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ロナルド・イングルハート 著
山﨑聖子 訳
『文化的進化論 人びとの価値観と行動が世界をつくりかえる』
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序論 本書の概要
人々の価値観と行動は、その生存がどの程度保障されているかによって形づくられる。人類の誕生以来、その歴史のほとんどは生存の危機にさらされた時代であり、人々の生存競争上の戦略はそうした背景に支配されていた。人口の上限は食糧の供給量で決まり、人々の大半は飢餓すれすれの生活をしていた。生存が保障されないと、人々は強力な指導者の下でよそ者に対して一致団結するようになる。これは「権威(独裁)主義的反射行動(Authoritarian Reflex)」とよべる、ひとつの戦略である。
経済先進諸国では、第二次世界大戦後の数十年のあいだに、かつてない事態が起こった。戦後世代の大半が、生存は当然のことだと思って育ったのである。それは、1.西ヨーロッパ、北アメリカ、日本、オーストラリアにおける戦後期の飛躍的経済成長、2.飢餓によって死亡する人をほぼ皆無とするセーフティネットを備えた福祉国家の出現、3.第二次世界大戦以降史上最長期間を記録する、主要大国間における戦争の不在などに由来するものであった。
経済的にも身体的にもかつてない安定をみたことで、世代間の文化的変化が拡がり、人々の価値観や世界観がぬりかえられ、物質主義的価値観から脱物質主義的価値観への転換がもたらされた。しかしこの脱物質主義的価値観への転換は、生存重視の価値観(Survival values)から自己表現重視の価値観(Self-expression values)へという、より広汎な価値観の転換の一部をなすものだった。この広汎な文化的シフトにより、かつては経済と身体の安全ならびに集団規範の遵守が最優先だったのが、各自が自分の生き方を選ぶ自由がしだいに重視されるようになった。自己表現重視の価値観は、ジェンダー間の平等、ゲイやレズビアン、外国人、その他の外集団に対する寛容さ、表現の自由、経済面や政治面での意思決定プロセスへの参画を重視する価値観である。文化がこのように変貌したことで、社会的にも政治的にも大規模な変化がもたらされた。環境保護政策や反戦運動が盛んになり、政治、ビジネス、大学において男女平等が進み、デモクラシーが普及した。
このような文化的シフトが起きるずっと前から、様々な文化の間には、地理的条件によって病気や飢餓の危険に対する脆弱性に開きがあったことに遡るとされる、はっきりとした文化的差異が存在していた。これらの文化的差異は複数の論者によって、「集団主義」対「個人主義」、「生存重視の価値観」対「自己表現重視の価値観」、あるいは「自律性(Autonomy)」対「秩序(Embeddedness)」といった分類がなされてきた。しかしそのどれもが異文化間の差異を、同じ軸にそって測ろうとするものであり、「生存への安心感(existential security)」、すなわち生存がどれくらい確実か、あるいは保障されていないと感じられるかのレベルの差を反映するものだった。第二次世界大戦後の数十年、生存への安心感が増したことで、世界中の社会のほとんどが、個人主義、自律、自己表現価値を重んじる方向へと動かされることとなった。
自己表現重視の価値観によるランキングで上位に位置する国では、生存重視の価値観を重視する社会にくらべ、ゲイやレズビアンに理解のある法が制定されやすい。また、政界、経済界、学術界で高い地位につく女性がどの程度いるかを表す国連のジェンダー・エンパワーメント指数も高くなる傾向がある。調査データによれば、根底にある規範は50 年前から変化をつづけてきているが、その変化が社会的に表出したのは比較的最近のことである。文化的変化は組織制度の変更に先だつものであり、組織制度の変更に寄与するものとみられるからである。
生存への安心感が高まれば、宗教儀式の実践や宗教を重視する価値観、あるいは信仰そのものが体系的に後退し、脱宗教化(世俗化)が進む。過去50 年で、脱宗教化はほぼすべての先進工業社会の人々に広まっていった。にもかかわらず、現在世界全体では、昔ながらの宗教的な見解をいだく人々の数はかつてより多い。というのも、脱宗教化は出生率を大きく押し下げるからである。実際のところ、脱宗教化が最も進行した国々のほぼ全部で、出生率が人口置換水準をはるかに下回っている一方で、従来どおりの宗教への指向性を保っている社会では、出生率が人口置換水準の二倍や三倍に達するところが多い。
