長期的な政策においてより威力を発揮するのである。
ここで一つの疑問がありえるだろう。それは,精緻な知識を得られない以上,長期的でグランドな政策については実証的要求水準が低い以上,信頼できる手がかりがないということにはかわりはないのであり,それは長期的な政策を知識に基づいて考えること自体が無理なのではないか,と。
この疑問に答えるために一つのアナロジーを提示しよう。今私たちが東京駅にいるとして,これから京都の清水寺の舞台を支える一本の柱に落書きが書かれているかを確認する用事があったとしよう。このとき私たちに必要な情報はなんだろうか。たとえば,北緯34.994675 度,東経135.785030 度であるというような正確な目的地情報が必要かといえば,もちろん必要ない。最低限,西行きの新幹線(東海道新幹線)に乗るということだけ知っていれば大丈夫である。より詳細な情報は,最終的には必要になるとしても,それは目的地に近づいてから確認できれば足りる。つまり,目的地からの距離が遠いほど,必要な情報は大まかなものでよいのである。
なぜこのような一見些末な事例を引いたかといえば,距離を時間に置き換えれば,同じことが政策に必要な知識についてもいえるからである。実のところ,政策的知識は基本的には短期的なものほど精密な内容をもっている必要があるのに対し,長期的なものについては,より大まかなものでよいのである。
短期的な政策においては,できるかぎり正確な現状分析に基づいて,現在の価値基準に基づいて望ましくない状況があれば,それに影響を与えられるような社会的変数を変更することになる。そしてこのためには,知識には詳細にわたって高い実証性が求められることはいうまでもない。ただ,このような短期的政策で考慮しなくてよい項目がある。それが政策の方向性である。短期的な政策において,政策の方向性は所与とされるのである。
これに対し,長期的な政策においては,政策の方向性,すなわちさまざまな短期的な政策群が全体として長期的に社会をどのような概形に誘導すべきかを考慮する必要がある。その一方で,長期的な政策において必要となるのは短期的な政策におけるような詳細な社会的変数についての知識ではなく,むしろ「羅針盤」のような,方向感を示すような知識なのである。そして,政策学のあらゆる研究方法の中で,政策史こそが,この羅針盤的知識の構築に最も長けた方法なのである。
本書に収録されている5 本の論文は,いずれも羅針盤的知識を生み出すことに焦点を当てて書かれているが,とりわけ,猪飼論文(第5 章)が,著書から羅針盤として機能する含意を取り出して述べたものとなっているので,この点を理解していただくのによい論文であろう(2)。同論文は,ほぼ20 世紀に対応する時期を「病院の世紀」と規定し,その特質を記述することから長期的な政策展望を開こうとしている。
同論文によれば,病院の世紀においては,医療システムは患者の病気を医学的治療によって,医学的な意味における治癒に導くことを究極の目的とし,その目的に合理的な医療供給システムを発展させることになる。ただし,この目的に合理的で持続可能な医療システムの形態は,無数の自由度を有するのではなく,むしろ厳しい制約条件下におかれ,このようなシステムを発展させた日本を含む先進諸国の医療システムは,三つの型に収斂することになった。
ここで,日本に焦点を当てると,病院の世紀を通じて,日本の医療システムが属する「所有原理」型の条件にシステムの骨格を固定されたために,日本の医療システムがある種のシステム的安定を得たと同時に,医療政策については,システムの骨格に抵触しない範囲でのみ実行可能という制限されることとなった。戦後日本の厚生行政が,世紀末にいたるまでいわゆる「漸進主義」的政策という基本的性格を有してきた理由がここから説明されることになる。
さて,同論文は,上のような歴史分析から次のような羅針盤的知識を引き出している。病院の世紀に合理的な医療システムは,患者に対する支援目的が,患者の医学的治癒から,別の目的に移ると,医療システムの安定を支えていた根拠が解体し,医療システムがそれまで服していた制約条件から解放される。同論文では,このような医療システムの目的の変更が生ずる事態を「病院の世紀の終焉」と呼び,実際にそのような事態が生じていることを観察している。ここから,2 点の政策的含意が導かれる。すなわち,第一に,医療政策はそれまでの漸進主義的政策から,医療システムの骨格を再構築するグランドデザイン的政策へと性格を変えてゆかざるをえないこと,そして,第二に,新しい医療の目的として,患者=当事者の生活的価値の実現の支援が現れてきているという観察に基づき,それに対して合理的な新しいケアシステムは,より地域的で包括的な内容をもつシステムへと移行するという長期的な政策展望を引き出している。
