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伊ヶ崎大理・大森達也・佐藤茂春・内藤徹 著
『スタートダッシュ経済学』
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はしがき
近年,私たちが生きている社会はますます複雑になってきています.グローバリゼーションの波は世界経済の様相を変化させました.アメリカと中国はこれまでにない激しい貿易戦争を繰り広げています.ヨーロッパでは,地域統合したEU が地域内での国家間の経済格差やEU からの離脱の議論などがみられます.世界を取り巻く状況は混迷化し,世界経済を舞台としたせめぎあいはますます激しくなっています.わが国も平成から令和へと新しい時代に突入しましたが,バブル経済崩壊前後に始まった平成の時代は昭和の時代の日本経済の輝きを失い経済の低迷に苦しんだ時代でもありました.
複雑化する現代社会を正しく理解することは一筋縄ではいきません.かつて第35 代内閣総理大臣であった平沼騏一郎は,当時の欧州の国際関係を読み切れず,「欧州情勢は複雑怪奇」という言葉を残して退陣しました.その後,わが国は国際社会から孤立し,第2 次世界大戦で壊滅的な打撃を受けたことは周知の事実です.もちろん,近年のヨーロッパ,アメリカ,アジアの国々は当時のような交戦状態にはありませんが,わが国がかつてと同じ轍を踏まないためには,経済学を専門とする人だけではなく,それ以外の専門分野を学ぶすべての人々がこの複雑な社会を正しく読み解く素養を身につけることが必要な時代となってきました.しかしながら,どのような学問分野であれ,最初から深く専門性を追求することは容易ではありません.みなさんも最初に補助輪を付けて乗りながら自転車を練習したことや,スキーでプルークボーゲンから始めたことを思い出してみてください.大まかに自転車に乗るコツをつかみ,プルークボーゲンでまずは止まり,ターンができるようになってから次のステップに進んだはずです.本書は,経済学を学び始めようとする皆さんの背中を押すことを目指した入門書です.経済学部に入学し,経済学を専門的に学ぼうとする人はもちろんのこと,経済学部以外の学部で経済学を学ぼうとする人たちにも経済学の学習をスムーズに進める手助けとなるようにと執筆したテキストです.経済学,特に経済理論では数学や統計学を用いて分析を行うため,入り口で学ぶことを躊躇してしまうことが多いのも事実です.しかし,それは経済学のほんのごく一面であり,それが理由で経済学を学ぶことを辞めてしまうというのであれば,経済学を生業とする私たちにとってとても残念なことです.
本書の執筆者たちはいずれも経済学部に所属していません.だからこそ経済学の醍醐味をより多くの人に伝えたいという強い思いを常々持っていました.そうした4 人のちょっとした縁がきっかけで今回本書を作成することになりました.本書がみなさんの経済学を学ぶモチベーションの助けになれば,筆者としては喜ばしいかぎりです.
最後に出版事情の厳しい折に,筆者たちに本書執筆の機会を与えて頂きました勁草書房の宮本詳三氏に感謝する次第です.
2019 年春
執筆者を代表して
内藤 徹
第1章 イントロダクション
本章で考えること
◦経済学とはどのような学問なのでしょうか
◦分業と特化とはなんでしょうか
◦ミクロ経済学とマクロ経済学とはどのような分野でしょうか
1.1 経済学とはどのような学問なのか
この本を手に取って読んでくれている皆さんの中には日経平均株価や国内総生産(GDP)といった経済の用語をテレビや新聞,そしてインターネットで目にしたり,耳にしたことがあるかと思います.IT の進歩によって私たちはこれまでよりもずっと多くの情報に容易にアクセスすることができるようになりました.「日経平均株価が急落した」,「今年はカニが不漁で価格が例年の2割増である」,「政府の来年度の予算規模が過去最大である」など世の中の多種多様な経済に関する情報を新聞やテレビといった従来の媒体のみならず皆さんが持っているスマートフォンやパソコンから瞬時に確認することができます.このように一昔前に比べて私たちが触れることのできる経済に関する情報量は飛躍的に増大しました.特にわが国の経済は長く低迷の時期にあり,その間にわが国を取り巻く経済状況は大きく変化し,多様化し,そしてますます複雑になっています.もちろん,多くの人たちがこれらの貿易問題や環境問題を解決するためいろいろな政策を提言していますが,それらの多くは,それぞれの立場の人・団体が各自の利害関係にしばしば影響を受けています.したがって,私たちがこれらの問題に対して正しい判断を下すためには,今まで以上にこれらの情報を冷静にそして正確に分析することが求められるようになりました.