ジェンダー間の平等と同性愛に対する大衆の考え方は二段階を経て変化してきた。第一段階では、若い世代が上の世代と入れ替わるにつれて、同性愛者を許容する方向へ、ジェンダーの平等を支持する方向へと、徐々にシフトしていった。こうして変化がやがて閾値に達し、高所得社会においては新しい規範の方が優勢と見られるようになる。すると、体制に順応すべしというプレッシャーが以前とは逆方向に作用し、それまでは押しとどめていた変化を後押ししはじめる。こうなると、人口置換で起こるよりもはるかにはやく文化的変化が進んでいく。2015 年には、合衆国最高裁でも大多数が同性婚を支持した。年配の判事たちも、歴史の流れに乗り遅れたくなかったのだ。
このように先進諸国では文化規範が「女性化」したことで、暴力行為の発生率が下がり、進んで国のために戦おうという意欲も減退した。さらに、自己表現重視の価値観レベルが高い国々ではランクの低い国々にくらべ、真の民主主義(デモクラシー)である可能性が高い。とはいっても、自己表現重視の価値観がデモクラシーにつながるのだろうか? それともデモクラシーが自己表現重視の価値観の表出をうながすのだろうか? 因果の方向は主に、自己表現重視の価値観からデモクラシーという流れであるように見受けられる。自己表現重視の価値観が表出するために、民主的な制度が整っている必要はない。世界的な民主化の波が起こったのは1990 年前後だが、それに先立つ何年も前から、西洋民主主義国ばかりか多くの権威主義的な社会でも、世代間の価値観変化によって自己表現重視の価値観が生まれていた。そのため、ひとたびソ連の軍事介入の危険が去ると、自己表現重視の価値観が高レベルだった国々はすみやかに民主制へと移行した。
文化的変化は、人間が幸福を最大化しようとするときの戦略が変わったことを反映している。経済発展や社会的流動性がほとんど、あるいはまったくみられない農耕社会においては、宗教は人々の現世での欲求や野心を抑えつつ、来世では報われると約束することで人々の幸福感を増大させる。一方、近代化すれば経済が発展して民主化が進み、社会も寛容になって、これが幸福に貢献する。いずれも、人々が自分の生き方を自分で選ぶ自由を拡大させるからだ。その結果、同じ国の中で比較すると、ほとんどの国で信仰の篤い人の方が信仰の薄い人よりも幸福であるのに、国際比較すると近代的だが非宗教的な国の人々の方が、近代化が進んでいなくて宗教が重視される国に住む人々より幸福だということが起きる。したがって、前近代的な諸条件の下では信仰が幸福感に貢献するものの、ひとたび高度な経済発展が見こめるようになると、近代的な戦略の方が幸福感を最大化する方法として、従来の戦略よりも効果が大きくなるものと思われる。
それにしても、人間の幸福感を最大化することはそもそも可能なのだろうか。つい最近まで、幸福感とは決まったセットポイント(もしかしたら、遺伝的要因で決まっているかもしれない)を中心に変動するものであり、個人や社会が何かをすることで人々の幸福感を拡大し続けることはできないと広く信じられていた。本書で示していくが、この主張は正しくない。1981 年から2011 年で、時系列データが十分に得られた62 か国のうち52 か国で幸福度は上昇しており、下降したのは10 か国にすぎない。同じ期間、生活満足度は40 か国で上昇し、下降したのはわずか19 か国(3 か国は変化なし)であった。幸福度を測る上でとりわけ広く使われている二つの指標が圧倒的多数の国で上昇した。なぜだろうか。
社会が個人に自由な選択をどこまで許すかは、幸福感に多大な影響を及ぼす。1981 年から2007 年の間に、経済発展と民主化、それに社会の寛容さが増したことによって、ほとんどの国の人々が、経済、政治、社会生活のいずれの面でも自由な選択の余地が広がり、幸福感のレベルも高くなった。生存重視の価値観から自己表現重視の価値観へのシフトが、幸福感と生活満足感を上げるのに寄与したものと考えられる。
ここ数十年、グローバリゼーションによって資本と技術の大移転が起こり、特に東アジア、東南アジア、インドでの急速な高度経済成長につながった。世界人口の半数が、最低生活水準ぎりぎりの貧しさから急速に脱しつつある。長い目で見るなら、高所得国でこれまでに起きたような文化的、政治的な変化につながるかもしれない。だが同時に、高所得国の労働者はアウトソーシングによって低所得国の労働者と競合する立場に置かれることとなる。雇用は海外に流出し、豊かな国々の労働者の交渉力も弱まる。そこに自動化(オートメーション)も加わって工場ではますます人員が必要なくなり、先進国では工場労働者は少数派になってしまった。