第1 点については,10 年から四半世紀程度を視野にいれた展望であり,第二の含意については,四半世紀から半世紀以上を視野にいれたものとなっている。このような超長期の政策展望は,政策史以外から得ることはできないといえよう。
4 社会科学と政策史
そもそも政策学は,学術的知見と政策的含意とをバランスさせることで成立する。それは,真実を知ろうとする認識的な営為と,それを社会の改善に役立てようとする実用的な営為とのバランスと言い換えることもできる。政策史は,この両立を歴史的記述において実現しようとするものである。ただし,この両立が同日に成立することは通常は保証されていないことから,政策学者には,これらを両立させるための一種の熟練あるいはアートが求められることになる。
政策学者にとってこの作業に際して,熟練に頼る部分が相対的に小さいのは,真実を知る営為を社会科学で行う場合であろう。社会科学を,社会がなぜ今のようにあるのかについて因果的な説明を与え,それを事実によって裏付けようとする活動であるとみなせば,社会科学によって生み出された知識は,実証手続を踏まえた客観的知識という性格を帯びるために,政策に対して強い説得力をもつ。また,因果的な説明は,政策にとって,どの社会的変数に働きかければ政策的に望ましい結果を得られるのかについての知識をも与えてくれる。その意味では,政策のプラグマティズムと折衷する学術が社会科学であることは大変都合のよいことなのである。
このために,政策史についても,歴史をできる限り社会科学的に取り扱おうとする動機が生まれることになる。P. ピアソンの『ポリティクス・イン・タイム』(3)のような試みはその典型であるといえよう。より一般的にいえば,現在の社会について因果的な説明を与えることができれば,歴史的事象を科学的に取り扱ったことになるといえよう。
実際のところ,筆者が取り組んだ研究(第5 章で紹介している)は,日本を含む各国(実際に実証的に研究されているのは日本のケースだけだが)の医療システムの現在が,現在あるようにできあがっている理由について因果的な説明を与えたもので,その意味では,この研究は,歴史を社会科学化することで,政策学のプラグマティズムと歴史に折り合いをつけようとするタイプの研究であるということができる。
ただし,筆者がピアソンの見解にやや不満なのは,歴史的記述において学術的知見と政策的含意をバランスさせる方法が,決して歴史を社会科学化することに限定されるわけではない,ということをピアソンが無視しているからである。
たとえば,現代的な社会科学からみれば,古色蒼然とした古典的なアプローチも,政策史においては今でも有効なものとして活用できる。その代表的なものが,比較の方法である。比較研究といえば国際比較を思い浮かべる読者が多いと思われるが,決して国際比較だけが比較研究なのではない。原理的には異時点間比較も,比較という意味ではまったく同じ方法的位置を有している。
たとえば,歴史を単に時間軸に沿った物語として記述するのではなく,現在の社会において自明視されているさまざまな社会的要素が,過去においては,まったく別の形で存在していたりする。そこから,現在の社会の自明性を突き崩し,なぜ現在の社会においてそのような社会的要素が存在するのか,あるいは,なぜそのような社会的要素が自明視されているのかを問うのである。これは,比較の方法がもつ「問い」を生成する機能を,異時点間比較に適用した場合の典型的な手法であるといってよい。
原田論文(第4 章)は,知的障害者福祉に関して,異時点間比較の視点を活用した論考の例であるといえるだろう。
今日,知的障害者福祉においては,発達障害その他の「軽度」に分類される人びとの処遇に関心が集まっている。2000 年代に入って,たとえば刑務所や風俗産業など従来社会の縁辺領域とみなされてきた社会領域に相対的に軽度の知的障害者が存在していること,また膨大な数の発達障害者がこの社会に存在していることなどが知られるようになってきている。この時代においてこのような知的障害者が「発見」されたことにどのような政策的な意義があるのだろうか。この問いに対して,原田は,伝統的な福祉システムが,このような近年の軽度障害者への関心とは異なる異なる眼差しのベクトルを有してきたことを発見する。これは,過去の時点と現在とを対比させる効果をもつ。
原田の整理によれば,1960 年代までの知的障害者福祉は,軽度から重度まで,また施設処遇から家族による処遇まで,開かれた問題意識が示されていた。これが,1970 年代以降,より重度かつ家族による処遇可能な当事者の領域に社会的関心が集中してゆくことになった。しかもそれは,知的障害児の就学義務化という政策的な動向と,親の負担による小規模作業所の拡大という複合的な進展をたどることになった。
