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あとがきたちよみ
『超不確実性時代のWTO』

 
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深作喜一郎 著
『超不確実性時代のWTO ナショナリズムの台頭とWTOの危機』

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あとがき
 
 本書を執筆する構想は,2016 年11 月の米国大統領選挙のときに遡る。この選挙では多くのメディアと同様に,筆者も当時のクリントン候補が勝利するものと思い込み,トランプ候補が同年6 月28 日の選挙演説の中で公表し,後日ウイルバー・ロス(現商務長官)とピーター・ナバロ(現通商製造業政策局長,兼通商担当大統領補佐官)によって「トランプ通商ドクトリン」と命名された「7 大通商プラン」には大きな関心を払わなかった。選挙後,トランプ候補の勝利が確実になってから,改めてこの「7 大通商プラン」を読み返してみて,事の重大さに愕然としたことを記憶している。事実,このプランの内容は,2017 年3 月に米通商代表部が公表した『大統領の通商政策に関する年次報告書』(USTR 2017a)の骨子となった。
 2018 年11 月の中間選挙の結果,民主党が米議会下院の多数派に躍進したことによって議会と政権の「ねじれ現象」が生まれたが,それによってトランプ政権の通商政策が大きく変わるとは思えない。ライトハイザー米通商代表等の対中強硬姿勢は,党派を超えて多くの米議員から支持されているからである。中国は,2001 年12 月のWTO 加盟以来グローバル市場への自由なアクセスから多大な便益を得てきたにもかかわらず,WTO 加盟議定書で同意した市場経済への移行という目標から後退したことによって,米議会は対中不信を強めてきた。マイケル・フィルスバリ(Phillsbury 2016)は,米国が中国のWTO 加盟を許したことは誤りであったとして,ワシントンにおける党派を超えた対中強硬論の形成に大きな影響を及ぼした。さらに,習近平政権のもとでの強制的な技術移転政策,知的財産権の侵害,産業補助金政策などに対する米議会の反発はたいへん強く,次に誰が大統領になろうとも,「中国の構造問題」の解決に向けて米国は強硬姿勢をとり続けるであろう。最近米下院歳入委員会は,ライトハイザー通商代表を招いて米中通商関係の現状について公聴会を開いた[1]。トランプ大統領は,自らのツイッターの中で米中交渉が妥結に向けて前進していることを匂わせていたが,この公聴会においてライトハイザー通商代表は,「中国の構造問題」に関していかなる合意があろうとも,その合意の履行を担保する方法が決まらなければ意味がないとして,これまでの交渉姿勢を崩していない。同様に,1980 年代の対日通商交渉において「成功体験」を有するライトハイザー米通商代表は,CPTPP 協定の発効によって不利に立たされた米農業団体とその影響を強く受ける議会の圧力を背景に,次の対日通商交渉においても強硬姿勢をとるであろう。
 昨年来トランプ政権がWTO 上級委員会人事を一方的にブロックすることによって,WTO の紛争解決制度を危機的状況に追い込んでいることは,第5章で詳述した。この「あとがき」を執筆する時点においてもまだ解決の目途は立っていない。米国が自らWTO の屋台骨を支える役割を下りたからには,日本やEU をはじめとするWTO 主要諸国は一致協力してWTO 改革を着実に推進するとともに,中国に対しては世界最大の商品輸出国であるという現実を踏まえ,自ら「発展途上国」の地位を放棄し,ルールに基づく責任ある行動をとるように外交圧力をかけ続ける必要がある。そうすることによって,米国が一方的な通商措置に訴えるのを未然に防ぐことが可能になるからである。米国をWTO につなぎとめながら,この新たな「集団指導体制」を推進していくことは容易ではない。WTO の現代化に向けて日本が果たすべき役割は,たいへん重く大きい。
 筆者は2012 年の秋学期から三田の慶應義塾大学で経済学部と法学部政治学科の学部生並びに国際センターに所属する留学生に「国際貿易論A,B」(理論と政策)を週に2 コマ講義している。本書の執筆は,当初大学での講義スケジュールに合わせて1 年間を予定していたが,トランプ政権の通商政策の新たな展開とWTO に対する強硬路線をフォローするのにさらに1 年を費やすことになった。本書は,これまでのWTO 交渉やNAFTA 近代化交渉,並びにWTO 紛争解決案件や日米・米中経済対話などから豊富な事例を引きながら,国際経済社会の動向に関心を持つ学部生を対象にトランプ政権の通商政策の問題やWTO が抱える今日的な課題とそれへの取り組みを平易に解説したものである。また,日米の通商政策やWTO 交渉の実態に関心を持つ社会人や大学院生向けの副読本としても役立つようにコラムや豊富な参考文献を加えている。本書の草稿は,筆者がこれまで慶應義塾大学経済学部や神戸大学の法学部並びに経済学研究科で行ってきた講義録に基づき,その多くを新たに書き下ろしたものである。ただし,第2 章の草稿は,日本国際経済学会第75 回全国大会共通論題セッション用に準備した論文を加筆補正した。なお,GATT やWTO 協定の条文ではローマ数字が使われているが,本書では読みやすさを考慮してアラビア数字で統一した。
 本書の執筆に際しては,勁草書房の宮本詳三氏の絶え間ない叱咤激励があった。原稿の大幅な遅れにもかかわらず,忍耐強く応援していただき,感謝の言葉もない。
 2019 年は,筆者がブリティッシュ・カウンシルの奨学金制度の恩恵を受けて英国サセックス大学大学院に留学してからちょうど40 年目に当たる。その後同大学博士課程を修了して,1983 年4 月に当時のGATT 事務局に就職し,1990 年11 月にOECD に出向するまでの7 年半をジュネーブで過ごした。当時,筆者のような新米のエコノミストがGATT 事務局内にいても,ウルグアイ・ラウンド交渉の内幕を詳しく知るのは容易ではなかった。それからすると,近年WTO が行っている情報開示に向けた努力は大いに賞賛されてよい。本書の企画は,WTO や専門研究者が発信する多くの情報や分析をもとに,このユニークな国際機関の機能と実態を多くの日本の方々に知っていただきたいという率直な気持ちから生まれた。WTO 改革の行方は,日本の私たちの生活にも大きな影響を及ぼすからである。
 本書の刊行は,国際エコノミストとしてのキャリアをジュネーブでスタートさせた筆者にとってこの上ない喜びである。本書が,読者の皆様にとって日本とも関係の深い米国や中国の通商政策,並びにWTO の将来について大きな関心をもたれる契機となれば望外の幸せである。最後に,本書を今は亡き父と母に捧げたい。
 
2019 年3 月24 日 東京にて
深作喜一郎
 
[1]2019 年2 月17 日に開かれた米下院歳入委員会における米中通商問題の公聴会に関しては,以下の一連のプレスリリース及びメディア記事を参照:https://waysandmeans.house.gov/media-center/press-releases/neal-opening-statement-hearing-us-china-trade;https://republicans-waysandmeansforms.house.gov/uploadedfiles/gop_letter_to_chairman_neal_re_china_hearing.pdf;https://www.politico.com/story/2019/02/27/china-trade-deal-lighthizer-1222220;https://www.politico.com/newsletters/morning-trade/2019/02/28/lighthizers-reality-check-on-china-talks-401602;https://www.washingtonpost.com/business/economy/trump-trade-official-says-a-us-china-deal-wont-fix-all-of-beijings-anti-tradepolicies/2019/02/27/aeb569b0-3a11-11e9-aaae-69364b2ed137_story.html?utm_term=.54d4556b2502
 
 
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