あとがきたちよみ
『メイド服とレインコート』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2019/3/27

 
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坂井妙子 著
『メイド服とレインコート ブリティッシュ・ファッションの誕生』

「第二章 ホームズはレインコートで沼地を這い回る」と「おわりに」の抜粋(pdfファイルへのリンク)〉
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第二章 ホームズはレインコートで沼地を這い回る
 
 雨の多いイギリスでは、一八二〇年代以来、防水布の改良が盛んに行われてきた。特に一九世紀後半には、バーバリーやアクアスキュータムなど、高級紳士服店が防水布の発達に大きく貢献し、世紀末までには、紳士用防水コートは小説に描かれるほど広く認知されるようになる。優れた例として、アーサー・コナンドイル (一八五九─一九三〇)が創造した探偵、シャーロック・ホームズを挙げることができる。彼は作品の中で「防水性」のコートを着用し、事件の解決に役立てたからである。そこで、本章では、防水コートの発達と紳士像の関係をホームズ作品を例に探る。
 ホームズといえば、ディア・ストーカーと呼ばれる鳥打ち帽とケープがついたコートとの連想が一般的だろう。しかし、実際には、ドイルはこの服装の記述をしておらず、後年の翻案であることがすでにわかっている。そこで、従来のホームズ像は省略し、以下の順序で考察を進める。1.防水コートの技術的発達と紳士服としての歩みを概観し、2.ホームズがイギリス紳士として、作品中でこのコートをどのように着こなしたかを考察する。3.さらに、同時代のファッションと比較検討することで、ホームズの防水コートや彼の清潔で仕立ての良い身なりが、卓越した探偵、ホームズのイメージを補強すると共に、現代的なダンディズムを提案したことを示す。
 「はじめに」で示した通り、消費文化を牽引したのは、主にミドルクラスの女性である。そのために、本著は女性服の考察に比重をおくが、男性用レインコートは一九世紀後半に改良を重ね、その後、現在に至るまでイギリスを代表する衣服とみなされている。本章で考察しておく。
 
1 防水コートの発達
 防水加工された外着の大々的な開発は、マッキントッシュのゴム引きコートにはじまる。一八二四年、工業都市、マンチェスター創業のチャールズ・マッキントッシュ社は、その名が示す通り、雨合羽(英語でマッキントッシュと言う)の由来になっている。材料のゴムは石炭からガスを作る際に出る廃物、コールタール・ナフサで、これは溶解性のゴムであることが発見された。マッキントッシュは、これを布地で挟むことで防水布を作った。目新しさも手伝って、この防水布で作ったコートは一八三〇年代には大変な人気になった。しかし、ゴムは通気性が悪いために臭いがひどく(非衛生的)、重量もあり、低温では硬くなり、暑いとべたべたするという欠点があった。雨よけとしては有効だったが、じきに衰退する。その後一八四三年に、トマス・ハンコックがゴムを加硫処理する技術の特許を取得し、これをゴム引コートに施すことで、耐久性、柔軟性を獲得した。また、ヨーロッパ大陸から亡命してきた大量のユダヤ人テーラーが仕立てを請け負ったことで、実用本位だったマッキントッシュは、徐々にファッショナブルな衣服に進化した。
 一九世紀後半になると、高級紳士服店の中にも、実用とファッション性を兼ね備えた防水コートの開発を手がけるものが現れた。例えば、アクアスキュータムは、創業当初からファッションとの関係が深い。J・キャンベル著、『アクアスキュータム・ストーリー』(一九七六年)によると、一八五〇年頃、ロンドンのウエストエンド、リージェント・ストリートに、ジョン・エマリーが仕立て屋を出した。数年後、彼はウールの防水加工を完成し、それを「アクアスキュータム」(ラテン語で水を通さずの意)と名付け、販売をはじめた。