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『ちょっと気になる「働き方」の話』

 
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権丈英子 著
『ちょっと気になる「働き方」の話』

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はじめに
 
 今では,多くの人たちが,労働者であり消費者でもあり,さらには生活者でもあるという多面性が強く意識されるようになってきました.ミクロ経済学が大前提とする安価で便利さを求める消費者主権の側に立つばかりでは,労働者・生活者としての不都合が生まれ,マクロ経済にも必ずしも望ましくないことが徐々に理解されるようになってきています.仕事と生活のバランスをとろうという,ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)が,次第に時代に受け入れられてきたのも,そういう環境があったからだと思われます.「24 時間タタカエマスカ」のCM は1988 年のものですが,今ではとてもそうしたCM は流せないと思います.長時間労働を強いる企業はブラック企業と評され,そうしたレッテルを貼られた企業は経営が難しくなる状況にもなってきています.
 日本の労働時間が長いことは世界的にも有名です.労働時間が一人ひとり短くなるとすると,働く人が増えない限り総労働供給は減少します.ところが,日本は,人口減少社会に入っていて,特に生産年齢人口の減少は著しく,これまでの,比較的安価な労働力を企業が手軽に利用できた時代から,労働力不足の時代,別の観点から見れば労働力が希少になる時代に入ってきています.そして労働力希少社会では,早晩,資本に対する労働の相対価格が上昇していきます.生産要素間の相対価格の変化は,長期的には市場メカニズムによる調整を通じて,歴史を変える力をもっています.
 そうした価格メカニズムの調整過程のただ中に立つ日本の労働市場にあって,日本の高齢者は若返っているということが,2017 年1月に,日本老年学会・日本老年医学会から示されました.両学会は,「身体的老化などの経時的データ」を分析し,日本の高齢者は,10〜20 年前に比べて5 ~ 10 歳は若返っているエビデンスがあるから,高齢者を科学的に定義するとすれば,それは75 歳からが妥当ではないかと論じています.この主張には多くの人たちが頷けるところがあると思いますし,2018 年2 月にまとめられた『高齢社会対策大綱』でも,両学会からの提言が紹介され,「65 歳以上を一律に“高齢者”と見る一般的な傾向は,現状に照らせばもはや,現実的なものではなくなりつつある」として,「70 歳やそれ以降でも,個々人の意欲・能力に応じた力を発揮できる時代が到来しており,“高齢者を支える”発想とともに,意欲ある高齢者の能力発揮を可能にする社会環境を整えることが必要である」と記されています.たしかに,私たちが子どもの頃と比べると,60 代後半,そして70代の人たちが,随分と元気そうにされていることがわかります.そうした世の中では,彼らの社会参加は,彼らが日々生き生きと過ごしていくためにも,そして,社会全体のためにも望ましいという状況が自然と生まれます.
 さらには,女性の高学歴化も相当に進んできました.苦汗労働が主流で,まさに「力」がものをいう時代は遠い過去の話になり,女性も自然に活躍できるサービス産業が産業の中心となる中,働き続け,社会に参加していたいと思う女性たちも増えてきました.
 そうした今,できるだけ多くの人たちが,ワーク・ライフ・バランスをとりながら,できるだけ長い期間,働きがい,生きがいをもって,就労やボランティアという形で社会に参加できている社会を,どのようにして構築するかということが社会・経済政策の課題として意識されるようになっているとも言えます.多くの人にとって働くことをはじめとした社会参加をしやすい環境づくりを進め,若者も高齢者も,男性も女性も働きたい時期に,無理なく働くことのできる社会にするにはどうすればよいのか.そうした社会を築いていくためには,どのような政策を行っていくべきか.このような問いにヒントを得るために,近年の働き方改革の動きと,これに関わる社会保障の動きとを,歴史的にみたり,国際比較の観点から眺めたりすることで考えてみたいと思います.
 この本は,大きく2 部構成になっています.前半は「手早く知りたい人のために」として,働き方の改革の全体像を講演ベースにまとめています.働き方改革の大きな枠組みとして,労働力活用の2つの類型──働く人とそれ以外の人とに分かれた「分業型社会」とそうではない「参加型社会」──を紹介し,今は「分業型社会」から,ワーク・ライフ・バランスの取りやすい「参加型社会」へと向かっているところであることを示します.その上で,日本の働き方の特徴でもあり働き方改革の主要課題ともいえる,長時間労働の状況を確認します.また,女性活躍推進,高齢期雇用,そして非正規雇用のそれぞれについて,論じていきます.この章を読むことで,働き方改革の中心的な議論について,これまでの政策的な背景も含めて理解できると思います.
 第2 章以下は,もう少し詳しく知りたい人のためのものです.第2 章では,日本の高齢期雇用政策の当面のターゲットであった60代前半の雇用に注目しています.はじめに,欧米諸国における高齢期雇用に関わる政策展開を概観した上で,高年齢者雇用安定法に伴う民間企業における定年年齢や再雇用制度の状況,そして公務員における高齢期雇用についても少し詳しくみていきます.
 第3 章は,女性活躍推進法を取り上げます.1985 年の男女雇用機会均等法や1991 年の育児・介護休業法とその後の改正などにより,制度的には雇用分野における男女平等が進み,また,仕事と育児や介護の両立支援の仕組みも整備されてきました.ところが,実質的な男女平等にはまだまだ遠いようです.例えば,世界経済フォーラムによる2018 年のジェンダー・ギャップ指数(Gender Gap Index: GGI)は,調査対象149 か国中110 位(前年は144 か国中114位)ですし,女性の労働市場への参加は進んできているのに,管理職に占める女性の割合は諸外国に比べて極めて低いなど,女性労働には質的に大きな課題が残っています.女性活躍推進法は,そうした課題について,特に政府が求める経済効果への期待を受けて2015 年に成立し,2019 年には法改正が行われました.この章では,同法の内容を紹介するとともに,女性労働の現状と課題を考えたいと思います.
 第4 章は,非正規労働者の中で最も大きなグループであるパートタイム労働を取り上げます.特に,2018 年に成立した働き方改革関連法の非正規労働者の待遇改善については,パートタイム労働法を,パートタイム・有期雇用労働法に改正し,パートタイム労働法の均等・均衡待遇アプローチを,有期雇用にも拡張する形で進めることになりました.日本において労働市場における女性の活躍があまり進んでこなかった背景には,短い労働時間しか働けない場合,正社員と待遇の大きく異なる非正規雇用としての雇用機会しかなかったことがあります.パートタイム労働の待遇改善を進めることは,正社員に柔軟な働き方を導入することとともに,人々の働き方の選択肢を広げ,ライフ・ステージにおいて働き方の重点を変えてもあまり不利にならない,「労働時間選択の自由」が認められた社会,そしてワーク・ライフ・バランス社会の構築に役立つ,という視点からも考えてみます. 
 第5 章は,世界に先駆けて柔軟な働き方を活用して経済を回復させることができたために,「オランダの奇跡(Ducht Miracle)」とも評されたオランダの政策展開を概観します.オランダは,女性が働くことについては伝統的に極めて保守的な思想をもっていたため,アメリカや北欧諸国に比べると,女性労働の活用が遅く始まりました.そして,1960 年代,1970 年代には充実した福祉国家の建設が進められていたのですが,1980 年代初頭の財政危機以降は,絶えず,強い財政圧力の下で社会保障の改革が展開されていくことになります.その中で,パートタイム労働や非正規雇用(オランダではフレックス雇用という)を大胆に活用しながら,労働市場の柔軟性と保障を両立しつつ,財政,経済との整合性を確保しようとしてきました.そうした姿を眺めることにより,日本の働き方を考える一つのヒントになればと思います.
 本書では,各章に関連しているものの,少し横道にそれる話を「知識補給」としています.また,各章末には,練習問題をつけています.その章の知識補給も含めた問題となってますので,各章の内容を立ち止まって整理したり,各章を読む前に,みなさんが日頃抱かれている関心とどのように関係する話が書いてあるのかの参考にしていただけたら幸いです.
 
