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『女子のたしなみと日本近代』

 
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歌川光一 著
『女子のたしなみと日本近代 音楽文化にみる「趣味」の受容』

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はしがき
 
 日本では、着物姿で茶の湯、生花といった伝統芸術の稽古に励む女性はよく、「お淑やか」「凛々しい」「所作が美しい」等と形容される。日本画に登場しそうな「着物美人」、伝統芸術それ自体の高級感、「稽古によって精進を重ねる」という鍛錬主義のイメージが綯い交ぜとなり、伝統芸術に携わる女性にあてがう畏敬の言葉も社交辞令のようにパターン化してくる。そして、日本におけるこのような女性美・伝統性・鍛錬主義の結びつきの起源を問われれば、「平安貴族の女性は和歌や箏で気持ちを表現した」「武家の娘は薙刀の達人だった」「遊女は三味線で客をもてなした」といったように、漠然と中世、近世の女性のたしなみ像と紐づけて説明したくなる。
 日露戦争を終えた日本は、西洋文化の流入も進み、「趣味」をキーワードに女性のたしなみの再編に迫られ始めた。女子教育家の下田歌子も、過去の時代の女性を引き合いに出しながら、近代初期の趣味運動を牽引したとされる文芸雑誌『趣味』に、以下のような記事を書いている。

私はこれまでの歴史で二つの教訓を得ました、即ち王朝時代は趣味の為に(浮華文弱によって)腐敗し、中世以下は(武士道教育等による)無趣味の為に殺風景に陥つた事で、何れも極端に走り過ぎたのでありますから、維新の事業も最早立派に出来上がり、国家の位置も確固になつた今日以後の日本婦人は、よくこの両極端を折衷して、充分高尚なる趣味を養成して、日本の社会をして、美はしき趣味を以つて溢るるようにし、「婦人は社会の花」と云ふ諺に背かぬ様にすると同時に、又何処までも国民の元気を失はぬ様にして頂きたいのであります。(下田歌子「女性と趣味」『趣味』二巻一一号、一九〇七年一一月、括弧は引用者による)

 下田の主張は、中世と近世の女性のたしなみを「折衷」して、「現代」に相応しい女性の趣味とし、女性はその趣味の発揮によって「社会の花」たらんとせよということである。
 『趣味』において女性の趣味の重要性は、家庭生活や結婚の観点からも論じられている。鳩山春子は、姑は高等女学校出の嫁には過大な要求をせず、「趣味」の時間を与えて交際社会に出すべきだと主張している(鳩山春子「嫁と姑」同上誌三巻一号、一九〇八年一月)。また幸田露伴は、円満な家庭を作るためには、趣味は一致までせずとも調和していることが大切で、それが相容れないときには夫婦間の愛情を保たれ得ないと述べている(幸田露伴「趣味と結婚」同上誌二巻九号、一九〇七年九月)。
 家庭生活や結婚に「趣味」が必要ということは、婚姻前の女子のたしなみのあり方もまた一つの課題になってくる。そもそも文芸雑誌において下田歌子や鳩山春子など女子教育家が、女性の「趣味」の持ち方一般について語っていること自体も、「趣味」が、単に余暇・娯楽の問題というよりは、女子教育と無縁ではない能力観だったということを意味している。
 本書は、素朴な印象論で語られることが多く、研究分野の関心のすれ違い(教育史は近代公教育の成立に、芸能史は前近代の展開に、芸術史はプロの手による西洋文化の受容に、その関心を寄せがちである)が生み出す死角に入っている「女子のたしなみ」の近代化のプロセスについて、教育史に引き付けて明らかにしようとするものである。具体的には、「趣味」を受容していったとされる明治後期から大正期を中心に、女子の稽古文化にまつわる「花嫁修業」というイメージの成立過程について、音楽のたしなみを素材に論じていく。
 実は、先の三者の「趣味」論は、大正期末頃までにはどれもが矛盾することなく女子を包囲することとなり、「花嫁修業」というイメージの原型が成立していく。本書を通じて、日本における「趣味」の受容の問題が、都市新中間層が百貨店などで「良い趣味」を購入した、というモノとヒトをめぐる消費文化論(神野 2015)の課題であるばかりでなく、ヒトの能力観に直接関わる近代教育史の課題でもあることが改めて浮かび上がってくる。
 
 
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