さて皆さんは「経済学」と聞いたときにどのようなイメージを持っているでしょうか.中学校の公民科の授業や高校での現代社会や政治経済の授業で学んだ需要や供給,あるいは数学がたくさん出てくる学問といったイメージを持っている人も少なからずいると思います.しかし,それらは経済学の表面的なものに過ぎません.確かにわが国において,いわゆる文系と呼ばれる学問領域の中で経済学は相対的に数学が多く用いられています.しかしながら,経済学という学問が本来解決しようとしているのは,より良い社会を実現するための処方箋を提示することなのです.皆さんも知っているように今日の社会は,貧困問題,不景気,失業,貿易問題,少子高齢化,環境問題と解決しなければならない問題が山積しています.そんな中で私たちはより良い社会を実現するために,これらの問題を解決していかなければなりません.経済学とは本来上述したような私たちが社会で目にする諸問題を論理的に把握し,分析する学問なのです.
それではなぜ経済を学問として学ぶ必要性があるのでしょうか.それは世の中に存在する多くの財・サービスは,数や量が限られているからです.もし世の中のすべての財・サービスがすべての人に十分満足するぐらいに行き渡るのであればなんの問題も生じません.しかし皆さんも知っているように世の中で数や量が無限に存在する財・サービスはほとんどありません.したがって,社会経済に属している人々にとってこれらが無駄なく配分されるということは非常に重要な課題なのです.そこで,限られた資源のもとで人々の生活がより豊かになるためにはこれらが効率的に配分されることが必要になります.
しかしながら.言葉で「効率的な資源配分」と言うのは簡単なのですが実際にそれを達成するのは非常に難しいのです.ならぜならば,私たちが生きている経済社会は複雑に入り組んでいるため,効率的な資源配分は,容易には達成できないのです.そこでそれらを対象とした科学,すなわち「経済学」の出番となるのです.既述したように確かに経済学は,法律学や文学と比較して数学が多く出てきますし,それが理由で経済学を苦手に感じてしまう学生さんもいると思います.しかし,経済学では数学はあくまでも経済現象を正確に把握,説明する道具に過ぎません.重要なのは,経済にまつわる現象の背後にあるメカニズムを理解し,目の前にある経済現象を冷静にそして正確に分析する力を身に付けることなのです.
1.2 財・サービスと経済システム
前節までの議論の中で所々「財・サービス」という単語が散見されるのに気づいた人もいるでしょう.ここで財・サービスとはどのようなものでしょうか.最初に財とサービスの分類から見ていきます.簡単に言うと財とは,形のあり目に見えるモノであり,サービスは目に見えないモノと考えればいいでしょう.具体例をあげると自動車,コメなどは財であり,バス輸送,インターネット接続はサービスに相当します.つぎに財・サービスの種類について分類します.財・サービスは企業が生産し消費者に販売されるものと企業が財・サービスを生産するための要素となるものがあります.前者を消費財,後者を資本財と呼びます[1].
これらの財・サービスが取引される場のことを市場(しじょう)と呼びます.市場ではさまざまな財・サービスが取引されていますがその取引の当事者のことを経済主体と呼びます.経済学で考える代表的な経済主体には,家計(消費者),企業(生産者),そして政府があります.生産された財・サービスはそれぞれの市場において経済主体間で貨幣を通じて交換されます.詳細はこの後の章で説明しますが,経済学では対価を支払ってどのくらい財・サービスを購入する意思があるかの組み合わせを需要と呼び,対価を受け取って財・サービスをどのくらい相手に渡すことを供給と呼びます.
図1.1は,代表的な経済主体からなる簡単な経済システムを図示したものです.企業が生産した財・サービスは消費財として消費財市場で供給されます.家計は対価を支払ってこれらを購入しますので,市場に供給された消費財は企業から家計に流れ,対価として支払われた貨幣は家計から企業へと流れます.一方,生産者は消費財市場で供給する財を生産するために土地や労働などの資本財を生産要素として用います.企業は家計が保有する労働や土地を貨幣を通じて購入しますので生産要素としての土地・労働は家計から企業に流れ,賃金や地代は貨幣の形で生産者から家計へと流れます.つぎにもう1 つの経済主体である政府は家計や企業から所得税や法人税の形で貨幣を徴収し,それをもとに両主体に公共サービスを供給します.