はじめのうちは、賃金の高いサービス業が受け皿になってくれた。しかし、合衆国などの高所得社会は今や、人工知能(AI)社会ともいうべき新しい発展段階に入りつつある。人工知能もうまく使えば貧困を根絶し、人々の健康を増進し、平均余命を延ばすのに役だつ見こみもあるのだが、ただ市場原理にまかせておくと、利益の大半がひとにぎりの勝者のもとに流れこむ勝者総取り社会になりがちだ。高所得の国々では、所得と富のどちらをとっても1970 年を境に不平等が急速に拡大している。1965 年には、主要大手企業のCEO たちの報酬は、自社の平均的な労働者の20 倍だった。それが2012 年には354 倍になっている。行政が適切な政策でオフセットしないかぎり、長期的な経済成長もデモクラシーも、そして戦後期に始まった文化的な寛容性も、この勝者ひとり占め体質のせいで根底が危うくなってしまう。
人工知能を使えば、工場労働者だけでなく、弁護士や医師、大学教員といった高学歴の人たち、さらにはコンピュータのプログラマーまでコンピュータ・プログラムに置きかえることが可能になる。合衆国などの高所得国では、工場労働者の実質所得は1970 年以降下がりはじめ、大卒者・大学院卒者の実質所得も1991 年を境に停滞あるいは下降に転じている。
ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツの言葉を借りれば、人工知能社会における軋轢の中心はもはや労働者階級対中間層ではなく、1%対99%という構図になっている。労働者階級だけでなく、高学歴の人々にとっても、安定して収入もいい勤め口は消えつつある。
先にも述べたとおり、人は生存への安心感が高ければ、物の見かたも寛容でオープンになりやすい。反対に生存への安心感が低下していけば、強力な指導者の支持や仲間うちの強い結束、集団規範への厳格な服従、よそ者の排除といった権威主義的反射行動を招きやすい。現在、フランスの国民戦線(現・国民連合)、英国のEU 離脱、合衆国のドナルド・トランプの台頭など、多くの国で排外的・権威主義的ポピュリストの活動が支持を集めつつあるのも、この反応の影響だ。ただし、大恐慌のさなかに台頭した排外的な権威主義とは異なり、今回は困窮や欠乏に起因するものではなく、いずれもリソースのあり余っている社会での話である。今日の不確実性は不平等の拡大に起因するもので、究極的には政治の問題である。政治の再編がうまく行われれば、高いレベルでの自己存在への安心感をとり戻すような政府を選出し、戦後期に出現した自信に満ちて寛容な社会が形成されるようになるだろう。
限界に挑戦して
本書では、進化論的近代化論(evolutionary modernization theory)にもとづく一連の仮説を提示し、ほかに例のないデータベースに照らして検証する。1981 年から2014 にかけて、「世界価値観調査」と「ヨーロッパ価値観研究」は数百もの調査を行なってきた。対象国は100 か国を超え、対象国の人口は世界の90% 以上になる。これまでの参加国を図1-1 に示す。得られたデータは、調査項目、実査の基本情報ともども世界価値観調査のウェブサイトhttp://www.worldvaluessurvey.org/ からダウンロードできる。
国際比較調査プロジェクトの中には、経験ゆたかな調査機関がある国に対象をかぎっているものもある。実査の質を確実にするためではあるものの、これだと高所得社会に限定した調査となりがちである。世界価値観調査では当初から、低所得国をふくめ、多様な対象をカバーするよう努めてきた。ここでは、二つの効果が互いにぶつかりあうことになる。(a)不慣れな調査研究機関を擁する低所得社会も対象に含めることで、測定誤差が増え、人々の考え方と予測変数との相関性が弱まる。(b)多様な社会を対象に含めることで、相関性が高まり分析にテコを効かせることができる。どちらの効果がまさるだろうか。結果は明らかだ。仮に低所得国で収集したデータの精度の低さの方が、それらも対象に加えることで得られる分析力よりも影響が大きいなら、途上国のデータを足したとたんに、関連の社会現象を予測する力が弱まるはずだ。しかし実証的分析を行なった結果、高所得国のデータだけを分析したときの予測力より、可能な限り多くの社会を分析したときの予測力の方がはるかに強力であることがわかった。最大限に多様なデータを分析する利点は、データの精度がどれほど低下しようとも、それを補ってあまりあるのである。
グラフは出しても数式はなし