現在に生きる私たちは,現在の知的障害者福祉政策の動向を,通常,この領域に改善を要する課題があり,現在政策によってこの課題に対応しようとしているのだ,といった程度に理解している。そこでは,何を「改善を要する課題」とすべきであるのかについての価値観については自明視されている。また,課題が見つかりさえすれば政策が対応しようとするということも自明視されている。
これに対し,原田によって見出された1970-80 年代までの知的障害者福祉においては,そもそも軽度の知的障害は政策課題としての認識に乏しく,また重度についても,教育部面を除けば,政策対応の必要性があまり認められなかった。ここから,このような政策的転回はなぜ生じたのか,従来的な政策の偏り(たとえば施設ケアの貧困)などは政策上の転回にどのような影響を与えているのだろうか,といった問いをさまざまに派生させることができる。さらに,諸外国における発達障害についての関心の動向などと比較することによって,異時点間比較と国際比較を組み合わせることで,さまざまな比較軸を交錯させて新たな論点を抽出することもできる。
原田論文自体は,慎重な書きぶりで議論していることから,さまざまな論点の派生を明示的に論じているわけではない。だが,論文はそのような論点の派生を引き起こすような異時点間比較の構図で描かれており,それが本論文の価値に結びついているといえるだろう。
5 歴史観の改訂
私たちは,多かれ少なかれ自らの来歴についての認識の虜であるといってよい。それは自らのアイデンティティの重要な部分をなし,自らの意思決定や行動の前提を構成する。この点は政策も同様で,歴史教科書の内容が国内的な政治問題となったり,さらには外交問題となったりするのは,それが長期的に政策判断の前提に影響するということに,人びとが気づいているからにほかならない。
政策史は,このような歴史意識の改定に関わることによって,政策に新しい地平を開くことができる。後藤論文(第1 章)は,まさにこのような観点から政策への貢献を引き出そうとする政策史研究の好例であるといえよう。著者は,従来日本の精神医療史を「公安主義」「営利主義」と規定してきた通説的理解に対して,機能に違いのある医療費支払いの財源の歴史的変遷を丹念に追うことによって,日本の精神医療の供給構造は,通説が理解しているよりも複雑であり,かつ戦前と戦後で転回があることを見出している。
このような歴史の改訂が重要な理由の一つは,いうまでもなく,歴史は新しく提示された史実に即して常に改訂されるべきだからであるが,本論文にはより重要な政策的眼目が存在していると解すべきである。というのも,かつての通説的理解では,現在の精神医療をめぐる政策的論点について示唆を得ることができないからである。政策的な示唆を発生させるためには,歴史の改訂が,長期的に政策にとって重要な論点を明るみに出すような形で行われる必要がある。
後藤によれば,「この半世紀間にわたって行われてきた地域精神医療や精神障害者の地域生活推進を目指した数々の制度改革そのものが,やはり入院中心の仕組みを大きく変革することには失敗し続け」てきたのである。それは,国際比較的にみてきわめて特異な精神病床数の多さや,入院日数の長さとして現れている。実のところ,何度も国はこの点を是正しようと努めてきたのだが,その度に政治的な挫折を経験している。
そこにあるのは,現在の政策立案者たちが,日本のヘルスケアシステムがこのような入院に偏した精神医療のあり方を許容する根拠を理解していないということにほかならない。これに対して,後藤は,安易に結論を引き出すことに慎重な立場を維持しつつも,後藤が「社会福祉型」と呼ぶ救護法,生活保護法に由来する精神医療の機能部分がこの点を理解する鍵となりうること,そしてそれは患者を支える家族の問題とつながっていることを指摘している。
やや敷衍してこの指摘を解するなら,精神病患者を支える責任が一義的に家族にあるとする社会においては,家族がその負担に耐えられないときに公的な支援が行われることになる。このように解釈できるならば,日本における「社会福祉型」の肥大は,家族の負担を軽減するという機能の拡大として説明されるべきであり,とするなら現在の精神病床の問題は,精神病者を支える責任が家族に押しつけられてきたことに深く根ざしているということになりうるのである。
赤木論文(第3 章)も,薬業史の領域において,後藤論文に近い方法を採用している。明治期以来日本の薬業界にとっての悲願が,医薬分業であったことは間違いのないことである。日本の場合,医師の報酬は明治以前より薬代として支払われていたこともあり,医師が処方権を既得権として守り続けてきた。このため,薬業史の主題は,いつでも医薬分業に関する闘争におかれてきたのである。だが,医薬分業が一通り進展した今日において,薬業に関する長期的な政策的課題は,いかに薬剤師や薬局が日本のヘルスケアや福祉に貢献的な役割を果たしうるかに移ってきている。