マッキントッシュのゴム引きと異なり、男性用服地に永らく使用されてきたウールを、その柔らかさとしなやかさを保ったまま、ウエストエンドのテーラーが防水コートに仕立てたことで、上流階級の男性の間で人気になった。アクアスキュータム製のコートは、その品質と優れた耐久性のために、クリミア戦争(一八五三─五六年)でも上官たちに着用された。その後、皇太子(後のエドワード七世)にも愛用された。アクアスキュータム製品で身を固めた彼の姿は雑誌、『ヴァニティー・フェア』で詳細に報道され、「おしゃれを気取るすべての人」に真似されたという。さらに、アクアスキュータム製のコートは、第一次世界大戦時には、王室御用達を得た唯一のコートとして、英国陸軍のサービスキットに加えられた。
 アクアスキュータムと同様、バーバリーも高級防水コートを開発したことで知られる。バーバリーはギャバジンを使って、アウトドアのレジャー用ウェアの革新に成功したからである。ギャバジンとは、ウーステット、またはウーステット・コットンを特別に防水加工した生地で、「通常、経糸本数が緯糸の二倍程度使われ、綾目が急勾配になっており、表面の綾目がくっきり立っている」という特徴がある。一八五〇年代半ば、後に創業者となるトマス・バーバリーはハンプシャー州、ベイジングストークの服地屋の徒弟だった。田舎育ちの彼は、農夫が着用するリネン製のスモックがごく単純な作りにもかかわらず、体の動きを妨げず、冬は暖かく、夏は涼しいことに着目した。しかも、スモックは通気性があるのに、雨に強い。この特徴をコートやスポーツ着に活かすことを思いつき、彼は一八五八年に会社を設立する。九一年には、ロンドンに一号店をオープンさせ、九五年には英陸軍の制服の製造を手がけた。
 庶民的なマッキントッシュ、高級テーラーであるアクアスキュータムやバーバリーはいずれも、イギリスを代表するコート・メーカーへと発展した。彼らの製品は、イギリス人が国民性と自負する実用性の重視、発明の才と工夫の結晶である。マッキントッシュの場合、原材料自体が工業の発達と深く関わることで、この時期にイギリス人が世界中にその威力を見せつけた国の発展を象徴している(創始者、マッキントッシュは液体ブリーチを発明し、繊維産業にも貢献したことが知られている)。加えて、その後の防水布の改良は化学の発展(加硫処理など)なくしては達成しえなかっただろうし、大工業都市、マンチェスターだからこそ、優秀なテーラーが大量に移住したのである。彼らなくして、マッキントッシュをファッションに押し上げることはできなかった。
 アクアスキュータムとバーバリーは、戦争によって英雄的な衣服へと昇華した。クリミア戦争時におけるグッドレイク大尉の機転─隊から外れてロシア軍に包囲されたが、グレーのアクアスキュータムのコートを着ていたために、敵に見破られることなく行軍し、無事に味方陣営に合流した─はアクアスキュータムのコートに依るところが大きい。少し後になるが、第一次世界大戦中にバーバリーが出した軍用コートの広告は、耐久性と衛生、着心地のよさを強調し、戦地での健康と活動に不可欠であることを印象付けている。例えば、一九一六年の広告では、「防水布がどんな雨でも防ぎ、頼りになるだけでなく衛生的で安全です。効果的に荒天に耐える一方で、独自に換気するからです。スマートなキャメルのフリース(製)」と述べている。また、同広告は、バーバリーの「トレンチ一式」がスコット(英国海軍の軍人、一八六八─一九一二)やアムンゼン(ノルウェーの探検家、一八七二─一九二八)が南極探検を行った際に使用したものと同素材で作られていると述べ、極地での活動までも可能にする並外れた耐久性と性能を強調している。