 
おわりに
 
 日本は,人口減少社会,特に,生産年齢人口が大幅に減少していく社会に入っています.そうした社会では,労働力の希少性が増す「労働力希少社会」を迎えることになります.今は,希少性が高まりゆく労働力をいかに有効に活用するかという方向性を模索する大きな動きの中にあると言えます.これまで,グローバリズムをはじめとした環境の変化は,労働力の価値を押し下げる方向に作用してきました.その逆向きへの動きが,今,世界中に先駆けて,この日本で始まりつつあるとも言えます.そうした変化は,私たちの生活にどのような変化をもたらすのでしょうか.
 労働法制のあり方次第で,人々の働き方は大きく変わり,それゆえに当然,人々の人生は大きく変わることを,日本の歴史,そして国際比較などを通じてみてきました.その労働法制は,労使の交渉力に影響を与える様々な要因の必然と偶然がおりなす変化の中で,右往左往と左右に振れ,行ったり来たりと前後しながら,徐々にしか変わってこなかったのも事実です.しかしながら,時間をかけながら変わってきたのも事実です.
 この国の労働市場には,「パート」という言葉が,他国では通じない独特の意味をもち,この言葉には,正社員の人材活用システムの対象にされない労働者という意味が含まれています.この日本的特異性が,この国における「労働時間選択の自由」の大きな障害となってきました.繰り返しになりますが,ここで言う「自由」は,生活にあわせて労働時間を短くしても,賃金をはじめ労働条件が極端に下がるようでは保障されている状況とは言えません.日本の労働市場には,変えなければならないことがいくつもあります.
 そうした課題は,これまでのようにゆっくりと解決されていくのだろうとも思えます…….労使の合意を得るために,対象者のいない規定を設けて,形だけ先行するという方法もこれまで多くとられました.しかし,そうではあるのですが,第1 章にも書いているように,250 万年前に始まる人類史のタイムスパンでみると,私たちが今目の前で観察している事象は,極めて大きな変化を伴う歴史の屈折点を観察しているのだろうとも思われます.
 しっかりとしたビジョンを掲げ,それを多くの人たちが共有し,ある世代から次の世代へと引き継がれていくことの重要性を,私はこれまでの一連の研究の中で学んできたとも言えます.時に政治はあらぬ方向に導こうとすることもあるのですが,長く引き継がれてきたビジョンはその動きをあるべき方向に戻そうとする力としても働きます.今後どのような経路をたどりながら,どこまで進むのか,興味深く見守っていきたいと思います.
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 「ちょっと気になる」シリーズの編集者,勁草書房の橋本晶子さんには,大変お世話になりました.恥ずかしくて躊躇っていたところ,表紙を「へのへのさん」で飾る(?)ことができたのも,橋本さんのおかげです.本当にありがとうございました.
 
 
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