赤木論文の冒頭で示されているように,現在多くの人びとが,医薬分業の成立によって,かつては病院などで併せて入手することができた薬を,今は薬局まで受け取りにゆかねばならない,という意味で不便になったと感じている。とするならば,薬剤師や薬局は,その不便を超える便益を社会や患者に還元する必要があるということになるのだが,現在の薬業界は,自分たちが何によって社会に貢献すべきかについての自己定義ができない状況に陥っている。
この自己定義の困難は,端的にいって薬業史の貧困に由来している。従来の薬業史の正史たる医薬分業史は,単に薬剤師の念願がかなったという形で現在を描き得るのみであり,その結果,薬業界は,自分たちの自己定義をするための歴史意識を喪失してしまっているのである。赤木はこの現在の薬業界の課題に応答するような歴史意識を,従来の医薬分業史としての薬業史とは違う形で描き出すことによって,再構成しようとしている。
赤木は,医薬分業という業権をめぐる闘争史と一定の関わりをもちつつ,もう一つの流れとして薬剤師に求められる「職能」が時代とともに変遷していったことを指摘する。1950 年代における薬剤の情報の伝達を期待するドラッグインフォーメーション(DI)を皮切りに,薬剤師がより臨床的な役割を果たすクリニカルファーマシー(CP),さらにQOLに照準をあわせてより広範な支援役割を担うファーマシューティカルケア(PC)へと,薬剤師の職能が国際的に変化してきていることがそれである。そして,日本でも,病院における薬剤師を中心としてこの歴史的職能変化の潮流の影響を受けてきたのである。
赤木は,この観点から,羅針盤的知識を次のように引き出そうとしている。すなわち,薬剤師は,チーム医療の一員たる臨床家として機能する方向へ,さらに進んで,人びとの療養生活そのものを支える視野をもった存在となる方向へ進んでゆくことが長期的に求められることになる,というものである。
6 歴史的トレンドの発見
政策史の一つのやり方として,歴史的トレンドを研究の成果として提示することもできる。歴史的トレンドの提出の仕方として最も強いものは歴史法則の発見であろう。マルクス主義的な歴史学が隆盛していた時代においては,まさに資本主義に関する歴史法則の発見こそが,歴史学の使命であり,歴史の科学化の意味であった。マルクス主義の退潮にともなって,このような歴史法則の発見を歴史学の使命とする学問観には,逆に,厳しい批判がなされるようになり,近年では,このような意味での科学性を指向する歴史学は,かなり廃れてしまっている。ただ,ここで重要なことは,歴史的トレンドによる政策学への貢献の可能性にはさまざまなものがあり,マルクス主義的な意味における歴史法則が失敗したからといって,それらのすべての可能性に希望が失われたのではまったくないということである。
たとえば,S. ピンカーによる暴力についての計量史研究によれば,人類史を通じて,殺戮・戦争・殺人などの暴力は少なくなってきており,その意味で現代社会は,人類史上最も安全な社会となっているという(4)。これは,暴力が減少する傾向に関する法則の発見である。筆者の理解では,この法則の実証は不完全で部分的なものであり,十分に説得的であるとはいえない。その意味では,ピンカーによって発見されたトレンドは,今後より詳細な検討が必要となるだろう。とはいえ,このトレンドに一定の根拠が与えられてゆくにつれ,政策的意義は十分にあるということになる。それは,単に暴力が今後共減少してゆくという予測が立つばかりではない。現代社会において,私たちがさまざまな暴力に対して非常に敏感になっている理由が,私たちの社会により暴力が蔓延してきていることにあるのではなく,私たちが暴力に対してより許容しなくなってきているということを,ピンカーの研究が示唆しているからである。
この研究が妥当であると評価できるかどうかによって,暴力を社会的にコントロールするための政策の前提条件が大きく変わってくることはいうまでもない。
歴史から安易に法則を発見することを避けなければならないことは当然だが,これまでの歴史学・政策史が,このような法則を発見することができないことを証明しているわけでは決してないということは認識しておく必要がある。さもなければ,「あつものに懲りてなますを吹く」式の不合理に陥ることになる。
また,歴史の中には一定の方向に変化してゆくトレンドの他に,歴史から,ある社会の中に時間軸を通じて一貫して変化しないトレンド,すなわち「通奏低音」的な要素を発見することもできる。高間論文(第2章)は,戦後とりわけ1970 年代以降の高齢者医療と高齢者福祉の関係性にこのような一貫性を見出している。