私たちはこの経済システムの中で日夜生活を送っているのです.ゆえに,この経済システムの中の一部がなんらかの理由で変化した場合,その箇所の変化の影響はその箇所だけにとどまらず経済システム全体に波及してしまいます.ゆえに,さまざまな経済問題を解決するための処方箋を提示する際にはそれが経済システム全体にどのような影響を与えるのか考慮しなければならないのです.
1.3 特化と交換の利益
皆さんは「ロビンソン・クルーソー」という物語を読んだことがあるでしょうか.「ロビンソン・クルーソー」はイギリスの作家ダニエル・デフォーが1719 年に書いた物語です.ロビンソン・クルーソーはイギリスの中産階級の子として育ち,父親からは真面目に働けば並みの生活ができるので勤勉であれと言われて育ちました.しかし,ロビンソン・クルーソーは港の酒場で意気投合した船員と一緒に船出し,渡航先の南米で一定の成功を収めたのち,帰国の途に就く途中で乗船していた船が嵐で難破し,自分だけが生き残ってしまいました.ロビンソン・クルーソーは難破船のそばにあった無人島でいろいろな工夫をして生活を始めました.しかしロビンソン・クルーソーは漂着した無人島で早速選択の問題に直面します[2].無人島にはロビンソン・クルーソーしかいませんから彼は自分の限られた労働時間をさまざまな種類の活動に配分します.また船にあった帆布はテントや服に,ぶどう酒は飲料水の代用品に,銃は狩りに使用できました.ところが船の中で唯一役に立たなかったものがあります.それは金貨・銀貨です.その理由はロビンソン・クルーソーは自分の労働を配分して生産を行い,それを消費し自給自足の生活をしていましたから他人と財・サービスを交換するという社会からは隔離されていたからです.したがって,ロビンソン・クルーソーが生活していた自給自足の世界は分業あるいは特化という概念とは無縁でした.
しかしながら,私たちはロビンソン・クルーソーとは異なり,大多数の人がすべてのモノを自分で生産し,消費してはいません.現実には各自が得意なものに集中して生産を行い,それを別に人が生産したものと交換しています.国家レベルで見ても農業財を輸出し,工業財を輸入する国がある一方で,工業財を輸出して農業財を輸入する国もあります.現在の私たちは交換経済の中で生活しているのです.では,どうしてこのような分業をするのでしょうか.それは各自がそれぞれ得意なものに特化し分業するほうがすべてを自分で行う自給自足よりもより豊かになれるからです.
ここで簡単な例を用いて分業と交換がもたらす利益について考えてみましょう.皆さんは「古事記」という書物の名前を聞いたことがあるでしょうか.太安万侶が712 年に記した現存する日本最古の歴史書と言われる書物です.この古事記の中に「海幸彦・山幸彦」という兄弟が登場する話があります.海幸彦は海で漁をして生業を立て,山幸彦は山で狩りをして生業を立てていましたが,あるとき,お互いの仕事を交換し,ひょんなことから争いになるという話です.
さて経済学の話に戻りますといま海幸彦も山幸彦もそれぞれ自分で魚と肉を漁と狩りで手に入れているとしましょう.海幸彦は漁が得意なので1 時間に魚を2 匹釣ることができますが,狩りは苦手なので1 時間に1 頭のキツネしか捕れません.反対に山幸彦は狩りが得意で1 時間に2 頭のキツネを捕れますが漁は苦手ですの1 時間に1 匹しか魚を釣ることができません.ここで海幸彦と山幸彦がそれぞれ漁と狩りをすべて自分たちだけで行ったとき,漁と狩りで捕れる魚とキツネの量はどのようになるでしょうか.いま海幸彦も山幸彦も1 日5時間ずつ漁と狩りに時間を割き,合計で10 時間働くとしましょう.このときの海幸彦と山幸彦の漁と狩りの成果は表1.1 のようになります.
海幸彦も山幸彦もそれぞれ自分が得意とする漁と狩りに集中したいと考え始めました.そこで海幸彦と山幸彦は話し合って,海幸彦は漁に,山幸彦は狩りに全力を費やし,その後,魚とキツネを交換しようと話し合いで決めました.海幸彦は狩りに費やしていた5 時間を漁に費やすことができるので,狩りに費やしていた5 時間でさらに10 匹の魚を釣ることができました.同様に,山幸彦も漁に費やしていた5 時間を狩りに費やすことができたので5 時間で10 頭のキツネを捕獲することができました.つまり,これまでは海幸彦は魚を10匹釣れるチャンスを棒に振ってキツネを5 頭捕獲していたことになります.山幸彦も山で狩りをすればキツネを10 頭捕獲することができたはずなのにそのチャンスを棒に振って魚を釣っていたのです.このようにもしあることをせずに別のことをしていたら稼げたであろう収入のことを経済学の用語で「機会費用」と呼びます[3].