 これら後世に名を残す有名店に加え、一九世紀後半には、様々な洋品店が独自に防水布を開発し、その高い性能を喧伝し始めた。EDM は、ロンドンにあるハーヴィー・アンド・カンパニーが「ヴェンティラトリウム」(Ventilatorium)なる防水布を提供すること、同じくロンドンにあるジェームズ・スペンサー・アンド・カンパニーが「センパーセッコ」(SEMPRE SECCO)と名付けたクロークを販売していることを伝えている。「ヴェンティラトリウム」はゴムの層に穿孔することで通気性を確保し、従来のマッキントッシュでもたらされる「不健康な結果」を回避できるという。男性用、女性用の防水服に適すると記事は説明している。「センパーセッコ」は「もっとも繊細でシルクのようなアルパカに似た」生地でできた防水コートらしい。「ヴェンティラトリウム」は「通風」の意、後者は「常に乾いた」の意をラテン語風に表記することで、学識に元づいて開発された格調高い製品であると主張している。さらに、「シルクのような」風合いであることを強調することで、実用性のみならず、ファッション性も重視した。もっとも、『マンチェスター・ガーディアン』紙(一八九二年)によると、シルクのような肌触りを謳う安物は、一度雨にあうと「色落ちし、大急ぎで接着した縫い目が解ける」と注意を喚起しているので、防水布の扱いは困難だったようだ。
 一方、一九〇〇年出版のエチケットブック『服と男性』には、ロンドンの高級店街、ニュー・オックスフォード・ストリートに店を構えるB・キュビット・アンド・カンパニーが広告を掲載している。同社は「防水のスペシャリスト」と称して、「ペラムス防水ラグラン」なる製品を三ギニーで販売していた(図2-1)。また、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館には、一九二〇年代のレインコートのカタログが保存されている。一つは、「パーフェクタ」防水コートのサンプル地とイラスト(一九二一─二二年)、もう一つは「グレシャム・レインコート」のサンプル地とイラスト(一九二八年)である。前者は女性用、後者は男性用である。後者は一二枚のイラスト(計一二ページ)、生地のサンプルがページあたり二─四枚、計一八ページとスタイルの詳細、値段表から構成される。生地はほとんどが寒色である。スタイルによって多少の制約があるものの、表地だけで三〇種以上が選択可能で、顧客の多様な好みに対応できるよう工夫がなされている。
 いずれのカタログも生地の詳細は説明されていないが、「パーフェクタ」はコットン・ギャバジン、一部はコットンにゴム引きのように見える。カタログの表紙には、「シャワープルーフ」と記載され、高性能であることを強調している。「グレシャム・レインコート」はギャバジン、エジプト・コットン、ウエスト・オブ・イングランド・ツイードなどと表記されている。サンプル地を見た限りでは、ゴム引きは含まれていない。海野弘によると、エジプト・コットンから防水布を作り、それをギャバジンと名付けたのはバーバリーらしい。「ウエスト・オブ・イングランド」は、コートに適した生地だが、「安くはない」と『服と男性』は述べている。「グレシャム・レインコート」の値段は、生地とスタイルによって異なる。もっともシンプルな「男性用レインコート」はダブルの前身ごろ、ラグラン袖、ベルト付き、垂直のポケット、ストラップ付きのカフスのスタイルで、淡黄褐色のエジプト・コットン製、チェックのコットン裏地付きが二六シリング六ペンス、同スタイルのグレーがかった褐色ユニオン・ギャバジン製、チェックのコットン裏地付きが三八シリング六ペンスである。一方、「オーダーのみ」で仕立てられる「男性用ウエスト・オブ・イングランド・ツイード・レインコート」はシングルの前身ごろ、ラグラン袖、ダブルのラペル付き、前身頃全体がボタン留め、垂直のポケット付きで、オーバーチェックの淡黄褐色、イタリアンの裏地付き(いずれも生地の詳細不明)が六九シリングである。同時代の防水コートには一ポンド以下のものもあったから、「グレシャム・レインコート」は比較的ファッショナブルな良品と考えてよいだろう。
 要するに、雨しのぎという実用目的で開発された防水コートだが、ホームズが活躍する世紀末までには、最先端技術を駆使したハイテク衣料として、また、イギリス人の国民性を凝縮したファッション・アイテムとして、成長しつつあったのである。(以下つづく)
 
 
おわりに
 
