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『震災と学校のエスノグラフィー』

 
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清水睦美・妹尾 渉・日下田岳史・堀 健志・松田洋介・山本宏樹 著
『震災と学校のエスノグラフィー 近代教育システムの慣性と摩擦』

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はじめに
 
 東日本大震災後、学校は災害経験とどのように向きあってきているのか。これが本書の大きな問いである。まもなく東日本大震災から九年。世間的には遠い過去の様相をもち始めた感のある東日本大震災ではあるが、他方で、豪雨や台風による被害、それに続く土砂崩れ・河川の氾濫などによる被害、また予期せず起こる地震や噴火の被害に毎年のように晒され、私たちの生活は災害と無関係に成り立ち得ないということも感じる。
 こうした状況下において、私たちが問いたいのは、こうした災害からどのように身を守るのかというリスク回避の視点ではなく、残念なことではあるが災害に見舞われざるを得なかった後で、私たちは、その後をどのように生きていくことになるのかという点である。このことは、リスク回避の視点が不要であるということを主張したいのではなくて、私たちが多くの災害に見舞われる可能性があるからこそ、災害後をどのように生き抜くことになるのか、その生き抜き方に複数の可能性やその選択の可能性はあるのか、あるとすれば岐路は何か、選択の違いにより私たちの未来がどうかわるのかという問いに答えておく必要があると考えるからである。そして、私たちは教育学研究者であるからこそ、子どもの教育に関わる担い手として大きく位置取る学校に焦点をあてて考えたい、それが本書の趣旨である。
 この問いに答えるべく、本書では次のような構成をとった。
 序章では、本書に通底する枠組みを検討している。被災後の被災学校のありようは、震災への向き合い方のみならず、近代教育システムとの向き合い方とも関係していることを提示すると同時に、本書のサブタイトル「近代教育システムの慣性と摩擦」に込められた意味が明らかにされる。
 第一・二章では、本研究対象地である陸前高田市の状況をとらえる。一章では、入手できる統計データを用いて、人口変動、仕事、税の配分と収入、教育、学校統廃合をめぐる課題が概観される。二章では、被害状況にスポットをあて、子どもに関わる被害、復興への施策的道筋が概観される。
 第三・四・五・六章は、統合H中学校の学校エスノグラフィーである。三章は、二〇一三年度からの二年間を主な対象とするもので、統合して新たに創造されていくH中学校の学校文化を、統合前の学校文化のありようと震災経験の意味づけに照らしつつ明らかにしていく。続く四章は、統合H中学校開校から二年にわたって行われた「震災作文」を主な対象とするもので、作文に記される子どもの震災経験と、フィールドワークで得られた子どもたちの様子を重ね合わせることで、「震災作文」という教育実践を通して見出される震災経験の意味づけを検討している。五章は、二〇一四年度入学生が卒業するまでの三年間、その学年担当として初めて陸前高田に赴任することになった二人の教師の経験に焦点をあて、被災経験をもつ子どもたちとの間の教師−生徒間関係の構築に伴う葛藤を描き出す。六章は、二〇一五年度入学生の三年間を対象とするもので、時間の経過、教師の異動といった変化に伴い、共有されていた震災経験が後景化する中で、統合H中学校の学校文化がどのように変わっていったのかを明らかにしていく。
 第七・八章は、被災学校の勤務経験をもつ教師たちのインタビュー調査の分析である。七章では、被災経験をもつ三人の五〇代男性教員を対象として、震災前―震災当時―震災後の教職経験の語りから、それぞれの教師の教職という仕事における震災経験の意味づけとその変化を明らかにする。八章は、被災学校から異動した教師たちのその後の経験の語りから、被災学校での経験が、赴任先の学校現場に何をもたらすことになるかを明らかにしていく。
 第九章は、震災がこの地域の高校に通っていた生徒たちの進路選択に与えた影響を、二〇〇三―一八年の『学校基本調査』の「卒業後の状況調査票」に加えて、高校・ハローワークでのインタビュー調査をもとに検討する。
 終章では、各章で明らかにしてきたことがらを踏まえて、震災から八年という時間を振り返り、学校をめぐる復興の道筋としては複数の可能性があったこと、その後の時間の流れの中で、その可能性のうちの何を選択し、何を選択しなかったのか、あるいは、複数の可能性が学校現場にどのように併存しうるのかを明らかにしていく。さらに、震災を通じて顕在化した子どものヴァルネラビリティへの対応との関係を検討することで、災害が近代学校に何を問いかけているのかを考察する。
 
 本書の研究・調査の概要は次の通りである。
 本書は、『「復興」と学校――被災地のエスノグラフィー』(清水睦美・堀健志・松田洋介編、二〇一三年一〇月、岩波書店)の「続編」としての意味をもつ。本書の中でもしばしば言及される「前著」には、震災直後のフィールドとの関係の構築や、その後の二年間(二〇一三年三月まで)の調査方法等を記してあるので、参照いただきたい。本書の主な対象は、前著に続く期間で、東日本大震災で被災した陸前高田市内のA・B・C中学校が統合し、新たにH中学校が開校した二〇一三年四月からの五年間である。H中学校でのフィールドワークは、清水睦美・堀健志・松田洋介の三名が行い、できるだけ観察学年が重ならないような工夫を行った。その結果、開校当時第三学年(二〇一一年度震災直後に中学校入学)、第二学年(二〇一二年度統合前の中学校に入学)、H中学校への二〇一三年度入学生、二〇一四年度入学生、二〇一五年度入学生の五学年を追跡する調査を実施することとなった。第三~六章の学校エスノグラフィーとフィールドワークの調査期間は、図0―1に示したとおりである。
 H中学校の訪問は、三名それぞれが少なくとも月一回程度行い、多くの場合二日連続で訪問することになっていた。H中学校への滞在は、基本的に始業前から、放課後の部活動が終わり、生徒たちがスクールバスで学校を離れるまでの間であった。参与観察調査は、授業や休み時間、部活動、体育祭、文化祭、修学旅行、学校の引っ越し作業などの生徒たちの学校生活を、たいていの場合は「参与の度合いの低い観察者」という立場で観察し、必要に応じてインフォーマルなインタビューを行った。記録は、観察しながら走り書きでメモを取り、記憶の新しいうちにメモを手がかりにしてフィールドノーツを作成した。また、第四章で主な対象となる作文のように、必要に応じて文書資料も入手してきている。
 これらに加え、半構造化されたフォーマル・インタビューの記録が調査データとしてある。各年度末には三学年を卒業させる教員やH中学校からの異動が決まった教員に対して、インタビュー調査を依頼し承諾が得られた場合にはフォーマル・インタビューを行った。また、第七・八章に関しては、前著の調査で関係が構築された教師を対象に、半構造化されたフォーマル・インタビュー調査を行っている。インタビューは、他の教職員や生徒が不在となる別室、移動先の学校等において調査者と対象者のみで行われ、本人の了解を得た上で録音され、音声データは逐語的な会話記録(トランスクリプト)となっている。
 あわせて、陸前高田の状況を俯瞰するために、公開されている統計調査の収集や新聞・雑誌等による情報収集、さらに、生徒の進路動向に関わるデータ収集(図0―1参照)と分析を、妹尾渉・日下田岳史・山本宏樹の三名が随時行ってきている。
 これらの資料の収集・分析と、各月のフィールドワークでのデータ収集を縒り合わせる研究会を、最低でも二カ月に一回のペースで開催してきた。本書はそうした積み重ねの成果である。
 なお、本研究は、JSPS科研費JP25285237. JP18H00980 の助成を受けたものです。記して感謝したい。
 
執筆者一同
 
 
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