さて,表1.2 は海幸彦と山幸彦が自分の得意な漁や狩りに10 時間を費やしたときの漁と狩りの成果を表したものです.表1.1と表1.2を比較すると,それぞれが得意な漁や狩りに集中したときのほうが2 人が釣った魚の数とと捕獲したキツネの合計は増えていることがわかります.このように自分の得意なものに全力投球することを経済学では「特化」と言います.ここで海幸彦と山幸彦が自分たちが獲った魚10 匹とキツネ10 頭を交換したとしましょう.海幸彦は魚10 匹を手放し,キツネ10 頭を手にいれますし,山幸彦もキツネ10 頭を手放して魚10 匹を手にいれることになります.交換後の海幸彦と山幸彦が手にした魚とキツネの数は表1.3のようになります.
ここで海幸彦と山幸彦が漁と狩りを1 人で行っていたとき(自給自足していたとき)の漁と狩りの成果を表した表1.1と海幸彦と山幸彦がそれぞれ自分の得意な漁と狩りに特化し,その後,交換した後に手にした魚とキツネの数を表した表1.3を比較してみましょう.交換後,海幸彦は自給自足のときよりもキツネを5 頭余分に手にすることができますし,山幸彦も交換後には魚を5 匹余分に手にすることができます.このメリットのことを分業と交換の利益と言います.
1.4 ミクロ経済学とマクロ経済学
最後にミクロ経済学とマクロ経済学について述べておきましょう.私たちが経済システムの中で活動していることは1.2節で述べたとおりです.この経済システムを分析する経済学は大きく2 つに分類されます.1 つはミクロ経済学と呼ばれる分野で,もう1 つはマクロ経済学と呼ばれる分野です.既述したように,対価を支払って財・サービスを購入する家計,労働や資本を使って財を生産し,それを販売し対価を受け取る企業,そして家計や企業から税という形で財貨を徴収し,それを元手にさまざまな公共財や公共サービスを供給する政府と,経済システムの中には複数の経済主体が存在しています.ミクロ経済学はこうした各経済主体の意思決定に注目し,その行動やメカニズムを分析対象とする分野です.たとえば日常,私たちはさまざまな財・サービスを購入しています.皆さんも食堂で昼食をとるときどのメニューをいくつ注文しようかを財布の中身と相談して選択していることでしょう.注文する際には決してむやみやたらにその購入量や組み合わせを選択していないはずです.特段に意識はしていないかもしれませんが,なんらかの基準にしたがって皆さんは昼食メニューの組み合わせを考えているはずです.一方,皆さんに料理を提供する食堂も無制限にハンバーグやカレーを提供はしていません.学生食堂サイドもなんらかのルールに基づいてその数量を決定しているはずです.そして,もう1 つの経済主体である政府・自治体も住民から徴収した税をもとに廃棄物処理や市バスの輸送サービスを提供していますが,ここにも経済学のメカニズムにしたがった行動がなされています.ミクロ経済学は英語でMicroeconomics と表記されるように経済システム全体から見れば小さな各々の経済主体の行動にフォーカスして分析します.一昔前には大学のミクロ経済学の講義に「価格理論」という講義名を付けていた大学も複数ありました.これはミクロ経済学が経済主体が財・サービスの取引を行う市場における価格の決定メカニズムに着目し,経済学が解決すべき重要な課題である資源配分を分析する分野であるからです.冒頭にあげた例の「今年はカニが不漁で価格が例年の2 割増である」といった問題はミクロ経済学の分析対象になります.