 以上、五種類のブリティッシュ・ファッションを考察してきた。本書では、レインコートは当初、ゴムでできていた、下っ端のメイドは花柄を着せられた、女性スーツのルーツは乗馬服にあり、イギリス独特の色彩感覚はフランスに対するコンプレックスが原因などの事実を明らかにし、どのようにブリティッシュ・ファッションへと発展したかを探ってきた。明らかになったことは、モダンなファッションの四つの特徴を備えるとともに、ミドルクラスの人々の価値観と産業の発展に裏付けられた実践力が、アッパークラス主導のハイファッションを消化・吸収し、時に反発、問題を提起することで、モダンなブリティッシュ・ファッションを成長させたことである。ミドルクラスの重要性は、スマートにレインコートを着こなしたホームズも、所詮は仕事のために沼地を這い回る階級であることからわかる。ハイソな女性用乗馬服にしても、街着と兼用であり、スカートの改良が下馬した時の形のよさにやたらとこだわるのは、主な着用者が自分の領地内に馬場を所有する貴族ではなく、乗馬スクールまで出かけなければならない種類の人だったからである。さらに、ハンナが着続けたメイドの服はミドルクラスの階級意識やジェンダー観そのものを疑問視し、花柄のドレスはミドルクラスの内部から既存のファッションの概念を解体するダイナミズムを備えていた。エステティック・ドレスでは、地域、社会階級、時間を複合的に横断することで、ブリティッシュ・ファッションに独特の芸術性と普遍性を与えた。モダンなファッションの特徴に関して付け加えると、それらは技術「革新」が全面に押し出されたレインコートにさえ当てはまる。男性用レインコートはロンドンの有名紳士服店が仕立てることで、「伝統」からの逸脱をまぬがれ、スタイルとしては、それまで主流だったチェスターフィールドに取って代わった(オルタナティブ)。さらに、防水性のアルスターが冬の寒さ対策だけでなく、雨天での外出一般に用途を拡張することで、紳士が着用するにふさわしいレインコートにフードが加わった。
 とはいえ、本書には一九世紀イギリスを代表すると一般に考えられているファッションが一つも入っていないことは事実である。ヴィクトリア女王がわざわざ公式行事のために作らせたイギリス産のシルクドレスも、彼女が大好きだったタータンチェックも扱わなかったからだ。ヴィクトリア女王はその名が示す通り、「ヴィクトリア朝」を代表する存在であり、本著で扱った「モダン」とは結びつかない。彼女が様々な商品の広告に(勝手に)使われることはよくあったが、だからと言って、ファッション・リーダーだった訳でもなかった。特に、アルバート公亡き後には、公の場に姿を現すことさえ希だった。
 一方、本著で取り上げたすべての衣類には、現代の我々が衣服に求めるもう一つのモダンな要素の萌芽が見られる。それは、健康美を目指すことだ。健康美や健康的な衣服に関しては、乗馬服、エステティック・ドレスの章でそれぞれ考察を加えた。乗馬は心身の健全な美を達成する最善の手段であり、改良された乗馬服は乗馬時のみならず、下馬した時の身のこなしの美しさと機能性を備えることで、これを実現した。エステティック・ドレスでは、軽く、しなやかな生地で作られ、体を締め付けないスタイルであることが重視された。服飾史では、健康的で快適な美しさを求めることはヴィクトリア朝後期に話題を呼んだ合理服協会の専売特許のように考えられているが、実際には、レインコートからメイド服、花柄コットンのドレスに至るまで、すべてに当てはまる。本著をまとめるに当たり、この点について述べておきたい。
 健康美は衛生観の近代化に関係する。ジョージ・ヴィガレッロによると、一八世紀後半以降、清潔とは、わざとらしさ(高価な香水を浴びるほど体にふりかける、厚化粧で肌の汚れや荒れを覆い隠す)から、「みずみずしいエキス、生命に満ちあふれたもの、そしてなによりも身体の力と結びつく」ようになっていった。つまり、体をきれいに保つことは身体を守り、体の鍛錬を目指すことを意味するようになったのだ。さらに、衛生の名の下に、健康・強靭であること、それを目指すことが美しさ、規律や洗練と解されるようになった。
