「名もなき家事」の、その先へ――“気づき・思案し・調整する”労働のジェンダー不均衡
vol. 07 SAの分有に向けてーーケアの「協働」の可能性/山根純佳

ジェンダー研究者・山根純佳×『介護する息子たち』著者・平山亮による、日常に織り込まれたジェンダー不均衡の実像を描き出し、新たなジェンダー理論の可能性をさぐる交互連載(月1回更新予定)。「ケアとジェンダー」の問題系に新たな地平を切り拓き、表層的な“平等”志向に陥らない「家族ケア」再編への道筋を示します。

 
「名前のない家事」をめぐる平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡連載、久しぶりの更新は山根さんから平山さんへ。SAを社会化する=分有の可能性から、【感知・思案】をめぐるジェンダー不均衡是正への道筋を探っていきます。[編集部]
 
 
平山 亮さま
 
 あっという間に桜の季節になり、新年度のあわただしい時期になってきましたね。久しぶりのお手紙となりますが、お変わりなくお過ごしですか。さて、私たちの往復書簡は、乳幼児や高齢者など情緒的・身体的に脆弱な他者の生を支える「ケア」には、食事づくりや身体介助といった実際に体を動かす「タスク」以外に、相手のニーズを察知し、思案し、実現方法を考え、調整する【感知・思案】があり、その【感知・思案】を家庭内で女性だけが担っている状況への批判から始まりました。
 
Sentient Activityをめぐって、これまでのやりとり
 
 私たちはこれまでこの【感知・思案】のプロセスを以下のように図式化してきました。
 

 
 男性も育児や介護の担い手となりつつある=「平等化」の兆しがささやかれていますが、実はこの平等化は「タスク」の部分のみであり、【感知・思案】は女性の責任として残されている、平山さんの『介護する息子たち』や「名もなき家事」ブームが明らかにしたのは、そうしたジェンダー不均衡だったといえます。前回まで私たちが主に話してきたのは、不均衡を是正するための男性と分有の難しさと課題についてでした。一方で、男性との分有だけでなく、家族外のアクターと分有していく=【感知・思案】の社会化も一つの可能性です。そこでこれからしばらくは、家族外の専門職との協働のあり方について平山さんとお話していきたいと思います。家庭内の家事育児をめぐるジェンダー不均衡のトピックからは一旦遠ざかりますが、SAを社会化する=分有の可能性から、【感知・思案】をめぐるジェンダー不均衡是正への道筋を探っていきましょう。
 

 この探究はひいては、家族にはどんな【思案】が残されるのか、残されるべきなのかを考えることにもつながります。もちろんその「解」は子育てと介護で異なってくるでしょう。子育てをめぐっては、家族を拠り所とする「家族主義」が前提となっているのに対し、介護については、すでに「おひとりさま」の増加により家族を前提とすることはできません。その意味で、そろそろ子育てと介護を区別して議論をする必要もでてきました。まだまだ長い対話になりそうですが、おつきあいいただければ幸いです。
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つづきは、単行本『ケアする私の「しんどい」は、どこからくるのか』でごらんください。

 

ジェンダー研究者・山根純佳×『介護する息子たち』著者・平山亮による、日常に織り込まれたジェンダー不均衡の実像を描き出し、新たなジェンダー理論の可能性をさぐる交互連載(月1回更新予定)。「ケアとジェンダー」の問題系に新たな地平を切り拓き、表層的な“平等”志向に陥らない「家族ケア」再編への道筋を示します。
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