これに対して,マクロ経済学はそれぞれの経済主体の行動の集計値を用いて分析を行います.わが国の経済成長率,近畿地方の失業率,愛知県の物価水準といったものはいずれも個々の経済主体の活動を集計したものです.ミクロ経済学で分析の対象となった個人の消費行動は,マクロ経済学においては他の個人の消費と併せてひとくくりで扱い分析されます.また企業についてもミクロ経済学では個別の企業の行動に焦点を当てて分析してきたのに対し,マクロ経済学では製鉄業もサービス業も農業もすべて1 つの生産部門として考えます.ミクロ経済学が一昔前の大学の講義で価格理論という講義名が付けられていたように,マクロ経済学もまた「国民所得論」あるいは「所得論」という講義名が付けられていました.ただし,ここでいう「所得」というのは私たちが通常イメージするような所得とは異なります.非常に簡単に言ってしまうと,所得とは対象とする国家や地域の富のことを意味します.この富については,フローとストックという重要な概念がありますが,これは第8 章にその説明を譲ります.マクロ経済学は,さまざまな経済主体からなる経済システムを1 つの箱に入れ,箱の中身を上から見ることで経済全体の動きを分析する分野なのです.冒頭の例であげた「日経平均株価が急落した」や「政府の来年度の予算規模が過去最大である」といった問題はマクロ経済学が分析の対象とする問題なのです.
ここで,皆さんに誤解してもらいたくないのは,「ミクロ経済学はマクロ経済学より重要である」とか「マクロ経済学を学んでおけばミクロ経済学は必要ない」ということではないということです.ミクロ経済学とマクロ経済学はコインの表裏,タイヤの両輪のように経済学を知るうえで切り離すこともできませんし,いずれか一方だけでも不十分です.また,近年の経済学の理論研究分野では従来のミクロ経済学とマクロ経済学との境界がなくなりつつあります.皆さんには本書を通じて経済学という学問に親しみを持ってもらい,願わくばそれぞれの大学で開講されている経済学の各科目を学んでもらいたいと思います.
コラム1:ノーベル経済学賞
ノーベル賞,それは学者であれば誰もが憧れる学術賞です.皆さんも知っているようにノーベル賞には物理学賞,化学賞,生理学・医学賞,文学賞,平和賞,そして経済学賞と6 つの賞があり,これらの分野に対して学術的に高い貢献があった研究に与えられる賞です.しかし,ノーベル経済学賞の正式名称はアルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞といういまから50 年ほど前の1968 年にスウェーデン国立銀行が設立300 周を記念して設立された賞なのです.2019 年時点でこれまで27 人の日本人(日本出身者を含む)がノーベル賞を受賞していますが,経済学賞の受賞者はまだいません.一部ではアルフレッド・ノーベル(1833–1896年)の遺言にはなかった経済学賞をノーベル賞に含むべきではないという意見も出されています.
ノーベル経済学賞を含めるか否かの問題はさておき,ノーベル経済学賞を受賞した経済学の研究が社会の大きな貢献をしたこともまた事実です.歴代のノーベル経済学賞の受賞理由を見ると経済学者たちがどのような関心を持ち,社会に対する処方性を与えてきたのかを垣間見ることができます.
たとえば2018 年のノーベル経済学賞を受賞したのは,ウィリアム・ノードハウス(米)とポール・ローマー(米)という2 人の研究者ですが,その受賞理由は気候変動や技術革新といった今日最も重要である問題について長期的なマクロ経済分析を行った貢献に対してというものです.私たちの社会には解決していかなければならない問題が山積していることがすでに述べましたが,それに対する政策を考えるためにはこうした基礎的な理論の裏づけは必要不可欠なものなのです.ゆえに一見,経済学は机上の学問に見えるかもしれませんが,学問が持つ輝きはいま現在も失われてはいないのです.
練習問題
1. 2018 年12 月にTPP11 協定(環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定)が発効しました.TPP11 協定の発効によってもたらされる利点と懸念される点をそれぞれ例をあげて考えてみましょう.
2. テキストで紹介した例以外にミクロ経済学およびマクロ経済学の分析対象となる経済事例の例をあげてみましょう.
文献ガイド
1. 安藤至大(2013),『ミクロ経済学の第一歩(有斐閣ストゥディア)』有斐閣.
2. 岩田規久男(2007),『経済学への招待(ライブラリ経済学への招待)』新世社.
3. 大塚久雄(1977),『社会科学における人間』岩波新書.
4. 多和田眞,近藤健児(2018),『経済学のエッセンス100(第3 版)』中央経済社.
注
[1]ここでは財・サービスをまとめて消費財と呼び,労働を人的資本,機械や土地を物的資本とみなし,生産要素となる財をまとめて資本財と呼ぶことにします.
[2]選択については,第2 章で詳しく説明します.
[3]機会費用については,第2 章で詳しく説明します.
※図表は省略しました。図表についてはpdfファイルご覧ください。