私自身は、詳細な統計表とにらめっこして何時間でも楽しく過ごせるのだが、これが万人に共通する嗜好でないことは明らかだ。自分の専門分野でもないかぎり、たいていの読者は回帰方程式がいくつか並んでいたら興味をなくしてしまう。この本で論じる話は非常に重要なものなので、紹介のしかたさえ専門家向けにならないようにすれば、より多くの人が関心を寄せてくれると思う。それゆえ、本書に回帰方程式は出てこない。こみいった統計表も載せない。ただし、多くの定量分析から得られた知見だけは報告している。グラフもかなりたくさん載せた。グラフは、膨大なデータから引き出した関係性を、シンプルかつ鮮やかなパターンにして素早く伝えてくれる。たとえば、国が裕福になればなるほどジェンダー間の平等が進むことを、視覚でとらえることができる。
人々の価値観や目標がどのように移り変わっているか、そして、その変化がどのように世界を変えつつあるのか、読者にはっきりと理解していただく、本書がその一助になれば幸いだ。
訳者あとがき
本書はRonald F. Inglehart, Cultural Evolution : People’s Motivations are Changing, and Reshaping the World (Cambridge University Press, 2018)の邦訳である。翻訳にあたっては、著者本人から得た原稿およびハードカバー版を参照している。本書では原著と異なる箇所がいくつかあるが、著者に直接確認、了承を得て修正させていただいた。また、索引項目については、翻訳との兼ね合いもあり一部作成し直しており、その際、原著ではカバーされていなかったものの、本書を理解するうえで必要と思われる用語をいくつか追加させていただいた。
さて本書の著者であるロナルド・イングルハートことロンに初めて会ったのは1993 年、世界価値観調査に参加する各国の研究代表者が初めて一堂に会したマドリッド会議だった。世界カルチュラルマップのプロトタイプが作られたばかりの頃で、ロンはマップ上で点在する日本など東アジア地域の解釈について頭を悩ませていた。東アジアから参加していた研究者は私だけだったということもあり、未知なる日本からやってきた私に彼は興味津々。日本人の価値観や日本社会について質問攻めにあい、中国や韓国と日本の歴史についても質問された。そして次に会った時には、本書でも紹介されたマップにも記載されている儒教圏というグルーピングが誕生していた。
今にして思えば彼は当時すでに「アラカン」。還暦近い、地位も名誉もある政治学者だったが、あふれんばかりの好奇心・探求心をその目にたたえた少年のようだった。その後もロンの関心テーマは幸福や自律・自由を基軸とした人々のエンパワーメントへ、そして対象エリアもアジアからアフリカ、中東へと、その探求心はとどまることを知らない。今も政治は人々のためにこそあるべきという基本スタンスに立ち、執筆・講演に意欲的だ。
そんな彼が社会と政治、そして人々の安寧の危機を感じて立ち上がって執筆したのが本書である。人工知能社会という新たな歴史的ステージに突入しつつある今なお、多くの社会ではその準備ができていない。それどころか、本書の第9 章で指摘されるようにむしろ逆行ともいうべき政治・社会現象が起きている。著者はそうした「逆革命」に警鐘を鳴らすことで、人々が気づき、自ら立ち上がることを期待しているように思われる。
日本も例外ではない。著者の分析は、90 か国以上を対象とし、およそ40 年にわたる時系列変化もとらえた「世界価値観調査」の膨大なデータに基づいている。日本も1981 年から世界価値観調査に参画しており、最新の調査を2019年に行うべく準備中である。本書を契機に、世界価値観調査や日本の価値観変化について関心をもたれた読者は、『日本人の考え方 世界の人の考え方―世界価値観調査から見えるもの』(勁草書房、2016)をご一読いただきたい。
本書サブタイトルにもあるように、著者の願いは世界が再構築されることであり、その主役は一般の人々であると考えている。序章でも記載されているように、より多くの人に関心をもって読んでもらいたいという著者の思いを受け、翻訳の際には統計的な専門用語も含め、できるだけ平易な言葉を使って意訳することを心がけた。世界を形づくるのは我々一人ひとりの価値観と行動である、という著者の思いが届けば幸甚である。
また、勁草書房編集部の渡邊光氏には大変お世話になった。図表の量の多さからくる苦労は本書をご覧いただければ言うまでもないと思う。加えて交互に一家中でウィルス性胃腸炎にかかったり、インフルエンザにかかったりという事態にも見舞われた。励ましあいながら何とか本書の出版にたどり着くことができたのはひとえに氏のお陰である。この場を借りて心からの感謝を申し上げたい。
※傍点、注と図は省略しました。図はpdfをご覧ください。