1970 年代以降の医療供給政策において最大の課題とされてきたものが,いわゆる「社会的入院」問題であったということは,おそらく衆目の一致するところであろう。この「社会的入院」問題は,医療と福祉が機能的に区別できるという前提にたてば,医療側に過剰に資本投資が集中してきたという問題である。これに対し,厚労省(厚生省)は,いわゆる病床の機能分離によって病床を福祉ベッドに転換してゆく方策をとったり,医療法人による老人保健施設の設置を誘導したりするなどして,この投資をできる限り福祉側の需要に供する方向にもってゆこうとしてきた。にもかかわらず,日本の医療と社会福祉のバランスは,いまだに望ましい均衡に達していないようにみえる。それはなぜだろうか。
高間は,このいわゆる「社会的入院」問題を,より根底的なレベルで,そもそも資本投資の段階で,医療と福祉のバランスが医療に偏っていることを問い直そうとしている。高間によれば,高齢者の医療側の受け皿である医療法人と福祉側の受け皿である社会福祉法人は,法人の性格からみて,類似した構造をもっており,その限りでは,資本形成においても似たようなパターンをたどってもおかしくなかったという。ところが,1970 年代から1990 年代にかけて,医療法人には,潤沢な資金の供給があるにもかかわらず,社会福祉法人については,相対的に細い資金供給しか行われず,さらに「医療供給のためであれば福祉にあるものを用いてもよいが,福祉のほうには医療的なものを持ち込んではならないという指向性」がみられたという。
興味深いのは,2000 年代以降もこの傾向が継続しているという高間の観察である。2000 年に介護保険制度が成立したことから,老人福祉費は介護保険にかなりの程度移行し,老人福祉費自体は大幅に縮小したにもかかわらず,社会福祉費に医療に流用できる新項目が設けられるなど,基本的に福祉から医療に資金が流れる構造が再生されているというのである。
このことは,私たちの医療と社会福祉についての常識に再考を促すものであるといってよいだろう。すなわち,2000 年に成立した介護保険制度によって,社会福祉領域は独自の大きな財源を確保したのであり,それによって医療から福祉へのバランスのシフトは少なくとも財源的にはかなり達成できたと私たちは考えてきた。だが,高間の丹念な検討が示すように,そのような見かけ上の変化の裏側に,一貫して変わらない医療優遇の構図があるということがわかる。もし日本社会において今後社会福祉をより充実させてゆくということを考えるとするなら,この医療優遇の構図がなぜ存在するのかを問わなければならないだろう。高間論文は,その問題の存在を示すものであるといえよう。
7 政策史の構想力
本章の最後に,政策史がもつ一つの魅力について付言しておきたいと思う。それは,政策史が長い時間の流れの中で起きる構造的な社会変動に関心をもっていることから必然的に帯びる性質なのだが,それは政策史の研究構想のスケールが大きくなることである。
それは単に政策的含意のスケールが大きいというだけではない。学術的な問い自体のスケールが大きくなるということなのである。本書に収録された論文の中にも大きな構想の研究に到達しつつあるものがみられるということに読者も同意されると思う。筆者の理解では,これらはいずれも歴史研究に関わったことで,その恩恵を受けた結果である。筆者自身,自身の政策学的研究の中に歴史研究を取り込んでから,研究の視野が飛躍的に鳥瞰的なものに広がった経験をもっている。
筆者としては,政策学に関心をもつ読者諸氏には,是非政策史研究という方法が今日でも有力な方法としてあるということを知っていただければと思う。
注
(1)もっともこのような考え方に歴史家が逢着したのは社会史の進展の中で,あらゆる過去の情報が歴史史料となりうるという理解が広まって以降のことであるといえるだろう。だが,それでも歴史家の仕事は,相対的にみればその時その時の価値観から一歩退いた観点から時間の流れをみることにあるといえるだろう。
(2)猪飼周平『病院の世紀の理論』有斐閣,2010 年。
(3)Pierson, P. [2004] Politics In Time: History, Institutions, and Social Analysis, Princeton, NJ; Oxford: Princeton University Press.『 ポリティクス・イン・タイム』(= 粕谷裕子 訳,勁草書房,2010 年)。
(4)Pinker, S. [2012] The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined, New York, New York: Penguin Books.( 幾島幸子・塩原通緒 訳,『暴力の人類史』上・下,青土社,2015 年)。