 この考えに基づくと、「気性、士気、食欲を向上させ、精神から黒い影と病的な空想を取り払う」効果があるとされる乗馬と、そのための足さばきも軽やかな乗馬服は、極めて衛生的で健康的なファッションである。地味なメイドの制服や海辺で着る花柄のコットン・ドレスも、これに劣らず健康美を目指す衣服となる。メイドの制服には、清潔かどうかが一目でわかる白いエプロン、カラーとカフスが含まれ、黒い無装飾のドレスは極めて実用的で、丈が短めなので動きやすく、衛生を保つことができる。黒のドレスが白いエプロン、カラーやカフスと鮮やかなコントラストをなすことで、着用者を活き活きと見せる効果もあっただろう。一方、花柄のコットン製ドリー・ヴァーデン・コスチュームは、潮風を受けても他の生地ほどには湿っぽくならず、洗濯板でゴシゴシこすって洗っても問題ない。古くさい柄なので、色落ちを気にする必要もないのだ。コットンは他の洗濯できる生地に比べて、乾きが早いという利点もあった。もっとも、ドリー・ヴァーデン・コスチュームを着て浜辺をジョギングした女性はいないだろうが、コットン製の軽いドレスは若い着用者を確実に活動的にしたことだろう。
 反対に、最新技術を投入して開発した新製品でも、健康美を実現できない場合は問題視された。最たる例は初期のゴム引きレインコートである。第二章で述べたように、ゴムを防水布に加工すること自体は画期的なアイディアであり、最新の化学技術の粋を尽くした点で、国の誇りでもあった。しかし、肌を気密性の高いゴムですっかり覆ってしまうと、発汗作用が妨げられ、不潔なのだ。そもそも、毛穴を塞いでしまうことは「危険」であり、「体内に毒を蓄積させて衰弱やだるさを引き起こし、果ては死に至る可能性がある」とまで、言われていた。したがって、ゴム引きのマッキントッシュは不潔で危険、不健康極まりない代物ということになる。
 翻って、ホームズも着たギャバジン製のレインコートは男性服の「伝統」やウールの肌触りの良さからくるステイタスに加えて、衛生面でもゴム引きに優っていた。もっとも、加硫処理が行われるようになった一九世紀半ば以降、ゴムはレインコートだけでなく、サスペンダーや靴下、靴ひものいらない靴、さらには滑らない靴底など、様々に活用されたが、二〇世紀に入ってもなお、高級コート・メーカーは衛生を武器にゴムを攻撃していた。たとえば、バーバリーは一九一八年に次のように広告した。「バーバリーの布はゴム、その他の空気を通さない物質を使わずに、特別な加工で織り、防水され、衛生的で、湿気、寒さから効果的に保護し、極めて丈夫です。強く、軽い生地でできており、どんな戦地にも適応」。第一次世界大戦末期なので、このコートを着て戦地に赴くことを想定しており、衛生はことのほか重要である。「空気を通さない」「ゴム」と対比させることで、ギャバジンの衛生を効果的にアピールし、さらに、ゴムより「強く」、「軽い」ことを強調することで、ギャバジン製のコートは体に負担のかからない健康的な衣類であると喧伝した。
 もちろん、本書で取り上げたいくつかの例から、一〇〇年以上も前のスタイルがそのまま現代イギリスのファッションになったなどというつもりはない。だが、著者が購読している『ブリティッシュ・ヴォーグ』誌には、ここ数ヶ月分だけでも、「花柄」のドレスがマスト・アイテムとして何度も取り上げられ、オートクチュールの「乗馬服」風コートや、ものすごくおしゃれな「レインコート」特集、さらには、“A Certain Je ne sais quoi: What makes the French so Eternally Chic ?”なる記事まで掲載されている。明らかに、レインコートからエステティック・ドレスまで、本書で取り上げた五種類のファッションは、現代のブリティッシュ・ファッションのスタイル、そして、コンセプトの礎になっている。モダンなファッションの諸特徴を備えているだけでなく、これらが取り組んだトピック─ジェンダー規範、社会階級、仕事とレジャー、アートと消費社会、そして、フランス・モードに対する積年のコンプレックスとリベンジ─は、現代でも、イギリス人の衣服がチャレンジし続ける問題だからだ。(以下つづく)
 
※図と注は省略しました。
 
 
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