「名前のない家事」をめぐる平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡連載、久しぶりの更新は山根さんから平山さんへ。SAを社会化する=分有の可能性から、【感知・思案】をめぐるジェンダー不均衡是正への道筋を探っていきます。[編集部]
平山 亮さま
あっという間に桜の季節になり、新年度のあわただしい時期になってきましたね。久しぶりのお手紙となりますが、お変わりなくお過ごしですか。さて、私たちの往復書簡は、乳幼児や高齢者など情緒的・身体的に脆弱な他者の生を支える「ケア」には、食事づくりや身体介助といった実際に体を動かす「タスク」以外に、相手のニーズを察知し、思案し、実現方法を考え、調整する【感知・思案】があり、その【感知・思案】を家庭内で女性だけが担っている状況への批判から始まりました。
Sentient Activityをめぐって、これまでのやりとり
私たちはこれまでこの【感知・思案】のプロセスを以下のように図式化してきました。
男性も育児や介護の担い手となりつつある=「平等化」の兆しがささやかれていますが、実はこの平等化は「タスク」の部分のみであり、【感知・思案】は女性の責任として残されている、平山さんの『介護する息子たち』や「名もなき家事」ブームが明らかにしたのは、そうしたジェンダー不均衡だったといえます。前回まで私たちが主に話してきたのは、不均衡を是正するための男性と分有の難しさと課題についてでした。一方で、男性との分有だけでなく、家族外のアクターと分有していく=【感知・思案】の社会化も一つの可能性です。そこでこれからしばらくは、家族外の専門職との協働のあり方について平山さんとお話していきたいと思います。家庭内の家事育児をめぐるジェンダー不均衡のトピックからは一旦遠ざかりますが、SAを社会化する=分有の可能性から、【感知・思案】をめぐるジェンダー不均衡是正への道筋を探っていきましょう。
つづきは、単行本『ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか』でごらんください。